肝心のウン○がちっとも出演しないで話が進む。
やわらかい、温かい題名なのに、中身に偽りありだ!
ウン○友の会の皆様、期待させてゴメンナサイ。
ワシはブッちゃん(仏陀)の方便法を学び、
ウソをつくのが得意になりました(責任転嫁だな・・・)
ウンもウソも似た字だし、どちらも日常にあるということで・・・。
そういえばワシのHPに「インド・エッセイ」がある。
一番肝心な場面を書いてない。
書けないわけではないが・・・御筆先様が乗ってこない。
もう何年もほったらかしのままだ。
そこにウン○の一節がある。
題名を「ウン孝」としてある。
インドは混沌の国だ。
崇高な哲学とウン○が一緒に置いてある。
ワシは性格的にこの国の混沌が好きみたい・・・。
多種多様な民族や宗教や身分や歴史がゴチャゴチャ。
その中で暮らすには「おおらかさ」が不可欠となる。
ワシは「おおらか」なモノが好きみたい・・・。
朝、電車で移動した時のことだ。
冷凍庫のような冷房の列車は駅付近はゆっくり走る。
線路のすぐ脇を老若男女がゾロゾロゾロと歩いている。
背筋を真っ直ぐに、歩調はゆっくりリズムよく・・・。
実にインドの人達の歩く姿は優雅で綺麗な姿勢だ。
手にはビール缶のような入れ物を持ち優雅に歩く。
口は閉じ、おしゃべりはあまりしないようだ。
意思のしっかりした目というか、キツメというか、
歩く脇を通る列車をにらみつけるような目でもある。
(最近の日本人は半開きの口が多いがインドではあまり見かけない)
歩く列はアチコチで延々とある。
そして・・・アチコチで列を離れ、
アチコチでしゃがみこんでいる人がいる。
そう、ここは天然の野外トイレでもあるのだ。
トイレが無いのではなく、
何処でもトイレがある、国なのだ。
ちょっと道(?)から外れた雑草の中、
実に優雅に、実に自然に腰を下ろす。
毎日の自然な日常生活。
多くの人が溢れているのだが、
何故か静かな時間が流れている。
実に当たり前の光景であり、
「生きる」を意識してしまう光景でもある。
インドは不思議な国だった。
朝のウン○時間に出会って、
生物としての生きた哲学を学べる国でもある。
薄っぺらな精神論はオシッコで流される・・・。
文明国とよばれる国は紙(神)を使い、
自然を壊す(環境破壊や戦争をする)。
自分の汚れた(と思い込んでいる)モノを隠し、
正義の名目で常に優位に立とうとする。
「正しさ」は卑怯で薄情なモノなのだよ。
混沌の国、インドでは(伝統的な生活者のみです)
紙(神)もあるが、紙(神)は使わない。
日と水が浄化(調和)してくれる。
エコロジーは当たり前の日常なんだ。
学ぶこと、気づくこと、沢山あると思わないか?
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」