体、心の弱さはその人の弱さじゃない。
体の一部に弱い箇所があり、
心の一部の方向に癖があるだけだ。
それはどんな人にも当てはまる事柄だが、
自分が健常だと思っている人は気づかないだけだ。
人間は皆、例外無く完全体じゃない。
完全じゃないから人間として生まれてきている。
障害者という言葉を使うなら、障害者以外の人間は存在しない。
体、心が正常だと信じている人は、単に無知か鈍感なだけだ。
これは間違いない事実なんだ。
正常に働く箇所があり、サボる箇所がある。
得意な能力分野があり、不得意な分野がある。
一人の人間の中には様々な部分があるのだ。
そんな事は当たり前だ。
常に健全な心と常に健全な肉体は人間ではありえない。
そんな事もわからないほど「自称健常人」は心に障害がある。
基準を「強弱」「正誤」「優劣」にするから狂う。
いつかは自分の身と心で気づくだろうが、
それまで他の「弱」「誤」「劣」を差別し虐める。
ときにはこっそり自の「弱」部分を責める。
あるいは「頑張れ!」と無責任な言葉を言う。
優しくないんだなぁ・・・。
基準を「調和」「やわらかさ」「畏敬」にすれば、
「生命」は喜び、「世界」は愉しめる。
ワシ流では基準を「いいかげん」にすることなのだがねぇ。
自分のアホさイタラナさを自覚するのが「自立」だと思う。
だから「自立」の問題でもあるんだなぁ。
「優性思想」が趣味の段階ならモンクはいわない。
「強い」が好きだろうが、「優秀」が好きだろうが勝手にして。
ワシだって、来世は格闘家にあこがれる。
(来世はナイスボディの小悪魔もいいかなぁ)
売れっ子女流漫画家の亭主にもあこがれる。
南国のそよぐ風に生まれ変わりたい・・・。
(だんだん、ナマケモノの本性が・・・・)
アマゾンで生息するナマケモノそのものでもいいや。
ところが「優性思想」はデシャバリなのだ。
「こうでなくてはいけない」と本気で主張する。
しかも正論みたいだから性質(たち)が悪い。
この世で性質の悪いのは「正論の主張」なんだぜ。
その性質の悪ささえ自覚できていない。
そして、エスカレートする性質も内蔵しているんだ。
戦争準備下、戦争状態下では必ず「優性思想」がはびこる。
あるいは「優性思想」の先には争いが待ち受けている。
今の日本の状態、もう一度見直そうね。
ワシ、オーバーに煽っているわけじゃないよ。
多少、未来予測は出来るけど、そういう意味じゃない。
体、心の弱い(敏感)な我々が暮らし難い社会は嫌なんだ。
性格の強い人には気づきにくいだろうが、気づいて欲しい。
頑張るタイプの人とも一緒に暮らしていくわけだし・・・。
「優性思想」は「優性嗜好」に直してくれないか?
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」