またまた思い出した。
「素直になれ。素直になれば解る。」
この言葉の深さも何年もかかって染みている。
ワシの氣功療法は(自分が)空(カラ)でないと使えない。
(自分を隅にどけるだけで、仏教の「空」ではない)
つまり素直度で流れ込む「氣」の大きさが変化する。
「素直になれば観える」
龍村道場での求道ヨガに通った3年間。
体で覚えたのも「素直」だった。
ヒネクレが趣味のワシは「素直」と相性がいい。
(注:歪みとヒネクレを区別してね)
「ヒネクレ」も「素直」も同じ根だと知った。
ワシの場合は氣功とヨガで相乗効果で加速した。
「素直」も奥が計り知れない。
何処までも進むことができる道だ。
その「素直」とは「やさしさ」の別名だった。
「優しさ」と「易しさ」の別名だった。
楽な道は「素直になれば解る」
求めるモノは「素直になれば観える」
(ストレートの素直じゃ恥ずかしいから、
ワシはヒネクレを愛用しているけど・・・)
この世はヒネクレている。
放せば、持っていることに気づく。
観えていたことに気づく。
誰でも「やさしい」ことに気づく。
何もかも「やさしい」ことに気づく。
師の師(故沖師)の師はマハトマ・ガンディー。
やっと聖ガンディーの生き方の一片と共鳴できた。
何故、あんなにも「やさしい」人だったのか、
全ての解決に「やさしさ」を使ったのかわかる。
(いや、わかってないかもしれないなぁ・・・)
師の師である故沖師が初めてガンディーに会い、
「ヨガとは何でしょう?」と尋ねた。
「知りたかったら、私の生活を観て実行しなさい」
そして生活を共にした。(だから生活ヨガともいう)
(ガンディー聖師にとっては初めての日本の青年で、
たいそう可愛がられたそうです。)
ワシには聖テレサと聖ガンディーがカブってしまう。
その質素な姿や行動力の素直さが同じに思える。
魅力的な笑顔がとても似ていると思う。
悲惨なモノを体で受け止めた圧倒的な大きさは、
「やさしさ」だけで融(解)かしていった。
素直な笑顔は「やさしさ」の大きさだと思う。
伝記などではマジメな表現が多いが、
実際はイタズラ好きなオチャメな偉人だった。
子供達が好きで、子供達に好かれるのも、
「素直なやさしさ」と共鳴するからだろう。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」