「やさしい」雑記を書こうと思った。
「優しい」と「易しい」。
日本語ってかなり面白い。
音が同じだと意味も根が同じになる。
(違うこともあるけど、それは気にしないで・・・)
「やさしい」ことから学ぶモノは多い。
「優しい」ことは重要な意味を含んでいる。
この世の「存在」の意味を含んでいる。
ワシは30年以上かかって解った(つもり・・・)
この雑記でも、その断片を度々書いてきた。
この世は「優しい」から「存在」できていた。
そして「易しい」から「存在」できていた。
「優しい」歩き方をしないと苦しむ。
「易しい」方向に行かないと苦しむ。
実に当たり前だった。
実に当たり前に気づくまで30年もかかった。
ワシって・・・アホなのね・・・。
だからワシはアホの味方だ。
アホは可愛い。
自分を可愛いと思えないと苦しむ。
当たり前だよね。
これも「優しい」から学んだ一つだ。
嘗て今よりもアホだった大アホの頃、
「厳しくなければ成長しない」
と本気で思っていた。
「難しいから面白い」と思っていた。
実に薄っぺらな表面しか観ていなかった。
今も立派な(?)アホだけど、
「優しくなければ成長しない」
(まぁ、成長はどうでもいいんだけど・・・)
「易しいから面白い」と理解できる。
精神世界は表面に仕掛けがあったんだ。
表面の役割は「ヒッカケ」だったと気づいた。
「氣」というモノを体で扱うようになり、
「氣」はウソをつけないと気づいた。
表面を最初から通り貫けていた。
頭(理屈)はむしろ邪魔だった。
気づいてしまえば、簡単な事だった。
ブッちゃん(仏陀)はこの世を看破した(らしい)。
そして最初に話した相手は森のケモノ達だ。
ウサギや鳥やタヌキに理解できる話だ。
生きとし生けるモノ全てが理解できる話だ。
難しいわけがない。
当たり前だった。
「優しく・易しく、生きると楽だよ」
それだけだった。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」