水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

やさしい話・8

2005-03-20 20:48:17 | Weblog

ワシは「珍事」と「変」を求めてはいるけど、
ワシは「真理」や「愛」を求めなさいと言わない。
当たり前だよねぇ・・・いいかげんだもの・・・。
言う事とやる事が気まぐれなんだもの・・・。
「愛」を求めるより「愛人」を求めよ!
でも「変」な「愛人」は求めないぞ、オー!
(す、すんません・・・。
時々グレないとバランスがとれないもんですから)

そんなナマケモノのワシだって思う事はある。
もし「愛」が難しいものなら、
もし「真理」が困難な相手なら、
届くのは一部の人だけだろうなぁ・・・
少なくてもワシのような根性無しには無理だ。

もし「愛」や「真理」が「やさしい」モノなら、
誰でも理解し、使えるものだろうなぁ・・・。
「愛」や「真理」が「幸せ」への道ならば、
誰でも平等に理解し、使えるように用意しているだろうなぁ。
神様という超偉大な魂(?)があるなら、
人間だけとか、人間の一部だけに限定なんてことはない。
ナマケモノも根性無しも嘘つきも幸せになれると思う。

でも仕掛けはあるだろう。
神様はオチャメだと思うから。
そのカギが「素直(自然体)」なんだと思う。
そのカギを使った時にだけ「扉」は開く。

人の社会は「素直」だと利用され、ダマされる事もある。
「やさしい」から苦労する。
「やさしい」から泣く事もある。
人の仕組み(社会)と、この世の仕組み(自然)は別だ。
重なる部分もあるが、社会は「人の結界」内だ。

結界内(社会)で暮らせば、自然体は変わりモノになる。
素直に生きると、摩擦さえ生じる事がある。
「やさしい」生き方が難しくなる。
人の仕組み(社会)は、歪んでないかぁ?
自然の仕組みに戻した方がいいんじゃないかぁ?
それは一人一人の「意識」で戻せるぞ。

ワシは「愛」や「真理」はどうでもいい。
最初から最後まで持っているし、包まれている。
そんなことより、見失って苦しむ人を相手にしたい。
「難しいことはない」と無責任に言おう。
責任は・・・神様がとってくれている。
ワシは「神を信じている」

苦しみ、悩みから逃れるのではなく、
もちろん立ち向かうのでもない。
原因探しなんてツライ事もしなくていい。
「やさしくなる」
それだけでいい。
それだけで、楽になれる。

(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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