ワシは「珍事」と「変」を求めてはいるけど、
ワシは「真理」や「愛」を求めなさいと言わない。
当たり前だよねぇ・・・いいかげんだもの・・・。
言う事とやる事が気まぐれなんだもの・・・。
「愛」を求めるより「愛人」を求めよ!
でも「変」な「愛人」は求めないぞ、オー!
(す、すんません・・・。
時々グレないとバランスがとれないもんですから)
そんなナマケモノのワシだって思う事はある。
もし「愛」が難しいものなら、
もし「真理」が困難な相手なら、
届くのは一部の人だけだろうなぁ・・・
少なくてもワシのような根性無しには無理だ。
もし「愛」や「真理」が「やさしい」モノなら、
誰でも理解し、使えるものだろうなぁ・・・。
「愛」や「真理」が「幸せ」への道ならば、
誰でも平等に理解し、使えるように用意しているだろうなぁ。
神様という超偉大な魂(?)があるなら、
人間だけとか、人間の一部だけに限定なんてことはない。
ナマケモノも根性無しも嘘つきも幸せになれると思う。
でも仕掛けはあるだろう。
神様はオチャメだと思うから。
そのカギが「素直(自然体)」なんだと思う。
そのカギを使った時にだけ「扉」は開く。
人の社会は「素直」だと利用され、ダマされる事もある。
「やさしい」から苦労する。
「やさしい」から泣く事もある。
人の仕組み(社会)と、この世の仕組み(自然)は別だ。
重なる部分もあるが、社会は「人の結界」内だ。
結界内(社会)で暮らせば、自然体は変わりモノになる。
素直に生きると、摩擦さえ生じる事がある。
「やさしい」生き方が難しくなる。
人の仕組み(社会)は、歪んでないかぁ?
自然の仕組みに戻した方がいいんじゃないかぁ?
それは一人一人の「意識」で戻せるぞ。
ワシは「愛」や「真理」はどうでもいい。
最初から最後まで持っているし、包まれている。
そんなことより、見失って苦しむ人を相手にしたい。
「難しいことはない」と無責任に言おう。
責任は・・・神様がとってくれている。
ワシは「神を信じている」
苦しみ、悩みから逃れるのではなく、
もちろん立ち向かうのでもない。
原因探しなんてツライ事もしなくていい。
「やさしくなる」
それだけでいい。
それだけで、楽になれる。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」