我々(貴方)が何処から来たか?
一つの答えがここにある。
家族の間(愛)から生命が創られた。
この世に生まれる時に家族のいない生物はない。
一人ではこの世に来られない。
家族の間に生まれた・・・事実。
天涯孤独は心的に有っても事実ではない。
親が子を、
子が親を、
夫婦が、兄弟が、祖父母が・・・。
最近特に多くなった家族間の悲劇は、
通路を流れる「いのちの氣」の低下だと思う。
特殊な結びと通路を持つ関係故に、
「いのち」は家族に連動している。
一人では難しい状態でも家族の応援で乗り切れる。
しかし、家族の特殊性を理解できずにいると、
破壊の矛先は家族に向かってしまう。
思い出してほしい。
「氣綱」は「間(愛)」から創られた意味。
愛(分かち合い)で氣綱は太くなり、無関心で細くなる。
愛の逆は憎しみではなく、無関心なのだ。
細くなれば「いのちの氣」は流れにくくなる。
家族の応援が届きにくくなるのだ。
「いのち」の低下時には、不満・不安は暴力で誤魔化す。
対象とするのは、弱い相手か甘えられる相手。
「いのち」が低下しても、つながっている氣綱。
だから家族にすがる。
そして「いのち」の低下時に暴力は、
子供や女性や老人に向けることもある。
個々の原因探しをしても解決にならない。
ストレスは空気と同じにあるものだ。
そして妄想と同じに作れるものだ。
誰にでも、どんな時にもあるものだ。
それに左右されてしまう「いのち」の低下が問題なのだ。
回復・復活する方法の無知が問題なのだ。
家族の崩壊はありえないが、家族意識の無理解はある。
家族の特殊な能力を知らない故の無関心がある。
「個の時間・空間」を家庭に取り入れすぎた失敗がある。
「共通の通路」に完全な孤立(個立)はないのだ。
家族だけは・・・特殊な関係で創られている。
我々(貴方)は何処から来たのか?
いろいろな立場と段階で答え方が違うだろうが、
最終的に行き着く真意に違いは無いと思う。
「家族」という全てに当てはまる要素からなら、
それほど難しい問いではないだろう。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」