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by iwasaki1109 on Twitter
すみれ種の中でも、すみれやパンジー、それも改良種がたくさん
あって良く分かりません。
でもこの花は、葉の形が丸味を帯びており、日本在来の野に咲く、
「すみれ」ではないと思われます。
紫色の花と云えば、真っ先に「すみれの花」が思い浮かびます。
他家の庭先一面に咲いていたので、「綺麗だな~」と感じ、早速
スケッチさせてもらいました。
紫色は、飛鳥時代・聖徳太子の昔から、高貴な色とされ、奈良や
平安時代には天皇や朝廷役人が身に着ける色とされ、一般には、
「禁色・きんじしき」とされていた名残か、今でも紫色の花と言
えば、桔梗・藤・菖蒲・紫しきぶ・せんだい萩・都忘れ・すみれ
等数も少なく、なにやら雅な感じがしてきました。
~今日も良い一日を~
野良猫に愛(ミルク)をそそぐ人。
原野の中の細い道をウォーキングしていると、遠くの方で、山菜でも摘んでいるのだろうか、草むら
に入りしゃがみ込み、しばらく行くとまた車を止めて、同じ行動を繰り返す人がいました。
私が一周りしての帰り道、その人(50歳位の女性)に出会ったため、軽く挨拶するとニッコリ笑って
返し、すれ違って帰って行きました。
良く見ると先程、女性がしゃがみ込んでいた辺りの道の脇で、辺りを警戒しながら、紙の器に入った
ミルクを必死で飲んでいる一匹の野良猫がいました。
以前からこの辺りには、2~3匹の野良猫が居たのを思い出した。
「そうか腹を空かした野良猫に、あの人は餌を与えていたんだ」と、はじめて気付きました。
この女性は、餌がなくては生きて行けない野良猫を、不憫に思い定期的にミルク等の餌を与え続けて
いるのでしょう。
人は、必ず何かの使命を与えられて、この世に生まれて来ると言います。
まさかこれがこの人の使命ではないでしょうが、「動物が愛せる人は、きっと人に対しても深い思い遣
りの持てる優しい人なのだろう。」「ある意味、素敵な人生を送っている人だな~」と、何か心に残る
出来事でした。
座右の書「武士道」「葉隠」の中核を成す『惻隠(そくいん)の情』~「敗者への共感・劣者への同情
弱者への愛情」を、人知れず実践する人がこんなところにも居ました。
~今日も良い一日を~
この花なあ~んだ。
ヒント1・枝は不思議と三つに分かれていて、今の時期枝先はい
ちめんに花一杯です。
花のと一つ一つが、小さな「お花のブーケ」みたいでとても綺
麗な花です。
ヒント2・これは私達にとって、常に身近で関係深い物の原料と
なる木(花)です。
そう、これは「三椏(みつまた)の花」昔は、島根でもたくさ
ん生産されていましたが、今は栽培する人が少なって、あまり
見掛けなくなりました。
栽培に比較的手間が掛らないため、お年寄りの仕事として、力
を入れている地域もあるようです。
この「みつまた」の樹皮は、明治以降紙幣の原料として使われ
ているから、千円札や一万円札等常に?身近に有ったり、無か
ったりです。
今、満開時期を迎えていて、昔から「春告花」として万葉歌人
も、「サキサク」・先咲く? と詠んでいる様です。
~今日も良い一日を~
島根大学の近くの公園を散策していると、大学生?ぐらいの、カップルに出会いました。
芝生で、時折笑い声を上げてはしゃぎながら、仲良く「しゃぼん玉」遊びをしていました。
今時の学生さんにしては、無邪気で清潔感あふれる微笑ましく珍しい光景で、しばし見惚れてい
ると、気付いたらしく、お嬢さんの方から「かわいいワンちゃんですね」と声をかけて話しかけ
て来ました。
聞けば、高校を卒業したばかりで、この4月から都会の大学に進むとか、しばしのデートを楽しん
でいるところの様でした。
貴重な時間をあまり邪魔してはと思い、「大学、頑張って下さいネ」と言って立ち去ろうとすると
「有難うございました。 さようなら。」ときっちりと挨拶を返してくれました。
「きっと御両親の育て方が良いのだろうナ」と感心する一方、春の入り口で、ほんのひと時爽やか
な風が頬を撫でて行ったような、暖か~い気持ちになりました。
(ミカちゃん日記)
(お久し振りで~す。 ちょっと体調壊したりしておとなしくしていました。)
「スコシ タベスギテ タイジュウガ 2・8キロニモナリ オナカヲコワシテ
ダイキライナ ビョウインニイッテ チュウシャヲシタリ タイヘンダッタンダ
カラ キョウハ ワタシノ スキナ オニイチャン(孫)ガ キテクレタノデ コ
ノ オトクイ ポーズデ アマエテマ~ス」
ドジョウ料理を、食べて来ました。
相田みつをの「どじょうがさ、金魚のまねすることねんだよなあ~」を引用して一躍名をはせ
た野田総理、でもその後「ドジョウよりもうなぎが好きなんだよな~」と語ったとか。
代表演説で引用するくらいなら、本当に泥に潜らなくちゃあ~、と思うワケ。
民謡「安来節」発祥の地安来市では、それより随分前から、地域を元気にとの意味もあって、
歌に因んだドジョウの売り出しのため、養殖や料理レシピ作りに力を入れています。
私は数年前、安来地域の「農業祭」で、ドジョウ汁を食べて以来大好きになりましたが、食べ
ず嫌いの方が結構多いようですネ。
柳川なべ・ドジョウ汁・甘露煮等は、食べてみると本当の美味しさが分かります。
きっと、姿形と泥に潜るイメージが強くて「ドジョウ料理はどうも?」と、敬遠する人が多いので
しょうか?
でも、カルシュウム・ビタミンD、たんぱく質、コンドロイチン等、うなぎよりも栄養価は高く、女
性にはシミ、シワなど「肌の若返り」に、また「がんの増殖抑制」にも効果が認められている様
です。
田舎では、ジョウと言えば子供の頃から慣れ親しんできた魚ですが、何故か出雲地方では食
べる習慣は、あまり根付かなかった様に思います。
ドジョウと言えばもう一つ、「安来節」の男踊り、ヒョットコに似たひょうきん顔の踊りで有名です。
栄養満点、ドジョウを食べて元気に踊りましょう。
~今日も良い一日を~
庭の桜の蕾が、冬の寒さにじっと耐えていましたが、ここのところ
の陽気に一段と膨らみ、3輪ほどが半開きで今にも咲きそうです。
この桜は、二男夫婦が以前、「母の日」に鉢植えを贈ったもので、
花が終わって庭に下ろし、かれこれ10年程になりますが、毎年、
真っ赤なサクランボが、たくさん生って人に分けるほどです。
剪定して木丈が低くしてあるので、実の時期には野鳥が食べに
やってきますが、網を掛けて鳥と知恵比べです。
庭には、もう一本アメリカンチェリーの木が植えてあります。
これは濃紫色の大きな実が生りますが、勢いも良く天を突くほど
の大木になり困っています。
さりとて、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」などと言いますから、スパッ
と荒療治をすれば、枯れてしまいそうでひと思案と言うところです。
ウォーキング(散歩)を始めて、もう3年以上になった。
最初の動機は、健康のため、途中から術後体力回復、しかし今で
はもうエンジンが止まらない、シューズも擦り減って4~5足目?
いま履いている靴も、もう1年近くになり偏平な足だから、余計に
変な擦り減り方をする。
そろそろ買い換えの時期が来ている様だ。
確かに、術後体調が悪く苦労されていて、散歩程度(医者の指示)な
ら出来る方には、私の経験則から言えば「心・身」に良い様だ。
「足(正式には、ふくらはぎ)は第二の心臓」と言われるほどに、血液循
環が良くなり、体力面でも私の場合は良かった気がする。
とりわけ気力(精神)面で、大きな力となったことは間違いない。
何はともあれ、おいしい空気を胸いっぱいに吸い込み、爽やかな風に
触れながら、戸外を歩けるのは、幸せの一語に尽きる。
タオルや万歩計は必需品、これから段々気温が上がってくると、タオル
は欠かせない。
服装もタオルも、思いっ切り派手な色がいい、気分が高揚する。
私の場合は犬の散歩も兼ねるから、時々、愛犬を入れたショルダーバッグ
で、負荷を掛けてのウォーキングになる。
結構ハードだが、一日の締めくくりとしての充実感がある。
孫に手伝って踏ませ、手打ちうどんを作り、早速夕ご飯を賑やかに食べました。
「手打ちうどん」難しい様に思いますが、意外と簡単に出来るため、最近は、
時々打ちます。
元々、私のパン作りのために、買い込んである強力粉を使って、「レシピ」に
書いてある通りに、「塩と水を丁寧に混ぜ・こねる・寝かす・足踏み・寝かす
打ち粉を振って・伸ばして・均等に切る?」これが全工程、2時間半程でやっ
つけ、あとは釜で茹でたら、奥さんにバトンタッチです。
奥さんがだし汁を作り、肉・かまぼこ・刻みネギ・新鮮な卵・を入れて盛り付
ければ、ちょちょいがちょで出来上がり。
冗談じゃなく「ほんとに美味しい」、技術的には下手でも、打ちたてのうどん
は、それだけで一味違う。(自分で作るから、なお美味しい)
育ち盛りの孫も、お手伝いして作ったうどんだけに、御満悦、いつも楽しみに
しています。
~今日も良い一日を~
春本番に向けて、プランターに植え替えた、「プリムラ・ジュリアン」や、「プリム
ラ・ポリアンサス」が、庭先や室内を明るく華やかに彩ってくれています。
「暑さに弱いが(夏期の30℃はダメ)・日光を好む・花や葉への直接の水を嫌
う・終った花はこまめに摘む・施肥(液肥)は10日に1回」これだけ守ってやれば
次から次へと、プランターを覆うほどの花を咲かせ楽しませてくれます。
しかし夏場の管理は大変だから、本来は多年草だが比較的安いこともあり、我
が家では1年草として扱っています。 (花関係は、奥さんの専属のお仕事)
~今日も良い一日を~
安来市内の沼川で釣りをしていると、対岸から一羽の鴨が川を斜めにこちら岸
に向かって、周囲を警戒しながら泳いできました。
段々近づいて来るに従って、鴨は背中をこんもり膨らませ、何やら乗せている
様子、いよいよ近づいて来ると、それが、まだよちよち歩きほどの雛鳥であるこ
とが分かり、初めて見る光景にビックリしました。
そうか、暖かくなってくると、湿地では蛇やイタチなどが、川遊びをしている鳥の
雛を狙うため、親鳥はそれを良く知っていて、雛鳥を背に乗せてしっかりと守り
ながら川を渡って来たのだ。
親子の情愛あふれる、ちょっと記憶に残るシーンであったため、写真に撮って
帰り、後日、スケッチしたものだと思われます。
スケッチブックには、1998年4月の日付が入っていました。
今日も、宍道湖に飛来して来ている鴨を見るにつけ、あの時の微笑ましい鴨
の親子のことを思い出しました。
~スケッチを見て思うこと~
獣や鳥さえも、我が身を危険に晒して必死で子供を守るのに、理性や愛ある
はずの人間が、「虐待死」などという悪魔の様な所業を繰り返すのか。
そんなニュースに接する度に、抗らう術さえ知らない子供達が不憫でならない。
この国は、一体どうなってしまったのだろうか?
「人の人たる教育」を、一からやり直す必要があるのでは ないでしょうか。
~今日も良い一日を~
出雲国風土記「八岐大蛇退治」伝説で有名な、須佐之男命を祀る須佐神社(佐田町)
にお参りに行って来ました。
須佐之男命は諸国開拓の後、この地に来て「須佐」と名付け、最愛の稲田姫と共に
住んだと伝えられています。
ここで生まれ育った私は、子供の頃、須佐神社の春(4月)の例大祭に、親から貰っ
たお小遣いの10円玉をポケットに大切にしまい、友達と一緒にお参り?に行くのが
大きな楽しみの一つでした。
参道の両脇に並ぶ屋台は、人だかりで一杯で金魚すくいや、手品、オモチャ等々、
今思えば怪しげで子供心を夢一杯にさせる、品々を見て回ったり思案の末に買っ
たりするのが、年に一度の大きな楽しみの一つでもありました。
(買って来た物は、「バナナのたたき売り」よろしく、後で必ず失望させられる代物ばかりでしたが、、、)
この神社の横手には、夏期でも気温6~7℃前後の冷気を吹き出す「八雲風穴」や、
海から約10km、なのに塩分を含んだ泉の湧き出る池「塩井・しおのい」が存在す
るなどの「須佐の七不思議」伝説もあって、何やら神がかり的なパワースポットとして
今、注目を集めている様です。
ともあれ、神話や伝説に彩られた、思い出深い故郷があることは、ほんとうにありが
たいことです。
この「須佐神社」には、3年程前、101歳になる母に手を引かれて?お参りした事が今
では微笑ましくも、懐かしい思い出となりました。
~今日も良い一日を~
姉がまだ元気で、花の栽培に精を出していた頃、時々持って来てくれた「トルコ桔梗」
、以来、好きな花の一つになりました。
その姉の1周忌の法要が、奇しくも東日本大震災から1年目の3月11日にあたり、被
災された方々の分も共にお参りをして来ました。
突然の身近な人や財産、生活等の全てを失うことの、苦痛、悲しみ、絶望感は想像を
絶するものがあり、掛ける言葉も知りません。
ただ、御住職の法話に、親鸞聖人の教えである「前に生まれん者は後を導き、後に生
まれん者は前を訪え、、、」と説かれました。
今は浄土に生まれ輝く光の中に居られる先人を、時々、訪ね(弔い)、その時々の教え
導きを、悟り懸命に生き抜くことこそ、後びとにとって大切なことだと気付かされる一日と
なりました。
トルコキキョウの花言葉には、「希望」「清々しい美しさ」等と書かれていました。
~今日も良い一日を~
縁結びの出雲大社、参道入り口に日本一の大鳥居(日本人は
とにかく日本一が好き他にも有るのかも?)この鳥居額面の広さ畳6枚分
と言うから確かに大きい。
鳥居をくぐって上り坂を約500米、松並木の先に表参道の鳥居
が見えています。
この松並木越しに、土産物店が建ち並び、あれやこれやと思案し
て、やっと二つ目の鳥居をくぐり、玉砂利を敷き詰めた松並木をし
ずしずと進みつつ身を清め、毛利元就寄進に係ると言われる青銅
の境内入り口の鳥居をくぐって、拝殿に、さらに拝殿奥の本殿にお
参りして、やっと御縁がいただける。
これが子供の頃の、大社さん参りの一連のコースでした。
それが今では、車で駐車場に乗り付けて、横手門から近道してのお
参りが通例。
一度、大鳥居から歩いて、心静かにお参りされたら、良縁が舞い込む
かもしれませんよ! お嬢さん。
~今日も良い一日を~
私の好きな、隠岐島・白島海岸の「白島灯台」を望む眺めです。
隠岐諸島・島後北端に位置する白島崎、その展望からの眺めは、島
前の名勝「摩天崖」の荒々しい風景とは対照的に、コバルトブルーの
海に、松を頂いただく島々が点在し、優雅で優しく女性的?な景観を
成しています。(時化の日には、全く違った顔を見せます?)
私は、まだ20代の頃の三年間をこの島で過ごしました。
島には、とりたてて娯楽と言えるものも無く、釣りやダイビングなど海
に親しみ、地元の祭りなどに参加して、お酒をいただいたりして、子供
達も伸び伸びと、結構楽しく過ごしました。
とても人情豊な島で、道をトコトコと歩いていると、「どこへ行かれますか
、乗って行きませんか? 」と、わざわざ遠回りして、送ってくれるほどの
土地柄です。
ここ隠岐諸島は、大小80余島から成り立ち、平安、鎌倉の昔流刑の島
として、討幕の戦いに敗れた、後鳥羽上皇(天皇)や後醍醐天皇が、配
流された島でもあります。
後鳥羽上皇は配流の19年後、この地で終焉を迎えており、歴史的遺産
もたくさん残っております
後鳥羽上皇のこの島での生活の一端、隠岐民謡のこの一節にも、よく
偲ばれる気がします。
~新しげさ節~
後鳥羽御陵の 松の風 池の蛙の 忍び鳴く
おぼろ月夜に ふいごを吹いて 京都恋しや
御番鍛冶 隠岐は歴史に 古い島
~今日も良い一日を~