とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
ひとが主役のまちづくり!

大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

議員のしごと

2011年07月20日 | とだ*やすこの活動日記
大型の強い台風接近により、昨夜から一定の職員が庁舎に泊まり込んで情報収集体制をとっていました。いざというとき、住民の命と財産を守るのに、やはり頼りになるのは職員のみなさんです。これは絶対的にそうです。去る7日には、東日本大震災の被災地に赴いた職員による議会への報告会があり、そのことを実感しました。もしもそうでないならば、住民の意思、議会の力でそうしなければいけないことです。職員の人件費を削ることばかりが改革ではありません。

さて、まなびとひろばの講演会が無事終わり、初蝉の声を聴き、7月も後半になりました。ふと手帳を振り返ってみるとLED開発者・中村修二さんの講演から、はや2週間。月日の流れに、仕事の「実」が伴っていない焦燥感が常にあります。忙しいでしょう、とお声をかけていただくことの多い議員ですが、あきらかな公務(議会や委員会など)と準公務(議員研修・各種会議など)の領域、自主自発的な議員活動(住民からの要望や個人の発露によるもの)、住民の方との対話など、議員の毎日はさまざまであり、どこまでが政務でどこまでが調査で、なにが私的な活動なのか、人によって捉え方はさまざまです。

志が伴えば、日々のすべてが仕事につながります。活動内容、政策の方向性など、住民のみなさんに常に評価される立場にあるのですから、活動の内容と方向性が「みえる」ための努力(情報公開、説明責任、意見徴収)が重要。なにより成果が求められます。ご期待に添えているかというと、必ずしも胸をはれませんが、政治に希望をもち続け、参画していただけるよう日々努めています。7月5日以降の活動の足跡を簡単に記します。

5日午前:「ふるさとしまもと案内ボランティアの会」定例会 午後:商工会ご挨拶&ヒアリング
6日午前:私用で外出(某メーカーの商品を求めて年に一度の買い物を楽しむ)
7日午前:被災地派遣の職員による報告会・総務文教委員会 午後:近畿市民派議員交流・学習会(高槻市議・島本町議でミーティング)
8日 夜:第一小学校応援団「和なごみ」なごみ倶楽部「星を観る☆サークル」土星鑑賞(曇天にため月を観る)
9日午前:住民の方との対話 午後:住民の方との対話
10日午前:町主催講演会「島本町まちづくり基本条例とこれからの地域住民活動」(新川達郎さん・同志社大学大学院・総合政策科学研究科教授)
   午後:とだ*やすこのまなびとひろば 講演会主催
11日午後:情報公開 夜:つじともネット地区代表者会議
13日午前:住民の方との対話 午後:議会だより原稿提出
14日午後:総合政策課ヒアリング・第2幼稚園トイレ環境視察
15日午前:住民の方との対話
16日午前:近畿市民派議員交流・学習会(高槻市議・島本町議のミーティング) 午後:実家へ 夜:祇園祭宵山(友人宅)
17日午前:家族と外出 午後:祇園祭巡行(友人宅)
18日午後:島本町に戻り、さわしまさんの事務所を訪ねる
19日午前:「ふるさと島本案内ボランティアの会」研究会 午後:住民の方との対話・総務文教委員会・情報公開請求
20日午後:農業委員会・新教育長への表敬訪問・

各種調査や資料の作成、ブログの更新など事務作業も膨大です。6月議会の報告「いまここ*島本」の原稿にも着手できていないのに9月議会が頭によぎります。

明日は、近畿市民派議員学習・交流会の記念すべき第80回目を、高槻市議5人・島本町議3人が協働で担当します。自治体の原子力防災について午前・午後2回の講演会を行い(講師をお招きします)、各自治体の議会だよりの現況比較なども行います。市民派と呼ばれる議員が縦横のつながりをもてるよう、このようなネットワークを構築された諸先輩方の歴史に感謝します。


画像は、10日「島本町まちづくり基本条例とこれからの地域住民活動」の様子
講師は、新川達郎さん(同志社大学大学院・総合政策科学研究科教授)
町政に関心をもって日頃から活動されている方から、非常に有意義な質問がありました

関連条例の制定、補助金制度の見直し(ゼロベースで住民参画で審議する事例の存在が紹介されました)など
行政・議会の動きがあまりに遅すぎると、信頼を失うだけでなく、町そのものが疲弊することになります


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コンチキチンは市民のお祭り

2011年07月17日 | とだ*やすこの活動日記
観るたびに感動する祇園祭。朝一番の辻回し。さぁ、いってらっしゃい!と見送られて威勢よく四条通に並ぶ鉾と山。午後、御池通を曲がり、新町通、室町通を通ってそれぞれの鉾町に戻る鉾。町内のみなさんが道に出て、お帰りなさいと拍手で労をねぎらう・・・「動く美術館」と称される祇園祭は世界的なお祭りですが、実は、住む人の、町衆の、市民のお祭りです。そのことに気づいて以来、わたしは祇園祭の虜。といっても、家族と行くと、わたしの熱さに反比例してみんなが冷めていく・・・来年からは、昔のようにひとりで行きたい!

祇園祭は、かつて前(さき)祭りと後祭り(還幸祭)があったのですが、ある時期にひとつにまとめて巡行するようになったそうです。17日の巡行は本来の前祭りに当たります。「後の祭り」とは、そのことを知らずに24日に入洛、巡行はすでに終わっていた・・・ということに由来する言い回しときいています(ほんとうかどうかはわからない)。還幸祭を復活させ、元の姿に戻そうという動きがあり、京都市長も積極的とのこと(追記:今年初めはそうでしたが、現在は静観・・・。警備や道路事情など、あまりに課題が多すぎ、反対が多いようです)17日に集中する観光客をふたつに分散する経済効果は大きいと判断されていると思います。楽しみです。

祇園祭は、ほんとに素敵。室町筋の会社跡地が多くマンションになり、新住民の祭りへの参加がにわかに盛んになっているそうです。誇り高く閉鎖的であって、それが魅力であった伝統行事ですが、担い手不足は深刻でした。しかし、最近は伝統の祭りに憧れて鉾町に引っ越してくる若い世代も多いそうです。わたしの友人も古参の新住民のひとり。彼女の計らいで息子はかつて占出山の巡行に参加させてもらっています。ほんとうに町内のお祭りという感じで、感動しました。

来年は、宵宵山が日曜日、宵山が祝日、巡行が火曜日です。興味のある方、一度、ご一緒しましょう。

画像は、新町通りを南行する放下鉾
鉾町のみなさんに迎えられて、無事の帰還を喜ぶ瞬間
お囃子も高らかです
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まもなくコンチキチン

2011年07月11日 | とだ*やすこの活動日記
午後、役場で情報公開していた教育委員会の資料を閲覧
自治防災課で簡単なヒアリングをした後、私用で京都に向かい、四条界隈を通りました

祇園祭の山鉾巡業に向けて、鉾建てがはじまっています
大工方や手伝い方と呼ばれる職人さんが、釘を使わない荒縄の伝統技法で櫓(やぐら)を作っています

屏風祭り、長いこと行ってへん・・・と思いつつ、高槻へ
辻元清美事務所を訪ね、月に一度のつじともネットの地区代表者会議に参加

祇園祭が終わったらいよいよ夏というのはもう昔の話
今年はすでに盛夏のような毎日が続いています

鉾町の暑さを祓ふ笛と鉦  靖子

みなさん、この時期は特に体調にお気をつけください

画像は、四条烏丸西
長刀鉾の鉾建ての様子です
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出会いと学び

2011年07月10日 | とだ*やすこのまなびとひろば
暑い日の午後、まなびとひろばの講演会にお運びいただき、ありがとうございました。お陰様で、まなびとひろばも第4回を迎えることができ、会いたい方の輝くメッセージを、みなさんと共有することができるよろこびを、改めて思いました。

今回の会いたい人は、ビレッジトラストつくだ農園の渡辺雄人さん。聴きたいことは「若者の就農」でした。素晴らしい講演をいただきました。ふれあいセンター受付のみなさんをはじめ、たくさんの方のご協力を得て、パワーポイントもすんなり起動、映ったタイトル「たんぼの価値発見『機会』化農業の提案」をみて期待度が再上昇!・・・感動しました。

渡辺さんは20代後半。農家の生まれではないことを含めた家族背景、同志社大学で文学部に所属して外国語を学んでおられたこと、大学院のときカリキュラムのなかで大原に移り住み、「農」のある暮らしをはじめることになったこと・・・まずご自身のことから語ってくださいました。若い方が求めている豊かさ、就農希望の背景が実感として理解できました。

会場には、転職して就農された20代の女性、能勢町で小規模有機栽培を学びながら農業にチャレンジし(その姿を一昨年視察で拝見ました)、現在高槻市内で就農されている20代の女性も来てくださいました。新規参入の五大障壁といわれるのが、家、農地、農機、技術、販路。これを克服していくことが就農であり、言い換えれば、この五つの障壁を自ら取り除くことなく、後継者がいないと嘆くのは、どうなのかな、という印象をもちました。

しかし、家にも勝り土地(農地)は農家にとって大事なものであり、貸すという決断に至るまでには、心理的にも現実的にも大きな壁になり、法整備も十分ではありませんでした。同志社大学が命と食と農をつなぐ実践的なカリキュラムを組んでおられるなかで、人と人がつながって、社会革新(ソーシャルイノベーション)が大原で起こったということ。ひとりの若者の就農体験を通して、そのことが理解できました。

渡辺さんは、稲を育てて6回目。同時多発的に新規参入が起こったことをきっかけに、2009年には数人の若者(平均年齢約31歳)で『オーハラーボ』を結成。グループ化することで5大障壁をカバーしていられるそうです。10年前にめだった遊休地は、現在ほぼなくなったとおっしゃいました。遊休地というよりも、渡辺さんが耕しておられる農地の過去の姿をみれば、まさに荒地でした。

今は、田んぼには合鴨が育ち、稲が育ち、子どもが集まり(育ち)、そして自分自身が育っている・・田んぼつくりは地域づくりであるとおっしゃいました。『機会』化農業とは、たんぼにふれるチャンス、人に出会うチャンスという意味の「機会」です。機械化しなければ儲からないというのは、農業の歴史のなかのほんのわずか、高度成長期時代の価値観ではないかと思えました。スーパーの台頭、流通の変化などによって後押しされていたものです。

「農薬の使い方を知らないんです」と飄々と語る20代の若者が、つくるものも、つくり方も、売り方も、売る値段も自分で決めることができる(=消費者の声に応えられる=有機栽培)自立した農業で暮らしを立てておられます。「安全・安心」「美味しい」野菜を提供すれば必ず売れます。みんな、心の底では求めています。毎週日曜日の大原の朝市には、早朝6時から列ができ、市内からレストラン経営者なども集まられ、あっという間に売り切れるそうです。

今朝は4時に起き、畑でなすびを切り、朝市を終えて、講演会にかけつけてくださいました。内容はもちろんのこと、話の筋も面白かったが、話す技も心もすばらしく、もう少し話を聞きたい!という感想や、農業をサービス業としての運営を大事に考えられていることに感動したという声が、参加された方から寄せられました。ありがとうございました。

画像は、まなびとひろば 講座の様子
お手伝いをお願いした方を含めて約30人の方が
熱心に耳を傾けてくださいました
(画像には映っていませんが^^)
わかりやすく、聴きやすく、心に響く講演でした



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農業は将来性のある農業

2011年07月08日 | JR島本駅西まちづくり
京都新聞文化会議・ソフィアの記事を切り抜いて残していましたが、改めて内容を読むと、あさっての講演会の講師にお招きする渡辺雄人さんと少なからず関係がありそう。「同志社大学では5年前に京都市左京区大原に農場を開いた。大学院生が研究のかたわら就農しすでに一人前の農業者として自立している」とありますが、それこそが渡辺さんではないのかな、と思います。そのはずです。

ジャガイモなどの収穫期と重なり、とても忙しくしておられるようですが、いよいよ明後日になります。こちらも最終準備に追われています。ゆきとどかない点があるのではないかと、実はハラハラ、ドキドキです。ふれあいセンターのプロジェクターには、多々泣かされていますから・・・しかし、なにがあっても、よい学びのライブにします!ので、ご参加をお待ちしています。

お知らせ&お誘い

とだ*やすこの
  まなびとひろば(第4回)

小規模有機農業で京都大原に暮らす
~ 都市近郊農業の可能性 ~

講師 渡辺雄人さん
ヴィレッジ・トラストつくだ農園
同志社大学大学院・総合政策科学研究科・ソーシャル・イノベーション研究コース卒

7月10日(日)2時~4時 開場 1時45分 
ふれあいセンター3階・視聴覚室
参加無料
主催:とだ✽やすこのまなびとひろば


「防災」「減災」「耐災」という点から考えても、今ある農地をこれ以上破壊するのは得策ではない。ご先祖様にも、未来の子孫にも申し訳がたたないように思えます。「土地を持たない者のお気楽な考え」といわれればそれまでかもしれません。ただ、母方の祖父が京都市の山科区に遺した土地の売却についてパチンコ業界から打診があった際、伯父が断固として手放さなかったことが記憶にのこっています。

そもそも人間以外の生き物には土地を所有し、金銭で売買するという概念がありません。土地が金銭で売買されたり、相続によって引き継がれたりすることを否定はしませんが、土地というのは本来すべて公共性のあるものです。土地を所有するものには責任が伴う、とわたしは考えます。農地を失う影響と大学立地で得るものとを比べると、今ある農空間を破壊しての大学立地を歓迎できません。町内には他に、やがて手放されることになろうかと思える民間企業所有の候補地があると思うからです。

それはともかく、3月27日に掲載された京都新聞・ソフィア、今里滋教授の記事をご紹介します

今里滋氏 自給の知恵こそ耐災の要
災害は防がねばならない(防災)。防げなかった災害には耐えねばならない(耐災)。耐え抜いて、同種の被害を繰り返さない態勢と構造を可及的速やかに創(つく)り出さなければならない(克災)。

戦後の日本は世界でもまれに見る規模と早さで都市化が進んだ。都市計画区域(=国土交通省の“領土”)と農業振興地域(=農水省の“領土”)が分断され、市街化区域内農地は大都市ほど例外的存在となっていった。つまり、日本の都市は防火帯、避難場、排水池などともなる田畑を排除してしまった結果、住宅や事業所が密集し、災害に対してきわめて脆弱(ぜいじゃく)な都市構造を持つに至ったのである。

加えて、豊かな消費と高度な利便性を享受する現代の都市的ライフスタイルは、生活物資やエネルギーのほとんどを外部に依拠しているが故に、災害がもたらす非常事態に十分に対応しきれない。地域コミュニティーが機能しない所では事態はさらに悪化する。電気やガスがなければご飯も炊けず、近所からの支援も少ない。孤立と絶望が人々を苛(さいな)む。

仙台市で被災した高齢の母親のことを知人が話してくれた。彼女は炭を備蓄しており、ライフラインが止まった後は炭火と鍋でご飯を炊き、家族から「こっちの方が美味(おい)しい」と感謝されたという。彼女の様に、かつて日本人は農との関わりが深く、生活需要の少なからぬ部分を自作・自給していた。戦災を耐え抜けた一因はこの自給の知恵と技術を相互扶助の精神が支えたことにもあった。

同志社大学では5年前に京都市左京区大原に農場を開いた。大学院生が研究のかたわら就農しすでに一人前の農業者として自立している。社会人を対象とした同志社有機農業塾からは何人もの新規就農者が輩出した。自立自給型生活論の授業では味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)作りから炭焼きまで行い、自給の理論と技術を習得する。

自給志向型有機農業にこだわるのは、命・食・農の連関を重視するほか、農業は学生の就職先としてきわめて魅力的で将来性豊かな産業たり得ると思うからだ。加えて、今般の震災によって、防災、耐災および克災の観点から、農と自給の果たす大きな役割と可能性が再認識できたように思う。市街地内農地の意義を訴えるとともに、災害にも強い自給型有機農業者の育成に努めていきたい。(同志社大教授)

[京都新聞 2011年03月27日掲載]


画像は、島本駅の西側出口にあるツバメの巣
巣のなかは、いったいどのようになっているのだろう
あさっての野鳥観察会「におの子」では、講師の先生が
簡単で特別な方法で、子どもたちに巣のなかをみせてくださるそう
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水源の里に生きる

2011年07月08日 | とだ*やすこの活動日記
画像は、「水源の里」は、綾部に自生するヤマブキを天然水と上質の調味料で焚いた佃煮です。

前綾部市長・四方八州男さんが、昨年7月の「まなびとひろば」の際に持参してくださいました。当日は試食していただけなかったのですが、以来、法事のお供養や手土産などに使わせていただいています。自然食を好まれる方、食通の方に評判です。島本町でも「購入したい!」「とりまとめて!」とのご要望を受けていました。ようやく7月10日のまなびとひろばでご紹介することができます。

また、綾部市では、樹齢数百年の栃の木が群で自生しているものの、鹿に食べられてばかり!これではしょうがない!もったいない!とネットを張って栃の実を守り、高齢化率ほぼ100%、7人の集落でトチノミのおかきとせんべいを手作りしておられます。栃の実おかきとあられも入手しています。集落すべての住民7人(一人の男性を除いて65歳以上の女性)が関わっておられます。

ヤマブキもトチノミも、第3セクター「緑土」の扱っておられる商品ですが、四方さんのご縁で、以来、代表の方と電話での交流が続いています。綾部市の過疎集落、水源の里はとても元気です。胆力と洞察力のある政治家であった四方さんの理念、発想、洞察力が継承され、今なお、さまざまなビジネスが生まれているのだと思います。地域の再生の鍵は、地域のなかにあります。行政も商店街も住民も、嘆いてばかりではなにも生まれません。もちろん議員もです。

7月4日のブログをUPしました
世界の中村修二さん・世界の石井幹子さんの講演を拝聴しました
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まちづくり「協議会」&「基本条例」

2011年07月05日 | JR島本駅西まちづくり
「まちづくり」という言葉の曖昧さ!実は、この言葉には嫌悪感を抱いてきました。結局、今は平気で使っていますが、それは曖昧だからこその便利さがあるからです。今、町で課題になっているふたつの「まちづくり」を例にあげると、「まちづくり協議会」では「都市計画」「都市整備」「土地利用」「開発」の意味で使い、「まちづくり基本条例」の場合は「地方自治」の意味合いで使っていると言えます。なんだか、いいかげん。めちゃくちゃです。それはともかく・・・

JR島本駅周辺の「まちづくり」(都市計画・都市整備)は、町にとっての重要な政策です。しかし、西側農地地権者を対象とした「まちづくり勉強会」の「まち」は「桜井」です。4月には対象地区の自治会や住民委員会の代表者を含めた「まちづくり協議会」に発展、6月18日(土)第1回目の協議会において奈良の学校法人、西大和学園による大学立地構想が公表されました。このブログでも、さまざまに意見を述べてきました。

7月より、町のホームページで、協議会、理事会の開催状況が会議要点録で公表さています。

「協議会の開催状況」

理事会の開催状況

さて、「まちづくり」といえば、4月に施行された「島本町まちづくり基本条例」を抜きにして語れません。「まちづくり基本条例」は、いうならば「自治基本条例」=「町の憲法」ともいわれるものです。住民のみなさんに条例を広く理解していただき、育てていただくために、町が講演会を開催するものです。自治基本条例の制定では、準備段階から住民が参画している例もあります。島本町は「住民自治を柱とする」といいながら、行政主体で出来てしまった(パブリックコメントは反映されています)という印象で、残念に思っています。

しかし、施行後ではありますが、今回行われる「講演会」で、なぜ今「自治基本条例」なのかを共有することができれば、住民・議会・行政の協働への大きな一歩になります。新川達郎さん(同志社大学大学院・総合政策科学研究科教授)のお話を直接聴ける機会でもあります。ぜひご参加ください。

7月10日(日)午前10時~11時
ふれあいセンター ケリヤホール
問い合わせ 政策推進課

同日午後2時からの「まなびとひろば」もお忘れなく!

画像は、近江八幡市の街路樹の足元
官民ともに景観への配慮が徹底していると感じました
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高槻で産学公連携フォーラム

2011年07月04日 | とだ*やすこの活動日記
高槻市の現代劇場で行われた、「京都・島本・高槻広域産学公連携フォーラム」に行ってきました。「京都・島本・高槻地域産業活性化事業」と称し、主催は高槻商工会議所、後援は近畿経済産業局、問い合わせ先は高槻商工会議所です。「平成23年4月15日に国の同意を受けた『京都・島本・高槻地域産業活性化広域基本計画』に基づく事業」であると、チラシの下部にごくごく小さな文字で書かれていました。

唐突で不自然な広域化に首を傾げ、合併問題や土地利用や企業立地とどんな関係があるのかと疑っていた、謎に満ちた(わたしにとっては、です)「京都・島本・高槻地域産業活性化広域基本計画」に基づく事業ということになります。それはさておき、フォーラムのテーマは「LEDの用途開発と将来性」。基調講演は、青色発光ダイオードの発明・開発者として、あまりにも有名な中村修二さん。

世界の中村修二さんから直接話が聴ける!機会ということで参加しました。実は、中村修二さんの大のファンでした。カリフォルニア大学サンタバーバラ校に迎えられて渡米、その後、開発の基礎を築いたかつての勤務先を訴え、訴訟を起こされた中村氏ですが、その胸の奥には「愛国」を感じていましたし、今でもそう思っています。

講演は内容そのものがいささかアカデミックだったこともありますが、まずパワーポイントが横文字であったことに驚愕。先生、ズレテマス!と叫びたい気分でしたが(ファンだったので勝手に身近に感じてしまう)、四国から出たことがないという中村氏がアメリカ、世界で活動している=「地域からグローバル」が本講演のひとつのテーマと感じました。

よって、オール横文字は確信犯だったかもしれないし、それ以前に、会場には専門家が多く講演は英語が当たり前だったかもしれないと思い至りました。そもそも日本語に翻訳する必要も意味もなかったのでしょう。ただ、困ったことに中村氏は話す言葉のイントネーションもどこかしらアメリカ的で(住んでおられるのだから当然!)、なぜかしら日本語には聴こえず不思議な感じがしましたが、ずっと大学で研究されていた他の学者さんとは、やはりどこか違う雰囲気があり、それがとても魅力的でした。

次なる講演者、照明デザイナー・石井幹子さんの気品にも驚愕しました。やはり東京です。開口一番、天井の照明(シャンデリア風)の明るさを物静かに指摘され、一気に暗くなると「涼しげな水色の洋服を着てきたので、わたしにはスポット照明をお願いします」と。さすがだなぁ。実は現代劇場のレセプションルームの照明は、まったくもってわたしの好みではなく、いつも眺めては「なんでこんなことになるんやろ?」と思っていました。

現在の日本の照明文化は「悲惨」です。明るさへの異常な憧れから脱却し、和蝋燭の「「色」や「ゆらぎ」の感覚を取り戻せば、大人も子どもも「落ち着く」とわたしは思っています。もちろん蝋燭を使おうという意味ではありません。「理想の光源はどのようなものか」という会場からの質問に、石井幹子さんは迷いなく蝋燭、キャンドルであるとおっしゃいました。自分が好きなところに自由に持ち運べるという機能性。そして光が実に美しい、ゆらぎの美しさがある、と。

わたしは、高度成長期時代の大量生産で「明るさ」を求めた背景は、すべて商業ペースであったと思います。その究極の行き先が原発54基。成熟社会の落ち着きを「ゆらぎ」で表現できる文化の成長時代を迎えつつあることに気づくことが重要なのに、LEDが省エネともてはやされ、価格が1,000円を切ったとバカ売れする・・・結局、また商業ペースに乗せられていると思います。

自分自身に技術とセンスが足りないままで、家族と意見が合わないまま、コストや明るさで照明器具を選んできましたが、これからは、ものの見え方、光の精神的な効果を科学、文化の両面から解説してくれる照明のプロが巷に出現して欲しいと思いました。誰もが暮らしに光のデザインを取り入れられるようになってほしいと思いました。

世界的に活躍されておられる、超多忙なおふたりと京都大学の川上養一教授の講演会。今回の企画の奥に、いったいなにが潜んでいるのかという疑問、謎がありましたが、最後に講演されたサンユレック株式会社(高槻市)代表取締役の奥野敦史氏の登場で、その謎が解けたように思います。

照明界の二大スターを招聘されたのは、親しく交流されている奥野氏のお力であったと司会者が紹介されました。奥野社長の講演会そのものも興味深く、高槻から世界へ飛び回っておられる方のグローバル感に胸がすう~としました。また、長く書いてしまいました。エッセイストじゃない、議員です。しっかり仕事して、しっかり睡眠をとりなさい!という心の声が聴こえてきます。

画像は、東大寺公園テニスコートの再工事の現地調査
とても暑い日の暑い夕方でした
プールとテニスコートは高度成長期時代の憧れでした
維持管理に膨大な費用がかかっています
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子どもサミット&南座公演

2011年07月03日 | とだ*やすこの活動日記
午前9時 島本町児童会・生徒会「小・中学校ふれあいサミット」(役場3階 委員会室)が開かれました。傍聴しました。朝7時からの町内清掃に児童会・生徒会として参加し、その流れで開かれたサミットでした。たいへん恥ずかしいのですが、わたし自身は、今日の町内一斉清掃を失念していました。我が家のカレンダーは6月のままで、わたしの頭には「今日は朝9時に役場」とインプットされていました。一斉清掃には過去8年、ほぼ欠かさず参加してきましたので今日のところはお許しいただくとして・・・

我が家も含めて親子で参加する家族はほとんどなく、中学校のクラブ単位であれ、児童会・生徒会であれ、一斉清掃に子どもたちが混じっていることはいたって健全な姿だと思います。
少年野球やサッカー、ラグビーのチームも、日曜日の練習前に指導者とともに参加されたら、どんなに素晴らしいことでしょう。サミットでは、ボランティアが身近な一歩からはじまることを実感したと発言する生徒が多くありました。

また、毎朝、通学路で児童の安全・安心を見守ってくださっている地域住民のみなさんへの感謝のことばを、素直に表現していたことが印象的でした。挨拶をしよう、挨拶は大事などとよくいわれます。もちろんそうです。しかし、まず、大人が自ら、日々、自然に、地域で挨拶を交わすことです。スローガンを掲げる前に、目と目があって、心が響きあって交わされる、自発的な挨拶、さりげない会釈をもっと大事にした方がいい、とわたしは思います。

欧米の方の微笑みは「これ以上立ち入らないでね」という暗黙の合図でもある、ときいたことがあります。たとえ普段の交流がなくとも、いざというときの助け合いがフェアであることが大事ではないでしょうか。神との対峙で行われる「個」としての「ボランティア」と、「地域」で「共同体」として行われる「助け合い」とを混同すると、どっちもつかずの混沌と閉塞感が漂うことになります。いずれにしても、今日、サミットに参加した児童・生徒は、阪神淡路大震災の年には生まれていません。東日本大震災と原発事故が単独で記憶に刻まれる世代です。

「小・中学校ふれあいサミット」終了後は、議場を見学(希望者のみ)。傍聴席をみて「あれはどういう席なのか」と問うた児童がいました(鋭い)。他にも「議席数」「速記者席」「デジタル時計の役割」「予算審議の会期」などに興味を示し、複数の児童が積極的に質問をしていました。議会事務局長と課長が分担して、誠実に答えました。子どもたちは、テレビで報道される「政治」に、彼らなりの馴染みがあるのかもしれません。男子も女子も、目を輝かせて議場に興味を示していました。よい仕事をしたいと、心の底から思いました。

10日の講演会のお知らせを郵送&ポスティングした後、午後は、京都四條・南座公演「舞踊七人の会・かたち」に向かいました。界隈は帯も着物も盛夏の装い、さすが祇園、目の保養になりました。三味線や鼓の音を聴くと血が騒ぎます。その後、大病を患っていた母の従姉妹が鳥取から来ていて、老舗喫茶「フランソワ」でお茶をしました。長く京都で暮らす娘とわたしの母と4人が一緒に会うのははじめてのこと。話題は老いと介護。女性の生き方は過去3世代で激変しています(すなわち、実は男性も)。「女はこうあらなければ」「そういうわけにはいかない」という価値観から、いかにして抜け出すか・・・答えは自分でみつけなければなりません。

画像は、議場の理事者席
児童は、議長席のまわりで、議員席をみたり、興味津々
「議会だより」子ども版を発行できないか・・・と思いました
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好機?大学立地

2011年07月02日 | JR島本駅西まちづくり
JR島本駅西側農地区に、学校法人から立地希望の打診が町にあってから既に数ヶ月。町は、私立大学全般に関する最近の動向調査と研究、学校法人・西大和学園の経営状況と将来性などの調査・研究を行っているのでしょうか。これは中高の進学実績、ブランド力とはまったく別の問題です。

西大和学園高校[特別編入]の偏差値は74。東大寺学園高校[普通]77につぐ超難関進学校です。生徒の多くが京大、東大など、超難関大学への進学を目指しており、新たにできる系列大学に自校生徒が入学するとは思えません。少子化で多くの大学が生徒募集に苦戦しています。

なかでも看護系4年制大学は、ざっと調べただけで、滋賀県・京都・大阪府内だけで19校あります。定員割れを起している、経営に苦戦しているなどの内情も聞いています。

協議会における議論、検討、結論と、町の検討は、自ずとその中身が異なります。地権者のみなさんが、法人からの提案をまたとないチャンス、今考えられる最良の選択と思われたとしても、はたして大学立地が自治体に幸運をもたらす時代なのか。わかりかねています。

町が自ら客観的に立地効果と将来性を分析し、受け入れの是非を検討する必要があります。理事のみなさんは当該地の公共性を充分に認識しておられることと思いますが、協議会が出される結論とは別の視点で、町は町として独自に判断しなければなりません。

多くの人に意見を求めてみました。尋ねた方の多くが農地環境の保全を望んでおられますが、この先、やがてなにかが建つのであれば、大学であることは望ましいのではないか、というご意見が少なからずありました。

しながら、新設大学の運営に対する不安は強く、学校運営が成り立つのか、民から民への転売になれば町は介入できないなど、不安要素を指摘される方が非常に多かったのも事実。「土地は売却せず借地がよい」というご意見もありました。

大学が来れば潤うというのは「幻想」と思った方がよい、という大学関係者のご指摘もありました。町は、立地実現に関して、これらの不安要素を払拭するだけの調査研究、情報の公開をしなければならいということになります。

はじめのボタンを掛け違えると、地域に突如出現したハコモノ施設と化し、大学と自治体、学生と周辺住民が良好な関係、活発なコミュニケーションをもつことが、将来にわたって難しくなってしまう可能性があります。

町内でも、学生のマナーの悪さや騒音に悩まされ、山崎地区の周辺住民が学校法人に通学路の迂回を強く求めた事例が過去にありました。学校法人となれば税収に大きなメリットは期待できない。今回は駅に隣接していることで、通学定期のある学生は、高槻・京都・大阪の中心街に流れるだろうと予想します。

だからこそ、地学連携、産学連携、あるいは大学の知的財産をどのように「まちづくり」に活用できるのか、地域住民にどのように開かれた施設になるのか。また、大学は町になにを期待しておられるのか(周辺の交通アクセスなど)、ここが鍵になると思います。

しかし、18日の協議会で繰り返し述べられたのは、平成26年の開校希望で時間的に余裕がなく、早急に意思決定が必要ということでした。また、交渉の発端から、町に主体性がなさすぎることも不安要素(!)です。情報公開、要望の集約など、丁寧な事前準備などに要する時間が充分にあるのでしょうか。

田園風景と北摂の山並みがホームから眺められる、極めて貴重な当該区域には、後鳥羽上皇が愛された庭園都市としての歴史的価値があると言われています。戦略的に大阪・京都間で他に例をみない鉄道駅として育て、東側が背負う昭和の歴史とともに将来に伝承する。

稲作という日本文化が周辺の景観と溶け合う利点を活かし、広場型の「文化の殿堂」と位置づける、これが理想という思いは今も変わりません。しかし、町が大学立地受け入れを検討することさえも認めないという姿勢はとりません。

住宅ならば断固反対。住宅は既に余ってきています。両親の他界後、実家を売却するケースが増えています。大学立地そのものにまっこう反対するつもりはありません。調査、研究、情報公開という過程で議論が充分であれば、その過程で民意が熟成し、総合的に、よりよい判断ができると信じています。

画像は、東大寺・山崎地区に開業準備中の「フレスコ」
7月末頃の開業ときいています
地域住民の要望に応えて建築設計を変更されました
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