京都新聞文化会議・ソフィアの記事を切り抜いて残していましたが、改めて内容を読むと、あさっての講演会の講師にお招きする渡辺雄人さんと少なからず関係がありそう。「同志社大学では5年前に京都市左京区大原に農場を開いた。大学院生が研究のかたわら就農しすでに一人前の農業者として自立している」とありますが、それこそが渡辺さんではないのかな、と思います。そのはずです。
ジャガイモなどの収穫期と重なり、とても忙しくしておられるようですが、いよいよ明後日になります。こちらも最終準備に追われています。ゆきとどかない点があるのではないかと、実はハラハラ、ドキドキです。ふれあいセンターのプロジェクターには、多々泣かされていますから・・・しかし、なにがあっても、よい学びのライブにします!ので、ご参加をお待ちしています。
お知らせ&お誘い
とだ*やすこの
まなびとひろば(第4回)
小規模有機農業で京都大原に暮らす
~ 都市近郊農業の可能性 ~
講師 渡辺雄人さん
ヴィレッジ・トラストつくだ農園
同志社大学大学院・総合政策科学研究科・ソーシャル・イノベーション研究コース卒
7月10日(日)2時~4時 開場 1時45分
ふれあいセンター3階・視聴覚室
参加無料
主催:とだ✽やすこのまなびとひろば
「防災」「減災」「耐災」という点から考えても、今ある農地をこれ以上破壊するのは得策ではない。ご先祖様にも、未来の子孫にも申し訳がたたないように思えます。「土地を持たない者のお気楽な考え」といわれればそれまでかもしれません。ただ、母方の祖父が京都市の山科区に遺した土地の売却についてパチンコ業界から打診があった際、伯父が断固として手放さなかったことが記憶にのこっています。
そもそも人間以外の生き物には土地を所有し、金銭で売買するという概念がありません。土地が金銭で売買されたり、相続によって引き継がれたりすることを否定はしませんが、土地というのは本来すべて公共性のあるものです。土地を所有するものには責任が伴う、とわたしは考えます。農地を失う影響と大学立地で得るものとを比べると、今ある農空間を破壊しての大学立地を歓迎できません。町内には他に、やがて手放されることになろうかと思える民間企業所有の候補地があると思うからです。
それはともかく、3月27日に掲載された京都新聞・ソフィア、今里滋教授の記事をご紹介します
今里滋氏 自給の知恵こそ耐災の要
災害は防がねばならない(防災)。防げなかった災害には耐えねばならない(耐災)。耐え抜いて、同種の被害を繰り返さない態勢と構造を可及的速やかに創(つく)り出さなければならない(克災)。
戦後の日本は世界でもまれに見る規模と早さで都市化が進んだ。都市計画区域(=国土交通省の“領土”)と農業振興地域(=農水省の“領土”)が分断され、市街化区域内農地は大都市ほど例外的存在となっていった。つまり、日本の都市は防火帯、避難場、排水池などともなる田畑を排除してしまった結果、住宅や事業所が密集し、災害に対してきわめて脆弱(ぜいじゃく)な都市構造を持つに至ったのである。
加えて、豊かな消費と高度な利便性を享受する現代の都市的ライフスタイルは、生活物資やエネルギーのほとんどを外部に依拠しているが故に、災害がもたらす非常事態に十分に対応しきれない。地域コミュニティーが機能しない所では事態はさらに悪化する。電気やガスがなければご飯も炊けず、近所からの支援も少ない。孤立と絶望が人々を苛(さいな)む。
仙台市で被災した高齢の母親のことを知人が話してくれた。彼女は炭を備蓄しており、ライフラインが止まった後は炭火と鍋でご飯を炊き、家族から「こっちの方が美味(おい)しい」と感謝されたという。彼女の様に、かつて日本人は農との関わりが深く、生活需要の少なからぬ部分を自作・自給していた。戦災を耐え抜けた一因はこの自給の知恵と技術を相互扶助の精神が支えたことにもあった。
同志社大学では5年前に京都市左京区大原に農場を開いた。大学院生が研究のかたわら就農しすでに一人前の農業者として自立している。社会人を対象とした同志社有機農業塾からは何人もの新規就農者が輩出した。自立自給型生活論の授業では味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)作りから炭焼きまで行い、自給の理論と技術を習得する。
自給志向型有機農業にこだわるのは、命・食・農の連関を重視するほか、農業は学生の就職先としてきわめて魅力的で将来性豊かな産業たり得ると思うからだ。加えて、今般の震災によって、防災、耐災および克災の観点から、農と自給の果たす大きな役割と可能性が再認識できたように思う。市街地内農地の意義を訴えるとともに、災害にも強い自給型有機農業者の育成に努めていきたい。(同志社大教授)
[京都新聞 2011年03月27日掲載]
画像は、島本駅の西側出口にあるツバメの巣
巣のなかは、いったいどのようになっているのだろう
あさっての野鳥観察会「におの子」では、講師の先生が
簡単で特別な方法で、子どもたちに巣のなかをみせてくださるそう
ジャガイモなどの収穫期と重なり、とても忙しくしておられるようですが、いよいよ明後日になります。こちらも最終準備に追われています。ゆきとどかない点があるのではないかと、実はハラハラ、ドキドキです。ふれあいセンターのプロジェクターには、多々泣かされていますから・・・しかし、なにがあっても、よい学びのライブにします!ので、ご参加をお待ちしています。
お知らせ&お誘い
とだ*やすこの
まなびとひろば(第4回)
小規模有機農業で京都大原に暮らす
~ 都市近郊農業の可能性 ~
講師 渡辺雄人さん
ヴィレッジ・トラストつくだ農園
同志社大学大学院・総合政策科学研究科・ソーシャル・イノベーション研究コース卒
7月10日(日)2時~4時 開場 1時45分
ふれあいセンター3階・視聴覚室
参加無料
主催:とだ✽やすこのまなびとひろば
「防災」「減災」「耐災」という点から考えても、今ある農地をこれ以上破壊するのは得策ではない。ご先祖様にも、未来の子孫にも申し訳がたたないように思えます。「土地を持たない者のお気楽な考え」といわれればそれまでかもしれません。ただ、母方の祖父が京都市の山科区に遺した土地の売却についてパチンコ業界から打診があった際、伯父が断固として手放さなかったことが記憶にのこっています。
そもそも人間以外の生き物には土地を所有し、金銭で売買するという概念がありません。土地が金銭で売買されたり、相続によって引き継がれたりすることを否定はしませんが、土地というのは本来すべて公共性のあるものです。土地を所有するものには責任が伴う、とわたしは考えます。農地を失う影響と大学立地で得るものとを比べると、今ある農空間を破壊しての大学立地を歓迎できません。町内には他に、やがて手放されることになろうかと思える民間企業所有の候補地があると思うからです。
それはともかく、3月27日に掲載された京都新聞・ソフィア、今里滋教授の記事をご紹介します
今里滋氏 自給の知恵こそ耐災の要
災害は防がねばならない(防災)。防げなかった災害には耐えねばならない(耐災)。耐え抜いて、同種の被害を繰り返さない態勢と構造を可及的速やかに創(つく)り出さなければならない(克災)。
戦後の日本は世界でもまれに見る規模と早さで都市化が進んだ。都市計画区域(=国土交通省の“領土”)と農業振興地域(=農水省の“領土”)が分断され、市街化区域内農地は大都市ほど例外的存在となっていった。つまり、日本の都市は防火帯、避難場、排水池などともなる田畑を排除してしまった結果、住宅や事業所が密集し、災害に対してきわめて脆弱(ぜいじゃく)な都市構造を持つに至ったのである。
加えて、豊かな消費と高度な利便性を享受する現代の都市的ライフスタイルは、生活物資やエネルギーのほとんどを外部に依拠しているが故に、災害がもたらす非常事態に十分に対応しきれない。地域コミュニティーが機能しない所では事態はさらに悪化する。電気やガスがなければご飯も炊けず、近所からの支援も少ない。孤立と絶望が人々を苛(さいな)む。
仙台市で被災した高齢の母親のことを知人が話してくれた。彼女は炭を備蓄しており、ライフラインが止まった後は炭火と鍋でご飯を炊き、家族から「こっちの方が美味(おい)しい」と感謝されたという。彼女の様に、かつて日本人は農との関わりが深く、生活需要の少なからぬ部分を自作・自給していた。戦災を耐え抜けた一因はこの自給の知恵と技術を相互扶助の精神が支えたことにもあった。
同志社大学では5年前に京都市左京区大原に農場を開いた。大学院生が研究のかたわら就農しすでに一人前の農業者として自立している。社会人を対象とした同志社有機農業塾からは何人もの新規就農者が輩出した。自立自給型生活論の授業では味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)作りから炭焼きまで行い、自給の理論と技術を習得する。
自給志向型有機農業にこだわるのは、命・食・農の連関を重視するほか、農業は学生の就職先としてきわめて魅力的で将来性豊かな産業たり得ると思うからだ。加えて、今般の震災によって、防災、耐災および克災の観点から、農と自給の果たす大きな役割と可能性が再認識できたように思う。市街地内農地の意義を訴えるとともに、災害にも強い自給型有機農業者の育成に努めていきたい。(同志社大教授)
[京都新聞 2011年03月27日掲載]
画像は、島本駅の西側出口にあるツバメの巣
巣のなかは、いったいどのようになっているのだろう
あさっての野鳥観察会「におの子」では、講師の先生が
簡単で特別な方法で、子どもたちに巣のなかをみせてくださるそう