JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
玉島駅発行 玉島から120円区間ゆき片道乗車券
1974(昭和49)年9月に山陽本線玉島(現・新倉敷)駅で発行された、同駅から120円区間ゆきの片道乗車券です。
青色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、広島印刷場で調製されたものです。
広島印刷場管内ではあまり地図式券は発行されていなかったようですが、同駅の他、広島駅や岡山駅、和気駅、向洋駅などの管内の駅での発行実績があったようです。
地図式券ですと着駅の範囲が明確で、当時の120円区間は営業キロが26km~30km区間帯になりますので、山陽本線上り方面では岡山駅、下り方面では大門駅、岡山から先については津山線の法界院駅、吉備線の大安寺駅が着駅になっています。また、途中倉敷駅から分岐した区間については、伯備線の日羽駅、吉備線の足守駅~備中高松駅間が着駅になっています。
吉備線についてはどちらからも入ることができますが、備中高松駅~大安寺駅間の吉備津駅・備前一宮駅については、運賃帯があと1段階高い140円区間であったものと思われます。
裏面です。券番と発行駅の他、玉島から120円・表面太線区間内の1駅ゆき・発売当日限り有効・下車前途無効などの表記があります。
玉島駅は、山陽新幹線が1975(昭和50)年3月に岡山駅~博多駅間が開業した際に倉敷地区の新幹線停車駅として生まれ変わり、開業前日の3月9日に玉島駅としての営業を終了し、翌10日からは新倉敷駅に駅名が改称されています。
駅名改称前の玉島駅です。現在の新倉敷駅は橋上化された近代的な新幹線駅になっていますが、玉島駅時代は木造駅舎になっていました。
駅名標は比較的小さくて控えめなものがつけられていて、郊外の駅といった感がありました。
上野駅発行 東京山手線内から680円区間ゆき 片道乗車券
1978(昭和53)年11月に、東北本線上野駅で発行された、東京山手線内から680円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のA型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものになります。
御紹介の券は運賃変更印が捺印されており、同年7月の運賃改定により元額面の680円から800円に改定されたときのものと断定されますので、営業キロが81km以上90km以下の運賃帯に相当します。
当時の規則では、東京近郊区間内の東京山手線内発着51km以上の乗車券については単駅では無く東京山手線内を発着駅とする乗車券が発売されていました。そのため、東京山手線内を発駅とした81km以上90km以下の運賃帯に属する着駅は中央本線の大月駅と東北本線の小山駅しか該当がなかったことから、着駅がこれらの2駅しかない寂しい地図になってしまったものと思われます。
なんとなく矢印式にしても良いような気もいたしますが、東京山手線内から51km以上の乗車券が地図式で制定されていたため、敢えてその枠に填めた結果、このような券が作成されたのでしょう。
塚本駅発行 塚本から40円区間ゆき 片道乗車券
1972(昭和47)年7月に、東海道本線塚本駅で発行された、同駅から40円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
関西地区の地図式券は関東地区(東京印刷場)のものより線が太く、力強いイメージがあります。また、着駅の文字も関東地区のものより大きめのフォントが使用されています。
ところで、この券を見ていて、何となく違和感を感じました。
この部分です。福知山線の支線である、通称「尼崎港線」の部分ですが、終着駅の尼崎港駅の先に細い線が延びています。
同駅は1981(昭和56)年3月に旅客営業が廃止され、その後1984(昭和59)年1月に残された貨物営業も廃止されて駅そのものが廃止されてしまっていますので記憶が曖昧ですが、確か、駅構内には機廻し線や側線といったレールが複数あり、駅の先には大手貨主のガラス工場構内への専用線が伸びていたように記憶していますが、「旅客営業線」としての線路は無かったと思います。
作図担当者が、勢い余って線を引いてしまったのでしょうか?
三田駅発行 宝塚駅接続 阪急石橋駅ゆき 片道連絡乗車券
1971(昭和46)年2月に、福知山線の三田駅で発行された、宝塚駅接続、阪急石橋(現・石橋阪大前)駅ゆきの片道連絡乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
着駅の阪急石橋駅は、2019(令和元)年に大阪大学豊中キャンパスが近いことと、石橋駅周辺のさらなる活性化と大阪府北部の北摂地域 の価値向上を図るため、現駅名に改称されているようです。
辰野駅発行 宮木・伊那新町駅ゆき 片道乗車券
1975(昭和50)年12月に、中央本線辰野駅で発行された、飯田線の宮木駅・伊那新町駅ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型矢印式大人。小児用券で、新潟印刷場で調製されたものです。
着駅の宮木駅と伊那新町駅は、辰野駅から西町駅を越えて宮木駅、伊那新町駅と続きます。しかしながら御紹介の券はあたかも宮木駅と伊那新町駅は辰野駅から逆方向の駅になっているように記載されており、不自然さを感じます。
本来であれば一般式券で作成された方が良かったのでは無いかとおもわれ、印刷場の様式選択ミスのような気がします。
裏面です。券番の他、「辰野から表面矢印の1駅ゆき」となっており、裏だけ見たところでは、特段不自然さは感じられません。
京都駅発行 大阪駅ゆき 普通乗車券・普通列車グリーン券 一葉券
いままで数回にわたって、東京印刷場で調整されておりました普通乗車券と普通列車(用)グリーン券の一葉券を御紹介いたしてまいりました。この様式は、普通列車のグリーン車の需要が多く、また運転されている列車の本数が格段に多いという東京近郊区間特有の事情によって登場したもので、東京印刷場で調製されたものが一般的に知られていました。
かつて、東京近郊区間同様、大阪近郊区間においても東海道本線で運転されている普通列車にグリーン車が連結されていた時期がありましたが、大阪近郊区間では東京近郊区間ほどグリーン車の需要は多くは無かったようで、殆どの場合、乗車券とグリーン券の2枚は別々に発券されていました。しかし、ごく希に普通乗車券・普通列車グリーン券の一葉券も存在していました。
1978(昭和53)年6月に東海道本線の京都駅で発行された、大阪駅ゆきの普通乗車券・普通列車グリーン券の一葉券です。
若草色国鉄地紋のA型大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
東京印刷場で調製された券を再掲いたします。印刷場が異なるため、雰囲気はかなり変わっていますが、基本的なレイアウトは東京印刷場のものと同一です。
京都駅の一葉券はかなり特殊なもののようで、管理人は他に、近郊近郊区間用の普通乗車券と普通列車グリーン券の一葉券は見たことがありません。
尤も、大阪近郊区間では平行する私鉄線である阪急電鉄・京阪電鉄・阪神電鉄などと競合して旅客を奪い合っているという地域的な事情が戦前からあり、私鉄各社が運賃だけで乗車できるデラックスな設備の速達列車を運転させているのに対し、国鉄の運賃にグリーン料金をプラスする普通列車のグリーン車はニーズと合致しているとは言えませんでした。
また、1974(昭和49)年の運賃改定によってグリーン料金の値上げと料金区分の簡素化、大人・小児料金が同一になったことにより普通列車のグリーン料金は割高になり、次第に大阪近郊区間の普通列車のグリーン車では空席が目立つようになったことから、1980(昭和55)年に新快速に転換クロスシートを備えた117系電車が登場したタイミングで廃止され、以後、大阪近郊区間の路線では、普通列車グリーン車を連結した定期列車は運転されていません。
大船駅発行 品川駅ゆき 普通乗車券・普通列車グリーン券 一葉券
1979(昭和54)年2月に東海道本線の大船駅で発行された、品川駅ゆきの普通乗車券・普通列車グリーン券の一葉券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この様式は新幹線博多開業以降、料金券の区間については文字を大きくし、矢印(➡)から三角矢印(▶)を使用することになり、それに合わせた形で登場しています。
また、表題は「乗車券・普通列車グリーン券」という形になり、一葉券登場当初のレイアウトにもどりましたが、このときから「普通列車用グリーン券」から「普通列車グリーン券」に名称が変更され、さらに右側に少し余白を作り、余白部分に発売額の表記がなされることになりました。
表題部分を比べてみました。上段が初代の表題で、下段が今回御紹介のものになります。初代の方が「乗車券」の文字が大きいですが、「普通列車」の文字は同じ大きさで、「グリーン券」の文字も大きさは同一ですが、字間が詰められています。
その他、乗車区間の表記については明らかに異なるところですが、「発売当日限り有効 下車前途無効」と表記されていた文言は「・当日1回限り有効 途中下車できません。」という表現に変更されています。
この様式は国鉄が民営化された以降もJR東日本の東京乗車券管理センター(旧・東京印刷場)に継承され、「ロ東」符号の追記や若草色JRE地紋への変更が行われましたが、基本的なレイアウトは硬券末期まで使用されています。
戸塚駅発行 品川駅ゆき 普通乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券
1975(昭和50)年7月に、東海道本線戸塚駅で発行された、品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この様式は1974(昭和49)年の料金改定の時に登場した様式で、いままで小児料金が大人料金の半額であった普通列車用グリーン料金が大人と小児が同額となり、かなり体系が変わっています。
様式としても従来のものとはかなり異なっており、いままでは「乗車券・普通列車用グリーン券」となっていたものが「普通乗車券 普通列車用 グリーン券」となり、発売額の左側に「グリーン料金は税共」の表記はなくなり、代わりに発売額の右側に「税1割共」という表記に変更されています。
また、小児断片の表記が再度変更され、いままで「片グ」と表記されていたところ、「片普グ」になっています。
もともとグリーン車は、1969(昭和44)年5月10日の運賃・料金改定で等級制が廃止されたことで、それまで1等車の2.2倍の料金(通行税10%含む)から料金上乗せ分を分離したのが始まりだったためか小児用料金が設定されていましたが、5年の調整期間が終了したという感じなのでしょうか、小児用料金が廃止されて大人・小児同額の一本に大きく変更されています。
そのため、今までは小児用としての発売額が大人用の運賃・料金のおよそ半額になっていましたが、大人・小児一本の料金(50kmまで:200円)が適用されたため、370円からグリーン料金の200円を差し引いた170円の運賃部分だけに小児運賃が適用されることになり、差額が90円しかないということになり、かなり割高な感じになってしまいました。
東京駅発行 横浜駅ゆき 普通乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券
1973(昭和48)年3月に、東海道本線東京駅で発行された、横浜駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。
若草色こくてつ地紋のA型券で、東京印刷場で調製されたものです。
御紹介の一葉券の様式は青地紋で登場していますが、1972(昭和47)年後半ごろから若草色の地紋変更されています。
前回御紹介いたしましたように、普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券はすでに1回様式が改訂されていますので、数年の間に3回目の改訂が行われたことになります。
いままでの青地紋の様式では、普通乗車券に普通列車用グリーン券を付加したような意味合いでしたが、意味合いは変わらないものの、若草色地紋になりますと、普通列車用グリーン券に普通乗車券を付加したような感じです。モノクラス化以前は1等車用の乗車券が若草色になっていましたので、そのようなイメージで若草色に変更されたのかも知れません。
再掲いたしますが、前回御紹介いたしました、一世代前の青地紋時代の券です。
小児断片の表記の「片グ」のままで、様式的には地紋が変更されただけのように見えますが、「グリーン料金は税共」の表記が、青地紋の時には通常の活字が組まれていましたが、若草色地紋の券になりますと、発売当日限り有効の文言とほぼ同じ幅の特活になっており、発売額との間に隙間ができて、視認性が向上したように思います。
横浜駅発行 品川駅ゆき 普通乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券
1972(昭和47)年7月に東海道本線横浜駅で発行された、品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。
青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
前回御紹介いたしました、東京駅から品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券とあまり変わりませんが、小さなところに変化がありました。
再掲いたしますが、前回御紹介いたしました東京駅から品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。区間の他はあまり差違が無いように見えますが、小児断片の表記に変化が出ています。
東京駅から品川駅ゆきの券は一葉券登場当初の様式になりますが、小児断片にあります券の呼称がクリーン車と片道乗車券という意味と思われますが、「グ片」と表記されておりました。
ところが、1972(昭和47)年頃になりますと、今回御紹介の券のように、「片グ」と言う表記に変更されています。
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