肥薩線 大畑駅発行 普通入場券

1984(昭和59)年12月に肥薩線大畑(おこば)駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、門司印刷場で調製されたものです。
かつて、「大畑」という駅名は青森県の大畑線(⇒ 下北交通大畑線。現在は廃線)にもあり、青森県の大畑駅は「おおはた」と読みますが、肥薩線の方は「おこば」と読みます。
肥薩線の大畑駅は熊本県人吉市にありますが、広大な山の中に大きなループ線とスイッチバックがある秘境駅として人気があり、かつては信号所と蒸気機関車の給水所の役割があり、急行列車などの優等列車も停車(特急列車は運転停車)する駅になっていましたが、国鉄民営化後の2000(平成12)年に急行列車が廃止されて普通列車のみの路線になると1日5往復程度の列車しか来ない駅になってしまっていました。

肥薩線は国鉄民営化後にはJR九州に継承されておりますが、2020(令和2)年7月の豪雨によって鉄道施設が被災しており、八代駅から吉松駅間については不通の状態が続いており、3年が経過した現在に至っても復旧の目処は立っておりません。不通区間のうち、八代駅~葉木駅間、一勝地駅~人吉駅間についてはタクシーによる代行輸送が行われておりますが、残された葉木駅~一勝地駅間および人吉駅~吉松駅間についての代行輸送は行われておらず、終日運休状態が続いています。
また、同区間を含む、熊本駅~八代駅・人吉駅・吉松駅を結んでいた観光特急列車で、拙ブログ管理人のハンドルネームとさせて戴いています「いさぶろう・しんぺい」号も長期運休なってしまっており、恐らく次のステージへ向かう経営判断が行われたのかも知れませんが、「いさぶろう・しんぺい」用の車両は「かんぱち・いちろく」へ再改造されてしまい、2023(令和5)年10月4日の団体臨時列車を最後に、肥薩線に戻ることなく運行を終了してしまっています。

 
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東京急行電鉄 桜木町駅発行 横浜駅ゆき 片道乗車券

前回エントリーで国鉄横浜駅で発行された、横浜駅から桜木町駅までの共通乗車制度下の片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回はその逆である東京急行電鉄側が発行した券を御紹介いたしましょう。


   

東京急行電鉄(東急)東横線の桜木町駅で発行された、横浜駅ゆきの片道乗車券です。
緑色PJRてつどう地紋のB型矢印式大人・小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。


   

裏面です。国鉄発行の券と内容は同じですが、国鉄の券が「国鉄線、東横線、いずれにも乗車できます。」と記載されていたのに対し、東急発行の券は「国鉄線東横線いずれにも乗車出来ます」と少々体裁が異なります。

当時の桜木町駅の出札窓口がどのように運用されていたのか存じ上げませんが、御紹介の券は発行箇所名の前に「◯東」という符号が付けられていることから、東急の出札について国鉄が管理していた窓口があった可能性があります。もしかすると、国鉄が受託発売した東急の乗車券で国鉄線に乗車するという事象が起きていたかも知れません。

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抜海駅発行 普通入場券

1982(昭和57)年8月に宗谷本線抜海駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。

抜海駅は「最北の秘境駅」と言われている北海道稚内市抜海村のクトネベツ地区にある駅で1924(大正13)年6月に、鉄道省が現在の南稚内駅にあたる旧稚内駅まで天塩北線として開通させた際に開業した駅で、来年6月には開業100周年を迎えます。

御紹介の券が発行された当時は駅員が配置された交換駅になっておりましたが、2年後の1984(昭和59)年頃に荷物の取扱い廃止と出札および改札業務が廃止されて運転取扱いのみの駅になり、運転取扱要員だけが配置されていました。その2年後の1986(昭和61)年には、永山駅から南稚内駅間において運転士がRPCアンテナを使用して信号・分岐器を制御する電子閉塞という特殊な自動閉塞方式が採用され、運転要員を配置する必要もなくなり、完全な無人駅になっています。

現在、同駅は地元自治体である稚内市が駅の維持管理を行っておりますが、市は今月、来年度までは維持管理費を負担するが、2025年度以降は負担をせず、廃駅にする方針を表明しています。
大正時代からの木造駅舎は映画やドラマのロケにも使われ、列車利用以外の観光客も多く訪れる同駅ですが、観光資源としての駅の価値について市は否定的で、開業100年を迎えるの同駅の存続はかなり深刻なようです。

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小湊鉄道 上総村上駅発行国鉄線長浦ゆき往復乗車券

1979(昭和54)年5月に小湊鉄道上総村上駅で発行された、五井駅接続の内房線長浦駅まで往復乗車券です。


   

青色JPRてつどう地紋のC型往復用補充式券で、山口証券印刷で調製されたものではないかと思われます。

御紹介の券は等級制があったころの残券で、下の往路用については青色地紋、上の復路用については青色反転地紋が使用されています。
発駅と着駅の双方が記入式で、図示いたしませんが、裏面にあります発行駅名もゴム印での記入式です。恐らくかつては駅員配置駅各駅に設備されていたのだろうと思われますが、末期には同駅のみに設備されていました。

往路用の経由欄には「五井・姉ヶ崎)」というゴム印が捺印されていますが、逆方向用の「姉ヶ崎・五井)」というゴム印は無かったため、「五井)」というものが捺されています。

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千葉港駅発行 普通入場券

このところ更新の時間がとりづらかったため、久しぶりのエントリーになります。

1986(昭和61)年3月に、京葉線千葉港駅で発行された普通入場券です。


   

桃色こくてつ特殊共通券用地紋のA型券です。


   

裏面です。同駅は国鉄時代の開業時から自動改札機が導入されていましたため、自動改札機対応になっていましたが、当時の自動改札機は現在ほどの大量の情報を瞬時に判断する能力が無く、現在の黒色磁気とは異なる、茶色の磁気が塗られていました。

同駅はこの券が発行された1986(昭和61)年3月3日に開業した駅で、開業から約2週間が経過した時に訪問しました。開業当初は京葉線の終着駅でしたが、103系初期車が一時間に数本が折り返すような静かな駅で、開業から2週間くらいしか経っていないにもかかわらず、鉄道愛好家の姿もなく、大変寂しい限りでした。
同駅の駅名は千葉港(ちばみなと)駅ですが、「ちばこう」と読まれてしまうことが多く、誤読を防止する意味合いかと思いますますが、電車の方向幕には「千葉みなと」と書かれたものがありました。

国鉄民営化を経て、JR東日本の駅となってからの1992(平成4)年に、千葉港駅から千葉みなと駅に駅名が改称されています。

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三鷹駅発行 普通入場券

1979(昭和54)年5月に、中央本線三鷹駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅は比較的軟券化(硬券廃止)が早く、確か、110円券時代の昭和57年頃には硬券入場券の発売が終了したような記憶があります。

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愛国駅発行 愛国駅観光記念 普通入場券

本日2月14日はバレンタインデーです。バレンタインデーは世界各地で「恋人たちの日」として祝われており、日本でも、女性が男性にチョコレートを贈る日として知られています。
バレンタインの由来は3世紀のローマにまでさかのぼり、ローマ皇帝・クラウディウス2世が、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で兵士たちの婚姻を禁止しておりましたが、その政策に反対し、隠れて多くの兵士たちを結婚させていたキリスト教司祭のバレンティヌスに因んでいます。
その噂はやがて皇帝の耳に入り、怒った皇帝は、ウァレンティヌスに二度とそのようなことがないように、またローマの宗教に改宗するように命令しました。しかし、ウァレンティヌスは愛の尊さを説きその命令に従わなかったため、西暦270年頃の2月14日に処刑されてしまいます。
後世の人々はヴァレンチノ司祭の勇気ある行動を讃え、彼を愛の守護聖神「聖バレンタイン」としてまつるようになり、ヴァレンチノ司祭が処刑された2月14日を「Saint Valentine’s Day(=聖バレンタインの日)」と呼び、お祈りをするようになったということです。

バレンタインデーのうんちくはこの辺までにしておいて、今回はバレンタインに因んだものを御紹介したいと思います。
1986(昭和61)年9月に、1987(昭和62)年2月に廃線となった広尾線愛国駅で発行された観光記念の普通入場券です。


   

左側にイラストのあるD型大人専用券で、札幌印刷場で調製されたものと思われます。発行駅は愛国駅になっていますが、この券は広尾線の起点駅にあたります帯広駅で購入したものです。
当時、国鉄では入場券ブームにあやかって、増収策として各地で観光記念入場券が乱発されていましたが、この券もそのなかの一つになります。


   

裏面です。券番の他に「コメント」が印刷されています。
この券が発券された年の6月に新たに釧路鉄道管理局が発行したようですが、2~3ヶ月の間に500枚を超しており、まずまずの売上のように見えますが、当時は釧路局管内のみどりの窓口では大抵発売されておりましたので、駅ごとに割り当てされており、帯広駅だけで500枚以上が発売されたのではないため、実際にどのくらいの枚数が発売されたのかは分かりませんが、おそらく帯広駅と釧路駅がツートップだったのでは無いかと思います。


   

「コメント」部分を拡大してみました。
> サァー愛の国への旅立ちです。
と、いかにも当時の国鉄の企画担当職員が考え出しそうな出だしで始まります。

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西秋留駅発行 普通入場券

いまからちょうど35年前の1985(昭和60)年12月23日に五日市線の西秋留(現・秋川)駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅では長らく普通入場券の常備券の設備がなく、最短距離券である120円区間ゆきの乗車券に代用印を捺印して発売しておりましたが、当時の国鉄増収策の一貫であったのでしょうか、突然同年10月頃より専用の入場券が設備されました。


   

以前にも御紹介したような気がしますが、こちらが代用券時代の同駅の普通入場券になります。
窓口氏に拠りますと、当時、記念用として入場券を購入しようとした旅客が、同駅には御紹介のような代用の入場券しか無いことを説明すると、大抵の場合は「じゃあ、いりません」ということになったようです。

西秋留駅は秋川市(五日市町との合併により、現在はあきる野市)の中心であることから、国鉄民営化直前の1987(昭和62)年3月31日に秋川駅に改称されますが、翌4月1日にJR東日本の駅に継承されており、国鉄時代の秋川駅は最短の営業日数1日という記録保持駅です。

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明覚駅発行 普通入場券

国鉄民営化間近の1987(昭和62)年1月に八高線の明覚駅で発行された普通入場券です。


   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅は昭和初期に八高線が開業した時に開業した旅客および貨物の取扱い駅で、開業時からの木造駅舎が使用されておりましたが、JR民営化となった後の1988(昭和63)年11月に駅舎が全焼する火災が発生し、現在は2代目の駅舎になっています。
また、2013(平成25)年には無人化され、現在では高崎駅が管理する無人駅になっています。

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肥前山口駅発行 普通入場券

前回エントリーで西九州新幹線開業に伴って江北駅に駅名改称されたJR九州の肥前山口駅で発行された普通入場券を御紹介いたしましたが、国鉄時代の同駅の普通入場券が手元にございましたので御紹介いたしましょう。


   

1986(昭和61)年7月に長崎本線の肥前山口駅で発行された普通入場券です。白色無地紋のB型大人・小児用券で、門司印刷場で調製されたものです。

御紹介の券は入場料金が140円になってからの券になります。
管理人の手元には他に例がないのですが、発売金額である「140円」の右に「②(◯2)」と印刷されています。恐らく同駅には窓口が複数ありましたので窓口番号では無いかと思われますが、門司印刷場の場合、窓口番号は金額の前(左側)であり、しかも、2番窓口であれば「2⃣(ロ2)」と記載し、しかも、小児断片にも駅名の後に「2⃣(ロ2)」記載するのが一般的なので、この券の「②」が窓口番号を表すかどうかは不明です。


   

こちらは120円の時代のものですが、2番窓口を表す「2⃣(ロ2)」の表記が、発売額の前(左側)および小児断片の駅名の後に印刷されています。


   

裏面です。国鉄時代の門司印刷場の普通入場券には、裏面への駅名の印刷は行われていませんでした。

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