趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
熱海駅発行 熱海から伊豆急下田まで 普通列車グリーン券
1981(昭和56)年2月に東海道本線熱海駅で発行された、伊豆急下田までの普通列車グリーン券です。
保存状態があまり良くないですが、若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
見た限りでは同印刷場で発行された一般的なグリーン券に見えますが、途中の熱海から伊豆急行線に接続する連絡グリーン券になります。
裏面です。
乗車経路としては、熱海~(伊東線)~伊東~(伊豆急行線)~伊豆急下田という経路になりますが、同区間の普通列車は直通運転されている列車と伊東駅で折り返してしまう列車などがあり、必ずしも伊豆急下田まで1本の列車で旅行することができるとは限らないため、「伊東駅で同駅始発の電車に乗換えられます。」という注意書きが記載されています。
◯社 藤沢駅発行 藤沢から100kmまで 普通列車グリーン券
1978(昭和53)年9月に、東海道本線の◯社 藤沢駅で発行された、100kmまでの普通列車グリーン券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
発行された◯社 藤沢駅は国鉄線と小田急線を結ぶ跨線橋上にある乗換改札にある窓口であり、この券は小田急電鉄の窓口で発行されたものになります。
首都圏各地にある国鉄と私鉄の乗換改札のなかでも、同改札口ではグリーン券を取り扱っていた特殊な窓口でした。
そもそも当時、私鉄から乗換え先の国鉄線の普通列車にグリーン車が連結されていた駅は、同駅の他に京浜急行電鉄が運営していた横浜駅や品川駅、東京都交通局が運営していた馬喰町駅、小田急電鉄が運営していた小田原駅くらいしかありませんでした。
もしかすると存在したかもしれませんが、管理人が知る限りでは、藤沢駅しかグリーン券を見たことはありません。
大阪駅発行 大阪から100kmまで 普通列車グリーン券
1980(昭和55)年8月に、東海道本線大阪駅で発行された、大阪から100kmまでの普通列車グリーン券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
現在の関西地区の普通列車にはグリーン車の連結はありませんが、かつては東海道本線の普通列車にはグリーン車が連結されていました。
関西地区の普通列車にグリーン車が連結されていない理由には諸説ありますが、関西ならではの文化として、多くの人が快適性よりも価格の安さを重視する傾向があり、関東の人より安さを追求する人が多いため、グリーン車があったとしても、普通車に乗車しようと所要時間は同じであることから、グリーン料金という追加料金がかかるのであれば、追加料金のかからない普通車で座れない状態であっても我慢しようとする人が多いという説が定番のようです。
このため、関西地区の普通列車では、新快速電車をはじめ、普通列車には追加料金がかかるグリーン車が連結されていません。
関西地区の普通列車にグリーン車が連結されていない理由はこれだけが理由ではないようで、関西地区ならではの鉄道事情も要因の一つとされています。
それは、関西の鉄道路線のうち、京都・神戸・奈良・和歌山・宝塚方面へ延びる各線にはそれぞれ並行する私鉄が走っており、国鉄は並行する私鉄各社と競合していることから、利用客を奪い合う構図になっていたことも原因の一つと言われています。
関西だけではなく関東の人でも同じことが言えますが、同じ区間を乗車するのなら安い路線を選ぶという利用客は多く、運賃面において安価は私鉄には太刀打ちできない国鉄では、東海道本線の新快速に急行型ボックスシートの153系電車を投入するなど、早くから縦向きに座る快適さを実現しており、これが現在のJR西日本においても継承され、転換クロスシートの車両が投入されたりしています。
このような関西ならではの鉄道事情が旅客のグリーン車に求める座席環境を満たしてしまっていることから、普通車にグリーン車が連結されていないというのも理由の一つのようです。
関西地区普通列車のグリーン車の廃止は、この券が発行された1980(昭和55)年10月のダイヤ改正の時ですが、実際にはそれより早い8月24日でグリーン車の営業は終え、それ以後は編成から外すまでは普通車扱で運用されていたようです。
東京駅発行 東京から博多まで 閑散期用新幹線指定席特急券
国鉄(JR)の特急列車の料金には通常期のほかに閑散期と繁忙期があります。本年からは「最繁忙期」という制度を設けるということが報道されていますが、国鉄時代は閑散期というものはありましたが、繁忙期という設定は、1984(昭和59)年4月に設定されるまでありませんでした。
こちらも見本券ですが、東海道本線東京駅で発行された、同駅から博多までの閑散期用の大人・小児用新幹線指定席特急券になります。
通常期とは異なる黄褐色こくてつ地紋のD型券で、こちらも東京印刷場で調製されたものです。国鉄部内では「閑幹特◯77」と呼ばれていたようです。
裏面です。通常期券同様に指定席欄が設けられています。
東京駅では通常、新幹線指定席特急券はマルス端末で発売されておりましたが、機械の故障などの非常時用として硬券の指定席券も設備されていたようです。しかしながら、通常は非常用の耐火金庫のような保管箱に収納されており、窓口の券箱には入れられていなかったので、硬券で発売してもらうことは叶いませんでした。
熱海駅発行 熱海から東京まで 小児用新幹線指定席特急券
前回エントリーで東京から名古屋までの、硬券の大人・小児用新幹線指定席特急券を御紹介いたしました。
新幹線の指定席はビジネス需要が多く、発売される特急券の大多数が大人用として発売されますが、当然ながら小児用として発売されることもあり、そのような時には小児断片を切断して発売されることが殆どでした。
しかし、観光客利用率の高い駅の需要が多い区間については家族連れのパターンが多く、小児用としての発売実績が比較的多いことから、少数ながら小児専用券の設備もあったようです。
見本券ですが、東海道本線熱海駅で発行された、同駅から東京までの小児専用の新幹線指定席特急券です。若草色こくてつ地紋のD型小児専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
見本券ですので実際にどれほどまで実使用されていたかは不明ですが、小児専用の新幹線指定席特急券は殆ど見かけませんでした。
裏面です。大人・小児用券と様式は変わりませんが、小児断片が無いため、右上にある小児断片の綴り穴が無いのが特徴です。
板橋駅発行 東京から名古屋まで 新幹線指定席特急券
1981(昭和56)年11月に赤羽線板橋駅で発行された、東京から名古屋までの新幹線指定席特急券です。
若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用の新幹線指定席一般用特急券(幹特㉞)という券で、東京印刷場で調製された券になります。
硬券時代の新幹線指定席特急券は、表面には乗車区間や料金等が記載され、座席の指定情報は記載されていませんでした。「(座席の指定は裏面)」と記載されているように、すべて裏面に記載されています。
裏面です。裏面には券番と発行駅名の他、座席の指定情報を記入する欄があります。
当時の板橋駅は現在のように埼京線の列車の運転はなく、山手線の支線のような感じの「赤羽線」専用の列車によって池袋~赤羽間が運転されていた駅で、みどりの窓口はありませんでした。そのため、同駅で指定券を発売する際には池袋駅に電話で問い合わせをし、指定席を抜いて貰って口頭で伝達され、それを手書きで指定券に書き込む形で発券していました。同駅界隈には住宅が多く、指定席券の発売実績はそれなりにあったようで、指定券の硬券口座が比較的多い駅でした。
しかし、1985(昭和60)年の埼京線の列車が乗り入れた頃にみどりの窓口が開設され、硬券での指定席券の発売は行われなくなりましたが、現在ではみどりの窓口の営業も終了し、指定券券売機のみの対応になっています。
よく見ますと右端に車内検札の再に入れられた検札鋏痕がありますが、裏面から入れられていることが分かります。
これは、旅客の心情として検札の際には車掌さんに券の表面を上にして渡すことが多いと思いますが、車掌さんは区間を確認した後には乗車日と使用されている座席が指定券通りかを確認しますので、ひっくり返して裏面も見てから検札鋏を入れるため、裏面から検札鋏が入れられることになった訳です。
多賀城駅発行 (千)千歳から100kmまで 急行券
1979(昭和54)年11月に仙石線多賀城駅で発行された、千歳線千歳駅から100kmまでの急行券です。
桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用急行券(急①)で、仙台印刷場で調製されたものです。
発行に際して、他駅(仙台)発用の券に二重線および訂正印を捺印のうえ、千歳線千歳駅からの券に訂正のうえで発券されています。本来であれば発駅が空欄の記入式(記急)を使用すべきところではあると思いますが、欠札になっていたのでしょうか、手間を掛けた方法で発行されています。
「千歳」という印が独特で、普通であれば「(千)千歳」となるべきところ、「(千)千才」となっています。
「歳」と「才」はどちらも年齢を表す時に用いられる漢字で、これには諸説があるようですが、「歳」の漢字が中学校で習う漢字で教育漢字には含まれおらず、小学生が自分の年齢を書く際には「歳」の漢字を使うことができないため、その代替文字として「才」の漢字が使われることから年齢を記載する時にも使用されるという説があります。
「才」という漢字にはそもそも年齢の意味はなく、「才能」や「天才」などの熟語で使われるように、生まれ持っての能力を表す漢字で、本来年齢を書く時に使用する漢字ではないそうです。
話が脱線しましたが、「才」という漢字は「歳」の略字として使用されるようですが、千歳という駅名のゴム印を作成する際に、敢えて略字を使用する理由が不明です。
日立駅発行 ひたち12号特急券
1984(昭和59)年4月に常磐線日立駅で発行された、ひたち12号の上野までの特急券です。
若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
乗車区間を始め、列車名・発時刻等がすべて予め印刷されている完全常備券と呼ばれるもので、列車ごとにそれぞれ券を設備しなければならず、在庫過多の問題から比較的需要のある駅にしか設備ができないわけですが、そのような駅は大抵マルス端末が充実していて硬券の特急券を使用することは少ないことから、その希少性によって特急券を蒐集しているコレクターに特に人気の高い様式です。
日立駅は常磐線の特急停車駅で、日立製作所の創業の地である企業城下町として繁栄した町の中心駅です。さらには、同駅は特急ひたち号の停車駅だけではなく、列車によっては当駅始発の列車も存在するほどの駅ではありますが、不思議なことに、この駅には硬券の特急券や急行券が多く残されていました。
しかも、日立製作所は国鉄時代より使用されているマルスシステムを開発したメーカーでもあり、このような会社のお膝下でもある駅で、昭和50年代末期になってもマルス端末ではなく、敢えて硬券の特急券が多用されていたことに疑問を感じたものです。
そのような日立駅の特急券発売事情ではありましたが、気づいたころには硬券での特急券の発券は行われなくなり、他駅同様にマルス端末での発券になっています。
鶴舞駅発行 しらさぎ10号特急券
1982(昭和57)年7月に中央西線鶴舞駅で発行された、小松から名古屋までのしらさぎ10号特急券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人・小児用記入式特急券「記特③」で、名古屋印刷場で調製されたものです。
国鉄では特急券は一般的にD型券として調製されていましたが、なぜか名古屋印刷場で調製された特急券はA型券が多いのが特徴でした。そのため、列車名を記入する欄が極端に狭く、列車名の文字数によっては大変書きづらいものでした。
そのためだと思われますが、「しらさぎ 号」というゴム印が2行書きという独特なものが使用されています。
飛騨古川駅発行 北アルプス自由席特急券
前回エントリーでJR東海の飛騨小坂駅で発行された北アルプス自由席特急券を御紹介いたしましたが、国鉄時代の北アルプス自由席特急券がございましたので御紹介致しましょう。
1983(昭和58)年8月に高山本線の飛騨古川駅で発行された、名鉄の神宮前駅までの北アルプス自由席特急券になります。桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
この券は、前回エントリーで御紹介いたしました「夏季限定」の立山直通最終年のころのものになります。
前回御紹介いたしましたJRとなってからの券の再掲です。
基本的にはJRとなってからのものと同じ様式になりますが、JRのものが「(東海会社線100Kmまで)」となっているのに対し、国鉄時代のものは「(国鉄線150Kmまで)」とJR線と国鉄線の表記の違いがあります。
また、当然ながら、JR東海の券であることを示す「ロ海」の符号も、国鉄時代の券にはありません。
100kmと150kmの違いは、鵜沼駅から飛騨小坂駅までの営業キロ91.5kmと、鵜沼駅から飛騨古川駅までの営業キロ134.0kmの違いであり、民営化されてから云々という違いではございません。
考えてみますと、上下1本づつの線と対向式ホームの地下駅である名鉄の新名古屋(現・名鉄名古屋)駅に、黒煙を激しく出す気動車(ディーゼル)列車が発着する状況は、関東人である管理人にとって当時でも「すごいなぁ~」と思ってしまうほどで、列車が出て行ったあとの排ガスでモヤモヤしている地下ホームは、今では考えられない光景です。
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