JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
博多駅発行 「ながさき」号B寝台券
1984(昭和69)年1月に鹿児島本線博多駅で発行された、門司港駅から長崎駅までの普通列車「ながさき」号のB寝台券です。
若草色こくてつ地紋のD型券で、門司印刷場で調製されたものです。
当時、普通列車に寝台車を連結している列車は数少なかったため、記入式ではありますが、硬券による専用のB寝台券を発行している駅は多くなかったと思います。
この券は博多駅の中央口の出札窓口で発行されたものです。
博多駅では、ながさき号の寝台券は通常は硬券では発行していませんが、同駅を発車する時刻がマルスシステムが稼働していない深夜の1:02発となっておりましたため、深夜帯に発券できるように硬券が用意されていたものと思われます。
裏面です。券番の他、発行箇所名が記載されています。
普通列車「ながさき」号は、珍しい列車名が付けられた普通列車で、22:40に門司港駅を発車し、途中の早岐駅で長崎行と佐世保行に分割され、長崎には翌日の6:40に、佐世保には4:48に到着する夜行列車です。
主要な停車駅は、門司22:48、小倉23:22、折尾23:50、遠賀川・海老津間で翌日になり、博多1:02、鳥栖1:51、佐賀2:23、肥前山口(現・江北)2:56、武雄温泉3:19、早岐4:18、諫早5:43、長崎6:40着となり、早岐から佐世保方面への列車は早岐発4:33、佐世保4:48となっていました。
当時、列車名の付いている普通列車は紀勢本線の天王寺駅~亀山駅間を走る列車にもう一例「はやたま」号があるくらいで、大変希少な存在でした。
普通列車に列車名が付けられていた理由は、「ながさき」「はやたま」のどちらにも寝台車両が連結されており、マルスシステムに座席指定情報を入れる際に列車名から検索する必要があることから、列車名が付けられたと聞いたことがあります。そのため、マルスシステムに収納される以前は、「ながさき」号が下り1421レ・上り1420レ、「はやたま」号が下り921レ・上り924レという感じで寝台券が発行されていました。
列車は長崎方より、長崎編成がマニ36+マニ36+オユ11+オハネフ12+ナハフ11+オハ46+オハ46+スハフ42、佐世保編成がオハ47+スハフ42となっており、寝台車両は長崎編成のオユ11の次位に連結されていました。この組成を見ればわかりますが、この列車には新聞や郵便などの荷物を輸送する役割が大きな列車であり、全編成10両のうち、3両は事業用車両が連結されています。
西九州新幹線が開通してほぼ一ヶ月になりますが、現在では博多駅から長崎駅までの新幹線最速で1時間20分となっており、いくら普通列車とはいえ、博多から5時間38分という、大変のんびりとした寝台列車が運転されていたというのは隔世の感があります。
御紹介の券は日中に購入しておりますので、本来はマルスシステムで発券されるものになりますが、購入の際に硬券での発券をお願いいたしましたところ、二つ返事で発券していただけました。
ただし、発券する際にはマルス端末で座席(寝台)情報を抜く必要があるため、「ゼロ円」券にて寝台指定券を発券して寝台を1席抜き、それを転記する方法で発券されました。
こちらが寝台を抜いた際のゼロ円券です。窓口氏が「これもあげようか?」と言う感じで言われたので、「ぜひ」と戴いてきた次第です。
マルス券の裏面です。当時は何の変哲も無いマルス券ではありますが、今となっては様式・内容共に貴重なコレクションになっています。
東京駅発行 東京から1000kmまで 急行券
1966(昭和41)年6月に東京駅で発行された、東京から1000kmまでの急行券です。
青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
現在ではJR旅客鉄道線で運転されていた急行列車の定期運用はなく、たまに臨時列車として運転されることがありますが、かつては特急列車よりも急行列車の方が運転本数が多く、一般庶民にとっては高価なエアコンやリクライニングシートのある特急列車よりも、たとえエアコンが無くても、ボックスシートであっても、普通列車よりも速く目的地に到達する急行列車は人気でした。
御紹介の券は東京駅から1000kmまでの区間に有効な急行券で、1000kmと言いますと、東京駅から最遠の急停車駅で徳山駅まで行けるものになります。
ただし、昭和41年の2等急行料金は、100kmまでが100円、200kmまでが200円、400kmまでが300円となり、次にいきなり1000kmまでが400円、1001km以上が500円となっていますので、1000kmまでと言っても401km以上が対象になりますので、着駅の範囲は大垣から徳山間と広範囲に亘ります。
もし本当に徳山まで乗車するとしたら、たとえば1966年当時、東京駅を午前11時10分に出発する急行「桜島」号がありましたので、この列車に乗車すれば、徳山駅には翌朝の3時43分に到着することになるという16時間33分の強行軍になります。
おそらく、お尻が痛くなり、座り疲れることでしょう。
品川駅発行 大宮から一ノ関・盛岡間まで 新幹線自由席特急券
1982(昭和57)年9月に東海道本線の品川駅で発行された、大宮から一ノ関・盛岡間までの新幹線自由席特急券です。
桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
東北新幹線はこの券が発売された年の6月23日に大宮駅~盛岡駅間で暫定開業をしていますので、御紹介の券は暫定開業から3ヶ月に満たない時期のものになります。
現在の感覚ですと、品川駅で盛岡までの新幹線の特急券を購入する場合には東京駅もしくは上野駅を乗車駅として選択されるのが殆どかと思われますが、この券は敢えて大宮駅からになっています。
これは、1985(昭和60)年3月14日の東北・上越新幹線上野開業までの間は東北・上越新幹線の東京側の始発駅が大宮駅となっており、大宮始発である不便さを補完する意味合いで、「新幹線リレー号」という連絡列車が運転されていたという歴史に拠ります。
本年7月、東北・上越新幹線開業40年を記念し、185系電車を使用した新幹線リレー号が復活運転されたことは記憶に新しいところです。
高槻駅発行 高槻から101km以上 普通列車グリーン券
拙ブログ2022年4月29日エントリーの「大阪駅発行 大阪から100kmまで 普通列車グリーン券」が関西地区の普通列車にグリーン車が連結されていた頃をご存じの方から好評でしたので、今回は101km以上用の普通列車グリーン券を御紹介いたしましょう。
1979(昭和54)年2月に東海道本線高槻駅で発行された、高槻から101km以上用の普通列車グリーン券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
関西地区の普通列車運用では米原から姫路・網干間でグリーン車が連結されている列車が多く運転されていたようですが、たとえば高槻から101km以上となりますと米原まででは100km以内に収まっており、姫路方面となりますと曽根以遠となり、米原からですと新大阪以遠、京都からだと大久保以遠、新大阪からだと網干と、あまり101kmを超える需要は多くなかったように思います。
そのためか、あまり関西地区の101km以上用の普通列車グリーン券は見かけないような気がします。
熱海駅発行 熱海から伊豆急下田まで 普通列車グリーン券
1981(昭和56)年2月に東海道本線熱海駅で発行された、伊豆急下田までの普通列車グリーン券です。
保存状態があまり良くないですが、若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
見た限りでは同印刷場で発行された一般的なグリーン券に見えますが、途中の熱海から伊豆急行線に接続する連絡グリーン券になります。
裏面です。
乗車経路としては、熱海~(伊東線)~伊東~(伊豆急行線)~伊豆急下田という経路になりますが、同区間の普通列車は直通運転されている列車と伊東駅で折り返してしまう列車などがあり、必ずしも伊豆急下田まで1本の列車で旅行することができるとは限らないため、「伊東駅で同駅始発の電車に乗換えられます。」という注意書きが記載されています。
◯社 藤沢駅発行 藤沢から100kmまで 普通列車グリーン券
1978(昭和53)年9月に、東海道本線の◯社 藤沢駅で発行された、100kmまでの普通列車グリーン券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
発行された◯社 藤沢駅は国鉄線と小田急線を結ぶ跨線橋上にある乗換改札にある窓口であり、この券は小田急電鉄の窓口で発行されたものになります。
首都圏各地にある国鉄と私鉄の乗換改札のなかでも、同改札口ではグリーン券を取り扱っていた特殊な窓口でした。
そもそも当時、私鉄から乗換え先の国鉄線の普通列車にグリーン車が連結されていた駅は、同駅の他に京浜急行電鉄が運営していた横浜駅や品川駅、東京都交通局が運営していた馬喰町駅、小田急電鉄が運営していた小田原駅くらいしかありませんでした。
もしかすると存在したかもしれませんが、管理人が知る限りでは、藤沢駅しかグリーン券を見たことはありません。
大阪駅発行 大阪から100kmまで 普通列車グリーン券
1980(昭和55)年8月に、東海道本線大阪駅で発行された、大阪から100kmまでの普通列車グリーン券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
現在の関西地区の普通列車にはグリーン車の連結はありませんが、かつては東海道本線の普通列車にはグリーン車が連結されていました。
関西地区の普通列車にグリーン車が連結されていない理由には諸説ありますが、関西ならではの文化として、多くの人が快適性よりも価格の安さを重視する傾向があり、関東の人より安さを追求する人が多いため、グリーン車があったとしても、普通車に乗車しようと所要時間は同じであることから、グリーン料金という追加料金がかかるのであれば、追加料金のかからない普通車で座れない状態であっても我慢しようとする人が多いという説が定番のようです。
このため、関西地区の普通列車では、新快速電車をはじめ、普通列車には追加料金がかかるグリーン車が連結されていません。
関西地区の普通列車にグリーン車が連結されていない理由はこれだけが理由ではないようで、関西地区ならではの鉄道事情も要因の一つとされています。
それは、関西の鉄道路線のうち、京都・神戸・奈良・和歌山・宝塚方面へ延びる各線にはそれぞれ並行する私鉄が走っており、国鉄は並行する私鉄各社と競合していることから、利用客を奪い合う構図になっていたことも原因の一つと言われています。
関西だけではなく関東の人でも同じことが言えますが、同じ区間を乗車するのなら安い路線を選ぶという利用客は多く、運賃面において安価は私鉄には太刀打ちできない国鉄では、東海道本線の新快速に急行型ボックスシートの153系電車を投入するなど、早くから縦向きに座る快適さを実現しており、これが現在のJR西日本においても継承され、転換クロスシートの車両が投入されたりしています。
このような関西ならではの鉄道事情が旅客のグリーン車に求める座席環境を満たしてしまっていることから、普通車にグリーン車が連結されていないというのも理由の一つのようです。
関西地区普通列車のグリーン車の廃止は、この券が発行された1980(昭和55)年10月のダイヤ改正の時ですが、実際にはそれより早い8月24日でグリーン車の営業は終え、それ以後は編成から外すまでは普通車扱で運用されていたようです。
東京駅発行 東京から博多まで 閑散期用新幹線指定席特急券
国鉄(JR)の特急列車の料金には通常期のほかに閑散期と繁忙期があります。本年からは「最繁忙期」という制度を設けるということが報道されていますが、国鉄時代は閑散期というものはありましたが、繁忙期という設定は、1984(昭和59)年4月に設定されるまでありませんでした。
こちらも見本券ですが、東海道本線東京駅で発行された、同駅から博多までの閑散期用の大人・小児用新幹線指定席特急券になります。
通常期とは異なる黄褐色こくてつ地紋のD型券で、こちらも東京印刷場で調製されたものです。国鉄部内では「閑幹特◯77」と呼ばれていたようです。
裏面です。通常期券同様に指定席欄が設けられています。
東京駅では通常、新幹線指定席特急券はマルス端末で発売されておりましたが、機械の故障などの非常時用として硬券の指定席券も設備されていたようです。しかしながら、通常は非常用の耐火金庫のような保管箱に収納されており、窓口の券箱には入れられていなかったので、硬券で発売してもらうことは叶いませんでした。
熱海駅発行 熱海から東京まで 小児用新幹線指定席特急券
前回エントリーで東京から名古屋までの、硬券の大人・小児用新幹線指定席特急券を御紹介いたしました。
新幹線の指定席はビジネス需要が多く、発売される特急券の大多数が大人用として発売されますが、当然ながら小児用として発売されることもあり、そのような時には小児断片を切断して発売されることが殆どでした。
しかし、観光客利用率の高い駅の需要が多い区間については家族連れのパターンが多く、小児用としての発売実績が比較的多いことから、少数ながら小児専用券の設備もあったようです。
見本券ですが、東海道本線熱海駅で発行された、同駅から東京までの小児専用の新幹線指定席特急券です。若草色こくてつ地紋のD型小児専用券で、東京印刷場で調製されたものです。
見本券ですので実際にどれほどまで実使用されていたかは不明ですが、小児専用の新幹線指定席特急券は殆ど見かけませんでした。
裏面です。大人・小児用券と様式は変わりませんが、小児断片が無いため、右上にある小児断片の綴り穴が無いのが特徴です。
板橋駅発行 東京から名古屋まで 新幹線指定席特急券
1981(昭和56)年11月に赤羽線板橋駅で発行された、東京から名古屋までの新幹線指定席特急券です。
若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用の新幹線指定席一般用特急券(幹特㉞)という券で、東京印刷場で調製された券になります。
硬券時代の新幹線指定席特急券は、表面には乗車区間や料金等が記載され、座席の指定情報は記載されていませんでした。「(座席の指定は裏面)」と記載されているように、すべて裏面に記載されています。
裏面です。裏面には券番と発行駅名の他、座席の指定情報を記入する欄があります。
当時の板橋駅は現在のように埼京線の列車の運転はなく、山手線の支線のような感じの「赤羽線」専用の列車によって池袋~赤羽間が運転されていた駅で、みどりの窓口はありませんでした。そのため、同駅で指定券を発売する際には池袋駅に電話で問い合わせをし、指定席を抜いて貰って口頭で伝達され、それを手書きで指定券に書き込む形で発券していました。同駅界隈には住宅が多く、指定席券の発売実績はそれなりにあったようで、指定券の硬券口座が比較的多い駅でした。
しかし、1985(昭和60)年の埼京線の列車が乗り入れた頃にみどりの窓口が開設され、硬券での指定席券の発売は行われなくなりましたが、現在ではみどりの窓口の営業も終了し、指定券券売機のみの対応になっています。
よく見ますと右端に車内検札の再に入れられた検札鋏痕がありますが、裏面から入れられていることが分かります。
これは、旅客の心情として検札の際には車掌さんに券の表面を上にして渡すことが多いと思いますが、車掌さんは区間を確認した後には乗車日と使用されている座席が指定券通りかを確認しますので、ひっくり返して裏面も見てから検札鋏を入れるため、裏面から検札鋏が入れられることになった訳です。
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