JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
板橋駅発行 東京から名古屋まで 新幹線指定席特急券
1981(昭和56)年11月に赤羽線板橋駅で発行された、東京から名古屋までの新幹線指定席特急券です。
若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用の新幹線指定席一般用特急券(幹特㉞)という券で、東京印刷場で調製された券になります。
硬券時代の新幹線指定席特急券は、表面には乗車区間や料金等が記載され、座席の指定情報は記載されていませんでした。「(座席の指定は裏面)」と記載されているように、すべて裏面に記載されています。
裏面です。裏面には券番と発行駅名の他、座席の指定情報を記入する欄があります。
当時の板橋駅は現在のように埼京線の列車の運転はなく、山手線の支線のような感じの「赤羽線」専用の列車によって池袋~赤羽間が運転されていた駅で、みどりの窓口はありませんでした。そのため、同駅で指定券を発売する際には池袋駅に電話で問い合わせをし、指定席を抜いて貰って口頭で伝達され、それを手書きで指定券に書き込む形で発券していました。同駅界隈には住宅が多く、指定席券の発売実績はそれなりにあったようで、指定券の硬券口座が比較的多い駅でした。
しかし、1985(昭和60)年の埼京線の列車が乗り入れた頃にみどりの窓口が開設され、硬券での指定席券の発売は行われなくなりましたが、現在ではみどりの窓口の営業も終了し、指定券券売機のみの対応になっています。
よく見ますと右端に車内検札の再に入れられた検札鋏痕がありますが、裏面から入れられていることが分かります。
これは、旅客の心情として検札の際には車掌さんに券の表面を上にして渡すことが多いと思いますが、車掌さんは区間を確認した後には乗車日と使用されている座席が指定券通りかを確認しますので、ひっくり返して裏面も見てから検札鋏を入れるため、裏面から検札鋏が入れられることになった訳です。
多賀城駅発行 (千)千歳から100kmまで 急行券
1979(昭和54)年11月に仙石線多賀城駅で発行された、千歳線千歳駅から100kmまでの急行券です。
桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用急行券(急①)で、仙台印刷場で調製されたものです。
発行に際して、他駅(仙台)発用の券に二重線および訂正印を捺印のうえ、千歳線千歳駅からの券に訂正のうえで発券されています。本来であれば発駅が空欄の記入式(記急)を使用すべきところではあると思いますが、欠札になっていたのでしょうか、手間を掛けた方法で発行されています。
「千歳」という印が独特で、普通であれば「(千)千歳」となるべきところ、「(千)千才」となっています。
「歳」と「才」はどちらも年齢を表す時に用いられる漢字で、これには諸説があるようですが、「歳」の漢字が中学校で習う漢字で教育漢字には含まれおらず、小学生が自分の年齢を書く際には「歳」の漢字を使うことができないため、その代替文字として「才」の漢字が使われることから年齢を記載する時にも使用されるという説があります。
「才」という漢字にはそもそも年齢の意味はなく、「才能」や「天才」などの熟語で使われるように、生まれ持っての能力を表す漢字で、本来年齢を書く時に使用する漢字ではないそうです。
話が脱線しましたが、「才」という漢字は「歳」の略字として使用されるようですが、千歳という駅名のゴム印を作成する際に、敢えて略字を使用する理由が不明です。
日立駅発行 ひたち12号特急券
1984(昭和59)年4月に常磐線日立駅で発行された、ひたち12号の上野までの特急券です。
若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
乗車区間を始め、列車名・発時刻等がすべて予め印刷されている完全常備券と呼ばれるもので、列車ごとにそれぞれ券を設備しなければならず、在庫過多の問題から比較的需要のある駅にしか設備ができないわけですが、そのような駅は大抵マルス端末が充実していて硬券の特急券を使用することは少ないことから、その希少性によって特急券を蒐集しているコレクターに特に人気の高い様式です。
日立駅は常磐線の特急停車駅で、日立製作所の創業の地である企業城下町として繁栄した町の中心駅です。さらには、同駅は特急ひたち号の停車駅だけではなく、列車によっては当駅始発の列車も存在するほどの駅ではありますが、不思議なことに、この駅には硬券の特急券や急行券が多く残されていました。
しかも、日立製作所は国鉄時代より使用されているマルスシステムを開発したメーカーでもあり、このような会社のお膝下でもある駅で、昭和50年代末期になってもマルス端末ではなく、敢えて硬券の特急券が多用されていたことに疑問を感じたものです。
そのような日立駅の特急券発売事情ではありましたが、気づいたころには硬券での特急券の発券は行われなくなり、他駅同様にマルス端末での発券になっています。
鶴舞駅発行 しらさぎ10号特急券
1982(昭和57)年7月に中央西線鶴舞駅で発行された、小松から名古屋までのしらさぎ10号特急券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人・小児用記入式特急券「記特③」で、名古屋印刷場で調製されたものです。
国鉄では特急券は一般的にD型券として調製されていましたが、なぜか名古屋印刷場で調製された特急券はA型券が多いのが特徴でした。そのため、列車名を記入する欄が極端に狭く、列車名の文字数によっては大変書きづらいものでした。
そのためだと思われますが、「しらさぎ 号」というゴム印が2行書きという独特なものが使用されています。
飛騨古川駅発行 北アルプス自由席特急券
前回エントリーでJR東海の飛騨小坂駅で発行された北アルプス自由席特急券を御紹介いたしましたが、国鉄時代の北アルプス自由席特急券がございましたので御紹介致しましょう。
1983(昭和58)年8月に高山本線の飛騨古川駅で発行された、名鉄の神宮前駅までの北アルプス自由席特急券になります。桃色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
この券は、前回エントリーで御紹介いたしました「夏季限定」の立山直通最終年のころのものになります。
前回御紹介いたしましたJRとなってからの券の再掲です。
基本的にはJRとなってからのものと同じ様式になりますが、JRのものが「(東海会社線100Kmまで)」となっているのに対し、国鉄時代のものは「(国鉄線150Kmまで)」とJR線と国鉄線の表記の違いがあります。
また、当然ながら、JR東海の券であることを示す「ロ海」の符号も、国鉄時代の券にはありません。
100kmと150kmの違いは、鵜沼駅から飛騨小坂駅までの営業キロ91.5kmと、鵜沼駅から飛騨古川駅までの営業キロ134.0kmの違いであり、民営化されてから云々という違いではございません。
考えてみますと、上下1本づつの線と対向式ホームの地下駅である名鉄の新名古屋(現・名鉄名古屋)駅に、黒煙を激しく出す気動車(ディーゼル)列車が発着する状況は、関東人である管理人にとって当時でも「すごいなぁ~」と思ってしまうほどで、列車が出て行ったあとの排ガスでモヤモヤしている地下ホームは、今では考えられない光景です。
東京駅発行 東京から101km以上 普通列車グリーン券
前回エントリーで上りの「大垣夜行」用として発行された101km以上用の普通列車グリーン券を御紹介致しましたので、下り列車用として発行された101km以上用の普通列車グリーン券を御紹介致しましょう。
1983(昭和58)年8月に東京駅で発行された、東京から101km以上用の普通列車グリーン券です。
若草色特殊共通券紙の印発機券で、キレート印字式のものになります。管理人が名古屋へ行く際に使用したものになります。
コレクション用として硬券のグリーン券を購入するのですが、印発機で発行された券も蒐集したいと考え、珍しく印発機券を購入した次第です。
東京駅には当時としては新型の熱転写式印発機が導入されていた頃と思いますが、急速に引退していた旧式のキレート印字式の印発機がまだ残されておりましたので、敢えてこの機器のある窓口で購入したように記憶しております。
当時はすぐに印字が消えてしまう感熱式券と違い、キレート式券は保存性が良かったので安心していましたが、購入してから38年が経過してかなり退色が出てしまっています。
大垣駅発行 大垣から101km以上 普通列車グリーン券
前回エントリーの「JR東日本 品川駅発行 快速「ムーンライトながら」号指定席券」でムーンライトながら号の指定席券を御紹介いたしました。
記事の中で、
> 東京駅〜大垣駅間で運行されていた「大垣夜行」を前身とした、長い伝統を誇る東海道線の座席夜行列車
と申し上げましたが、座席夜行列車時代の同列車はグリーン車2両を連結した165系で運転されており、普通車の4人が膝を突き合わせて向かい合うボックスシート車に対し、グリーン車はシートピッチの広い回転リクライニングシートとなっており、大変人気がありました。
グリーン車に乗車するにはグリーン券が必要でしたが、座席指定制ではなかったため、事前に購入して乗車しても、混雑時には満席で利用できないこともあり、混雑時には着席できるまでスリルのある列車でした。ただし、満席で使用できなかったときは専務車掌がグリーン券に「不使用証」という証明をしてくれましたので、下車後に駅で全額払い戻されました。
1983(昭和58)年5月に大垣駅で発行された、101km以上の普通列車グリーン券です。若草色こくてつ地紋のA型大人専用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。この時代のグリーン料金では小児料金は廃止されていましたので、普通列車グリーン券には大人専用券しかありません。
この券は大垣から101km以上の区間を利用できるグリーン券ですが、同駅から101km以上利用できる普通列車のグリーン車は上りの「大垣夜行」しかありませんでしたので、ほぼ上り大垣夜行東京ゆき専用の券であったことになります。
南仙台駅発行 仙台から上野まで新幹線指定席特急券
1985(昭和60)年6月に東北本線南仙台駅で発行された、仙台から上野までの新幹線指定席特急券です。
若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
当時の特急や急行列車用の座席指定券類は若草色(みどり色)の地紋となっており、特にマルス端末用の特殊共通券紙がみどり色であったことが、現在の「みどりの窓口」の由来となったと言われています。
当時の南仙台駅では新幹線用の指定券は硬券による発券となっており、わざわざ硬券特急券を入手したいがため、特急券を仙台駅で購入せず、レンタカーで立ち寄った南仙台駅で購入した次第です。
新幹線用の指定席特急券は、表面には乗車区間や料金など、必要最小限の情報しか記載されておらず、座席指定などの情報は裏面に記載するようになっていました。
裏面です。
左から縦書きで乗車日が記載され、その右側には座席指定情報が2段書きで記載できるようになっています。これは、改札内での途中駅を一部通過する速達タイプの列車は「やまびこ」号と、途中すべての駅に停車する各停タイプの「あおば」号相互間の乗換をした場合を考慮したものとなっています。
現在の東北新幹線には「あおば」号という列車はありません。これは、JR化後の1995(平成7)年に「あおば」号のうち東京駅~那須塩原駅間だけ走っていた列車の名前を「なすの」号として分離されたことからはじまりました。
東京駅~那須塩原駅間の運転では「あおば」の名前の由来だった青葉城がある仙台を通らないため、那須塩原駅の北西側に広がる(那須野原)にちなんだ「なすの」号になったと言われています。
そして長野行新幹線(北陸新幹線の高崎駅~長野駅間)が開業した1997(平成9)年に、JR東日本は新幹線の列車名を、通過駅の区別ではなく「行先」によって分けることとし、東北新幹線は、東京駅~仙台駅・盛岡駅間を走る列車が「やまびこ」号、東京駅~那須塩原駅間の列車が「なすの」号に統一され、これにより「あおば」号が廃止されています。
これはいろいろな名前があって分かりにくいと利用者から苦情が寄せられていたことによるそうなのですが、これによって「あおば」号は初めて廃止された新幹線の列車名になっています。
青森駅発行 おおぞら1号 特急券
1980(昭和55)年1月に青森駅で発行された、函館から札幌までのおおぞら1号特急券です。
若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用券で、仙台印刷場で調製されたものです。
列車名・乗車区間・発車時刻などがすべて予め印刷されている券で、国鉄部内では「常備特急券」と呼ばれていましたが、蒐集家の間では「完全常備券」として大変人気があります。
当時の青森駅は関東や関西からの優等列車が発着し、また、青函連絡船の桟橋がある本州の玄関駅でありますので、当然ながらすでに券売機や指定券端末の類は揃っていましたが、この券は硬券で発券されています。
これは、当時のマルス端末はメンテナンスなどができるよう、夜の22時頃からシステムが停止していたのですが、この券が発券されたのが深夜帯であったため、予めマルス端末で座席を抜いておいて台帳を作成し、発券の都度消しこみをしながら硬券で発売していたためです。
通常の駅であればみどりの窓口は夜間営業していないため、マルス端末を夜間停止していても問題ないのですが、青森駅は夜間でも列車が運転されて青函連絡船との接続をしていたため、夜間でも指定券購入の需要があったわけです。
この券もそのような事情の中で発売されたものですが、正月3が日の列車でありましたが、元日の夜に里帰りする旅客は年内に比べればはるかに少なく、辛うじて「飛び込み」でも特急券を購入することが可能でした。しかしながら、窓側の席はなく、通路側の「C席」になってしまっています。
実際、時刻表を見てみますと、おおぞら1号は函館駅を04時45分に発車し、札幌を経由して14時55分に釧路駅に到着しますが、この列車に乗車するには青森駅を深夜の00時35分に出航する第1便か、00時10分に出航する第11便に乗船するのがスタンダードであり、それらの旅客がおおぞら1号の特急券を購入していなければ、青森駅に着いてから、乗船までの待ち時間に購入する需要があったため、このような措置が取られていたものです。
ちなみに、11便は「桧山丸」という、俗に言う「津軽丸型」の一般的な船型の船舶ではなく、航送専用船を改造したグリーン船室や寝台設備の無い船舶が充当され、普通船室以外の設備を希望する旅客から敬遠されていました。
函館駅を04時45分に発車したおおぞら1号は、定刻通りであれば札幌駅に08時55分に到着することになっており、時間的にそれなりの需要がある列車でした。
室蘭駅発行 連絡船経由の乗継割引特急券
以前御紹介したかと思いますが、1966(昭和41)年7月に室蘭本線室蘭駅で発行された連絡船経由の乗継割引特急券です。
青色こくてつ地紋のC型大人専用券で、札幌印刷場で調製されたものです。
「(甲の1)」片は東室蘭駅から函館駅までの特急おおぞら号の乗継割引特急券で、「(甲の2)」片は青函航路下船後の青森駅から上野駅までの特急はつかり号の特急券になります。
裏面です。裏面は券番しかありません。
1961(昭和36)年のダイヤ改正より、本州と北海道の特急を連絡船を跨いで1枚の特急券で発売する「結合特急券」制度が行われていましたが、結合特急券制度は御紹介の券が発行される約3か月前の1966(昭和41)年3月のダイヤ改正で廃止され、その代替制度として、東北線・奥羽線経由の特急と北海道の特急または急行をその日のうちに、もしくは翌日に青函航路を介して乗り継ぐ場合、北海道の特急または急行の料金が半額になるように変更されています。この制度は四国向けにも導入され、東海道・山陽線の特急「瀬戸」号と四国島内の特急または急行をその日のうちに、または翌日に乗り継ぐ場合にも適用されるようになっています。
ところで、御紹介の券はC型券ですが、うまい具合にダッチングで2枚共所定の位置に打印されています。当初はゴム印かと思ったのですが、よく見ますと(甲の1)片と(甲の2)片の間の点線部分にハサミで切れ目を入れ、器用にダッチングを入れているのです。
このように切れ目が入っています。
全く折り目なくダッチングが入れられており、恐らくこの券を発行した出札掛員は、通常でもC型券への日付の打印をこのようにしていたのかも知れません。このような状態で残されているC型券はかなり少ないと思われます。
« 前ページ | 次ページ » |