JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
祝! 東海道新幹線開業50周年
本日10月1日は、昭和39年10月1日に開業した東海道新幹線が、開業50周年を迎えた日です。巷には50周年を祝う新幹線グッズや書籍が溢れ、JR東海もホームページに特集ページを設けるなど、お祭りムード全開です。
拙ブログは通常隔日更新として記事をエントリーさせていただいておりますが、本日は特別にエントリーさせていただきました。
7年くらい前に御紹介させていただいたものですが、東海道新幹線開業記念の記念券を再度御紹介いたします。
コーティングされたような用紙に印刷され、左側には0系新幹線電車のイラストが描かれ、右側には1等用の東京から新大阪までのひかり号用のB特急券のレプリカが付いています。レプリカ券は黄褐色こくてつ地紋も印刷されています。
この券は国鉄内部で配布されたものですが、これと同じものがひかり号の乗客に「乗車記念」として配布されています。
しかし、外部へ配布するとなりますと、このままでは「有価証券」として捉えられている特急券部分が具合悪いため、特急券の題字部分に赤い見本印を捺印して配布したということですが、実際にはこのまま配布されてしまい、見本印のないものも外部に流出してしまっているものもあるらしいということも聞いたことがありますが、実態はよくわかりません。
裏面です。
イラスト部分には新幹線の知識という簡単なデータ集が印刷され、記念券部分には実物同様、英文が印刷されています。
こちらはこだま号車内で配布された記念券です。
国鉄は開業記念の記念券はひかり用1種類しか作成していませんでしたため、こだま号で配布するには特急券部分がこだま号用のC特急券となっていないため、ますます具合が悪いと考えられたのでしょう、こちらは問題の記念券部分を切断して配布されたということで、記念券部分がありません。
この記念券は、特急券のレプリカ部分について、国鉄内部では相当な論議を醸したのではないかと想像されます。
日本の新幹線は、秒単位のダイヤで運転されているという正確性と、乗客の死亡事故もを1件も起こしていないという安全性は、速度面では世界に先を越されている感はありますが、開業から50年経過した現在でも世界水準の高い技術を誇っていると考えられますね。
汎用 遅延証明書
国鉄時代の汎用の遅延証明書です。
B8サイズ(64mm x 91mm)のわら半紙で、下に記載されているところから、昭和51年4月に納入されたものと推察されます。
文面は現在でもさほど相違ありませんが、「当駅着_時_分の列車(連絡船又は自動車)」という記述が特徴的で、都市部の駅では一度の発行枚数が半端な量ではありませんので各駅専用のものが備えられていますが、地方の小駅では大量の枚数を一度に発行することは殆ど無いですから、このような汎用のものが使用されていたものと思われます。
梅小路蒸気機関車館 入場整理券
自宅の片づけをしていましたところ、すごい物が出てきました。
昭和48年3月に発行された、梅小路蒸気機関車館の入場整理券です。昭和48年3月と言いますと、東京在住の私が父に連れられて初めて見学に行ったときのもので、かれこれ40年もの間、我が家の屋根裏部屋で眠っていたわけです。同館のホームページを見ると現在の大人入館料金が400円ですので、実に4倍の金額になっています。
「入場整理券」とは何とも国鉄チックな響きの名称です。普通の博物館や資料館であれば「入館券」でしょう。
この券には同館保存機であるD51200号機の写真となっていますが、ネットで調べますと他にもいろいろな機関車の券が存在するようですので、ロットごとであったのでしょうか、たびたび写真が差し替えられ、周りの枠の色も青かったり赤かったりと替えられていたようです。
写真のD51200は昭和13年に鉄道省浜松工場で竣工したカマで、新製当初は稲沢機関区に配置され、その後昭和18年に米原機関区、昭和20年に大垣機関区、昭和25年に中津川機関区と転属し、晩年は昭和47年に梅小路機関区に移り、当時としては国内唯一の動態保存のD51となっています。券の説明には昭和14年製と書かれていますが、1938年製なので昭和13年製造が正当であると思われます。
梅小路に配置された後のD51200はランボードに白いラインが入れられ、黒いナンバープレートのピカピカの機関車になっていますが、中津川での現役時代の姿には艶はなく、決して綺麗な機関車ではなかったようです。そして、ナンバープレートは青く塗られていたとのことです。
入場整理券の裏面です。
D51200号機の解説が書かれております。竣工図や配置図などの詳しいものはなく、一般の見学客が分かるような簡単なものとなっています。
裏面で気になったのが入場整理券部分の裏面です。その部分を拡大してみましょう。
券番の左側にあるアルファベットの「B」は発行窓口もしくは循環記号のようなものと思われます。
問題はその下の表記です。「大阪鉄道管理局発行」となっており、大阪鉄道管理局(大鉄局)が直接維持管理していたことを表しています。現在、同館はJR西日本が所有し、運営は同社関連の外郭団体である交通文化振興財団に委託されています。
電算処理車票
8月14日エントリーの「特殊貨物検査票」で御紹介いたしました特殊(種)貨物検査票と共に岳南鉄道比奈駅のイベントで購入したもので、電算処理車票というものを御紹介いたしましょう。
電算処理車票は国鉄が分割・民営化を控えた昭和61年11月のダイヤ改正の時に制定された車票で、国鉄によって制定された車票としては最終となるもののグループです。
そもそも車票とは、貨車1両1両についている車票挿しという所に挿入し、その貨車がどこからどこまでの何を積んでいるかを表示するものであり、貨車の「サボ」のようなものです。特に車扱(1車両貸切の貨物輸送)に於いては車票の存在を欠かせることはできず、明治時代から必ず挿されていました。しかし、貨物列車の、特に車扱輸送が減少し、車票そのものを目にする機会が無くなってきています。
イベント時で購入した後、たまたま留置されていたワム80000型貨車に実際に挿入して記念撮影です。このような感じで運用されていたわけです。
さて、御紹介の電算処理車票の話題に戻ります。
昭和61年11月のダイヤ改正によって車扱直行列車が廃止され、実質的に貨物列車は高速貨物列車と専用貨物列車の2系統となりましたが、紙製品や化成品輸送の分野においては車扱輸送を継続する必要があり、電算処理列車という専用貨物列車(新専貨)という列車が設定され、その列車用に制定された車票が電算処理車票です。
電算処理車票は車扱直行列車の車票の余剰用紙が大量に出た経緯から車扱直行車票がそのまま使用されることとなり、様式としては車扱直行車票のものが引き継がれた形となっています。
御紹介のものはハワム380244号車という貨車に使用されたもので、大阪の梅田駅(貨物取扱駅コード6021)から比奈(5208-03)までの区間に運用されたことが分かります。比奈駅の貨物取扱駅コードである5208-03は、5208は岳南鉄道を意味し、03が比奈駅を示します。
(01本吉原・02岳南原田・04岳南富士岡・05須津)
運送品は「返パレ」と記載されていることから、製品を載せて関西方面へ発送されて返却される製紙パレットであることが分かります。
「大昭和製紙側入」と記載されていることから、比奈駅留めではなく、比奈駅からほど近い大昭和製紙株式会社の側線に入れる指定がなされています。
左下には封印(盗難防止のために扉に巻く金属環)の番号が記載され、HC48471~48476の6本が使用されていることが分かります。
また、「〇ツ」のマークがあることから、日本通運が荷受事業者として指定されていることが記載されています。
この車票を購入したのが平成21年12月でしたが、大昭和製紙は平成15年4月に日本製紙株式会社と合併して日本製紙の板紙事業本部となっていますので、発送日は11月29日とあることから平成14年の11月以前であったものと推測されます。
福島・会津磐梯周遊券 (~B券片)
前回エントリーに引き続き、昭和58年7月に発行された、福島・会津磐梯周遊券のB券片です。
青色国鉄地紋の大型軟券で、B券片は自由周遊区間の案内路線図と、自由周遊区間から発駅までの乗車券部分に分かれます。
路線図を見ますと、西若松から先の会津線(昭和62年7月廃止)部分や喜多方から先の日中線(昭和59年3月廃止)、自動車線の福浪線(福島駅~川俣町間)や川俣線(松川駅~川俣町間)、福船線(福島駅~船引駅間)が自由周遊区間に含まれていたようです。
裏面のご案内文です。
A券片のものとは異なり、急行列車に乗車できる旨や乗車経路のほかに、自由周遊区間内の旨や東京都区内まで乗車できるが、前途無効となる旨が記載されています。
福島・会津磐梯周遊券 (~A券片)
昭和58年7月に中央本線荻窪駅で発行された、福島・会津磐梯周遊券のA券片です。
青色国鉄地紋の大型軟券で、民間印刷券と思われます。
「ミニ周遊券」というもので、A券片が発駅から自由周遊区間までの往路用となり、B券片が自由周遊区間乗車用および発駅までの帰路用となっています。
当時はいろいろなエリア用としてミニ周遊券が設定されており、A券片の様式はどれもほぼ同じとなっていました。
左上にある番号が券番で、右上にある番号部分は小児断片となっており、小児用として発券する際にはこの部分を切り取って発売します。
左上「〇遊」の符号は周遊券であることを示してます。、
裏面のご案内文です。
福島・会津磐梯自由周遊区間内では鉄道の他に国鉄自動車線も利用できる旨の記載があります。
また、急行列車であれば自由席を利用することにより追加料金なしで乗車できる旨の記載があります。
当時はまだ「まつしま」「ばんだい」「おが」「奥久慈」などの急行列車が運転されていましたから、周遊券で急行列車に乗車できることは、当時学生の身分であった貧乏旅行に大変役立ちました。
東京都区内各駅から福島・会津磐梯自由周遊区間までの乗車経路は東北本線経由の他、磐越東線・常磐線経由、只見線3ルートから選択できるようになっています。
特殊貨物検査票
久しぶりにきっぷ以外の紙ネタです。
あまり聞き慣れないかもしれませんが、特殊貨物検査票というものを御紹介いたしましょう。
特殊貨物検査票は特大貨物や車扱(貨車一車を丸ごと借り切る輸送形態)による1パッケージ(PK)あたりの実重量が1トン以上の転動防止を要する貨物、密閉梱包貨物や甲種鉄道車両貨物を輸送する際に、客貨車区など鉄道側に於いて貨物の状態を事前検査をして該貨に表示する車票です。
御紹介のものは、4年くらい前、岳南鉄道比奈駅のイベントで、1枚100円くらいで投げ売りされていたので、その希少性から購入した次第です。
鉄道省時代より、特大貨物を貨車で輸送する場合には事前検査をする規程が存在し、当初は木札を使用して表示していたようですが、昭和15年頃になって専用の検査票が制定されているようです。その後、何回かの様式改定が行われ、御紹介のものは昭和42年に改定された現在の様式と思われます。
ただし、御紹介のものは盛岡鉄道管理局で特別に作成された様式のようで、「段積承認欄」のある、通常の様式とは少々違うものです。
最近では貨物列車は激減し、また、車票そのものが廃止されてしまっていますから縁の薄くなってしまった感がありますが、特殊貨物検査票は甲種鉄道車両輸送では現在も使用されており、車両の窓に貼り付けられたものを御覧になられた方も多いかと思います。
エントリーの表題や本文中では「特殊貨物検査票」と表現していますが、現物は「特種貨物検査票」となっています。これは、当初は特種貨物検査票というものでしたが、「特種」から「特殊」への呼称が変更されたことにより、現在は特殊貨物検査票が正式な名称となっています。
しかし、なぜか現物は「特種」のままのものが殆どで、「特殊」に様式変更されているものの方が珍しいように感じます。
オレンジカードの終焉
国鉄時代の昭和60年3月に首都圏の主要駅で発売開始されたオレンジカードが、来年3月31日を以って発売中止となることが12月4日のJRグループのプレスリリースで発表されました。
発売以来実に28年間もの間発売され続けたプリペイド式カードで、登場当時は「小銭要らず」の画期的なプリペイド式カードではありましたが、JR化後のイオカードなどのストアードフェアシステムカードやきっぷを購入する手間さえ要らないICカードの登場によってその意義はだんだん薄れ、JR東日本ではすでに発売を終了し、とうとう来年の3月にJRグループ全旅客鉄道会社において幕を下ろすこととなった次第です。
昭和60年にオレンジカードが発売された当時の第1号となるカードです。当時はちょうど東北・上越新幹線の大宮~上野間が開業するタイミングでしたので、それをPRするデザインで発売されました。
裏面です。
特に印字がされるわけではありませんが、上の部分が銀色の至ってシンプルです。まだ、当時はオレンジカードの使えないキレート式の旧型券売機も存在していましたため、「カード式切符販売機に限って…」という文言があります。
発売当初、窓口でカードを購入すると、カードが利用できる駅の案内の印刷された、防磁加工の樹脂ケースに入れて渡されました。後に日本道路公団から登場したハイウェイカードも似たようなケースに入れられていた時期があったと記憶しています。
ケースの表面(?)は透明の窓になっており、中のカードが見えるようになっていました。
ちなみに、オレンジカードには企業広告入りのものもありますが、その第1号はNECのこれだったと思うのですが、いかがでしょう?
今回のエントリーで、本年分の更新は終了させていただきます。本年も拙ブログに御訪問くださり、ありがとうございました。来年もぜひとも御贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。
それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
深川車掌区発行 乗車記念カード
国鉄時代の昭和61年9月に羽幌線に乗車した際、車掌氏から記念に車内補充券を買い求めたところ、乗車記念として頂いたカードです。
職員の手作りによるイラストを薄紫色の上質紙にコピーして作成されたもので、深川車掌区が担当していた羽幌線の他、留萌線と深名線にも対応できるようになっています。
乗車日・乗車区間・列車名を記載のうえ、車掌氏のサインを入れて旅客へ配布されていました。
第1種車内補充券より若干小さめのサイズになっており、革製の車内補充券入れに数枚入れ、車内精算をした時や検札の時に、主に観光目的の旅客に対して配布していたようです。
当時、チャレンジ20,000kmのキャンペーンの効果もあり、夏休み等の長期休暇期間には公営ユースホステルを利用して、多くの観光客が北海道の路線を駆け巡っていたような気がします。そのような旅客へのサービスの一環としてこのような乗車記念カードが作成されたのでしょう。
この他にも、苫小牧車掌区でも乗車記念カードの発行実績があり、道内の複数の車掌区で同様のサービスが行われていたと思われます。
八戸駅発行 十和田2号着席券
八戸駅(現・本八戸駅)で発行された、尻内駅(現・八戸駅)発、急行十和田2号の着席券です。
仙台印刷場で調製されたD型券で、青色国鉄地紋となっています。
発行箇所は「②八戸駅」となっていますが、乗車駅が尻内駅であることから、現在の八戸駅ではなく、昭和46年2月以前は八戸駅であった八戸線の本八戸駅で発行されたことが分かります。
列車名は当初「第2十和田」という名称でしたが、昭和43年10月の改正時に「十和田2号」となったことから、昭和44年1月から46年1月の間に発行されたものであると推測されます。
裏面です。
仙台印刷場の5ケタ券番で付番されており、注意書きが記載されています。
十和田2号は青森~上野間の夜行急行列車で、岩沼駅から常磐線を経由していました。定期運用の列車が急行「十和田」で、2号は季節運転の臨時列車でした。
当時の時刻表を調べますと、十和田2号は「6204レ」という列車で、青森を1530に出発し、尻内に1657に到着します。
尻内で3分停車して1700ちょうどに出発し、盛岡1850・花巻1918・一ノ関2015・仙台2209・平(現・いわき)0113・水戸0255に発車し、上野到着0500というダイヤとなっています。
ということは、尻内駅では3分間という短い停車時間のなかで、先ず着席券を所持した旅客を捌いた後に着席券を所持していない旅客を捌くという忙しい客扱いが行われていたようです。
客車編成はスハ43系座席車モノクラス12両もしくはスロ62を連結した12両編成で、昭和43年改正までは青森から尻内まではDD51型ディーゼル機関車とC61型蒸気機関車の重連で、尻内から先は、DD51型のみという運転でしたが、この券が発行された昭和43年改正で無煙化され、青森~水戸間はED75型機関車、水戸~上野間はEF80型機関車の牽引となっています。
当時、このような着席券には専用の袋(ワッペン)が付属されており、袋に着席券を入れて胸につけて改札口を通るようになっていました。
袋に着席券を入れた状態です。
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