楓駅発行 普通入場券

昭和51年9月に夕張線(後の石勝線夕張支線)楓(かえで)駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。

先ほど「夕張線(後の石勝線夕張支線)」と申し上げましたが、「後の石勝線夕張支線」という表現は正しいものではなく、正確に言うと夕張線から分岐していた通称「登川(のぼりかわ)支線」と呼ばれた支線の駅になります。


   昭和51 48年4月号)

   平成30年5月号)


まずは登川支線が存在したころの交通公社(現・JTB)時刻表巻頭地図と平成30年のJTB巻頭地図をご覧ください。
上が登川支線が存在したことのもので昭和51 48年4月号で、下が平成30年5月号になります。


昭和51 48年にはまだ追分駅から新得駅に向かう石勝線は開通しておらず、夕張線は追分駅から紅葉山(現・新夕張)駅間は現在の石勝線ルートを通り、通称「夕張支線」となった紅葉山駅から夕張駅までのルートを通っておりました。
そして、夕張線には紅葉山駅から登川駅までの枝線が存在し、これが通称「登川支線」になります。


御紹介の券は登川支線の中間駅である楓駅のもので、同駅は夕張線開業当初は終着駅となっており、駅を境目として登川駅までの三井鉱山専用線との接続駅であったようですが、大正時代に三井鉱山専用線は国鉄の前身である鉄道院に移管された経緯があるようです。
当初は駅から双方の路線が平行に発着する線形になっていたようで、鉄道院移管後はスイッチバックのような駅だったと聞いたことがあります。昭和40年代になると駅を移設して棒線の駅に改良されています。

この券が発行された4年後の昭和56年5月に貨物扱が廃止されると駅は無人化され、同年7月に登川支線の廃止にともなって廃駅となっています。

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