JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
京浜急行電鉄 株主優待乗車証
京浜急行電鉄(京急電鉄)で発行された、2012(平成24)年度用の株主優待乗車証です。
黄色PJR鉄道地紋のA型感熱式券で、中心が黄色く塗り潰された特殊な券紙が使用されています。
株主優待乗車証は株主に対し、取得している株数に応じて年1回もしくは年2回発行されるもので、1回の発行枚数は、取得株数が100株以上200株未満の株主に対して2枚という単位が最低単位になります。有効期間は6ヶ月で、5月中旬頃送付分は到着後11月末まで有効で、11月上旬頃送付分が到着後翌年5月末まで有効となります。
御紹介の券は2013(平成25)年5月31日まで有効となっておりますので、前年2012(平成24)年の11月上旬頃に発行されたものということになります。
利用できる区間は京急電鉄電車全線および京浜急行バス、川崎鶴見臨港バスの一般路線バス全線となり、泉岳寺駅からの都営地下鉄線方面は区間外となり、乗車するには別途運賃が必要となります。
ただし、モーニング・ウィング号は、乗車証の他に別途Wing TicketまたはWing Passが、イブニング・ウィング号およびウィング・シートは、Wing Ticketが必要となります。
バスの利用については一般路線のみとなり、横浜駅(YCAT)~羽田空港線を除く空港リムジンバス、高速乗合バス、アクアラインバス、品川・川崎・横浜駅等発着の中距離バス、川崎駅前~川崎病院線、川崎市からの受託路線、定期観光バスは利用できません。また、利用可能な路線の深夜・早朝バスを利用する際には、別途普通運賃との差額が必要になります。
裏面です。自動改札機対応の磁気券になっていますが、「京急株主優待」の文字と最終有効日である「25.5.31」の数字が印刷されています。
東武鉄道 志木駅発行 下板橋ゆき片道乗車券
日付が不鮮明ですが、1969(昭和44)年3月、東武鉄道東上線志木駅で発行された、下板橋ゆきの片道乗車券です。
不鮮明ではありますが、黄色東武鉄道とぶてつ自社地紋のB型一般式大人・小児用券で、系列の足利印刷で調整されたものです。
当時の鉄道旅客運賃・料金は、戦後の3等級制から1960(昭和35)年7月1日施行の改定で2等級制となり、この券が発行された1969(昭和44)年5月10日の改定でモノクラス制となっておりますので、等級制末期の券であるということになります。
現在では同社の近距離用乗車券は金額式が主流ですが、御紹介の券のように営業キロが15.1kmしかない区間の乗車券でも一般式の常備券となっており、設備されていた口座数はそれなりに多かったのではないかと考えます。
裏面です。券番の他、通用発売当日限りおよび下車前途無効の文言および⑤(◯5)という循環番号があります。
ところで、最近は改札での入鋏はパンチからスタンパーに替わってしまってどの駅も同じような感じになってしまっていますが、志木駅のパンチの型(鋏痕)が、国鉄では東京駅のみに設定されていた特殊鋏痕と呼ばれるものと同一であったことに驚きます。
茨城オート 路線バス用整理券
発券された年代は不明ですが、かつて茨城県内で運行されていた、茨城オートの路線バス用整理券です。
白色無地紋・無着色の用紙に印字された、停留所番号1番の整理券になります。
印字が薄いですが、社名部分を拡大してみますと、何となく「茨城オート(株)」という印字が読めます。
どうやら、営業所で試験的に発行されたもののようで、整理券発行機では最大の番号である、停留所番号99番のものもあります。
茨城オートは水戸市に本社を置くタクシー会社ですが、かつては茨城交通のグループ会社としてバス事業も行っていました。
もともとは「帝産オート」という別のバス会社であったようですが、1971(昭和46)年に同社の撤退に伴い、施設ごと茨城交通が譲受けて子会社化した経緯があります。社名の「茨城オート」は子会社化した会社の社名の名残であると言われています。
同社は水戸駅を初めとして、赤塚駅・友部駅・岩間駅からの路線を持っていましたが、2010(平成22)年にバス事業は茨城交通に統合させて撤退し、その数年後には茨城交通のグループからも撤退しているようです。
国鉄時代 乗車券入れ ~その2
前回に引き続き、国鉄時代の乗車券入れ(乗車券袋)の話題を。
1984(昭和59)年頃に釧路駅のみどりの窓口で貰ったものです。前回御紹介したような、現在でも使用されている、広告で使用されているようなツルツルの紙ではなく、白い上質紙が使用されています。そして、写真は一切なく、文字とイラストのみです。
袋を開いてみますと、スポンサーは無いようで、フタの部分は真っ白です。
裏面には「ひがし北海道」というエリアの地図が書かれており、エリアとしては当時の釧路鉄道管理局と旭川鉄道管理局の一部となっています。恐らく、釧路鉄道管理局が作成したのではないかと思われます。
表面には1984年に開始された国鉄最後の大型キャンペーン「エキゾチック・ジャパン」のロゴがあります。このキャンペーンはそれまでの「いい日旅立ち」キャンペーンの次に打たれた国鉄最後の大型キャンペーンですが、「いい日旅立ち」のキャンペーンガールであった山口百恵さんがキャンペーン期間中に引退してしまい、急遽作成されたキャンペーンだと聞いたことがあります。
しかし、世の中はすでに1978(昭和53)年に新東京国際空港(成田空港)が開港し、「いい日旅立ち」的なコンセプトが時代遅れになっており、かつて「ディスカバージャパン」のターゲットとなっていた、アンノン族と言われた世代の女性たちの旅行への欲求は海外へとシフトし、国内旅行への需要が減っていた時代でした。
このような状況下、国内旅行しか企画することのできない当時の国鉄では、次期キャンペーンを「日本は異国である」という意味合いでアピールすることとし、「エキゾチック・ジャパン」というキャッチコピーが生まれたということです。
国鉄時代 乗車券入れ
国鉄時代に配布された、乗車券入れです。
乗車券入れ(乗車券袋)は、JRとなった現在でもみどりの窓口のカウンターや指定券券売機の前に置かれていますが、この習慣は国鉄時代からありました。いつ頃から配布されるようになったのかは調べておりませんが、昭和40年代にはあったような気がします。
当時のものは特急や新幹線などの国鉄を代表する車両の写真が多く使用されており、新幹線と富士山の写真は定番であったように記憶しています。
御紹介の乗車券入れは国鉄末期の1985(昭和60)年に地元の駅で貰ったもので、確か今のように窓口に置かれていて自由に取って行くものではなく、購入した乗車券とともに、窓口氏が1枚くれるような配布の仕方でした。当時の駅の窓口では、駅員さんが普通にたばこを吸っていて、袋がたばこ臭かったりしたものです。
袋を開けてみますと、券を入れる袋の部分には当時駅の至る所に掲示されていた「トクトクきっぷ」のPRがあり、「フタ」になる部分にはスポンサーの広告が入っておりました。
この袋にはありませんが、確か、トクトクきっぷのラクダの絵のちかくに「ラクだラクだ」といった言葉が入っていたものもあったように記憶してます。
袋の裏面になります。スポンサーの広告が印刷されています。
最近のJRの袋には、このようなスポンサーの広告のあるものは少ないように感じます。
伊豆急行 伊豆急下田駅発行 東京ゆき B特急券・グリーン券一葉券
1989(平成元)年9月に伊豆急行線の伊豆急下田駅で発行された、東京までの特急踊り子号用のB連絡特急券・グリーン券が一枚に纏められた一葉券になります。
若草色伊豆急行自社地紋のD型大人・小児用一葉券で、シンコー印刷で調製されたものです。
様式は国鉄(JR)の硬券に準じておりますが、同社のD型硬券は国鉄のものと勝手が異なり、券紙の裁断方向が90度異なっていたため、紙は目の流れに沿って曲がりやすいという性質から厚みの割に撓りやすく、逆に折れ筋が入りにくいという特徴がありました。
同駅は国鉄時代から特急あまぎ(後の踊り子)号や急行伊豆号・おくいず号などの東海道線優等列車が発着する駅で、早くよりマルス端末が設備されており、通常発行の指定券類については端末券で発行されておりましたが、窓口には硬券も設備されており、お願いすれば硬券で発券して戴くことが可能でした。そのためでしょうか、特急列車は踊り子号しかなかったために列車名は印刷されておりますが、列車番号および発車時刻については記入式となっております。
当日は予め旅行前に帰路用の特急券を所持しておりましたが、乗車変更をしたため、硬券で発行されたものです。
裏面です。
大きく「伊豆急行」と社名が印刷されています。また、券番のフォントに特徴があり、昭和30年代あたりの券に見られた様な字体になっています。
小児断片部分に付けられています「◯IKK」の刻印は伊豆急行の乗務員による検札鋏による鋏痕です。
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