秩父鉄道 上熊谷駅発行 無札証明

1987(昭和62)年8月頃に、秩父鉄道秩父線の上熊谷駅で発行された無札証明です。


   

何かも空き箱を再利用したような厚紙に、「無札証明」「乗車になりましたら、車掌へ申し出下さい」というゴム印を捺印した簡素なものです。
同社では、現在はきちんとしたB型硬券の無札証明が設備されていますが、御紹介の券はそれが設備される前に作成されていたものと考えられます。


   

裏面です。こちらの方が表面がツルツルしていて、もともとの「空き箱」の表面側であったのではないかと思われます。
恐らく、裏面のザラザラした方が、ゴム印を捺印したあとのインクの乗りが良かったのでしょう。

最近は出札機器の発展や小駅の無人化などが進み、このような無札証明にお目にかかることは少なくなりました。

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燕駅発行 きたぐに号 急行券・B寝台券一葉券

1978(昭和53)年1月に、弥彦線燕駅で発行された、急行きたぐに号の急行券・B寝台券の一葉券です。


   

若草色こくてつ地紋のD型大人・小児用券で、新潟印刷場で調製されたものです。
御紹介の券は弥彦線の終着駅である東三条駅から大阪駅までの乗車分で、発車時刻のみ記入式の常備券になっています。

発時刻のみ記入式とした理由は定かではありませんが、ダイヤ改正によって発時刻が変更になった場合に訂正することを避けるため、敢えて記入式にしたというのが正解ではないかと推測されます。

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上田交通 上田原駅から別所温泉駅ゆき 片道乗車券

今から42年前の1981(昭和56)年12月6日に、上田交通別所線の上田原駅で発行された、別所温泉駅ゆきの片道乗車券です。


   

青色TTDてつどう地紋のB型一般式大人・小児用券で、日本交通印刷で調製されたものです。

現在の上田原駅は島式1面2線の無人の交換駅になっていますが、御紹介の券が発売された頃には同駅構内に上田原電車区があり、終日駅員配置の駅になっていました。
しかし、1986(昭和61)年の1500Vへの昇圧が行われた際に電車区は下之郷駅に移転し、電車区跡の敷地を使用して駅は若干移動して現在位置に改築され、そのタイミングで無人化されています。

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湊町駅発行 天王寺ゆき 復路専用乗車券

1979(昭和54)年5月に関西本線湊町(現・JR難波)駅で発行された、天王寺ゆきの復路専用乗車券です。


   

青色こくてつ地紋のB型矢印式大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
復路専用乗車券は出札口ではなく、精算所や改札口で発売されている乗車券で、正確には「分岐往復乗車券」という改札補充券になります。補充券というと手書きの乗車券類を想像しますが、比較的需要のあるものについて常備券のように設備されていたもので、「硬券式改札補充券」と呼ばれることもあります。

湊町駅は、現在の大阪環状線の新今宮駅から分岐した形で線路が延びていますが、通しの乗車券を持つ旅客は新今宮(天王寺)駅~湊町駅間の乗車券を所持していない場合が多かったため、同区間の精算運賃(往路分)を別途収受し、同時に同駅から新今宮駅方面に戻るための復路分の運賃も収受し、復路専用乗車券を発行していました。


   

裏面です。券番の他に、「往路用の100円もいただいています。」という注意書きが印刷されています。

御紹介の券は、同駅がかつて関西本線の大阪側の始発駅として東京・名古屋・伊勢方面の優等列車が運転されていた時代に、始発駅まで行って乗車するという需要があったころの名残として残されていたものと思われますが、道頓堀川沿いに位置しているとはいえ、難波地区の「外れ」にあった同駅は、お世辞にも利用客の多い駅という印象はありませんでした。

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上野駅発行 120円区間ゆき片道乗車券

1984(昭和59)年3月に、東北本線上野駅で発行された、同駅から120円区間ゆきの片道乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のB型金額式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅には券売機が設備されておりますので、近距離乗車券については通常は券売機での発券になりますが、当日は券売機の混雑解消のため、硬券を使用した臨時の出札所が設けられておりました。


   

裏面です。
券番が片側にしかないタイプで、東京印刷場でかつて行っていた集中印刷方式で印刷されたものでした。
集中印刷方式は1ロットの印刷枚数が多い場合に用いられる印刷方法で、昭和50年代末期には行われなくなっておりましたので、御紹介の券はほぼ最終ロットに近い部類のものであったものと思われます。

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