JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
戸塚駅発行 品川駅ゆき 普通乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券
1975(昭和50)年7月に、東海道本線戸塚駅で発行された、品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。
若草色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
この様式は1974(昭和49)年の料金改定の時に登場した様式で、いままで小児料金が大人料金の半額であった普通列車用グリーン料金が大人と小児が同額となり、かなり体系が変わっています。
様式としても従来のものとはかなり異なっており、いままでは「乗車券・普通列車用グリーン券」となっていたものが「普通乗車券 普通列車用 グリーン券」となり、発売額の左側に「グリーン料金は税共」の表記はなくなり、代わりに発売額の右側に「税1割共」という表記に変更されています。
また、小児断片の表記が再度変更され、いままで「片グ」と表記されていたところ、「片普グ」になっています。
もともとグリーン車は、1969(昭和44)年5月10日の運賃・料金改定で等級制が廃止されたことで、それまで1等車の2.2倍の料金(通行税10%含む)から料金上乗せ分を分離したのが始まりだったためか小児用料金が設定されていましたが、5年の調整期間が終了したという感じなのでしょうか、小児用料金が廃止されて大人・小児同額の一本に大きく変更されています。
そのため、今までは小児用としての発売額が大人用の運賃・料金のおよそ半額になっていましたが、大人・小児一本の料金(50kmまで:200円)が適用されたため、370円からグリーン料金の200円を差し引いた170円の運賃部分だけに小児運賃が適用されることになり、差額が90円しかないということになり、かなり割高な感じになってしまいました。
東京駅発行 横浜駅ゆき 普通乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券
1973(昭和48)年3月に、東海道本線東京駅で発行された、横浜駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。
若草色こくてつ地紋のA型券で、東京印刷場で調製されたものです。
御紹介の一葉券の様式は青地紋で登場していますが、1972(昭和47)年後半ごろから若草色の地紋変更されています。
前回御紹介いたしましたように、普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券はすでに1回様式が改訂されていますので、数年の間に3回目の改訂が行われたことになります。
いままでの青地紋の様式では、普通乗車券に普通列車用グリーン券を付加したような意味合いでしたが、意味合いは変わらないものの、若草色地紋になりますと、普通列車用グリーン券に普通乗車券を付加したような感じです。モノクラス化以前は1等車用の乗車券が若草色になっていましたので、そのようなイメージで若草色に変更されたのかも知れません。
再掲いたしますが、前回御紹介いたしました、一世代前の青地紋時代の券です。
小児断片の表記の「片グ」のままで、様式的には地紋が変更されただけのように見えますが、「グリーン料金は税共」の表記が、青地紋の時には通常の活字が組まれていましたが、若草色地紋の券になりますと、発売当日限り有効の文言とほぼ同じ幅の特活になっており、発売額との間に隙間ができて、視認性が向上したように思います。
横浜駅発行 品川駅ゆき 普通乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券
1972(昭和47)年7月に東海道本線横浜駅で発行された、品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。
青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
前回御紹介いたしました、東京駅から品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券とあまり変わりませんが、小さなところに変化がありました。
再掲いたしますが、前回御紹介いたしました東京駅から品川駅ゆきの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。区間の他はあまり差違が無いように見えますが、小児断片の表記に変化が出ています。
東京駅から品川駅ゆきの券は一葉券登場当初の様式になりますが、小児断片にあります券の呼称がクリーン車と片道乗車券という意味と思われますが、「グ片」と表記されておりました。
ところが、1972(昭和47)年頃になりますと、今回御紹介の券のように、「片グ」と言う表記に変更されています。
東京駅発行 品川駅ゆき普通乗車券・普通列車用グリーン券 一葉券
大型連休も終盤に差し掛かりました。拙ブログにご訪問いただいていらっしゃる方の中には、連休中はどこか遠くへ行かれた方もいらっしゃるかと思います。長距離の旅行のグリーン車は魅力ですね。
今回は、かつて東京印刷場管内の需要のある区間で発行されておりました、普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券を御紹介いたしたいと思います。
1971(昭和46)年1月に、東海道本線東京駅で発行された、品川駅までの普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券です。
青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
普通列車のグリーン車は特急・急行のグリーン車と異なり、どの時期においてもグリーン車指定席とグリーン車自由席の料金は同一となっています。また、特急・急行のグリーン料金より普通列車グリーン料金の方が安いのは、国鉄時代の統一規格で、シートピッチの違いであり、特急・急行が1,160mmだったのに対し、普通列車は970mmしかなかったことに由来するようです。
普通列車のグリーン車を利用する際には普通乗車券の他に普通列車用のグリーン券が必要で、窓口で発券する際には普通乗車券と普通列車用グリーン券をそれぞれ1枚ずつ発券する必要がありました。
こうなりますと普通乗車券と普通列車用グリーン券の口座をそれぞれ設備しなければならないことと、いちいち2枚発券する手間が煩わしかったのでしょうか、1970(昭和45)年ごろから、それら2枚を1枚にまとめた一葉券の様式が登場しています。
記載されております券名の表記は「乗車券・普通列車用グリーン券」となっており、アンダーラインの下に乗車区間が明記されています。
そして、近距離でありますため、発売当日限り有効 下車前途無効になりますので、その旨が記載されています。
そして、当時のグリーン料金には通行税という税金が1割含まれておりましたため、「グリーン料金は税共」と表記され、その右側に運賃とグリーン料金の合算額(=発売額)が記載されています。
小児断片の部分については、クリーン券・片道乗車券を示すと思われる「グ片」という券の名称および、品川ゆきである旨を示す「品川」と、運賃料金140円から小児用の運賃料金である70円との差額が記載されています。
裏面です。券番の他、普通列車のグリーン車に乗車できることと、急行列車のグリーン車は利用できないことが明記されています。
普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券は画期的な様式ではありましたが、その後、何回かの様式改定が行われていましたが、IC乗車券が主流になった現在、このような発行形態は行われていないようです。
それにしても、東京駅から品川駅までの2駅(新橋・品川)の、営業キロがわずか6.8 km、所要時間7~8分という区間において、普通乗車券と普通列車用グリーン券の一葉券が設備されるほどの需要があることに驚きです。
新潟交通 小中川駅発行 東関屋駅ゆき片道乗車券
1985(昭和60)年4月に、新潟交通電車線の小中川駅で発行された、東関屋駅ゆきの片道乗車券です。
青色TTDてつどう地紋のD型準常備式大人・小児用券で、日本交通印刷で調製されたものです。
御紹介の券は管理人が実際に使用したものではなく、当日燕駅から乗車した際の乗車券を東関屋駅が戴きたい旨を申し上げた際、駅員氏に「着札の硬券何枚かあるけど、持って行くかい?」と言われ、戴いたものの中に入っていたものです。
同社では、有人駅各駅に硬券の乗車券が設備されていましたが、常備券があっても平行して準常備券が設備されていたりして、基準がよく分かりませんでした。
途中の規模の小さな委託駅では、すべての口座を用意していてはコスト増になってしまいますが、準常備口座を採用することで口座の絞り込みができるため、このような券が設備されていたのだと思われます。
しかし、着駅である東関屋駅は新潟駅方面へのバスとの接続駅でもある駅で、それなりの需要もあったかと思いますが、常備券口座が設備されていなかったのは意外です。
裏面です。日本交通印刷で調製されたD型券は券番が「№ ◯◯◯◯」という様式で振られているのが特徴です。
JR西日本 金沢駅から福井駅まで サンダーバード44号特急券
2024(令和6)年3月15日、JR東日本の駅で購入した、JR西日本の金沢駅から福井駅までのサンダーバード44号の特急券です。
青色JRE地紋の指定共通券紙で発券されたものです。
同列車は翌日のダイヤ改正によって北陸新幹線敦賀延伸開業になり、大阪駅~敦賀駅間に運転区間が大幅に短縮されてしまいます。当日はたまたま金沢で公務がございましたため、最後に乗れたらと思い、当日の朝に地元の駅で金沢駅から福井駅までの特急券を指定席で取ってみたところ、普通に取ることができました。
最終日のサンダーバード号の指定券は発売日に瞬殺で完売したような話が連日ニュースで報道されていましたが、それはあくまでも最終列車であって、そうでない列車は当日でも窓側が取れるほどでした。
管理人はかつて富山駅から大阪駅まで同列車を利用したことがありますし、まだ「雷鳥」と呼ばれていた頃にも利用したことがありますが、不思議なもので、もう運転されなくなると聞くと、何となく乗り納めをしてみたくなるものです。
本当は大阪駅まで乗車したかったのですが、翌日は福井での公務の予定がありましたため、福井駅までの乗り納めになりました。
次ページ » |