明治21年(1888年)10月28日、日本初の軽便鉄道が三津~松山間に開通。
明治19年12月に敷設の許可を得ますが、なにしろ日本では他に例がないため、機関車や客車はもちろん、レールも日本にはありません。そこで、遠くドイツのクラウス社から輸入することになり、次々と到着した資材は、神戸から三津へ回送され、無事開業の運びとなります。
夏目漱石が小説『坊っちゃん』で「マッチ箱のような」と形容したことでも有名。
三津~松山間の所要時間は28分、運賃は3銭5厘。順調な業績から、明治25年には高浜まで延長されます。
その後の明治44年、三津の有志は伊予鉄に対抗して、三津(江の口)~道後に至る「松山電機軌道」を設立し、伊予鉄も負けてられないと、蒸気機関車の軌道を改修し、電車の運転を始めます。
この両鉄道の熾烈な競争は全国的にも話題になりました。
その後、両者は合併し現在に至っています。今ではその面影も無くなりましたが、松山ー高浜線は今日ものんびりと走っています。
120年以上前から走っていると思うと、いろんな事を考えさせられます。なんだか凄いですね。