2月17日
祈年祭を執り行いました。
これは農作物が豊かに実ることをお祈りするお祭りで
全国の神社でこの日にお祭りが行われます。
現在は飽食の時代とも呼ばれ、当たり前のように食事を取ることができますが、これは近年の話です。
安定して食料を確保する為、様々なものがうくられましたが、農作物が実らず、食糧不足にあえぐ時代は長く続きました。
県内松前町に伝わる作兵衛の話は有名です。
享保17年(1732年)、西日本は深刻な天候不順に見まわれた。
伊予国でも5月からの長雨で洪水に襲われ、6月になるとウンカの大発生により米の収穫は皆無に近かった。
やがて餓死者が多数出はじめた。世にいう享保の大飢饉である。
作兵衛は衰弱するなかでも畑を耕そうとするが、遂に倒れてしまう。
倒れた作兵衛を家に運び込んだ村人らは、彼の枕元に麦俵があることに気づく。
「命には代えれないので、その麦種を食べてはどうか」と勧めたが、作兵衛は「農は国の基、種は農の本です。
一粒の種子が、来年には百粒にも千粒にもなります。
わずかの日に生きるためだけに食してしまって、どうして来年の種子ができるでしょうか。
自分の身を犠牲して多くの人の命を救うことができれば私は本望です」と述べ、
麦種を一粒も食することなく飢え死にしてしまった。
村人たちは、作兵衛の百姓としての心構えに心を打たれ、
作兵衛が残した麦種を一粒ずつ大切に蒔くことで次の年を乗り切ったという。
また、この話を聞きつけた松山藩は、年貢の軽減、免除の措置を施したという。
今一度食べ物に感謝して奉仕いたしました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます