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【明治150年】第2部 国境(上)強国ロシア相手に「優秀な罪人」榎本武揚を登用した日本の心意気

2018-04-03 | アイヌ民族関連
産経ニュース2018.4.3 05:00
 3月19日夕、安倍晋三首相は現地時間18日のロシア大統領選で再選したばかりのプーチン大統領と電話で会談した。祝辞もそこそこに両国に横たわる北方領土問題について持ち出した。
 「これまでの合意を一緒に進めていこう」
 2人は最近5年間で直接20回、会談している。互いを「ウラジーミル」「シンゾー」と呼ぶ仲だ。北方四島での共同経済活動を進める合意も交わした。圧倒的なリーダーシップを持つプーチン氏の再選は領土問題の進展には好材料に違いない。しかし具体的な解決のめどがあるわけでもない。
 電話会談は約20分間。プーチン氏は首相の言葉に同意はしたが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方四島を旧ソ連、ロシアが不法に占拠してから73年がたつ。いまだに名実ともに日本の領土となる見通しは立っていない。
 北方領土問題をさかのぼると、明治8年に日露間で締結した樺太・千島交換条約にたどり着く。千島列島はそれまで択捉島とその北東のウルップ島との間に国境があった。樺太(サハリン)はアイヌや日本人、ロシア人が居住し、どこの国にも属さない「雑居地」だった。
 海に囲まれた島国の日本で、国境という概念は近代の産物といえる。19世紀のドイツの法学者、ゲオルク・イェリネックは国家の三要素を「領土、国民、主権」と定義した。現在もその概念は浸透している。
 日本が領土を明確に意識したのは明治初期だ。近代国家を歩み始める上で、国境の問題は避けて通れない。当時の日本地図を見ると、現在の領土とほぼ変わらないが、北や南の国境は曖昧だった。
 英国に次ぐ強国・ロシアは日本への野心を隠そうとしていなかった。1860年に清から日本海に面した沿海州を割譲させ、東の海に出る不凍港としてウラジオストクを築いた。意味は「東方を支配せよ」。その「東方」に日本がある。
 交渉の末、千島列島は全て日本に、樺太はロシアとすることで合意した。前面に立ったのは駐露全権公使の榎本武揚(1836~1908年)だ。榎本は明治7年に交渉に出発する前、「維新の三傑」の一人、大久保利通らからこんな特命を受けていた。
 「樺太の雑居地を廃して国境を定め、樺太を放棄する場合は千島列島を日本に譲ること」
 かなりの難題である。樺太とほぼ同じ面積の北海道すら開拓の緒についたばかりの時代、さらに北の樺太の統治は発展途上だった日本の国力からして重荷だった。一方、雑居地とはいえ、日本人も住む樺太から撤退すれば「弱腰外交」との批判が噴出する懸念もあった。そもそもウルップ島以北の千島列島はロシア領だ。そこを新たに獲得する大胆な案をロシアが受け入れるあてもなかった。しかし特異な経験を持つ榎本は外交力に自信があった。
 明治7年11月、ロシアの首都サンクトペテルブルクで日本の北の国境を画定する交渉が始まった。駐露全権公使、榎本武揚に対しロシア側は案の定、樺太(サハリン)の全島所有を主張した。同時に「日本に代償を用意する」とも語った。榎本は機先を制した。
 「それはウルップ島と1、2の小島だろう。樺太と釣り合わない」
 膠着状態の中、榎本は次の手を打つ。択捉島の北東に位置するウルップ島などの譲渡を受け入れると同時に「樺太に見合うだけの軍艦」を求めた。東方進出や度重なる戦争で財政難のロシアに高価な軍艦を供与できる余地はなかった。ロシアは代案を考え始め、千島列島の譲歩のラインを北東に延ばしていった。完全に榎本のペースである。
 榎本はついに「樺太と千島列島の交換」のカードを切った。ロシアは拒んだが、悩んでいるようだった。榎本はこんな情報をつかんでいた。欧州で英国と対立するロシアの皇帝、アレクサンドル2世が「二正面作戦」を避けるため、日本との交渉を早期に決着させたがっている-。
 榎本は幕末に5年間、オランダに留学し、幕臣として日本に来たロシア人の相手もしていた。国際感覚と人脈を駆使し、相手がひるんだ隙を逃さなかった。8年5月7日、樺太・千島交換条約が締結された。
 国境に関する著作が多い東海大の山田吉彦教授は「当時は力で解決できない時代だった。力が弱い者が“交渉”することは非常に重要だった」と語る。欧州では戦争による国境画定が一般的な時代、日本は武力が乏しかった。外交で国難を克服した明治人の気概と行動力は実に痛快である。
 榎本は数奇な運命をたどった人物だ。江戸幕府海軍の指揮官として明治改元後も新政府に抵抗し、戊辰戦争の最終決戦、箱館(函館)戦争では新選組の土方歳三らと五稜郭に籠城。そして明治2年に降伏した。
 榎本の助命に奔走したのは、後に首相となる黒田清隆だ。箱館戦争で新政府軍の参謀だった黒田と榎本は文字通り対峙した。黒田は最後の総攻撃直前、劣勢の榎本に使いを出し、武器弾薬の提供を申し出た。当時の気風はそうだった。
 榎本は「ご好意に感謝する」と丁重に断った上で、ある書物を託した。オランダから持ち帰った国際法の教科書「海律全書」だ。
 「今後の日本に必ず役立つと思う。新政府でご活用願いたい。決戦の際に消失する恐れがあるので、ぜひ保存願いたい」
 黒田は感嘆し、武器の代わりに酒とつまみを届けた。内務卿の大久保利通らに榎本の釈放を嘆願し、頭を丸めアピールした。そして死罪確実といわれてから5年後。榎本は対露交渉で日本の代表となった。
 薩摩や長州出身者を中心とする新政府に外交経験者は少なく、国際感覚にたけた榎本の才能は貴重だった。とはいえ、近代国家を歩む上で最優先だった国境画定のために「優秀な罪人」を登用した明治政府の心意気は驚くべきことだ。
 明治維新は全てが変容したといっても過言ではない。混迷の時期の中、国境の画定は焦眉の急だった。
 明治初期のさまざまな記録を見ると、政府が極力武力に頼らず、国際的な理解を得ながら国境を画定しようとした痕跡が見える。
 山田教授は「岩倉具視の遣欧使節団の意味は大きい。欧米を回り自分たちに力がないことを改めて確認すると、交渉しようとなった。不平等条約と向き合い、主権ということに初めて目が向いた」と話す。
 新政府は明治4年、公家出身の岩倉を団長とする使節団を結成し、大久保や木戸孝允、伊藤博文ら中枢メンバーが加わった。想像しがたいことだが、政情不安のときに1年10カ月、要人中の要人が日本を留守にして米英独仏などを回った。
 産業技術や国民の暮らし、政治・社会制度を直接見た成果は絶大だった。随行員で帰国後に『米欧回覧実記』を刊行した久米邦武はこう回顧している。
 「英国は日本と同じ島国なのに大きな船を作り、近代化を進めて国力を広めている。この島国の根性をわれわれは見習わなければいけない」
 現在の日本も北方領土をはじめ、韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)、中国の脅威にさらされる尖閣諸島(沖縄県石垣市)と国境をめぐる懸案は絶えない。しかし、武力による解決は選択肢となり得ない。求められるのは外交力だ。時代や国際環境は大いに変化しても、明治人の精神に学ぶところは多い。
http://www.sankei.com/politics/news/180403/plt1804030002-n1.html

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サハリンと日本、その「連なり」を感じる旅

2018-04-03 | アイヌ民族関連
東洋経済2015年05月02日
奈良美智氏と石川直樹氏が見た「北方」
仲宇佐 ゆり : フリーライター
アーティストの奈良美智さんと探検家で写真家の石川直樹さんは、2014年に青森、北海道、サハリンを旅した。そのとき2人が撮った写真を中心に、地図、それぞれの蔵書、レコードなどを集めた展覧会が、外苑前のワタリウム美術館で5月24日まで開かれている。プレスビューとトークショーでの2人の話から、旅と展示作品の一部を紹介する。
なぜ彼らは北方へ?
ロシア領のサハリン島は、北海道のすぐ北にある大きな島だ。日露戦争から第二次世界大戦までは、日本がその南部を統治していた。北海道の最北端の都市である稚内から、サハリンのコルサコフという町までフェリーで5時間30分。4万円で往復できる外国だ。
そもそも、なぜこの2人が北方を旅することになったのだろう。
北海道にアイヌ語の地名が多いことは知られている。奈良美智さんは、自分が生まれ育った青森県にもアイヌ語の地名や言葉が残されていることに気がついた。例えば、アイヌ語で「川が2つに分かれているところ」を意味する「オコッペ」は、北海道では「興部」、青森県では「奥戸」という漢字を当てて地名になっている。
また、奈良さんは青森で猫のことを「チャペ」と呼んでいたが、アイヌ語辞典にも同じ言葉が載っている。これはアイヌの人が青森で覚えて使った言葉だという。
「江戸時代まではアイヌの人たちが青森県にも住んでいて、いろいろな痕跡が残っています。それを知って、青森のアイヌ語地名の土地を訪ねたいと思っていました。それとは別に、母方の祖父が樺太(現在のサハリン)とか千島列島で働いていたことを最近知り、ルーツをたどってみたくなったんです」(奈良さん)
そんなことをツイッターでつぶやいたら、編集者から「石川直樹さんと行ってみませんか」と言われた。石川さんは以前から北方の文化に関心を持ち、北海道やサハリンを訪ねていた。こうして、青森、北海道、サハリンと、3回にわたる2人旅が始まった。
おかっぱ頭の先住民の子ども
とくに鮮烈な印象を残すのがサハリンの写真だ。サハリンには、ニヴフ、ウイルタ、ナナイなどの先住民が暮らしている。
「ニヴフの子 おかっぱ 」は、ニヴフ族のトナカイ祭りで会った女の子だ。
「ノグリキという町から車で2時間ぐらいのところに広い草原があって、トナカイ祭りが開かれていました。トナカイが点々といて、その近くにテントを張っている人たち、野宿してここまで来たという人たちもいました。みんな本当に楽しそうでした。トナカイに感謝し、親しむ祭りなんだけど、食べるわけね」(石川さん)
ニヴフの人たちはトナカイを飼育し、食用にもするし、冬は凍った道でも動ける交通手段としても利用する。祭りでは、子供をトナカイに乗せたり、少女たちが歌や踊りを披露したり、トナカイのレースで転げ落ちる人がいたり。いちばん盛り上がったのは相撲大会だったそうだ。
見張り役はお昼寝中
トナカイはこんなふうに放牧される。見張り役は昼寝中のようだ。空が広い。
2人の意向で、会場の写真には、どちらが撮ったのか示されていない。
「どれが奈良さんで、どれが石川さんの写真なの?と、よくきかれますけど、そういう見方ではなくて、2人の視点の中に自分も入っているような見方で、全体を見てくれたらいいなと僕たちは思っています」(奈良さん)
2人の目を通して、北方の人々の暮らしや、あまり知られていないサハリンと日本の歴史が見えてくる。
王子製紙の工場跡に放牧
サハリンには日本統治時代の遺物があちこちに残されている。住宅、役所、鳥居、線路など、廃墟になっているものもあれば、使われているものもある。これはポロナイスクにある王子製紙の工場跡だ。牛が草を食み、崩れた建物の中では子供たちが遊んでいた。
「戦争のときは日本領だった南サハリンでも地上戦が行われて、たくさんの人が亡くなりました。僕が知っている話では、日本が降伏してから逃げた人は、ソ連の人が住めないように、自分の家に火をつけてから逃げろと言われたそうです。この廃墟は王子製紙の工場の跡で、ソ連に使われないように、機械を破壊して逃げた。戦争でボロボロになったんじゃなくて、そこで働いていた人が自ら壊し、住んでいた人が自分の家に火をつけた。それがすごく悲しかったという話が、本などを探すと見つかると思います」(奈良さん)
狩猟後の儀式
会場には2人旅の写真以外にも、石川さんがこれまでに北海道やサハリンを訪れて撮った写真が展示されている。石川さんは北方の人々の動物や自然に対する考え方に敬意を持ち、以前から旅をしていた。
この写真は、北海道の釧路の北の弟子屈(てしかが)で、アイヌの人たちが猟をしたときに撮影したもの。祭壇のようなものを立て、鹿を撃ってきてナイフで解体した。
「儀式を行ってから肉を分割するんだけど、最後に肉の端切れみたいなものを山に返すんです。そういう考え方は北の方の人たちと同じ。アラスカでも、秋にベリーをいっぱい摘む。だけど摘み切らないで少し残しておく。木の実を拾うけど、ちょっとだけリスの巣穴に入れていく。北方には自然と付き合ってきた人がいて、それと同じような考え方で目の前の世界と向き合っている人たちが僕は好きなんです」(石川さん)
探検家の靴と画家の靴
奈良さんは北への旅を通して、シャイで無口で助け合って生きる人々のメンタリティ、自然信仰などに、故郷の青森と共通するものを感じたという。北方に少しでも興味を持ってくれればと語る。
「僕たちにとって大切なのは、そこに行くこと。行って空気を感じること。調べることじゃなくて感じることじゃないかなと、改めて思った」(奈良さん)
一方、石川さんは、奈良さんと旅することで頭の中に別の回路が開き、一度行ったところが全然違って見えるのに驚いたという。そして、今回訪ねた土地が北との連なりの中にあることを明確に感じたそうだ。
「沖縄も東南アジアとのつながりが深いし、サハリン、北海道、青森も、日本の中央とのつながりというより、北とのつながりの中で考えたほうが腑に落ちることが多い。旅を通してニュースの感じ方、世界観も変わってきました」(石川さん)
画家と探検家の旅は、未知への扉を開いてくれる。会場には2人の過去がわかる写真や愛用品、ニヴフの女性による刺繍も展示されている。
「ここより北へ」石川直樹+奈良美智展
開催中~5月24日
ワタリウム美術館
東京都渋谷区神宮前3-7-6
TEL 03-3402-3001
11:00~19:00(水曜は21:00まで)
月曜休み(5月4日は開館)
大人1000円、学生(25歳以下)800円、小・中学生500円、70歳以上700円
https://toyokeizai.net/articles/-/67759

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おかえり、アイヌ民族の丸木舟

2018-04-03 | アイヌ民族関連
朝日新聞2018年4月2日09時17分

苫小牧駒大で10年保管→発見場所・厚真へ
 厚真町で発見された約500年前のアイヌ民族の丸木舟が、収蔵保管されていた苫小牧市の苫小牧駒沢大から約10年ぶりに帰って来た。ふるさとに帰還した丸木舟は、町の軽舞(かるまい)遺跡調査整理事務所で公開展示される。
丸木舟は全長約6・6メートル、幅約60センチ、高さ約25センチ。2007年5月、厚真町上野地区の厚真川河川敷で右舷側や船首の一部が欠けているだけのほぼ完全な形で見つかった。上流域の河川浸食で流出して流れ着いたものと見られた。
 アイヌ民族が製作し、河川や湖沼で使ったものと考えられたが、当時、町に保管する場所がなく、町は同大の環太平洋・アイヌ文化研究所に保存と収蔵を依頼。同研究所が保存処理を実施し、年代測定をした結果、約500年前で材はカツラと判明。木を掘りやすくするための焦げ跡や刃物の跡が残っていることもわかった。当時の丸木舟製法がわかる貴重な資料として、公開展示するとともに、学芸員資格を得る学生の教材などに活用されてきた。(深沢博)全文:793文字
https://www.asahi.com/articles/CMTW1804020100002.html

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鶴雅、阿寒湖畔に体験観光拠点「シリ」 10日開設、海外富裕層に照準

2018-04-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/03 05:00
 【阿寒湖温泉】道内ホテル大手の鶴雅リゾート(釧路市)は、欧米で人気の体験型観光アドベンチャーツーリズム(AT)の拠点「鶴雅アドベンチャーベース SIRI(シリ)」を10日、同市阿寒町阿寒湖温泉のホテル内に開設する。豊かな自然とアイヌ文化を活用し、海外の富裕層を呼び込むことを目指す。
 ATは「アクティビティー(遊び)」「自然」「異文化体験」のうち二つ以上で構成する旅行で、欧米では年間約50兆円の巨大市場を形成。北海道経済産業局は2017年度、鶴雅リゾートを核とする道東をモデルに道内初の「地域ATマーケティング戦略」を策定し、鶴雅はこれに基づき拠点づくりを具体化させた。
 拠点は、同社が運営する阿寒湖温泉の二つのホテルの連絡通路に開設する。「シリ」はアイヌ語で「大地」の意味。まずは経験豊富なガイドとともに雌阿寒岳登山や釣りなどを1日かけて体験するツアーを3万5千~7万円(2人分)で企画。今後はアイヌ文化体験も組み入れ、地元観光業者主催のツアーも紹介する。 残りあり
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/177241

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少年期過ごした天塩漫画に 「しらさぎ二郎」東京の加藤さん 人情や自然…家族3人で制作中

2018-04-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/03 05:00
【天塩】少年時代の4年間を天塩で過ごした東京都在住の加藤英二さん(71)=ペンネーム、しらさぎ二郎=が妻と娘の家族3人で、天塩とその周辺地域を舞台にした漫画「天塩ものがたり(仮題)」の制作に取り組んでいる。人々の温かさや自然の美しさを描くストーリーで、加藤さんは「多感な時期の大半を過ごし、思い入れのある天塩の良さを全国に知ってもらいたい」と情熱を注ぐ。
 加藤さんは根室市出身。父親の仕事で小学5年の11月から中学3年の12月まで天塩で過ごした。東京で働いていたが、現在は退職し、10年ほど前から東京の自宅で、家族3人で漫画制作を始めた。
 加藤さんは天塩中時代に生徒会長を務め、美術部に所属。「国内外いろいろなまちに住んだが、天塩が1番楽しくていい思い出ばかり」と振り返る。2年前、約20年ぶりに天塩を訪れ同級生と旧交を温めた際、かつて1万人いた人口が約3千人と激減したことに衝撃を受け、「もっと天塩の人と自然の良さを知ってもらい、特に若い人に行ってみたいと思わせたい」と、漫画制作を思い立った。
 ストーリーの大筋は、東京に住む若い3姉弟が「天塩のおじさん」の案内で天塩地方と関わり合いを深めていく内容。全5章を想定し、第1章はアトピーに悩む姉が、おじさんの勧めで豊富温泉に湯治に行く場面から始まる。アイヌ民族の歴史なども交える。第2章以降は、長男がカヌー、次男がバイク、健康食品の仕事に携わる父親がイタドリやシジミといった天塩の食材に関わっていく予定だ。構想では複数のテーマとそれぞれの登場人物のドラマが絡み合い、話が展開していく。
 漫画の一部は、「しらさぎ二郎」のブログで公開を始めている。ブログのアドレスはhttps://ameblo.jp/shirasagi2014/
全文:941文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/177174

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未来の担い手誓い堂々 道内入社式と辞令交付 北広島市長「ボールパークに誇りを」

2018-04-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/02 18:29 更新
 新年度を迎え、道内の各企業や官公庁は2日、入社式や辞令交付式を行った。プロ野球北海道日本ハムの新球場を核とするボールパーク(BP)構想の建設候補地に決まった北広島市では、上野正三市長が「BPは職員全員が関わらなければいけないビッグプロジェクトだ」と述べ、新入職員らの活躍に期待した。他のトップたちも経営難や人口減少などの課題解決に向け、新社会人に仕事への誇りと自覚を求めた。
 北広島市役所で行われた辞令交付式には、新卒19人を含む約70人が出席した。BPについて上野市長は「誇りを持って、完成に向け努力してほしい」と訓示。市は4月中にも、道路、上下水道、都市計画などの担当職員でつくる専門部署を設け、BPまでの交通アクセス改善などに取り組む。
 路線見直し問題や北海道新幹線札幌延伸を抱えるJR北海道は、同社社員研修センター(札幌市手稲区)で入社式を行い、新入社員314人を迎えた。島田修社長は、13年後の道新幹線札幌延伸やインバウンド(訪日外国人客)増加への対応などを念頭に「空港アクセス強化などに全力で取り組まないといけない。それを担うのは本日入社した皆さん。夢の実現に挑戦してもらいたい」と激励した。
 道は本年度、アイヌ政策を一括して担当する部長職の「アイヌ政策監」とアイヌ政策推進局を新設。高橋はるみ知事は道庁で、幹部職員約100人を前に訓示し、JR北海道の路線見直しや人口減少対策などに触れ「北海道が世界で注目を集め、飛躍をとげる鍵は地域にこそある。課題に正面から向き合い、着実に取り組みを進めていかなければならない」と強調した。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/177088

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ニタイトーの森 散策路整備へ

2018-04-03 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/02 16:00
釧路のイオル再生事業 6月着手
 アイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」の再生事業が6月、釧路市で始まる。本年度、目に見えて動きだすのは、阿寒湖温泉地区のニタイトーの森の散策路整備と、春採湖畔にある旧柏木小学校隣接地での有用植物栽培だ。イオル再生事業がどのように進んでいくか、計画の概要をまとめた。(椎名宏智)
春採湖畔で植物栽培も
 阿寒湖温泉地区にあるニタイトーの森は、アイヌ語の森(ニタイ)と湖(ト)が語源。現在休館中の「ニタイトー森と湖の芸術館」周辺の森を指す。前田一歩園財団の所有地で1万4700平方メートルある。このうちイオル再生事業対象地は1万870平方メートルだ。
 阿寒湖温泉地区のイオル再生事業は、ニタイトーの森のほか、環境省所管の国有地や緑町生活館も対象地となる。このうち、まずニタイトーの森の散策路整備が始まる。枯れ沢に木橋を架け、ササを刈る。来年度以降は草木に表示板を付け、アイヌ民族が何に用いたか分かるようにする。
 一方、春採湖周辺地区のイオル再生事業は、旧柏木小の西側隣接地、釧路市立博物館、春採生活館、トンボ池の4カ所が対象地。このうち旧柏木小隣接地は、アイヌ民族とゆかりの深い7種類前後の植物を育てる場所にする。
 育成するのはオオウバユリ、ニリンソウ、イラクサなど。本年度は、6月から土壌改良(栽培に適した土を運び込む)を進め、秋に種をまく予定だ。
 イオルの再生は、アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌)が対象自治体に委託して進める事業。釧路市は事業の一部を、釧路イオル共同体(釧路アイヌ協会と阿寒アイヌ協会で構成)に委託する。
釧路イオル共同体会長
床州生さんに聞く
 釧路イオル共同体会長の床州生(とこしゅうせい)さん(52)に、本年度始まるイオル再生事業について、構想などを聞いた。(聞き手・椎名宏智)
明治以前の森に戻す 伝統漁法の再生必須
 ――釧路市でもイオル再生事業が始まります。
 「釧根地区は山も湖も川も海もあり、アイヌの伝統的生活空間は多様で広い。アイヌの人口も多い。しかし、イオル再生事業の開始は遅れました。これは、釧路市に二つあるアイヌ協会の距離が遠いことなどが原因です」
 ――阿寒湖温泉地区はどのような構想ですか。
 「ニタイトーの森を明治以前の森に戻す考えです。ササの勢力が強いのでこれを刈り、植樹はせず再生を待ちます。芸術館の建物は、伝統的生活空間にはふさわしくないので、撤去を考えています」
 ――春採湖周辺地区はどう思い描いていますか。
 「春採湖周辺は、もともと生えていた自然素材(植物)を再生することから始めます。一方、この地区のアイヌは海が伝統的生活空間の一つです。イタオマチプ(板綴舟(いたつづりぶね))や伝統的漁法で魚を捕る『海のイオル』の再生が必須でしょう。捕った魚を伝統的手法で加工することも考えています」
 ――阿寒湖温泉は観光客が多い地区です。
 「阿寒湖温泉地区のイオル再生事業は観光がベースになります。アイヌ文化を知ってもらうため、まずは観光で楽しんでいただく。歴史は後で勉強してもらえれば良い。そう考えています。東京五輪がある2020年と、その前後が勝負の年です。オリンピック後も盛り上げていきたいです」
 ――情報発信力をどう身に付けますか。
 「30~40代が中心となり、古老への聞き取りを行います。アイヌを説明する時のスキルアップに役立てる考えです」
 ――イオルは市民が楽しめる場所になりますか。
 「市民のみなさんと一緒に活動し、一緒に楽しむ場にしたいと考えています」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/177110

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アイヌ民族の目線で見る知床の自然

2018-04-03 | アイヌ民族関連
ウオーカープラス2018/04/02 20:00

ガイド歴12年の早坂雅賀(まさよし)さん
多様な動植物が見られることからユネスコの自然遺産に登録された知床。その自然をアイヌ目線でガイドしてもらうと…? 自然と密接に結びついていたアイヌの暮らしが見えてきました。
アイヌ式の祈りを捧げツアー開始
参加したのは「アイヌ民族と歩く知床の自然」ツアー。ガイドしてくださるのはガイド歴12年の早坂雅賀(まさよし)さんです。アイヌ民族の血を引き、アイヌの文化を広く伝えるアイヌ・アート・プロジェクトのメンバーとしても活躍しています。待ち合わせ場所の知床自然センターにはアイヌの楽器、トンコリを片手に登場。あとで演奏が聞けるのかな? 楽しみです。
ツアーはフレぺの滝遊歩道を使った約2キロ、2時間のコースです。まずはツアーの無事を願いカムイ(神)に祈りを捧げます。
知床と言えばヒグマ。ツアー開始前に、クマに遭ってしまった場合の対処法もレクチャーされます。声を出さない、走って逃げない。そして「そーっと私の後ろに来てください。あとは私が話し合いで解決します」と早坂さん。
冗談かと思いきや、早坂さんは実際、至近距離でクマに出会ってしまった経験をお持ちでした汗。その時は目をそらさずにじーっとクマの目を見ていていたら、クマのほうから去っていったのだそう。まぁ話し合いというか、気迫勝ち?(クマスプレーももちろんお持ちです。ご安心を)。
カムイに祈りを捧げる早坂さんの後ろで、その話を思い出し「クマは見てみたいけれど、近距離はやめてください」とカムイにお祈り。ちなみに手をすり合わせ手のひらを見せるアイヌ式のお祈りのしぐさは「私は手に何も持っていません。あなた(カムイ)に対して何もするつもりはありません」ということを表すものだと教えていただきました。
役立つ部位、使い方をダイレクトに表すアイヌ語の植物名
いよいよツアー開始です。この辺りに生えている木は細いんですよ、と言われて見回すと確かに。「開拓のために一度伐採され、そのあと自然に生えてきたり植林されたいわゆる二次林だからなんです」。え、えーっ⁉ 知床って全部原生林じゃないの? しょっぱなから衝撃の事実。
その中に1本だけ太い木がありました。エゾヤマザクラです。原生林時代からのものとみられています。かつてはすぐ横に開拓者の家があり、花を愛でるためにその木だけ伐採されなかったのでは、と早坂さん。ちなみにエゾヤマザクラのアイヌ名はカリンパニ。巻き付ける木、という意味です。装飾品として利用されていました。
ちなみにアイヌ語で「花」は、直接的に役立つものでない限り、ノンノでひとくくり。まず自分たちの生活に利用できるか、が重要だったようです。
道を進むと表面の皮がところどころなくなっている木がありました。「何の跡かわかりますか?」。シカが食べた跡ですか?「シカが、“食べられるかどうか”を試した跡ですね」。この木はオオバボダイジュ。アイヌ名では「ただの内皮が採れる木」を意味する「ヤイニペシニ」と呼ばれます。
アイヌの織物、アットウシでは木の内皮が材料となりますが、ニペシニ=内皮が採れる木と呼ばれていたのがシナノキ。シカの冬の非常食にもなります。そのシナノキとオオバボダイジュの見た目がそっくり! そこで「材料となる内皮が採れる木」と区別するためオオバボダイジュは「(着物を作るのには適さない)ただの内皮が採れる木」と言われるように。残念ながらシカのエサにもなりません。この木を味見してみたシカたちもさぞやがっかりしたことでしょう。
アイヌの人々は毒を持つ植物も、分量を調整して薬として使っていました。「毒薬ではトリカブトが最強ですね。そこにあるイケマは根に毒がありますよ」。ほかの植物に巻き付くようにして伸びているガガイモ科の植物です。
「チセ(伝統的家屋)を建てる時、土地の魔よけに使いました。根の部分を口に含んでかみ砕き、魔よけの言葉を唱えながら吹き出しました」。毒を持って毒を制す、的な考えだったのでしょうか。ちなみに和名、アイヌ名が同じです。アイヌ語では「それ(神)の足」といったニュアンスの意味で、アイヌの人々にとって役に立つ部位を表しています。
さていよいよコースの折り返し地点でもある知床観光の代表的なスポット、フレぺの滝です。「フレぺ」は赤い水(川)の意味。「北海道」と命名した冒険家の松浦武四郎がこの地を訪れた時に、滝の水をすくってみたら赤かったから…という逸話が残っていますがさて。ともかく鉄分が多いのは確かなようで、滝のある側の崖は赤っぽくなっていました。
滝を見下ろす東屋には近くで見られる鳥の説明がありました。その中のひとつを指し、早坂さんが「ケイマフリはアイヌ語のケマフレです。意味はわかりますか? 今日出てきましたよ」と。むむ。「フレ」はフレぺの滝の「フレ」で意味は「赤」でしょ。で、ケマってなんだっけ? メモを慌ててめくると、あった! 根に毒があるイケマだ! つまり「ケマ=足」。とするとケマフレで…赤い足? 改めて説明版を見るとケイマフリは足が赤い鳥ではないか。おぉ! なんかちょっとアイヌ語がわかってきたかも? 
厳しい自然の中でたくましく生きる動物、植物の姿
木漏れ日の気持ちいい林を歩いていくと前方にやけに存在感のあるシラカバが。近寄ると切り株から5股にわかれて成長したものでした!
シラカバは生命力が強く、切ったあとから2股、3股に分かれて成長することはありますが、5股というのは珍しいそう。油分の多いシラカバは松明や、狩りに出かけた先で使う簡易的な調理器具や食器の材料になったり、樹液を取ったりとアイヌの人の暮らしには大事な存在でした。
コースも終盤。ふと見るとシカが1頭…いや2頭静かに草を食んでいます。横を人が通ろうが写真を撮ろうが知らん顔。「知床のシカは目の前で出産したりもしますよ。人のそばだとクマが出づらいことを知っているんです」。
アイヌ文化に浸るひとときも用意
ツアーの最後にトンコリを演奏していただきました。5本の弦が奏でる音は、アカゲラが木をつつく音になったり、岩の間を飛び跳ねる男の足音になったり。素朴ながらも多彩に表現されます。実は早坂さん、木彫家でもありトンコリも自作の物。トンコリが女性をかたどったものであること、そのため実のなる木で作られていること、中には通常魂代わりにガラス玉が入っていることなどを教えてくれました。
そんなこんなで2時間があっという間! フレぺの滝遊歩道はガイドなしでももちろん歩けますが、それだとただ滝を見に行く往復になってしまったんだろうなぁ。つくづくもったいないっ! アイヌの人目線で見ると、自然界がより彩をもって見えることを肌で感じました。ガイド期間は4月~10月末。季節によって生えている植物が異なるのでガイド内容も異なるとのこと。別の季節も来てみたいなー。
※文中のアイヌ関連の用語は、カタカナの大文字のみで表現しているため、実際の発音と異なることがあります。
アイヌ民族と歩く知床の自然 ■主催:NPO法人知床ナチュラリスト協会 ■住所:斜里郡斜里町ウトロ東284(集合場所はツアーによって異なる) ■電話:0152-22-5522 ■時間:9:00スタート。約2時間 ■実施日:木曜 ■催行:2名より ■料金:中学生以上4100円 小学生2100円 ■実施期間:4月~10月末
https://news.walkerplus.com/article/126505/

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阿寒湖で観光新会社、訪日客の集客狙う

2018-04-03 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2018/4/2 22:00
 北海道東部の観光地、阿寒湖温泉地区の地元企業を中心とした観光新会社が2日発足した。インバウンド(訪日外国人)の集客を狙って設立し、資本金は400万円。同地区の地域DMO(観光地経営組織)の登録を受けたNPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構(北海道釧路市)が設立の準備を進めていた。
 新会社は阿寒アドベンチャーツーリズム。同機構理事長で鶴雅ホールディングス(同)社長の大西雅之氏個人のほか、JTB、阿寒観光汽船、阿寒アイヌ工芸協同組合が均等出資した。社長は大西氏が務める。今後も参加企業を募ってさらに増資する方針で、運営基盤を強化していく。
 観光企画では体験型ツアーを通じ、アイヌ民族の伝統文化やマリモで有名な阿寒湖周辺の散策などに親しんでもらう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2888884002042018L41000/

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道の女性幹部比率7.5% 過去最高に

2018-04-03 | アイヌ民族関連
日本経済新聞2018/4/2 22:00
 北海道が発表した1日付人事によると、本庁課長級以上の女性幹部は2017年度比10人増の60人で過去最多になった。幹部職に占める女性割合も1.2ポイント増の7.5%で最高を更新。道は女性幹部職員の割合を19年度までに8%に引き上げる目標を掲げている。
 特別職人事では副知事の山谷吉宏氏が退任し、後任に阿部啓二経済部長が就いた。アイヌ民族関連の政策や観光振興を担う。JR北海道の路線見直しや空港民営化は窪田毅副知事が担当し、筆頭副知事になる辻泰弘氏はエネルギー対策や北方領土関連などを手掛ける。
 1日付の組織改正では20年に開設する「民族共生象徴空間」を見据え、環境生活部に部長級のアイヌ政策監を新設。JR北への対応強化のため、交通政策局に担当課長を配置する。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28888680S8A400C1L41000/

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