毎日新聞 4/21(土) 9:30配信
「コソボ」と聞くと日本人には激しい紛争を繰り返した地というイメージがある。いま現状はどうなっているのか。地域エコノミストの藻谷浩介氏が歩いた。【毎日新聞経済プレミア】
◇驚くほど栄えていた首都プリシュティナ
旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は「六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字を持つ、一つの国家」と称しながら1990年代初頭に解体した。だがセルビア南部コソボ地域に住むアルバニア人と、彼らが話すアルバニア語は、五つの民族にも四つの言語にもカウントされていなかった。1999年のコソボ紛争を経て、「コソボ」は2008年にセルビアからの独立を宣言したが、今はどうなっているのか? 行ってみなければわからない。
16時半にマケドニア共和国の首都スコピエを出たミニバスは、狭い2車線道を北上すること30分で、コソボとの国境に差し掛かった。通る人もなかったボスニアからモンテネグロへの国境とは違って、自家用車が列を作っている。バス優先車線もなく、乗客のパスポートチェック含め通過に30分少々の時間を要した。
そこからしばらく石灰岩質の崖がむき出しになった山地を走ると、コソボ盆地の田園地帯に出た。以降、首都プリシュティナまでの1時間ほどの間に、「予想に反して」というべきなのか、あるいは「薄々予感していた通り」と言うべきなのか、道路整備状況はみるみる良くなり、沿道の家はどんどん新しく立派になっていった。
19時前に、プリシュティナ市街の南西外れにあるバスターミナルに着く。明朝は6時半発のバスに乗るので、ホテルはターミナルの近隣にとっていた。どんな場末の宿かと思っていたが、とてもおしゃれな建築で、向かいのレストランの芝生の庭では、新興富裕層らしき人たちが派手に音楽をかけて野外パーティーをやっている。想定外の事象に会うのに慣れている筆者も、さすがに驚いてしまった。
◇クリントン通りとブッシュ通り
幸いまだ明るいので、都心がどんな感じなのか探索に出かける。モンテネグロ・ポドゴリツァやスコピエと同様に、プリシュティナにも市電はなく、市内バスの有無すらよくわからない。当時はスマホも持っておらず、見当をつけて歩いていく。
緩やかに傾斜した大きな街路を北東に上がる。外装に赤茶色のレンガを多用したおしゃれな建物が並び、見るからに貧しかったスコピエとは空気が違う。後々確認したら、ビル・クリントン大通りという名称だった。コソボ紛争時にNATO(北大西洋条約機構)の介入を主導してセルビアに手を引かせたのは、米国大統領2期目も終わりに近い彼だったのだ。
ひとしきり進むと、左方向に歩行者専用の商業街路が分かれていた。これまた後日調べると、ジョージ・ブッシュ通り。コソボ独立時の米国大統領だ。水と油のようなクリントンとブッシュが並んでいるところが当地らしい。奇麗な並木が続き、オープンカフェや広場、子供の遊べる噴水などがそこかしこに設けられ、驚くほどの人出がある。真新しい高級ホテルや銀行が並び、サラエボより平和で、ザグレブよりも金持ちそうで、ベオグラードよりも楽しそうだ。
もっと庶民的な空間を探して、その先の旧市街に足を踏み入れると、ようやく狭い街路や古びた建物が出てきた。しかし依然として人通りは多いし、子供の遊ぶ公園もあって、危なそうな暗がりはない。国民の9割以上がアルバニア人のムスリム国のはずなのだが、頭に何かかぶった女性は一人もおらず、総じて“小奇麗なイタリア”という感じだ。
◇コソボだけが「南スラブ人」ではない
ネットでコソボを検索すると、「北部にゲリラ活動がある」とか、「国外出稼ぎ者からの送金に頼る欧州最貧国」といった情報ばかりが出てくる。そもそも、セルビア、マケドニア、アルバニア、モンテネグロという小さくもややこしい国だけに囲まれた、人口180万人の新興独立国が、しかもセルビアとは断交状態で、経済好調になるわけがない。しかるにこの金回りの良さそうな雰囲気は一体何か。復興援助バブル以外にはありえないだろう。
旧ユーゴスラビアの六つの共和国の唯一の共通点は「南スラブ人の国」ということだったのだが、コソボに住むアルバニア人はスラブ人ではなく、イタリアのラテン人や、オーストリアのゲルマン人でもない。古代ローマ以前のバルカン半島の先住民族・イリュリア人の末裔(まつえい)であると言われ、その言語アルバニア語は、インド=アーリア語族ではあるが周囲から孤立している。コーカサスで紹介したアルメニア語と同じ立場だ。
彼らの顔つきはしかし、陽気なイタリア人そのもので、陰鬱なスラブ系セルビア人とはおよそソリが合いそうもない。しかもアルバニア人の多くの宗教はトルコ支配時代に改宗したイスラム教で(ボスニア同様見かけからはわからないが)、正教ではない。それが、トルコなど中近東などからの手厚い支援を呼んでいるのではないだろうか。
そんなことを考えながら旧市街地を歩いていたら、民家にセルビアの双頭の鷲(わし)の旗が掲げられていて、「セルビア系コソボ人の団体の本部」という表示があった。横に「コソボ政府によるセルビア系住民の弾圧に断固抗議する」と書いてある。コソボ紛争前には、当地の人口の6分の1はセルビア系だったのだが、その後20万人ものセルビア人が去った(追い払われた?)と言われる。残った7万人は国民の4%に過ぎない。
◇中世セルビア王国建国の地
このコソボ盆地は、中世セルビア王国建国の地であり、オスマントルコとの死闘・コソボの戦いの故地でもある。決死のセルビアはここでトルコ皇帝を死に至らしめたのだが、戦場で即位したその子供に敗北、以降500年間近くも支配されるに至った。日本を舞台に設定した架空の話になぞらえれば、「大坂夏の陣で、真田幸村が家康を倒すのに成功したにもかかわらず、秀忠が優秀で豊臣方を倒した」というような話である。
ちなみにその新帝は後に、中央アジアから遠征してきた英雄ティムールに敗れて捕虜となったのだが、その子供がさらにまた優秀で、帝国を復興したばかりか東ローマをも滅ぼした。
19世紀末、セルビアは執念の再独立を果たすが、発祥の地コソボは、トルコ施政下で移民してきたアルバニア人の土地になってしまっていた。これまた日本を舞台に設定した架空の話になぞらえれば、「元朝に征服された日本人がゲリラ戦を続け、500年後に再独立したが、その間に大和盆地は中国人移民の居住地になっており、“ヤマト国”と名乗って日本からの分離独立を宣言した」というような話である。誰がどう裁いても“妥当な結論”にならない、あまりにもつれた事態だ。
裏通りの庶民的なレストランでトルコ風挽(ひ)き肉料理をいただき、ユーロで代金を払う(当地はモンテネグロと同じく、経済通貨統合に参加しないままの「勝手ユーロ」国である)。21時過ぎに宿に歩いて戻って就寝。明日は早い。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180421-00000009-mai-bus_all