先住民族関連ニュース

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国公共事業費1.2%減 道内20年度、防災に重点

2020-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 05:00
 国土交通省は31日、2020年度予算に盛り込んだ公共事業費の配分を発表した。総額は8兆8609億円(事業費ベース)で、道内分は前年度比1・2%減の5996億7400万円。このうち開発局の直轄事業は3200億800万円、自治体への補助事業は2796億6600万円となった。相次ぐ自然災害を受けた防災・減災事業に重点を置いた。
 防災関連では、土砂災害などに備える河川の砂防事業で39カ所に計80億円を配分。このうち18年の胆振東部地震で土砂崩れが起きた日高幌内川など、胆振管内厚真町の厚真川水系3カ所で引き続き行う対策工事に22億円を計上した。
 道路では、20年度に函館空港インターチェンジ(IC)―函館IC間を全面開通させる函館新外環状道路の整備に80億円を確保した。新規事業として、斜面崩落や高波を受ける危険がある留萌管内小平町の国道232号(3・7キロ区間)の安全対策に着手し、調査費5千万円を充てる。
 24日開業を予定する胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」関連では、施設の維持・管理費として2億円を計上した。
 新千歳空港の整備費は106億円。冬季の安定運航に向けた誘導路の増設などを進める。
 北海道新幹線関連では、30年度末開業予定の新函館北斗―札幌間に930億円を配分。トンネルの掘削工事や用地買収を続ける。(山田崇史)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/408095


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「ロストカムイ」重厚に一新 阿寒湖アイヌシアターイコロ 1日から公演 力強さ、神秘性アップ

2020-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 05:00

リニューアルした「阿寒ユーカラ『ロストカムイ』」の一場面(茂忠信撮影)
【阿寒湖温泉】阿寒湖アイヌシアターイコロ(釧路市阿寒町阿寒湖温泉4)のコンピューターグラフィックス(CG)とアイヌ古式舞踊などを融合させた演目「阿寒ユーカラ『ロストカムイ』」の新バージョンが31日、お披露目され、市民らが神秘性と重厚感が増した舞台を楽しんだ。公演は1日から毎日行われる。
 昨年3月に始まったロストカムイは、アイヌ民族が狩猟の神「ホロケウカムイ」とあがめたエゾオオカミの絶滅を題材に、自然との共生のあり方を問う作品。
 新バージョンでは音楽や振り付けを見直し、作品の芸術性を高めた。オオカミ役のダンサーは女性から男性に交代し、力強さや神秘性を表現。音楽もムックリのほか、アフリカの打楽器「ジャンベ」などを使って重厚感を増した。
 制作には女優の夏木マリさん、夫でパーカッショニストの斉藤ノヴさんら著名なアーティストも参加。プライベートでロストカムイを鑑賞し、作品を磨き上げることにも協力を申し出たという夏木さんは迫力ある声でナレーションを担当し、観客をロストカムイの世界に引き込んだ。
 31日のプレ公演を鑑賞した市内の自営業松田美樹さん(58)は「以前よりもダイナミックさが出て、映像とのシンクロも素晴らしい」と話していた。
 イコロの舞台監督を務める阿寒アイヌ工芸協同組合の床州生理事は「しっかり新型コロナ対策をした上で、北海道が徐々に元気になっている、頑張っているということを見せたい」と力を込めた。
 公演は約40分。28日まで毎日午後9時開演、土日祝日は午後3時からも上演する。29日~10月31日は午後3時、同9時開演の2公演。同組合は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、劇場内の消毒や換気を行うほか、観客に間隔を開けて着席するよう呼びかけている。大人2200円、小学生600円。問い合わせはイコロ(電)0154・67・2727へ。(光嶋るい)
★「イコロ」「ホロケウカムイ」のロは小文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/407998

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アイヌ舞踊 再開へ新演目披露

2020-04-01 | アイヌ民族関連
NHK 04月01日 03時20分
新型コロナウイルスの影響で公演を取りやめていたアイヌの伝統舞踊などを鑑賞できる釧路市阿寒町の劇場が1日からの公演再開を前に、3月31日、新たな演目を地元の人などに披露しました。
「阿寒湖アイヌシアターイコロ」は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、3月1日から公演を休止にしていましたが、1日から再開することになりました。
31日は、伝統舞踊とデジタル技術を駆使した演目「ロストカムイ」の新たなバージョンが公開され、訪れた地元の人などが踊りと映像が融合した幻想的な雰囲気に見入っていました。
劇場では、スタッフが客に消毒を促すほか、間隔を1メートルほどあけて座るように呼びかけるなど感染防止対策を取っているということです。
公演を行う阿寒アイヌ工芸協同組合の西田正男代表理事は「感染が広がらないように十分な対策をしていきたい。来場した方にはアイヌ文化を直接肌で感じてほしい」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20200401/7000019689.html

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国土交通省人事(4月1日)=関係分

2020-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 05:00
▽北海道局参事官 谷村昌史
【開発局】     
鈴木武彦▽開発監理部アイヌ施策推進課象徴空間施設管理官(開発監理部アイヌ施策推進課開発専門官内閣事務官=内閣官房副長官補付併任)
土山雅浩▽開発監理部アイヌ施策推進課長補佐(開発監理部アイヌ施策推進課開発専門官)
北村さおり▽開発監理部アイヌ施策推進課開発専門官(帯広開建地域振興対策官)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/407950

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道人事(1日)【主幹級】

2020-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 00:05
【環境生活部】   
▽総務課課長補佐兼総務部人事局人事課主幹(環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹)
大宮久俊▽アイヌ政策推進局アイヌ政策課主幹(胆振総合振興局保健環境部環境生活課長)小島圭介▽道博物館学芸部学芸主幹兼道博物館アイヌ民族文化研究センター研究主幹(道博物館アイヌ民族文化研究センター研究主幹)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/407829

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道人事(4月1日)

2020-04-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/01 00:07
【総合政策部】   
西田潤▽国際局長(総合政策部地域創生局地域戦略課長兼総合政策部空港運営戦略推進室参事兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課地域戦略担当課長)
【環境生活部】   
成田正行▽アイヌ政策推進局長(環境生活部総務課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課調整担当課長)
小野寺誠司▽兼北海道博物館研究部長 北海道博物館学芸副館長兼北海道博物館アイヌ民族文化研究センター長兼北海道博物館学芸部長 小川正人
【保健福祉部】   
佐野秀樹▽心身障害者総合相談所副所長(総合政策部知事室広報広聴課広報担当課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課広報活動担当課長)
【上川総合振興局】 
田辺きよみ▽副局長=建設管理部担当(建設部建設政策局建設政策課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課周辺整備調整担当課長)信太一人
【転出・退職】   
(3月31日)
柴田千尋▽環境生活部アイヌ政策推進局長 
■課長級
【総合政策部】   
中尾敦▽知事室広報広聴課広報担当課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課広報活動担当課長(渡島総合振興局地域創生部長)
野村一久▽地域行政局行政連携課長(遠軽町副町長)厂原收▽地域創生局地域戦略課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課地域戦略担当課長(総合政策部政策局参事)
【環境生活部】   
▽総務課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課調整担当課長(環境生活部環境局生物多様性保全課長)
新井田順也▽アイヌ政策推進局アイヌ政策課長(国交省北海道局総務課専門官兼内閣府アイヌ総合政策室参事官補佐)
【経済部】     
佐々木敏▽兼総合政策部航空局航空課国際観光推進担当課長 経済部観光局参事兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課観光担当課長 
西岡孝一郎▽労働政策局産業人材課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課担い手育成担当課長(経済部観光局参事)
【建設部】     
工藤一浩▽建設政策局建設政策課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課周辺整備調整担当課長兼経済部観光局参事(渡島総合振興局函館建設管理部事業室長)
【転出・退職】   
廣畑真記子▽環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課長 丹羽浩二▽北海道博物館研究部長 
斉藤伸子▽経済部労働政策局人材育成課長兼環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課担い手育成担当課長
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/407889


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大ヒット漫画『ゴールデンカムイ』監修者が「アイヌ文化」を徹底解説 ゼロからわかる「カムイ」とは?

2020-04-01 | アイヌ民族関連
現代ビジネス-2020/04/01
そもそも「カムイ」とは何か?
2018年「手塚治虫文化賞」でマンガ大賞を獲得した、累計発行部数1200万部を超える大人気冒険活劇漫画「ゴールデンカムイ」。私はこの作品において、アイヌ語監修を務めています。
アイヌ文化を巧みに紹介していることで評判の「ゴールデンカムイ」ですが、そもそもこのタイトルにもなっている「カムイ」という言葉が何を指しているのか、よくわからないという方も多いのではないでしょうか。そこで、漫画の絵も引用しながら簡単に説明してみたいと思います。
カムイはアイヌの精神世界を知る上で不可欠の言葉で、これがわからないとアイヌ文化は何もわからないと言っても過言ではありません。よく「神」と訳されますが、「カミ」と「カムイ」はたしかにとてもよく似ています。カムイはもともと語源的にも日本語の「神」と同じ言葉だと思われますし、日々お祈りを捧げる存在だと言えば、カムイ=「神」、よしわかった、ということになりそうです。
しかし、ちょっと待ってください。アイヌの伝統的な考え方では、表を歩いている犬や猫、庭にやってくるスズメやカラスはみなカムイです。神様のお使いなどということではなくて、その一匹一匹がみんなカムイなのです。
そればかりではありません。道端に立っている木も、その下に生えている草も、その間を飛び回っている虫たちも、基本的にはみんなカムイです。それどころか、家や舟や、鍋や茶椀(ちゃわん)などの食器類――つまり人間の作ったものもカムイですし、ガスコンロの火もカムイです。
火がカムイというのは、火を司る神様がいて、それが人間に火をもたらしたという意味ではありません。そこで燃えている炎自体がカムイなのです。「ゴールデンカムイ」2巻12話では、アイヌの少女アシㇼパがこのことを主人公の杉元に説明しています。
カムイというのは、このように人間をとりまいているほぼすべてのものを指しています。こうした考え方を持っている人たちからすれば、テレビやパソコン、冷蔵庫や車などもカムイだということになるでしょう。こうなってくると、カムイを「神」と訳すのは、ちょっと待ったということになりそうですね。
「自然」と訳してもよさそうな気もしますが、家や舟、臼や杵、鍋や小刀といった人工物もまたカムイであり、人間のまわりにあって、人間が生きるために何らかの関わりを持っているすべてのものを指しますので、「自然」でもやはりぴったりきません。むしろ「環境」と言ってしまったほうがよさそうです。
アイヌとは「人間」を指す言葉ですが、アイヌの伝統的な考え方の根幹にあるのは、アイヌとカムイが良い関係を結ぶことによって、お互いに幸福な生活が保たれるということです。カムイを「環境」に置き換えると、「人間」が自分をとりまく「環境」と良い関係を保てれば世界がうまくいくということで、私たちにとっても大変納得のいく考え方ですね。
アイヌは世界を理解するのに、いわばあらゆるものを「擬人化」してきました。カムイは私たちの目からはクマやらカラスやら炎やらに見えていますが、それは彼らが人間の目に見えるようにまとっている「衣装」だと考えられています。
カムイたちは本来はカムイモシㇼ「カムイの世界」というところにおり、そこでは人間と同じ姿をして暮らしている、すなわち、クマもカラスも火も木も草も、みな人間の姿で食事をしたり結婚したり、彫刻したり裁縫したりして生活しているということになっています。
ただし、それは霊魂の状態であり、人間の目には見えません。彼らが人間と関わりを持つためにアイヌモシㇼ「人間の世界」にやってくる時には、人間の目に見えるように衣装を身につけてきます。
火のカムイであれば、六枚の赤い着物を帯で結び、さらに六枚の赤い着物を上に羽織ってやってきます。私たちの目に見えるのはその一二枚の赤い着物であり、それが炎だということになるのです。
彼らの身につけてくるものはまた、人間へのお土産でもあります。火は人間に光と熱をもたらしますし、クマのカムイは毛皮と肉を、樹木のカムイは樹皮や木材を、山菜のカムイたちはもちろん食糧や薬を人間たちにお土産として持ってきてくれます。
それらは人間が自分の手で作り出すことは不可能であり、カムイたちに持ってきてもらわなければ手に入りません。人間はそのお返しとして、カムイに感謝の言葉を述べ、お酒や米の団子といった、人間の手を経なければこの世に存在しないものを、カムイに贈り物として捧げるのです。
いわば人間とカムイ(=環境)はお互いがお互いを必要とするパートナーなのだということです。人間は何もない空間で生きることはできず、環境からの恩恵によって生きています。そしてそれを当たり前のものと思わず、その恩恵を感謝して受け取ることによって、環境を悪化させないように配慮することができるようになります。
たとえば、獲った獲物の肉を食べ残すようなことは、強くいましめられていました。それはカムイからもらったお土産を粗末にするということであり、それを知ったカムイに「そんなことをするのなら、もうあそこの家に土産を持っていくものか」と思われると、動物たちが姿を見せなくなり、飢饉(ききん)という最も恐ろしい災厄がもたらされるからです。だから、必要以上に動物を殺すことや、樹木や山菜を採りつくすようなことは、自然に控えられたわけです。
これは簡単に現代社会の抱えている問題に行きつきますね。過度の森林伐採によって土砂災害が起こったり、大量の食糧が食べ残されて捨てられている一方で、多くの人が飢えていたりする現実。これはアイヌ的な考え方から言ったら、カムイとの関係がうまくいっていないということに他なりません。
カント オㇿワ ヤク サㇰ ノ アランケㇷ゚ シネㇷ゚ カ イサㇺ
(天から役目なしに降ろされた物はひとつもない)
この言葉は、「ゴールデンカムイ」コミックスの表紙カバーの袖のところに毎巻書いてあるものです。アイヌ民族出身で初めて国会議員を務めた萱野茂(かやのしげる)さん(1926~2006年)の愛用していた言葉で、アイヌの世界観をよく表しています。
先ほど述べたようにカムイが霊魂の姿で暮らしているカムイモシㇼは、空を飛ぶ鳥や雷などのカムイでは天空にあり、魚やシャチなどの海に住むものでは水平線のかなたにあり、クマやキツネなどの山に暮らすものでは人間が足を踏み入れないような山奥にあると考えられています。
そして、「ゴールデンカムイ」の取材協力者であり、樺太アイヌのアイヌ文化研究者である北原モコットゥナㇱさんによると、山や海のカムイもそこからさらに天界に行くことになっているのだそうです。つまりすべてのカムイは、おおもとをたどればカント「天」からやってくるのだということです。
また、「役目なしに降ろされた物はない」というのは、カムイというものはすべて理由があってわざわざこの世界にやってきているのだという考え方です。そのひとつは先ほど述べたように、お互いが自分の持っているものを与えて、お返しに相手から自分では作れないものを手に入れるという、いわば「交易」のためということであり、もうひとつはカムイモシㇼから何らかの使命を帯びてやってくるということです。
たとえば火のカムイは人間に光と熱を与え、食材を人間が食べられるように調理してくれます。また家の真ん中にある囲炉裏(いろり)に座って、家の守り神とともにそれぞれの家を守っており、クマなどのカムイがその家を訪れた時(つまり獲物として狩られて、その頭が家の中に運び込まれた時)には、その家のホスト役として客のカムイの応対をして、話を交わします。
さらに人間がカムイたちに祈りを捧げる時には、その仲立ちをして、「これから人間がこれこれこういうお願いをするから聞いてやってくれ」というような、いわば根回しをしてくれます。そのようないろいろな役目を果たすために、火のカムイは、新しく家が建てられる時にカムイの世界からその家に招かれるのです。
あるいはシマフクロウという鳥は羽を広げると全長二メートルにもなる、日本最大のフクロウですが、コタンコㇿカムイ「村を守るカムイ」と呼ばれ、村に厄災が及ばないように監視する役目を負って、天界から村の近くの森に降り、その大きな目で夜中じゅう村を見守っているのだとされます。
このようにこの世界にやってきているすべてのものは、何かの理由があってそうしているのですから、むやみに邪魔者扱いしてはいけません。バッタのような日本社会では害虫と思われているものでも、実は村を見守るカムイであり、それをひとりの娘が杵(きね)でたたき潰そうとしたおかげで、バッタたちは怒ってよそへ移ってしまい、そのためにその村は人が絶えてしまったというような物語もあります。
カムイの中のカムイ――クマ
カムイと呼ばれるものは、このように数多くありますが、中でもカムイを代表する存在と言えば、やはりクマでしょう。クマはキムンカムイ「山のカムイ」と呼ばれますが、北海道のアイヌ語ではただカムイというだけでクマを指すこともよくあります。
このクマも、山奥のカムイモシㇼ「カムイの世界」で霊魂の状態で暮らしている時には、人間と同じ姿をしていますが、アイヌモシㇼ「人間の世界」に来る時には毛皮のコートを着、大量の肉を人間へのお土産として抱えてきます。そして、人間世界のイウォㇿと呼ばれるところにやってきます。
イウォㇿというのは普通「狩場」と訳されますが、アイヌの考え方に即して言えばカムイと人間が出会うところ――つまり、狩りをするところばかりでなく、川や海で魚を捕る場所もイウォㇿですし、山菜を採る場所もイウォㇿです。そこに人間もでかけて行って、カムイと交流するわけです。
実際には毛皮や肉を得るために、人間がクマを狩りに山に行くということなのですが、観念の世界においては、クマのほうから人間のところに遊びに来るのだと考えられていました。そこで人間は自分のところに来てくれるようにお祈りをして、招待状を出します。その招待状というのは人間の放つ矢のことです。
矢を受け取るかどうかはクマの気持ち次第。クマに気に入られた人間の矢は受け取ってもらえますが、気に入られなければ受け取ってもらえません。つまり、矢が当たるかどうかは、その人物がクマに気に入られているかどうかであり、人徳の問題だということになります。普段からカムイに敬虔(けいけん)な態度をとり、お祈りやお供物を欠かさないような人間のところに、獲物たちは客として訪れてくれると考えるわけです。
もちろん、矢を受け取ったら死んでしまうわけですが、それはクマの側からすれば、招待状を受け取って、肉と毛皮を土産として差し出したことを意味します。人間はそのお土産をいただき、そこから霊魂を迎えるために、解体を行います。毛皮に刃物を入れて剝(は)がすのは、いわば客のコートを脱がせている気持ち。そしてお土産の肉をいただいて、皮を畳んでその上に頭を載せて、村まで運んできます。
「ゴールデンカムイ」12巻113話ではそれを御輿(みこし)のようなものに載せて来る場面が描かれていますが、縄をかけてひとりで背中にかついでくることも多かったようです。
そして神窓という神聖な窓から家の中にその頭を入れ、準備ができるまで火のカムイとよもやま話をしてもらい、それから盛大な儀式が始まります。お酒や御馳走(ごちそう)を捧げて祈りの言葉を唱え、歌や踊りやユカㇻ「叙事詩」などを聞かせて歓待し、イナウと呼ばれるヤナギの木などで作った木幣などをお土産として持たせて、カムイモシㇼに送り返します。
クマのカムイのほうはそのお土産をもらい、人間から感謝の祈りを捧げてもらうことで、カムイモシㇼで良い暮らしができることになると考えられています。クマはそのために人間の世界にやってくるのであり、つまり、狩りというのは、人間の一方的な都合によるものではなく、ギブアンドテイク――お互いの利益になることだと考えていることになります。
なんと都合のよい考え方だと思われるかもしれませんが、それでは現代の日本社会に住む人々は、日々ウシやブタやニワトリを殺し、その肉を食べていることをどう思っているのでしょうか? 自分たちがそれらの動物をどうして殺してもよいことになっていると考えているのでしょうか? 
たいていの人は考えたこともないだろうと思います。自分たちの手で屠畜を行っていない――自分の食べているものが他者の命だと考える機会がないからです。
「ゴールデンカムイ」3巻24話に、大変印象的な場面があります。自分が手負いにさせたシカが必死に向かってくるのを、戦場で傷を負いながらも生き延びようとする自分の姿と重ね合わせてしまい、どうしても銃の引き金を引くことができなかった杉元に向かって、シカを仕留めたアシㇼパが解体しながら、腹の中に手を入れてみろと言います。
「鹿は死んで杉元を暖めた。鹿の体温がお前に移ってお前を生かす。私達や動物たちが肉を食べ、残りは木や草や大地の生命に置き換わる。鹿が生き抜いた価値は消えたりしない」
これは「新しい」時代のアイヌであるアシㇼパの言葉ですが、言わんとしていることは、アイヌの伝統的な考え方とつながっています。人間は他者の命によって生かされている。それを常に意識し、自分を生かしているものに感謝して生きなければならないということです。
狩猟民であったアイヌは、そのことを常に考えなくてはならず、それが動物たちを客として迎え、感謝して送り返すという世界観となっていったのだと思います。
カムイは現代社会でも生きる
よく、アイヌは「自然との共生」を目指してきた人たちだというような言い方がされますが、私はそれはどうかなあと思っています。だとしたら、自然を離れた都会のまっただ中ではアイヌの世界観が実現できないのでしょうか?
そんなことはありません。先ほど言ったように、テレビやパソコンだってカムイであるはずで、カムイとひとつの社会を築いていくというのがアイヌの考え方だったのですから、現代社会の中でそれが生かされないはずはありません。
あらゆる道具は、その道具の機嫌を損なわないように大事に使って、もう使えなくなったら感謝の気持ちを込めて、それをしかるべく処分する。食べ物の大部分は他の生物の命の賜物なので、その動物たち、さらには自分に代わってその動物たちを食べられる形にしてくれた人たちに感謝する。
食料品を無駄に買い込んで、冷蔵庫の中で腐らせたりしない。水を出しっぱなしにする、洗剤を大量に使う、油をそのまま流しに流す――こういった行為はみな、水のカムイを怒らせる行為なのでやめる。このように、私たちが日常生活の中で自然に行っていることは、人間とカムイとの共存ということからすべて導き出されます。
アイヌの伝統的な世界観は、すでに失われた過去の遺物ではありません。現代の生活の中で十分に生かされる――というより、現代人にとって、とても必要で重要な考え方なのです。
ここまで「カムイ」というキーワードについて簡単に説明をしてきましたが、より詳しい解説を読んでみたいという方、あるいはアイヌ文化についてもっと知りたいという方は、ぜひ拙著『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』(集英社新書)をお読みください。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71470

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自宅で簡単アイヌ料理を 北海道味の素、レシピ開発

2020-04-01 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2020/3/31 11:17
アイヌ民族の伝統料理の汁物「オハウ」を手軽に楽しんでもらおうと、北海道味の素(札幌市)が自社製品を使い、家庭向けにアレンジしたレシピをホームページに掲載している。アイヌ民族文化財団の協力を得て、牛肉やホッケなどを使った6品を公開した。
北海道味の素がホームページで公開したレシピで作った「サケのオハウ」=共同
北海道味の素は、北海道白老町で4月に開業するアイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を盛り上げようと、家庭用部の広田弘一専任課長ら3人を中心に、昨年6月からレシピを考え始めた。
オハウはアイヌ民族の食生活の中心的存在で、シカ、クマなどの動物や魚の肉と野草を鍋で煮込む汁料理。かつては塩と動物や魚の脂で味を調えていた。
公開したレシピでは同社の主力商品「ほんだし」を使い、調理時間は20分ほど。広田さんの一押しは「サケのオハウ」で、アイヌ民族が使ういぶしたサケの味に手軽に近づけられるよう、焼き目をつけて香ばしさが増すよう工夫した。
ウポポイの文化振興部長で、自身もアイヌ民族の野本正博さんは試食会に参加。「私にとっては母のオハウに勝るものはないが、レシピは一般の人が簡単に作れるよう考えられていて、食文化紹介にとても良い取り組みだ」と喜ぶ。
広田さんは「官公庁の食堂や給食に向けたレシピの提案や、他のアイヌ料理でも自社製品を使ったメニューの開発ができれば」と頭を絞っている。
URLはhttps://www.hokkaido.ajinomoto.co.jp/recipe/〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57436280R30C20A3CR0000/

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イザベラ・バード:鋭い観察力で日本の実相を記録した希代の旅行家

2020-04-01 | アイヌ民族関連
nippon.com3/31(火) 15:57配信
『日本奥地紀行』の著者として知られるイザベラ・バード。制約の多い中、彼女は日本滞在の7カ月で4500キロ以上を旅した。その目的は当時の日本を記録すること、そしてキリスト教普及の可能性を探ることであった。
英国公使が企画立案
イザベラ・バードは1831年、イングランド北部ヨークシャーのバラブリッジに牧師の2人娘の長女として生まれた。54年から亡くなる3年前の1901年まで海外の旅を重ね、その舞台は南米以外の全大陸に及んだ。期間の長さ、世界の広がり、そして、旅に基づく作品にとどまらない膨大な著作や講演活動を総合的に判断すれば、女性という枠をはめずとも旅行家の頂点に位置する一人と評価できる。1891年に王立地理学協会特別会員の栄に女性で初めて浴したのはその証しの一つである。希代の旅行家バードへと展開する基点が、78(明治11)年の日本の旅とその記録だった。
居住地エディンバラを78年4月1日にたち、大西洋・北米大陸・太平洋を越え、5月20日に横浜に着いたバードは、12月19日に香港に向け横浜から離日するまでの7カ月を日本に滞在した。目的は、旅を通して本当の日本を知り、記録に残すこと。この目的はキリスト教普及の意義を念頭に置き、その可能性を探ることと結びついていた。旅はハリー・パークスが英国公使としての立場から企画立案した。バードは彼の依頼に真摯(しんし)に応え、使命感を糧に完遂した。日本での旅の記録は、全2巻800ページを超える大著『日本の未踏の地:蝦夷の先住民と日光東照宮・伊勢神宮訪問を含む内地旅行の報告』(※1)としてまとめられた。同書はこれまで言われていたような旅先から妹へ送った私信を集めたものでなく、半ば公的な報告書だった。
(※1) Isabella L. Bird. Unbeaten Tracks in Japan: An Account of Travels in the Interior Including Visits to the Aborigines of Yezo and the Shrines of Nikko and Ise. London, 1880.
全行程4500キロを超える厳しい旅
日本在住の民間外国人も外国人旅行者も、自由に移動できる範囲を、横浜・神戸・長崎・函館・新潟という五つの開港場と東京・大阪という二つの開市場(かいしじょう)から半径10里(約40キロメートル)以内に局限されていた時代だった。「内地」と言われたこの外国人遊歩区域よりも奥を旅するには「外国人内地旅行免状」が不可欠だったのに加え、さまざまな制約もあった。そのような時代にバードはアイヌの一拠点集落・平取をめざして北海道へ、そして関西・伊勢神宮へと旅した。
距離は、北海道の旅が、東京から平取まで陸路で約1400キロ、函館―横浜間が海路だった復路を含めると約2750キロ。関西・伊勢神宮の旅は、陸路が約580キロで、横浜―神戸間の船旅を含めると約1850キロとなる。二つの旅を合わせると全行程で4500キロを優に超えていた。パークスの尽力で地域的・時間的制約のない特別の内地旅行免状を取得して初めて成し得た旅だった。
その上、厳しさが今日とはまったく違う。鉄道を利用できたのは横浜―新橋間と神戸―京都間のみ。馬で大地を駆けたのも北海道の一部のみ。人力車はまだしも、馬子が引く駄馬や牛の背に乗ったり、ぬかるみの道を歩いたりしなければならなかった。増水した米代川の濁流を小舟でさかのぼった際には命を落とす危険さえあった。この年の梅雨は例年にもまして多雨と長雨がひどかった。北海道への旅は、旅の達人バードが「Ito」こと伊藤鶴吉を従者兼通訳として同行し、彼が責務に燃えてその務めを果たしたからこそ完遂できた。伊藤を雇うことは実は面接前から決まっていた。伊藤には英語能力のほか、英国人のプラントハンター、チャールズ・マリーズの植物採集に従事した経験があったからである。旅行免状の申請に当たってパークスは「植物調査」を加えていた。
用意周到に計画された旅行ルート
開港場で活動していた宣教師や著名人シーボルトの次男フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト、ヘボン式ローマ字の考案者として知られるジェームス・カーティス・ヘボン、アーネスト・サトウらの公使館員・領事といった在日欧米人はもちろん、外務省や開拓使、内務省など日本側の支援もあった。これらもすべてパークスの依頼に由来した。日本側の支援は府県以下の役人や医師・教師、宿の主人や子供にまで及んでいた。夏の最中に冬の遊びを見せてもらい、葬儀や結婚式にまで参列できたのはこのような協力があったからだった。さらに、アイヌの文化と社会の把握、そしてその記述を旅の一大目的にしていた彼女にとって、平村ペンリウク(アイヌの指導者の一人)以下、平取のアイヌの人々の協力も不可欠だった。これもパークスが開拓使を介して手配した。本州北部の旅先で、人々がバードに強い関心を抱き、一目見たいと障子に穴を開けなどしたのは、彼女が立派な女性だと伊藤が吹聴していたからでもあった。
彼女の旅は時に地元紙にも紹介され、視察の旅であることが読者に伝えられていた。また、旅は行き当たりばったりのものではなく、用意周到に準備・計画され、ルートは目的に従い事前に設定されていた。例えば、日光から会津を抜け、津川から阿賀野川を舟で下って日本海側の新潟に出たのは、開港場であるが故にそこに宣教師がおり、その活動を学び知り新潟のさまざまな実相を明らかにするためだった。旅で用いたブラントン日本図(※2)もパークスの命によって彼女のために作成されたものだった。
(※2) 明治政府に灯台建設技術者として雇われた英国人リチャード・ブラントンが伊能図などを基に編纂した日本地図
キリスト教伝道に結びつく場所を重視
日本の旅の最重要拠点は、滞在日数が都合50日にも及んだ英国公使館である。東京滞在も日本の旅の一部だったが、滞在日数の上位8位の五つまでが宣教師館や同志社女学校などキリスト教伝道に結びつく場所、しかも英国教会伝道協会だけでなくアメリカン・ボード(北米最初の伝道組織)の拠点(京都・神戸・大阪)だった事実も重要である(バードは来日前に同ボードの要人に依頼していた)。このような事実は、キリスト教受容の意義の主張で2巻本を締めくくっていることと見事に符合する。北海道の旅の目的地を平取に定め、滞在期間は第7位(大阪と同じ)ながら、その長ペンリウク宅で3泊4日、アイヌのすべてを学び知ろうと全力を注ぎ、信じがたいほど濃密な記録を書き残したのも、実はアイヌへのキリスト教伝道とも結びついていた。
ただ忘れてならないのは、彼女がこのようなことを頭の片隅に置きながらも、旅で目にするもの、出会う人のすべてに関心をもち、率直な思いを吐露しつつ鮮やかに描き出していったことである。少女時代から培われてきたこうした鋭い観察力を駆使して、彼女は旅の一瞬一瞬を記録した。これこそは彼女の旅行作家としての優れた資質だった。
誤解の原因は簡略本
このように詳述された日本の旅の記録『Unbeaten Tracks in Japan』の実相は、実は世界の読者の知るところではなかった。「好奇心旺盛な中年の英国女性が行った北海道への個人的な旅行記」であり、「母国の妹らに書き送った手紙を基にした本」という誤った解釈が、欧米のほとんどのバード研究者の間でさえ一般的だった。なぜか。理由は出版社主ジョン・マレー3世の要望によって、大評判を得たこの大著2巻本の分量を半分にし、かつ、女性らしい小ぶりな「旅と冒険の物語」に改変した簡略本が2巻本刊行の5年後に同じ表紙で出版されたからである。2巻本にとって代わり、1972年に始まる復刻本がほとんど(近年まではすべて)この簡略本を底本としたため、あたかも簡略本が本来の旅の記録であるかのような誤解を生んだのである。
同様に日本では、やはり簡略本を底本とする高梨健吉訳『日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫、1978年)が、当時の旅行ブームに乗ってよく売れ、2000年には安価な文庫本にもなって読み継がれてきている。また、同書を基にして優れた民俗学者・宮本常一がバードの日本の旅を読み解く解説書も出版された。だが、高梨氏は2巻本の存在を知ってはいたものの、バードの人生哲学や旅の歴程、彼女が担った旅の特質について無理解だった。
加えて後には、高梨訳が100%正しいことを大前提として省略部分を訳出した訳本や、2巻本を底本とするもののその旅が個人的なものであり、妹へ書き送った手紙をまとめたものだとして「ですます」調で訳し、看過できない誤訳・不適切訳の目立つ訳書が普及した。そのため日本では、バードの知名度が母国英国より高いにもかかわらず、訳本に由来する独自の問題が加わり、旅とその記録の実相がミスリードされてきた。
こうした日本での誤解を解くために、筆者は2巻本原著の忠実な翻訳に取り組むことした。その成果が、膨大な訳注を施すことによって旅と旅行記の実相に迫った、全4巻の『完訳 日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫、2012ー13年)である。また2巻本の完訳を踏まえ、簡略本を翻訳した『新訳 日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫、2013年)と、バードの旅の真相を描いた『イザベラ・バードと日本旅』(平凡社、2014年)も上梓(じょうし)した。こうした書籍により、バードへの誤解が解けてくれることを願ってやまない。
【Profile】
金坂 清則 KANASAKA Kiyonori
地理学者。京都大学名誉教授。1947年富山県生まれ。専門は人文地理学、イザベラ・バード論。大阪大学教授、京都大学教授を歴任。イザベラ・バードに関する研究・写真展などが評価され王立地理学協会特別会員となり、日英協会賞を受賞。著書に『イザベラ・バードと日本の旅』(平凡社、2014年)、『ツイン・タイム・トラベル:イザベラ・バードの旅の世界』(同)など。訳書に『完訳 日本奥地紀行』(平凡社、2012ー13年)、『新訳 日本奥地紀行』(同、2013年)など。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200331-00010003-nipponcom-cul

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JR北、GWも特急減便 新型コロナ感染拡大で利用者減

2020-04-01 | アイヌ民族関連
産経新聞 3/31(火) 21:03配信
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、JR北海道は31日、当初は4月23日までとしていた在来線特急の減便について、5月6日まで継続すると発表した。記者会見を行った島田修社長は「インバウンド(訪日旅行)の回復は、ゴールデンウイーク期間中は期待できない。その分、輸送力を調整しても問題ない」などと説明した。
 ただ、国立アイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(北海道白老町)の開業予定日の4月24日に合わせ、最寄り駅に停車する特急2本は再開する。
 24日以降も減便を継続するのは、札幌-旭川10本▽札幌-室蘭4本▽札幌-函館4本▽札幌-帯広4本。
 不採算路線見直しで5月7日に北海道医療大学-新十津川(47・6キロ)を廃止する札沼線ついては、GW期間の混雑を抑制するため、石狩当別-新十津川の指定席化を検討する。
 昨年3月31日に運行を終えたJR石勝線夕張支線の「ラストラン」に多くの鉄道愛好家が集まったことから、島田社長は「クラスター(感染者の集団)をつくるきっかけになってはいけない。決まれば早い時期に知らせたい」と述べた。
 また、感染拡大の影響による減収見込みについては、「収入が半分になっている状況が4、5、6月も続くという粗い推測値」と断った上で、今年度分も含め6月までに約130億円に上るとの見通しを明らかにした。
 3月の利用者数が北海道新幹線と在来線特急で約7割減、新千歳空港と札幌を結ぶ快速「エアポート」も約5割減となっており、「(2月28日に)緊急事態宣言が道知事より出されたあたりから様相が一変した。収入が半分になっている状況は、そのまま続いている」とした。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200331-00000617-san-hok

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