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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

SDGs 高校生、海外と意見交換 北海学園札幌高

2021-08-07 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/06 23:10
 国連の提唱する「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成に向けた取り組みを英語で学ぶ「グローバルサマーキャンプ」が5、6の両日、北海学園札幌高で行われた。参加した高校生が、SDGsの視点からアイヌ民族やまちづくりなどについて学び、ニュージーランドや台湾の高校生とオンラインで意見交換した。
 同校は、グローバル人材を育てる文部科学省の事業で、道内唯一の拠点校。キャンプには、道内の連携校の高校生も参加した。
 6日は、事業に協力する北大大学院の留学生と、高校生ら95人が「タグラグビー」を体験。タックルせず、腰のタグを取りあうため、体の接触が少なく、性別に関係なくプレーできることから「ジェンダー平等」を掲げるSDGsと親和性が高い。ラグビーのクラブチーム「北海道バーバリアンズ」のコーチや選手が、技術やルールを教えた。
 同校2年の和島実依花さんは「全員が一緒に楽しめるのがいい。SDGsをより深く知ることができた」と話した。(光嶋るい)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/575836

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世界へ発信 五輪マラソン・競歩会場でアイヌ伝統舞踊を披露

2021-08-07 | アイヌ民族関連
STV  8/6(金) 9:48
アイヌ文化を世界に知ってもらおうと、およそ80人によるアイヌ民族の伝統舞踊が、東京オリンピックのマラソン・競歩が開催される札幌市で披露されました。
マラソン・競歩の発着地点となっている札幌・大通公園に設けられた特設ステージでは、アイヌ文化への理解を深めてもらおうと競歩の開始に先立ってアイヌ舞踊が披露されました。子どもを含むおよそ80人による歌と踊りには「ともに尊重し合い、優しく穏やかな世界へ」というメッセージが込められています。アイヌ舞踊は男女のマラソン競技の前にも披露される予定で、白老町の民族共生象徴空間「ウポポイ」のホームページでもライブ配信されます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8629e67a7864a56ca7ee25ec2d25e97173f5c2de

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映像・音響・照明を含めた全体演出に加え、全体運営及びオペレーションを実施

2021-08-07 | アイヌ民族関連
2021年9月18日(土)
PRTIMES2021年8月6日 17時30分
株式会社プリズム(本社:北海道札幌市/代表取締役:新谷暢之、以下プリズム)は、日本博特別企画「アイヌ文化フェスティバル」(主催:(公財)アイヌ民族文化財団と文化庁・(独立)日本芸術文化振興会)において映像・音響・照明を含めた全体演出に加え、全体運営及びオペレーションを実施させていただきます。

民族伝統をベースに、多彩な表現で現代の心を描く劇団、「わらび座」によるミュージカル公演や、「(一社)法人札幌大学ウレシパクラブ」による「アイヌ語ラジオ体操」、『チームパラル』によるアイヌ伝統舞踊公演『ヘチラㇱパ』、「OKI+Marewrew」による音楽公演などアイヌ文化に触れられる1日となっています。
日本博とは
縄文時代から現代まで続く「日本の美」を国内外へ発信し、次世代に伝えることで、更なる未来の創生を目指して、全国各地で様々なプログラムを展開しています。
概要
日本博特別企画「アイヌ文化フェスティバル」
日時:21年9月18日(土)14:00〜17:10(開場13:00)
場所:札幌文化芸術村 hitaru(札幌市中央区北1条西1丁目)
入場無料
※事前申し込みが必要です。(先着順)
お申込締切:8月16日(月)必着
申込者の氏名・住所・電話番号、同行者の氏名・住所・電話番号を明記の上Eメール、ハガキ、FAXでお申し込みください。
同行者含め1口2名様までご応募いただけます。
3名以上の人数を希望される場合は、複数口ご応募ください。
車椅子でのご来場の方は、お申込み時にその旨をご明記ください。事務局よりご連絡させていただきます。
事務局にて受付完了後、9月10日(金)までに入場整理券を郵送いたします。
メール:ainufes@tcp-sapporo.co.jp
ハガキの宛先:〒064-8772 日本博特別企画「アイヌ文化フェスティバル」事務局
FAX番号:011-622-5029
※本公演の開催に関しまして
新型コロナウィルスの感染拡大状況により、政府や自治体等の発表を踏まえ座席数を制限する可能性がございます。
ご来場の皆様のご連絡先は、保健所などへ提出する場合がございますのでご了承ください。
出演:
◎ミュージカル公演「松浦武四郎〜カイ・大地との約束〜」劇団わらび座
◎「アイヌ語ラジオ体操」一般社団法人札幌大学ウレシパクラブ
◎アイヌ伝統舞踊公演「ヘチラシパ」チームパラル
◎音楽公演「OKI+Marewrew」
公式Facebook:https://www.facebook.com/AinuFestival/
公式Instagram:https://www.instagram.com/ainufes/
プリズムについて
「表現の無限の可能性を追求する企業」として、イベント、コンサート、舞台、常設展示などへの映像・音響・照明・舞台制作の企画、設計、制作、施工、オペレーション、運営管理などをワンストップ対応することで「人々へ生きる感動と歓びを提供し続ける提案型エンターテイメントビジネス」を続けています。
社名:株式会社プリズム
所在地:〒060-0806 北海道札幌市北区北 6 条西 1-3-8 38 山京ビル 9F(本社)
〒108-0075 東京都港区港南 3-5-12(東京支社)
設⽴:1987年2月10日
URL:https://www.eizou.com
Facebook: https://www.facebook.com/Prism.eizou
Instagram: https://www.instagram.com/prism.eizou/
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000008.000067049.html

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世界に共生社会を発信 札幌・五輪会場でアイヌ舞踊

2021-08-07 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞 2021/08/06 12:05
多文化共生の思いを伝えたメンバー。帯広から参加した酒井真理さん(中央)も「サブリーダー」として活躍した
 【札幌】東京五輪の競歩とマラソンの会場になっている札幌の大通公園で5日、大会公認プログラムのアイヌ舞踊パフォーマンス「ウポポ ヤン リムセ ヤン」(唄いましょう、踊りましょう)が行われた。帯広カムイトウウポポ保存会のメンバーなど道内から集まった76人が踊りや歌を通して、世界に多文化共生社会を発信した。
 競歩男子20キロの開始1時間前に行い、約40分間にわたって道内各地に伝わる歌や踊り計15演目を披露した。帯広に伝わる「サルキウシナイ」(風景、情景の踊り)と「エリリムセ」(農耕、豊年祈願の踊り)、幕別の「イフンケ」(子守歌)も盛り込まれた。
 総監督を務めたのは帯広カムイトウウポポ保存会の創設者の一人、加藤ナミエさんの孫・秋辺デボさん(釧路市阿寒町)。秋辺さんは「全ての人、山、獣、空気に感謝し、世界中の人の心がつながり平和を目指すというオリンピック憲章と一緒の根っこでつながっているのだという思いで舞台を務める」と語った。
 無観客となったが踊りは国内外に中継。帯広の酒井学さん(44)、真理さん(40)夫婦も「サブリーダー」を務めた。学さんは「魂の入ったパフォーマンスができた。地域の垣根を越えて一体感が生まれ、体の内側から踊れた」と達成感をにじませた。
 同パフォーマンスは8日まで、競歩とマラソンが行われる1時間前(一部除く)に行われ、延べ約250人が出演する。7日は午前6時、8日は午前6時から。ユーチューブチャンネル「ウポポイ民族共生象徴空間」でライブ配信される。(松田亜弓)
https://kachimai.jp/article/index.php?no=539244

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<ペット考現学>(14)セキセイインコの名前/実は和名 羽毛の色由来

2021-08-07 | 先住民族関連
河北新報 2021年08月06日 14:05

 インコといえば「セキセイインコ」が真っ先に思い浮かぶほど日本ではなじみのある人気種ですが、「セキセイインコ」はカタカナで表記されることがほとんどです。ですが、カタカナで表記されるこの呼び名が、実は和名であることを知っている方は少ないのではないでしょうか。セキセイインコの「セキセイ」とはいったい何を指す言葉なのか。今回はセキセイインコの和名と、英名について紹介していきます。
 セキセイインコの和名は漢字で表記すると「背黄青鸚哥(せきせいいんこ)」です。そしてこのインコの前に書いてあるセキセイは、羽毛の色を表しています。日本に最初に持ち込まれたセキセイインコの羽色が黄色と青色だったため「背黄青鸚哥」となったといわれるのが最も有力な説です。今ではさまざまなカラーパターンや羽毛のバリエーションが存在し、見た目でも楽しむことのできるセキセイインコですが、日本に持ち込まれたときは原種とされる限られた色のみだったことがこの呼び名から予想できます。ちなみに、中国語圏の方には漢字で背黄青鸚哥と書けば通じますので、お友達にいらっしゃれば試してみてください。
 さて、和名についてはご理解いただけたと思いますが、一方の英名、これに関してはほとんど聞いたことがないと思います。英名では「budgerigar」と書き、「バジャリガー」と発音します。セキセイインコの原産国であるオーストラリアの先住民アボリジニの言葉が語源とされており、一般的にその意味は「黄色い頭」「小さな頭」だとされています。他にも「おいしいもの」という意味があるとも言われています。先住民族が食料として鳥類を捕らえて食べていたとしても、それは自然なこと。そこから転じて名付けられたとしても納得できますね。
 現在でもオーストラリア内陸部の乾燥地帯には野生のセキセイインコが生息しています。おびただしい数のセキセイインコが一斉に飛び立つと、まるで大粒の雨がアスファルトを打ち付けるかのような羽音が轟(とどろ)くそうです。生き物好きとしては機会があればぜひ一度生で見てみたい光景です。
(仙台総合ペット専門学校 教務課長)
https://kahoku.news/articles/20210806khn000032.html

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あのノグチの庭でクリスチャン・ボルタンスキーを体験する|吉田実香のNY通信

2021-08-07 | 先住民族関連
カーサブルータス August 6, 2021
去る7月14日、突如この世を去ったクリスチャン・ボルタンスキー。この夏、〈イサム・ノグチ美術館〉の彫刻庭園で公開中の《アニミタス》に多くの人々が足を運んでいるさなかの予期せぬ訃報だった。はからずも遺作となったインスタレーション《アニミタス》とは、一体どういう作品なのだろうか。

《アニミタス》のインスタレーション。〈ノグチ美術館〉のガーデンにて。
〈ノグチ美術館〉の彫刻庭園は、NY屈指の「外界から遮られたアウトドア空間」だ。イサム・ノグチが選んだ日本やアメリカの樹木と草花、そして彫刻作品が絶妙に配置されており、季節ごとに移り変わる表情が楽しめる。この小さなガーデンで過ごすひとときは地元民にとって心の拠りどころであり、また旅行者の記憶にはNY訪問の「静謐な」ハイライトとして刻まれるのである。
●《アニミタス》がノグチの庭へ。
この夏、ノグチの庭に足を踏み入れると、なんと風鈴の音色が迎えてくれる。クリスチャン・ボルタンスキーによる作品《アニミタス》のインスタレーションだ。庭のいたるところに浮かんでいるのは、スチール製の細いさおに吊り下げられた真鍮の鈴。微風を受けては1つ2つチリリとかすかな音を立て、強い風が煽っては180個の鈴をいっせいに高くかき鳴らす。鈴にはそれぞれ透明な短冊が下がっており、太陽を受けてキラキラと輝いたり、地面に光を反射させたり。ベンチに座りながらランダムな動きを目で追っているうち、いつのまにか時間が過ぎていることに気づく。いつもは穏やかなノグチの庭に、小さな生き物たちがやってきたかのようだ。
フランスを代表する現代アーティスト、ボルタンスキーが《アニミタス》シリーズを最初に制作したのは2014年、舞台はチリのアタカマ砂漠。アニミタスとはチリの先住民族の言葉で、死者の鎮魂を祈るため路傍にしつらえた小さな祠を指す。標高5,000メートルの場所に天体観測のアルマ望遠鏡があるような高地、アタカマ砂漠に設置した風鈴の数は800個。ボルタンスキーが生まれた日の星座を模したレイアウトに並べたという。アタカマ砂漠の後には、カナダのオルレアン島やイスラエルの死海といった場所で同シリーズを制作した。作品はそのまま朽ちて忘れ去られるものとされ、映像だけが残る。一方でスコットランド・エジンバラ郊外の〈ジュピター・アートランド〉、そして瀬戸内の豊島で手がけたものはパーマネント作品として永続的に維持されている。
豊島の《アニミタス》(ささやきの森)を体験した人は、〈ノグチ美術館〉で驚くことだろう。庭から続く建物に入ると、すぐ右手に現れるエリア4のギャラリーで上映している映像は、まさにその豊島の《アニミタス》(ささやきの森)なのだ。先ほど庭で目にしていたのと同じ鈴が鳴り、短冊が風に舞っていながら、光の色、そしてカラスやツクツクボウシの鳴き声が蒸し暑い日本の夏を身体に呼び覚ます。今までいた外界のNYの環境から引き離される奇妙な感覚を、豊島で観た人もそうでない人もぜひ確かめてほしい。
●ガーデンを完璧に掴んだボルタンスキー。
ノグチ美術館のシニアキュレーター、デイキン・ハートに話を聞いた。
─最初の《アニミタス》は高地を舞台に、星空をかたどったものでした。ノグチ美術館でのインスタレーションは、豊島の《アニミタス》(ささやきの森)からつながるものとして意図されたそうですね。今回の制作に当たって、気象や地形などボルタンスキーが特に考慮した条件などはあったのでしょうか。
「〈ノグチ美術館〉での《アニミタス》は、何かのスキームに沿うのではなく、ガーデンそのものに呼応して作られたレイアウトです。コロナ渦によりボルタンスキー本人に現地までお越し頂くことはかないませんでしたが、設計図やビデオ、フェイスタイム経由の見学や打ち合わせを重ね、ガーデンの要素と互いに引き立て合う展示をボルタンスキーは見事生み出したのです。この小さなガーデンの中に、ひらひらと舞い続けては音も鳴る風鈴180個を新たに持ち込んでしまうのですから、驚異というよりありません。
プロジェクト当初、ガーデンをすぐさま完璧に把握したボルタンスキーに私は驚嘆しました。素晴らしいインスタレーションになるという確信は最初からあったとはいえ、果たしてどのようにこの空間へ入れるのか? ……と言うのもイサム・ノグチが作ったこのガーデンは極限まで完成度が高く、それ自体で完結しています。風鈴であれ何であれ、新しいものを持ち込む隙間など一切無いのです。
これまでの《アニミタス》シリーズはいずれも世界から隔絶された、孤島のような感覚をたたえていますね。〈ノグチ美術館〉では風鈴をすべてガーデンの小径の中に設置することにより、ガーデンの半分ほどを、心を惹きつける空想上の空間へと変容させたのです。まさに大正解でした。提案を受けた際、これ以外の手法はあり得ないと納得させられたものです」。
─制作に当たり、舞台が〈ノグチ美術館〉という事で意識した点はあったのでしょうか。また豊島の《アニミタス》を鑑賞した人は、今回どのような新しい体験ができるでしょうか。
「ボルタンスキーの代弁こそできませんが、私は〈ノグチ美術館〉と豊島の《アニミタス》には様々に異なる特徴を見出しています。豊島では、とても長い時間そこに存在するものとして定められているのを感じられます。鈴の音は森のあちこちに点在し、他の音や存在とのバランスを保っている。視覚的にも、また気配という点でも「かすか」だと受けとめる人は少なくありませんし、実際そうです。恒久的な作品ゆえ、森に不要な影響を及ぼさない配慮がなされているのです。
元からある風景や環境音に鈴の音や姿が溶けこんでいるのは、〈ノグチ美術館〉も同様です。しかし細くひらひらと、はかない姿をしているため風鈴一つ一つよりもむしろ集合体としての存在が際立ちます。そのため〈ノグチ美術館〉のインスタレーションでは、人の魂が集っているように感じられるのです。これからどこへ向かうのか、答えを求めてさまよう魂たちですね。風鈴の集合は、強風に煽られれば音も動きも人を圧倒しますが、風が穏やかな時は優しく迎え入れてくれます。誰かを失った時に覚える、波のように寄せては返す悲しみの感情にも通じるのではないでしょうか」。
●人々が思い思いに楽しむアート。
ガーデンの中央にそびえる大木では無数の小鳥がさえずり、ノグチの彫刻《The Well》(つくばい)からは穏やかな水音が響き続ける。時折ここに加わるのは、はるか頭上を通過する飛行機の音だ。そばでは親子連れが鈴の音に耳を澄ませ、反対側のベンチでは学生たちが芝生に反射される光をスケッチしている。もちろん、美術館内での鑑賞を終え、短冊を見つめながら熟思黙想する人もあちこちに。
ノグチ彫刻がもつ圧倒的なボリュームや永劫性。そしてボルタンスキーの幽玄ではかない「魂が奏でる調べ」。二度とない組み合わせによって生み出された場は、此岸に対する「彼岸」すら思わせる。そう、〈ノグチ美術館〉の《アニミタス》は、いまNYで最も心と魂が鎮まる空間なのである。
『Christian Boltanski, Animitas』
〈The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum〉
9-01 33rd Rd., Long Island City。10時~13時、14時~17時(土・日11時~14時、15時~18時)。月曜・火曜休。10ドル。予約は公式サイトから。9月5日まで。
また館内では、ノグチの幻の原爆慰霊碑こと《広島の原爆死没者慰霊碑(模型)》(Memorials to the Atomic Dead 1952/1982)が8月15日まで展示されている。
https://casabrutus.com/art/195560/3

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AI とクラウドが、北オーストラリアとケープヨークで絶滅危惧種となっているウミガメの保護を支援

2021-08-07 | 先住民族関連
マイクロソフト 6 8月, 2021
※本ブログは、米国時間 2 月 18 日に公開された “AI and cloud combine to help protect vulnerable marine turtle populations in northern Australia and Cape York” の抄訳を基に掲載しています。
現在、地球上に存在するわずか 7 種類のウミガメのうち、悲しいことに 6 種が絶滅の危機に瀕していると考えられています。これは、人間や環境、捕食動物といったさまざまな脅威にさらされていることが要因です。
オーストラリア最北端の地域では、毎年 6 月から 11 月の間にタイマイ、ヒラタウミガメ、およびヒメウミガメがケープヨーク西部の海岸にやって来て、メスが砂浜に上陸し、巣穴を掘って産卵します。
カメは、海岸地域の地元住人にとって伝統的な食材のひとつとなっていますが、その消費量は常に持続可能なレベルに保たれていました。
1800 年代までは、オーストラリアのカメにとって最大の脅威となっていたのは、オオカミに似た野生犬の一種であるディンゴやオオトカゲによる巣の捕食でした。ただし、それさえも、カメの存在を脅かすほどのものではありませんでした。
しかし、1800 年代にブタがオーストラリアに持ち込まれ、野生のブタが急増すると、カメは大きなリスクにさらされるようになりました。その影響は、ケープヨーク西部の組織と従来の所有者が約 10 年前に警鐘を鳴らすまで、同地域で記録されることはほとんどありませんでした。
南ウィク地域の伝統的所有者が運営している非営利団体の Aak Puul Ngantam (APN) Cape York は、カメを捕食から保護する活動に長年取り組んでいます。それが文化的にも、環境面においても、持続可能性という側面からも、生き物の価値と関係があるからです。
過去には、制御手法により、野生のブタがカメの巣を捕食するケースを最大 90% 減らすことに成功しています。一方で、管理はできたものの、監視は困難でした。効果的でタイミングよく監視できなければ、管理の効果を評価することもできません。
APN Cape York の警備隊は、カメの数や巣の場所の監視に大きな課題を抱えていました。巣は人里離れた場所にあり、数千キロメートルにもおよぶ海岸線全体に広がっているだけでなく、雨季の期間とその後数ヶ月は警備隊が腰まで水に浸かるような平野を渡らねばならず、そこではクロコダイルが頻繁に出没するため、その時期に巣に到達するのはほぼ不可能となります。
そのため、正確でタイムリーな監視データを得ることが非常に困難であり、時間もかかるため、管理活動にはデータがあまり役立っていませんでした。
APN Cape York、CSIRO、そしてマイクロソフトは、NESP Northern Australia Environmental Resources Hub (NESP 北オーストラリア環境資源ハブ) プロジェクトの一貫として、マイクロソフトの AI for Earth プログラムの下、先住民の知識やドローンおよびヘリコプターで収集したビデオ、クラウドコンピューティング、AI (人工知能) などを活用し、遠隔地の砂浜にいるカメや捕食動物の移動経路を特定しようとしています。完成度の高いより直近のデータがあれば、警備隊や科学者、先住民のリーダーが協力し、より効果的に巣の捕食動物を管理してウミガメの保護に取り組むことができるのです。
ウミガメの卵を捕食動物から保護
国立科学機関の CSIRO と APN Cape York は、約 8 年間にわたって、絶滅危惧種のカメを保護するプログラムに共同で取り組んでいます。この取り組みは重要なことだと、APN 警備隊員を務める先住民族のディオン クーミータ (Dion Koomeeta) 氏は語ります。
「多数のブタが砂浜を荒らし、ウミガメの巣などさまざまなものを掘り起こしています。いつもブタはすべての巣を掘り起こして回るので、警備隊が到着した時には巣の中にほとんど卵は残っていません。ブタに掘り起こされてしまうのです」とクーミータ氏は述べています。
「科学の力でカメを保護し、次世代の子どもたちにカメがどんな姿をしているのか知ってもらいたいと考えています。子どもたちが警備隊の取り組みを学ぶことは良いことだと思います。彼らが成長した時に、その次の世代に向け土地を守ることができるためです」
CSIRO でリサーチサイエンティストを務めるジャスティン ペリー (Justin Perry) 博士は、「この取り組みは、警備隊と共に一から作り上げたものです。技術的な解決策を思いつくまで 8 年間もかかりました」と話します。
「ケープヨーク西部の海岸では、3 種類のカメが巣作りをします。ひとつはタイマイで、この海岸では非常に珍しい種です。監視を開始して以来、タイマイは合計十数匹程度しか見つかっていません」
「いま注目しているのはヒメウミガメとヒラタウミガメです。特にヒメウミガメについて懸念しています。ヒメウミガメの巣は浅く、一般的に砂丘の植物が生えた場所ではなく砂浜で巣作りをするため、非常に無防備な状態になっています。捕食動物を対象とした管理を実施する前、アクセスできる範囲の砂浜で調査した巣は 100% 捕食によって破壊されており、その主な原因は野生のブタでした」
海に向かって進む子ガメたち (写真: APN Cape York のアーカイブより)
主に監視している砂浜では、1 シーズンで約 350 個の巣が作られ、1 つの巣につき約 80 匹の子ガメが生き残ります。CSIRO の科学者によると、通常は約 100 個の巣が自然に捕食され、残りの巣は 250 個になるとのことです。
海にたどり着いた子ガメは、さまざまな形で死に至ります。これほど多数の卵が産み落とされるのもそのためです。海にたどり着く子ガメの数が多ければ多いほど、成長するまで生き延びる数も多くなるというわけです。
ウミガメの保護を願う伝統的所有者であるウィク族は、この状況を非常に懸念しています。NESP 北オーストラリアハブは、伝統的所有者と科学者が捕食動物を管理する新しい革新的な方法を編み出せるよう、CSIRO と APN Cape York による長期的なパートナーシップをサポートすることにしました。
この調査を活用した目標管理活動により、すでに捕食レベルは 30% 以下にまで下げることができました。これにより、CSIRO と APN Cape York はカメを持続可能な数に保つことができると考えています。
管理のどの部分に注力するべきか検討するにあたっては、カメがどこに巣を作り、卵がどこで食べられ、捕食動物が最も活動的になるのはいつなのかといったことを、科学者と警備隊が把握しなくてはなりません。
それが最初の困難な作業でした。
空撮映像を分析
極北の人里離れた砂浜にたどり着くのは非常に困難で、特に雨季やその後の時期は難しくなります。そして、ウミガメが巣を作る時期もごくわずかです。
雨季が終わる 7 月下旬から 8 月頃までは、カメのいる浜辺にたどり着くことはほぼ不可能です。雨季には腰の位置まで水位が高まる 100 メートル幅の氾濫原が泥状になり、渡ることができないためです。雨季が終わる頃には、6 月から始まる巣作りのピーク期を大幅に過ぎてしまいます。産卵後数日間の卵は最も攻撃されやすいため、巣を守るにはもっと早期に浜辺を監視したいと警備隊は考えました。産卵後数日間はメスガメの足跡がまだ捕食動物からも見えており、産みたての卵の匂いは最も強いのです。その後、卵からカメが孵化するまで 50 日間もかかります。
警備隊は巣作り後の数日間に巣を保護するのが理想的だと考えていますが、同時にその地域に物理的に立ち入ることも制限したい思いでいます。また、より迅速に監視データを入手し、新しい巣ができた場所を素早く管理できるようにしたいと考えています。
空撮映像によって砂浜を遠隔監視できれば、こうした課題が解決できます。もちろん、映像を役立てるには素早く解析する必要もあります。
これまでにもヘリコプターによる空撮調査写真は収集されていましたが、何時間もかけて綿密に分析する必要があったため、管理面での有用性は限られていました。
処理の迅速化に向け、CSIRO はマイクロソフトにアプローチしました。何万枚もの調査画像から AI で関連情報を迅速に探し出し、カメの巣作りと捕食動物の活動の両方の痕跡がある場所を特定できないかと相談したのです。
マイクロソフトの AI for Earth プログラムにより、マイクロソフトのエンジニアは Azure クラウドに画像をアップロードし、AI を活用した画像検出アルゴリズムを開発しました。その中には、地形分類器や足跡・捕食動物オブジェクト検出器などが含まれています。このアルゴリズムは初期段階から高い検出精度を示しており、地形分類器は 90% 以上の精度で浜辺や茂み、海の地形を判別、足跡・捕食動物オブジェクト検出器は 4 万 5000 枚以上の画像処理とトレーニングによってパフォーマンスが徐々に向上しています。
環境管理の向上
ケープヨーク自然資源管理局で生物多様性および火災プログラムマネージャーを務めるケリー ウッドコック (Kerri Woodcock) 氏は、2000 年代初頭の調査で西ケープ地域のカメの巣がほぼ 100% 捕食され、以来 20 年間その状況が続いていた可能性があると指摘し、問題の大きさを説明しています。
ウッドコック氏は、カメのライフサイクルの性質上、この問題はすぐには解決できないとしています。「一部のカメは繁殖できるようになるまで 30 年かかります。しかも、野生で生き残れるのは 1000 匹に 1 匹なのです」
現在進行中の取り組みにウッドコック氏も心を動かされています。「これは、先住民が主導する絶滅危惧種プログラムであり、実際に測定可能な定量的成果も出ています」
ウッドコック氏によると、このプログラムはカメの巣作りのピーク時に重要な知見を警備隊に提供するとのことです。「警備隊は産卵にやってくるカメの数だけでなく、捕食の件数も監視し、捕食動物の適応制御プログラムを実施してできるだけ多くの巣を残そうとしています」
この取り組みは、ビンジ族の共同研究者と先住民の警備隊、CSIRO、NESP、カカドゥ国立公園、マイクロソフトがすでに行っている Healthy Country Partnership (健全な国に向けたパートナーシップ) という活動がベースになっています。カカドゥ国立公園での侵入雑草の広がりを監視するにあたってクラウドコンピューティングと AI が使われ、先住民警備隊が公園を管理しカササギガンの回帰促進ができるよう知見を提供しています。
最近では、この技術を使って自動化パイプラインを反復適応して改良し、さまざまな環境問題に対応できることも示されています。
ペリー博士は、「マイクロソフトの AI を使って自動的に何万枚もの画像を分析し、捕食動物の移動経路や巣の場所を探します。そこで得た知見を、Power BI のダッシュボードでリアルタイムに警備隊と共有しています。これにより、1 ヶ月かかっていた海岸線の 2 倍の長さの監視が 2 時間でできるようになりました」と語ります。
「この取り組みにより、毎シーズン 2 万匹の子ガメが海にたどり着くようになりました。生態系全体が安定してきたのです。AI などの新技術が、カメを絶滅の危機から救うにあたって重要な役割を果たしています。」
ペリー博士の意見によると、「この取り組みは、環境管理に向け柔軟で適応力のある管理ツールを開発する次のステップを反映しています」とのことです。
このカメ管理システムは、シンプルにデータ入力できるよう設計されています。警備隊がドローンやヘリコプターに搭載されたカメラから SD カードを抜き出し、その内容をフォルダにアップロードするだけで、自動的に分析が始まります。
分析結果は、CSIRO とマイクロソフトが Power BI で開発したダッシュボードに送られます。ダッシュボードでは、警備隊が地上で Nestor アプリを使って収集したデータと、空撮写真の分析によって得られた知見が重なり合い、警備隊や科学者が特定の場所や時間に応じた問題管理の最善策を決定します。
ダッシュボード上では、どこにカメがいるのか、どこで捕食が行われているのかといった情報がリアルタイムで表示されます。
これと同じ情報がアウルクンの先住民コミュニティや長老とも共有され、同地域のカメの数についての意思決定に役立てられます。
ペリー博士は、「監視プロセスの自動化が進めば、警備隊が実際の管理作業により集中できるようになります。この監視の目的は、適応管理に向けた情報提供です。ただ、監視は大変な作業で多大な時間がかかるため、単に種の絶滅を記録するだけになってしまうこともあるのです」と話します。
「監視がより効率的になり、的を絞ることができれば、より多くの時間を脅威の管理に費やすことができます。それが重要な保全の成果につながります。私たちは、適切な情報を適切な人に適切なタイミングで届けようとしているのです。そうすることで、現地での管理が優先されるようになります。それが警備隊プログラムの目的なのですから」
そして、毎年ケープヨークに戻って産卵するウミガメにとっては、このプログラムが種の存続にとって最善の機会となっているのです。
本ページのすべての内容は、作成日時点でのものであり、予告なく変更される場合があります。正式な社内承認や各社との契約締結が必要な場合は、それまでは確定されるものではありません。また、様々な事由・背景により、一部または全部が変更、キャンセル、実現困難となる場合があります。予めご了承下さい。
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『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』開催&特別番組『小早川秋聲 〜旅する画家の魅力!』放送記念

2021-08-07 | アイヌ民族関連
SPICE 2021/08/06 16:30
『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』開催&特別番組『小早川秋聲 〜旅する画家の魅力!』放送記念(SPICE)
2021年8月7日(土)より、展覧会『小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌』が京都文化博物館で開催されます。それを記念し、8月15日(日)には小早川秋聲を特集するスペシャル番組『小早川秋聲 〜旅する画家の魅力!』の放送が決定しました。
小早川秋聲は、大正・昭和初期に活躍した京都画壇を代表する画家でした。しかし、第二次大戦後すぐに大病を患い、戦時中に洋画家の藤田嗣治とならんで戦争画を多く描いたことなどもあって、戦後は画壇での活躍も控えめとなり、1974年の逝去とともにその存在が忘れられつつありました。この数年、戦争画の文脈の中でテレビや雑誌において、亡くなった将校を描いた《國之楯》が紹介されることが増え、画家としての小早川秋聲の再評価が行われるようになりました。
しかし、小早川秋聲は、《國之楯》のような戦争画にとどまらない、幅広い画風をもった画家でした。旅行狂人という異名をとるほどの旅好きで、世界中の風景を描きました。また、画材や表装にも美しく豪華なものを使用し、驚くべき効果を生み出しています。秋聲の人生と展示されている代表作をご紹介しましょう。
《國之楯》1944年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託) 天覧に供するために陸軍省の依頼で描かれたと伝わるが、完成作は同省に受け取りを拒まれた。絵の裏にはチョークで「返却」と記されている。
小早川秋聲は、1885年、鳥取県日野町の光徳寺住職小早川鐵僊と兵庫県三田の旧藩主九鬼家の一族「こう」の長男として生まれました。母の里・九鬼子爵邸内で育った秋聲は、父鐵僊が京都・東本願寺の要職についたことに伴い、京都で暮らし東本願寺の衆徒として僧籍に入ります。幼少期から絵を好み、中学卒業後、京都の日本画家で歴史画を得意とした谷口香嶠に師事しました。谷口香嶠は、竹内栖鳳とならぶ、京都画壇の重鎮です。この頃の秋聲は、平家物語に題材を求めた《小督》や那須与一を描いた《誉之的》のような、香嶠から学んだ時代考証の知識を活かして、歴史画を多く残しています。
1909年に京都市立絵画専門学校が開校すると、師である谷口香嶠が教授となり、秋聲も入学しました。ほどなく秋聲は学校を退学し、東洋美術研究のため中国へと渡りました。1913年にも再び中国へ向かい、一年半にわたって滞在し、東洋美術の研鑽と名所旧跡巡りをしました。「旅行狂人」と呼ばれた「旅する画家」秋聲の誕生です。
谷口香嶠が亡くなると、1916年11月、秋聲は京都画壇の風景画の巨匠・山元春挙に師事し、画塾早苗会に入会しました。写生旅行なども盛んな早苗会の影響もあったのでしょうか、秋聲の旅への意欲はますます旺盛になりました。1918年から20年にかけては、山陰、南紀、北海道を旅して画文集を出版。画文集とは、旅先の風物を描いた絵とエッセイを組み合わせた出版物です。《裏日本所見畫譜》では山陰旅行の成果として、余部鉄橋、大山の噴火口、松江の城下町など、旅情あふれる情景を描きました。北海道旅行の成果としては、秋聲は画文集『蝦夷地の旅から』を出版し、源義経とアイヌの娘の悲恋の伝説などを重ねた《追分物語》のような大作も、その旅から生まれました。
1920年末、30代半ばになって、秋聲は憧れのヨーロッパへと向かいます。中国の大連で年を越したあと上海を出港し、インド、エジプトを経由して、ヨーロッパにたどりつき、なんと北極圏のグリーンランドにまで足をのばしました。17か国にものぼる、この遊学の旅は、小品ながらもたくさんの風景画を生みました。香港の100万ドルの夜景、インドのタージマハル、イタリアのベニスの運河、果てはグリーンランドの氷山と実に多くの場所を描いています。夕方から夜にかけての時間帯、それもことさら月明かりの下の景色にこだわりがあったようで、美しい夕景や夜景ばかりです。
《印度 ダジ・マハールの満月》ほか、世界の月景色シリーズ 1923〜24年頃 個人蔵
第1次世界大戦が終了すると、アメリカの対日感情を好転させたいという思いが、日本の外務省や企業にありました。サンフランシスコ航路を背負った日本郵船が中心となって、1926年日本美術の紹介や文化交流を通して、日米の関係改善のために、秋聲はアメリカへと派遣されました。現地では、日本画についての講演や展覧会も行いました。月明かりの下のグランドキャニオンを描いた作品も残っています。
《未来》は、その頃の秋聲が、帝展に主品した作品です。このころには、秋聲は各種展覧会に大作を発表するようになっていました。
《未来》1926年 個人蔵
次いで、第十一回帝展に出品したのが《愷陣》です。陸軍騎兵将校として馬に精通していた秋聲が、馬具や軍馬を改めて調べ直して制作にとりかかった力作です。戦地から故郷に戻った兵士は讃えられるのに、ともに戦火を潜り抜けた軍馬は埃まみれのままでいる、村人がそんな軍馬を花で飾って労をねぎらった、というエピソードをうたった「漢詩」に着想を得て描かれた作品です。この作品から、秋聲は、帝展の推薦・永久無鑑査となりました。日本画壇でゆるぎない評価を得たのです。
《愷陣》1930年 個人蔵
しかし、時代は徐々に戦争の色が濃厚となっていきました。従軍画家として、何度も戦地に足を運び、《國之楯》に代表される、多くの戦争画を描きました。
秋聲は、兵士や銃後の家族の眠る姿をしばしば描いています。1938年の《虫の音》は、今回新しく発見された作品ですが、異色の戦争画と言えるでしょう。戦いを忘れて寝入る兵士の姿は、戦争画であるにもかかわらず、人間味を帯びた穏やかな印象を与えます。秋聲は、戦争を描きながら、そこに生きている人間の等身大の姿を描こうとしました。
《虫の音》1938年 個人蔵  新発見作品。戦場で仮眠をとる疲れ果てた兵士たちの姿を描く。
戦後、秋聲は日展の審査員選考委員もつとめましたが、戦地での無理がたたり体調を崩したこともあり、大規模な展覧会への出品はほとんどしなくなり、仏画や、干支をテーマにした小品などを多く描くようになりました。
1964年に日本で開催された初めてのオリンピック。秋聲も、この世界的な祭典に心動かされ、聖火ランナーの姿を描きました。題材は現代的なものですが、金砂子で描かれた聖火が日本画であることに気づかせてくれます。戦争の時代を従軍画家として過ごし、様々な戦争画を描いた秋聲は、平和の祭典をどんな思いで見たのでしょうか?
《聖火は走る》1963年 個人蔵
今回の展覧会の開催を記念して、8月15日のひる1時30分にBSフジで放送される、小早川秋聲のテレビ特別番組のナレーションを担当し、京都展の音声ガイドも担当したヴォーカル・グループLE VELVETSの佐賀龍彦さんにお話を聞きました。佐賀さんは、京都市立芸術大学の出身、ジャンルは違うとはいえ秋聲の後輩で、三年前に《國之楯》をはじめとした秋聲の作品を実際にご覧になられたそうです。小早川秋聲への想いを語ってくれました。
佐賀:以前、私がナレーションを担当していた、BSフジの『アートな夜』でも秋聲のことを取り上げたことがありましたが、あの時には駆け足でご紹介したこともあって、日本画の比較的最近の画家という印象ぐらいでした。今回あらためて、番組も担当させてもらって、本当に幅広い画風の人だなあと感動しました。その人生を見直してみると、恵まれた環境に育った人だなあと、でもその恵まれた環境を最大限に活かして、自分の絵画に活かした人だと思いましたね。でも、苦労をしてないかと思いきや、従軍画家として兵士と同じような環境に身を置いて絵を描いていたり、兵士の死にも寄り添って虚しさや疑問を感じていた人ではないかと絵から伝わってきました。だから、戦争画であるにもかかわらず、多くの人の心をとらえるのではないかという気がします。絵とはすごいなあと、それを通してたくさんの人がつながって、泣いたり感動したりできるのが改めて絵のパワーだと思いました。
−−以前、《國之楯》を生でご覧になったそうですが。
佐賀:はい、まずはその大きさに驚きましたね。黒々とした背景の大きな画面の中に、ほぼ等身大の人が描かれていて、ギャラリーの奥で特別な存在感がありましたね。
−−特別番組のナレーションを担当されて、あらためて興味をもった作品はありましたか?
佐賀:全部の作品を改めてしっかり見たいと思いましたが、特に世界中の月景色を描いた作品群は是非見てみたいと思いました。
−−今回の展覧会では、初めて音声ガイドにもトライされたそうですね。
佐賀:本当にずっとやってみたかったのです、音声ガイド! 本当に嬉しかった。最近、歌に加えてずいぶんお芝居をやらせていただいたおかげで、声で想いや気持ちを伝えることを考える機会が多くありました。今回も色々と自分なりにトライ出来た気がしていますから、是非楽しみにしていてください。
文=神山 薫
https://news.goo.ne.jp/article/spice/entertainment/spice-290997.html

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<新型コロナで旅行ができなくなったのは旅の専門家も同じ。彼らの旅に対する考えにも大きな変化があったようだ>

2021-08-07 | 先住民族関連
ニューズウィーク 8/6(金) 19:27
ワクチン接種が進んで、国境を越えた旅行がようやく再開され始めた。そうなると問題は、どこへ行くかだ。そこで9人のトラベル専門家に、コロナ後の夢の旅行先について尋ねてみた。
01. グレートベア・レインフォレスト(カナダ)
ノリー・キントス(トラベルジャーナリスト)
ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー誌の編集にも携わるキントスはコロナ禍を機に、旅の回数よりも、大自然の中でじっくり過ごすことを重んじるようになったと言う。「グレートベア・レインフォレストでは、アイルランドほどの面積の温帯雨林に26の先住民族が暮らしている。樹齢数千年のスギやトウヒの木や、珍しいシロアメリカグマも見られるかも」
02. マキノー島(米ミシガン州)
サマンサ・ブラウン(米PBS番組ホスト)
コロナ後の旅では、スロートラベルがトレンドになりつつあるようだ。その点、米PBSの旅行番組でホストを務めるブラウンが注目しているのは、ミシガン州のマキノー島だ。「この島では自動車が禁止されていて、移動には馬車を使うしかない。自動車が走っていないことと、馬のスローペースが相まって、至福の時を過ごせるはず」とのことだ。
03. 北極
ローラ・アキマデ・オーケシュトレーム(旅行作家・写真家)
「私はずっと極地に魅了されてきた」と語るのは、スウェーデンを拠点に活動する旅行作家・写真家のオーケシュトレームだ。「子供時代にナイジェリアのラゴスで地理の授業を受けながら世界地図を指でなぞっていたときから、いつか北極点を訪れることが私の生涯の夢だった」と言う。
04. ナミブ・ナウクルフト国立公園(ナミビア)
オネイカ・レイモンド(米トラベルチャンネル番組ホスト)
「毎週飛行機に乗っていたのが、何カ月も旅行に行かなくなった。いま世界で少しずつ外国旅行が再開され始めているのは本当にうれしい」と語るレイモンドが訪れたい場所は、アフリカのナミビアだ。「いま特に行きたいのは、ナミビアのナミブ・ナウクルフト国立公園。コロナ禍をきっかけに、大自然への憧れが強まったから。ソススフレイなどの砂丘をこの目で見たいとずっと思っていた」
05. アルバニア
セーラ・カーン(トラベルライター・編集者)
「イギリスの旅行作家タリク・フセインの旅行記を読んで旅行先候補のリストに加えたのがアルバニア」だと、コンデナスト・トラベラー誌中東版編集長のカーンは言う。「にぎやかな首都、おとぎ話のようなオスマン帝国時代の村、そしてあまり人の手が入っていない海辺の保養地など、魅力的な場所がたくさんある」
06. テヘラン
デービッド・ファーリー(作家・トラベルライター)
「現実離れした夢かもしれないけれど、イランのテヘランを訪ねて、街の光景や音、味覚を堪能したい」と語るのは、作家・トラベルライターのファーリーだ。「そしてそれ以上に、アメリカとイランの両国政府間の40年以上にわたる政治的対立のせいで、不幸にも悪者扱いされている普通のイラン人たちと直接触れ合いたい」
07. ウズベキスタンとトルクメニスタン
アーネスト・ホワイト2世(探検家・米PBS番組ホスト)
1932年に今のウズベキスタンとトルクメニスタンを旅した作家ラングストン・ヒューズの足跡をたどりたいと言うのは、PBSで旅行番組のホストを務めるホワイトだ。「黒人文化興隆の先頭に立ったヒューズは、当時のソ連の中央アジア地域を旅した。ヒューズが体験したように、私もこの地域の古代文化、素晴らしい建築物、人々との触れ合いを体験したい。そしておいしい食べ物も!」
08. タヒチ
ブライアン・ケリー(ポインツ・ガイ創設者)
コロナ後の時代には、一生に1度の体験を求めて旅に出掛ける人も増えそうだ。タヒチでザトウクジラと泳ぐという夢を実現したいと考えているのは、旅行情報サイト「ポインツ・ガイ」の創設者であるケリーだ。「タヒチはアメリカ西海岸からわずか8時間ほど。コロナ禍のリフレッシュには最高の場所だ」
09. ニュージーランド
ミケラ・マロッジ(ダンサー・米PBS番組ホスト)
「私の究極の夢は、ニュージーランドのマオリ人と一緒に踊り、伝統的な踊りのハカを学ぶこと」だと、PBSの番組で世界を旅してきたマロッジは言う。「移動が完全に自由になったとき、マオリ人の精神を共有するチャンスがあれば光栄に思う」
キャスリーン・レリハン(トラベルライター)
https://news.yahoo.co.jp/articles/1008af2425c17f561a2b826e766418878d1e2a00

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