北海道新聞 08/13 05:00
「引き続き復興を象徴する大会となるよう、つなげたい」。東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は10日、菅義偉首相を訪れ、24日開幕のパラリンピックへの抱負を語った。招致時に、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの「復興」の発信を理念に掲げた東京五輪。「引き続き」という言葉とは裏腹に大会中、その発信は乏しかった。
■球場だけ別世界
競技のトップを切って、7月21日にソフトボールが行われた福島市の福島県営あづま球場は、新型コロナウイルス感染防止のため無観客だった。球場内で大会ボランティアを務めた市内の事務員高橋明美さん(60)は開催を歓迎しつつも「原発事故の影響が続く中、球場だけ別世界。復興五輪の意義が国内外に伝わったかは疑問だ」とこぼした。
観客を入れて男女サッカーが行われた宮城スタジアム(宮城県利府町)。7月27日の女子日本代表戦の観客は定員約4万9千人に対し、約1300人だった。JR仙台駅近くで、観客らを対象に震災の語り部を務めた宮城県南三陸町の倉橋誠司さん(58)は「拍子抜けだった」と残念がった。
競技会場が集中した東京・湾岸部の江東区にある豊洲地区の公園。毎週日曜、福島の農産物などを販売する「ふくしまマルシェ」が開かれるが、五輪期間中は行動制限の影響からか、訪れる選手や関係者はなく、常連客の間でも五輪は話題に上らなかったという。「復興五輪は影も形もない」。マルシェを運営する福島県二本松市の農業斉藤登さん(62)はつぶやいた。
■透けた政治利用
大会の理念は昨春の1年延期以降、変遷した。当時の安倍晋三首相が打ち出した「人類がコロナに打ち勝った証し」は感染収束が見えない中で「世界の団結の象徴」に変わっていった。
東大大学院の吉見俊哉教授(社会学)は「他都市との招致合戦に勝つために『復興』というキーワードを利用しただけ。福島県に立地する原発と同様に、膨張を続ける東京のため東北が利用された」と指摘する。
掲げられたさまざまな理念の中では、「ジェンダー平等」「多様性と調和」も厳しく問われた。
女性蔑視発言で2月に辞任した組織委の森喜朗前会長の後を継いだ橋本会長は、組織委の女性理事を7人から19人に増やした。新理事に登別市のアイヌ刺しゅう団体「登別アシリの会」代表、芳賀美津枝さん(67)も選ばれたが、会合は6月までのわずか4回。議題は感染対策が主で、芳賀さんは「アイヌ文化の発信は難しかった」と振り返る。
道などが要望していた開会式でのアイヌ古式舞踊は昨年2月に不採用と判明。代わりに5~8日の札幌市でのマラソン・競歩の前に披露された。だが、観戦自粛が呼びかけられる中、柵で覆われたため、見られたのは関係者のみだった。
開閉会式を巡っては、いじめ問題やホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をやゆする過去の発言などによる制作陣の辞任と解任が続いた。五輪が重んじる人権や平和の理念に反するとして、国際的な批判を招いた。
8日夜に国立競技場(新宿区)で行われた閉会式。式典後の記者会見で閉幕を迎えた心境について、プログラムに携わったダンサー・振付家の平原慎太郎さん=小樽市出身=は「ゴールがあったんだなと思った」と疲れをにじませながら話した。
理念を置き去りに、なりふり構わず開催に突き進む―。政府や組織委などの思惑が透けたコロナ下の祭典は、後世にどう記憶されるのだろうか。(五十嵐知彦、木村直人)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/577741
「引き続き復興を象徴する大会となるよう、つなげたい」。東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は10日、菅義偉首相を訪れ、24日開幕のパラリンピックへの抱負を語った。招致時に、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの「復興」の発信を理念に掲げた東京五輪。「引き続き」という言葉とは裏腹に大会中、その発信は乏しかった。
■球場だけ別世界
競技のトップを切って、7月21日にソフトボールが行われた福島市の福島県営あづま球場は、新型コロナウイルス感染防止のため無観客だった。球場内で大会ボランティアを務めた市内の事務員高橋明美さん(60)は開催を歓迎しつつも「原発事故の影響が続く中、球場だけ別世界。復興五輪の意義が国内外に伝わったかは疑問だ」とこぼした。
観客を入れて男女サッカーが行われた宮城スタジアム(宮城県利府町)。7月27日の女子日本代表戦の観客は定員約4万9千人に対し、約1300人だった。JR仙台駅近くで、観客らを対象に震災の語り部を務めた宮城県南三陸町の倉橋誠司さん(58)は「拍子抜けだった」と残念がった。
競技会場が集中した東京・湾岸部の江東区にある豊洲地区の公園。毎週日曜、福島の農産物などを販売する「ふくしまマルシェ」が開かれるが、五輪期間中は行動制限の影響からか、訪れる選手や関係者はなく、常連客の間でも五輪は話題に上らなかったという。「復興五輪は影も形もない」。マルシェを運営する福島県二本松市の農業斉藤登さん(62)はつぶやいた。
■透けた政治利用
大会の理念は昨春の1年延期以降、変遷した。当時の安倍晋三首相が打ち出した「人類がコロナに打ち勝った証し」は感染収束が見えない中で「世界の団結の象徴」に変わっていった。
東大大学院の吉見俊哉教授(社会学)は「他都市との招致合戦に勝つために『復興』というキーワードを利用しただけ。福島県に立地する原発と同様に、膨張を続ける東京のため東北が利用された」と指摘する。
掲げられたさまざまな理念の中では、「ジェンダー平等」「多様性と調和」も厳しく問われた。
女性蔑視発言で2月に辞任した組織委の森喜朗前会長の後を継いだ橋本会長は、組織委の女性理事を7人から19人に増やした。新理事に登別市のアイヌ刺しゅう団体「登別アシリの会」代表、芳賀美津枝さん(67)も選ばれたが、会合は6月までのわずか4回。議題は感染対策が主で、芳賀さんは「アイヌ文化の発信は難しかった」と振り返る。
道などが要望していた開会式でのアイヌ古式舞踊は昨年2月に不採用と判明。代わりに5~8日の札幌市でのマラソン・競歩の前に披露された。だが、観戦自粛が呼びかけられる中、柵で覆われたため、見られたのは関係者のみだった。
開閉会式を巡っては、いじめ問題やホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をやゆする過去の発言などによる制作陣の辞任と解任が続いた。五輪が重んじる人権や平和の理念に反するとして、国際的な批判を招いた。
8日夜に国立競技場(新宿区)で行われた閉会式。式典後の記者会見で閉幕を迎えた心境について、プログラムに携わったダンサー・振付家の平原慎太郎さん=小樽市出身=は「ゴールがあったんだなと思った」と疲れをにじませながら話した。
理念を置き去りに、なりふり構わず開催に突き進む―。政府や組織委などの思惑が透けたコロナ下の祭典は、後世にどう記憶されるのだろうか。(五十嵐知彦、木村直人)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/577741