先住民族関連ニュース

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東京パラ採火3日目、成功祈る 各地で催し

2021-08-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/15 01:13 更新
 東京パラリンピックの聖火リレー関連行事は14日、3日目となる採火の催しが各地であった。障害がある人も参加。新型コロナウイルス禍で開催される大会の成功の祈りをともしびに込めた。
 愛知県半田市では、同市出身の児童文学作家新美南吉の記念館前で採火した。マッチの火が人々の手に渡っていく内容の新見の作品「ひとつの火」になぞらえ、車いす利用者で特別支援学校に通う青木優さん(14)が、母かおりさん(45)に手を添えられながらマッチでランタンに火をともした。かおりさんは「息子との良い記念になった。安心、安全なパラリンピックにしてほしい」と話した。
 北海道釧路市のアイヌ文化伝承施設では、アイヌ民族のエカシ(長老)らが、神に願い事をする儀式「カムイノミ」をした。1998年長野パラリンピックのアイススレッジスピードレース銅メダリスト河島明美さん(56)が、炉のかがり火をランタンに移した。河島さんは「全ての競技が無事行われてほしいとの思いを込めた」と語った。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/578278

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台湾国際バルーンフェス開幕 先住民の衣装着たキティ気球登場

2021-08-15 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2021/08/14 13:17
台湾国際バルーンフェスティバルの開幕を宣言する饒台東県長(左手前)と柯台北市長(右手前)
(台東中央社)今年で11年目を迎えた「台湾国際バルーンフェスティバル」(台湾国際熱気球嘉年華)が14 日、東部・台東県で開幕した。台湾原住民(先住民)ブヌン族の要素を盛り込んだ人気キャラクター「ハローキティ」の気球が空を漂い、見物客を楽しませている。
キティ型気球は高さ約32メートル。胸元や袖、頭のリボンなどにクロスステッチの模様が施されている。
今年は新型コロナウイルスの感染拡大のため、予定より1カ月以上遅れての開催となった。台東県の饒慶鈴(じょうけいりん)県長は、この日が旧暦の七夕に当たるのに触れ、多くのポジティブなエネルギーが生まれ、多くの情熱がコロナの感染状況に明るい兆しをもたらすよう、気球で台湾に祈りをささげられればと期待を語った。
また、柯文哲(かぶんてつ)台北市長も来場し、同市のマスコットキャラクター「熊讃Bravo」をかたどった気球に搭乗。約30分間の飛行体験を楽しんだ。
(盧太城/編集:齊藤啓介)
https://japan.cna.com.tw/news/atra/202108140001.aspx

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台湾を変えた日本人シリーズ:検疫の手腕で台湾を「健康体」へ導いた後藤新平

2021-08-15 | 先住民族関連
ニッポンコム 2021.08.14

日本が台湾を領有したとき、4つの難問を抱え込んだ。マラリアやアメーバ赤痢などの風土病、台湾領有を認めない武装勢力の横行、先住民族の反抗と漢族による阿片吸引の悪習である。第4代台湾総督となった児玉源太郎が、右腕となる人物として民政長官に指名したのが後藤新平だった。日清戦争に勝利した後、中国大陸から引き揚げてくる23万もの帰還兵の検疫を、短期間かつ完璧に遂行した後藤の手腕を高く評価していたからである。
医師から医官へ
後藤新平は1857年仙台藩水沢(現岩手県奥州市)で生まれた。17歳の時、医学校に入学し、成績優秀で卒業後は愛知県医学校の医者となる。とんとん拍子に出世し24歳で学校長兼病院長となる。医師として高い評価を受けた後藤は、内務省衛生局長の長与専斎に認められて1883年内務省衛生局に入る。医官となったあと、日本政府が招へいした衛生工学の技師ウイリアム・バルトンの知遇を得て、1890年ドイツに留学。帰国後、1892年には衛生局長に昇進した。後藤は、統治下に入った台湾の衛生環境を改善するため、上下水道建設をバルトンに依頼した。バルトンはその熱意に圧倒され、教え子の土木学者浜野弥四郎を伴って渡台した。浜野はバルトン亡き後も台湾に残り、台南上水道を完成させたことで今日まで「台南上水道の父」と尊敬を集めている。
「生物学の原則」による統治を目指す
1898年児玉源太郎が台湾総督となると、自らの補佐役である民政長官に後藤を抜てきした。その際、児玉が後藤に台湾統治の基本理念を聞いたところ、「ヒラメの目が格好悪いからと言って、タイの目に変えることはできない。ヒラメにとって、最も良いからそうなっている」と答え、「台湾の習慣や制度は、生物と同様でそれ相応の理由と必要性があるから習慣化している、無理に変更すれば当然大きな反発を招くだろう。従って台湾の現状をよく調査し、調査結果に合った統治をするのが良いと考える」と語ったという。児玉は、この言葉で全服の信頼を後藤に置いた。
児玉は、日露戦争の苦戦を受けて、兼務していた内務大臣は辞任したが、台湾総督は辞任せず「後藤が居れば大丈夫」とばかり、台湾を離れ陸軍参謀本部次長に就任している。後藤も総督の信頼に応える行政手腕を発揮した。まず台湾における調査事業として「臨時台湾旧慣調査会」を発足させ、会長に就任し徹底した調査を実施するとともに、学者を集め清朝の法制度の研究もさせた。現場の状況を熟知した上で、経済改革とインフラ建設を持論の「生物学の原則」に基づいて強力に推し進めた。
第一に風土病撲滅が急務だった。第3代乃木希典総督の母親は、渡台して間もなくマラリアで亡くなっていた。後藤は、まず台北の街から風土病を駆逐することを急いだ。きれいな飲料水を独占していた財閥の井戸を一般民衆に開放するとともに、再びバルトンとその弟子浜野を頼った。バルトンは台北の街を視察した後「この街は建設より、まず破壊することが必要である」と後藤に話すほど衛生状況は深刻であった。後藤は感染症を防ぐには上下水道のインフラ整備が急務と考えた。浜野は基隆、台北、そして台南へと駒を進め、上下水道が台湾全土に完備されていった。
抵抗運動には「アメとムチ」
次に取り組まなくてはいけないのが武装勢力や先住民族による抵抗運動対策である。警察や兵士が守ってくれないと、武装勢力に襲われ一人では街を歩けない日常があった。先住民族は猟場に足を踏み入れる人間に対しては「首狩り」を行なったからだ。後藤は「アメとムチ」を使い分け、抵抗を続ける頭目は武力で鎮圧したが、恭順を示せば報奨金と土地を与え、農業で生計を立てられるようにした。この方法は一定の効果を上げたが、花蓮地域にいたタロコ族だけは最後まで抵抗し、解決は次の佐久間左馬太総督時代を待つことになる。
もう一つの課題は阿片吸引の悪習である。中国大陸より阿片患者が多い台湾であったが、あえて漸禁政策を採った。1897年に台湾阿片令を公布。阿片患者を登録し、登録者や20歳以上の阿片購入・吸引は禁止せず、阿片の専売制を導入した。阿片は全て輸入し3倍の高値で販売したため大きな利益を上げた。この専売制度は総督府で阿片の他にも食塩、樟脳(しょうのう)、たばこ、酒、マッチ、度量衡儀器、石油にも適用したため莫大な利益を生み、日本の国庫に頼っていた予算を台湾だけの収入で賄う独立会計を、領台からわずか15年で達成するようになる。
専売システムの導入により、1900年には17万人もいた阿片患者は、1930年には2万7000人に減少。終戦の年には阿片吸引者をほぼゼロにしている。阿片政策は、結果的に成功したと言っても良いであろう。
壮大な青写真
後藤長官は台湾近代化のために、壮大な青写真を描いた。その計画が一般人から見るとあまりにも現実離れしているため、いつしか「後藤の大風呂敷」と陰口をたたく者もいた。後藤は実現のために、優秀な人材を内地から集めた。その一人が後藤と同郷で、後に「台湾製糖の父」と称される新渡戸稲造農業経済博士である。
台湾を領有した頃の日本は、砂糖消費量の98%を輸入に頼っていた。そこで後藤は、台湾政策の中心を産業振興に置き、多額の補助金を出し資本金100万円の「台湾製糖株式会社」を設立。「体が弱い」と言って渋る新渡戸を2年がかりで口説いて、台湾に招へいした。
赴任した新渡戸は全島をくまなく調査して砂糖キビの品種改良、栽培法、製造法などについての意見書「糖業改良意見書」を提出した。1902年には5万5000トンだった製糖の生産量は、1925年には約8倍の48万トンに達し、1936年の最盛期には年産100万トンを超えた。台湾における製糖は日本内地の需要を満たして余りあり、台湾の花形輸出産業になる。
都市改造でも手腕を発揮
ほかにも後藤の功績には都市改造がある。手始めが台北市の三線道路だ。清朝時代に造られた台北城の城壁を撤去した跡地に作られた。道路の設計は中央に車道を、その両側に歩道をそれぞれ造り、その間に街路樹を植え、あたかも三本の道路が並行して走る姿になったことから三線道路と呼ばれた。道路幅は広いところで80メートル前後、狭いところでも40メートルあまりあった。中央を車が、左右の道路を人や荷車が行き交い、街路樹の地下には上下水道を敷設した。建設工事は1910年に開始され、1913年に完成している。工事は浜野が指揮した。三線道路は中山南路(東線)、中華路(西線)、愛国西路(南線)、忠孝西路(北線)と名前を変えながら今日も使用されている。
後藤は民政長官として8年あまり務めた後、1906年南満州鉄道初代総裁に就任し、大連を拠点に満洲経営でも実績を残した。後藤は台湾時代の人材を多く起用するとともに若手の優秀な人材を招へいし、満鉄のインフラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市建設に当たった。その後は内地に帰り東京市長を務めるが、1923年9月1日の関東大震災では、世界最大級の帝都復興計画を短期間で完成させる才覚を見せた。後藤の都市計画の原点は、台湾経験が大きく影響している。
後藤は、医官としてのノウハウから台湾を「健康体」に変えようとした。その後の台湾の近代化は、後藤が描いた青写真によるところが大きい。八田與一技師による嘉南大圳(たいしゅう)しかり、松木幹一郎が社長を務めた日月潭水力発電所の建設しかり、鉄道施設に尽くした長谷川謹介しかりである。
バナー写真=日本統治時代に建てられた専売局。現在は国定史跡に指定されている(Richie Chan / PIXTA)
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01145/

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【アジア映画コラム】金馬奨との関係、言語を巡る変遷、Netflixへの進出――新たな道を進む台湾映画の“今”を紐解く

2021-08-15 | 先住民族関連
映画コム 8/14(土) 18:00

 現在、台湾映画ブームが巻き起こっているといっても過言ではありません。
 今年4月には、ホウ・シャオシェン監督デビュー40周年を記念した特集上映、エドワード・ヤンの傑作「ヤンヤン 夏の想い出」35ミリフィルム特別上映が実施され、6月には第57回金馬奨最優秀作品賞、最優秀監督賞など5部門を受賞した「1秒先の彼女」(チェン・ユーシュン監督)、7月には第57回金馬奨最優秀主演男優賞、最優秀助演女優賞を獲得した「親愛なる君へ」(チェン・ヨウチェ監督)、台湾で社会現象を巻き起こした「返校 言葉が消えた日」(ジョン・スー監督)が“日本上陸”。Netflixでは、金馬奨受賞作「弱くて強い女たち」(シュー・チェンチエ監督)、「同級生マイナス」(ホアン・シンヤオ監督)といった良作が全世界に向けて配信されています。
 そこで今回のコラムでは、近年の台湾映画について語ってみたいと思います。なお、第15回(https://eiga.com/extra/xhc/15/)、第31回(https://eiga.com/extra/xhc/31/)では「大阪アジアン映画祭の総括」を掲載中です。こちらでは、同映画祭のプログラミング・ディレクター暉峻創三さんに「台湾映画の現状」をお聞きしていますので、よろしければチェックしてみてください。
 2018年11月17日、第55回金馬奨授賞式が台北で行われました。この日は、台湾映画界の歴史に刻まれる1日になったんです。最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞したのは「私たちの青春、台湾」。監督のフー・ユーは、受賞スピーチの場で「台湾独立」について熱く語っていました。
 当時、私も授賞式を生中継で視聴していました。フー・ユーがスピーチを行った後、チェアマンだったアン・リー監督が映し出されたのですが、彼は複雑な表情を浮かべていました。その光景を鮮明に覚えています。私の考えでは「金馬奨の授賞式=映画の大型イベント」。ある意味、オリンピックと同じようなもので、政治的発言は控えるべきだと思っています。
 何故なら、多くの映画人の人生が変わってしまう可能性があるからです。
 この出来事があったことで、2019年、中国本土から金馬奨への参加は実質不可能になってしまいました。中国国内では、金馬奨についての報道が、現在も規制されている状態です。
 金馬奨は、台湾だけでなく、中国本土や香港の映画人が目指した「中華圏映画の頂点」です。中国映画市場が急成長を遂げたゼロ年代後半、中国本土の作品が金馬奨へ積極的に参加するようになりました。この結果、金馬奬の影響力が強くなり「中華圏で最も権威ある映画賞」になったんです。
 そのため、2019年以降に生じた「中国本土作品の不参加」は、作品のセレクトに影響を及ぼすだけでなく、ビジネス面でも大きな損失へと繋がりました。多くの映画人が金馬奨の行方を心配しています。しかし、2019~20年の傾向からは“新たな可能性”を見出すことができるんです。
 まず、10年前からさかのぼってみましょう。10年代に入ってからというもの、中国本土からの作品が多数参加。その影響で最優秀作品賞のノミネートに、純台湾映画が1本しか入っていないという年が何度かありました。
 例えば、2018年・第55回金馬奨では、ノミネートされた5本のうち、4本は中国本土からの出品作。その4本というのが、最終的に作品賞を受賞した「象は静かに座っている」(フー・ボー監督)、「SHADOW 影武者」(チャン・イーモウ監督)、「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」(ビー・ガン監督)、「薬の神じゃない!」(ウェン・ムーイエ監督)。どれも優秀な作品でしたし、納得のセレクトです。だたし、台湾の映画界からは「金馬奨における“台湾の要素”がどんどん少なくなり、台湾映画の発展に影響がでるのではないか?」という疑問が投げかけられました。
 中国映画市場は、ここ10年で北米と肩を並べるほどの成長を遂げました。市場規模はもちろん、資金や人材も豊かです。その反面、香港映画界の人材は本土に流出していき、市場規模がどんどん縮小しています。しかし、これは決して悪いことばかりではないと考えています。
 今の中国映画市場は、毎年さまざまなジャンルの秀作を世に送り出しています。近年の金馬奬では、毎年完成度の高い中華圏映画が集まっていました。そんな環境で「最高の作品」を決めること自体は、素晴らしいことですよね。これが台湾映画界に影響を及ぼすのかどうか――私は、そこまで深刻にならなくてもいいのではないかと思っています。90年代に人気を失った台湾映画は、長年の試行錯誤を経て、中国本土との関係性を含めた“新しい形”を築き上げているからです。
 2008年に公開された「海角七号 君想う、国境の南」(ウェイ・ダーション監督)は、世界における台湾への注目度を飛躍的に向上させた作品です。公開当時は「タイタニック(1997)」に次ぐ、台湾の歴代映画興行成績ランキングの2位という大ヒットを記録。2021年現在でも、台湾映画興収の歴代1位(台湾内)の座についています。私は2019年、同作のロケを行ったリゾート地「墾丁国家公園」を訪れました。その時にも、「海角七号 君想う、国境の南」の痕跡が残っていたんです。
 日本統治時代を舞台にした「海角七号 君想う、国境の南」は、台湾の歴史、文化、そして、台湾“そのもの”が見事に描かれています。本作によって、現地の人々は「台湾」「台湾文化」を見つめ直し、台湾映画界は新たな刺激を受けることになったのです。
 3年後の2011年、ウェイ・ダーション監督は「セデック・バレ」を発表します。先住民族セデック族による抗日暴動「霧社事件」を描いた同作は、台湾映画史上最高額となった7億台湾ドルをかけ、2部作(「セデック・バレ 第一部 太陽旗」「セデック・バレ 第二部 虹の橋」)として製作されました。台湾では予想以上の人気を呼び、第68回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に入選。台湾映画への関心が、さらに高まることになりました。
 「セデック・バレ」のセリフには、セデック語、日本語、そして台湾語が使用されています。ホウ・シャオシェンらがけん引した台湾ニューシネマでは、台湾語を「映画的視点」として取り入れていますが、「セデック・バレ」、そして同作以降の台湾映画では、むしろ“台湾”という存在自体を意識しているように思えます。つまり、もっとローカルとしての“台湾の魅力”を印象付けているのです。
 近年の台湾映画を観察してみると、面白い事実に気づきます。
 実は、台湾語の使用頻度が増えているんです。
 中国では地方都市から大都市への人口流動が進んでいるため、方言を話せない若者が増加しています。私の故郷・上海を例にあげれば、以前は「方言を話すことができない」というのはあり得ないことでしたが、今ではそのような若者たちが普通に存在しています。
 そして、同様の問題が、台湾でも起こっているんです。言語というのは、ある意味、地方の根本的な文化のひとつ。今後その文化が途絶えてしまったとしたら、間違いなく大きな損失です。だからこそ、映画の中に台湾語を取り入れる。そうすることで、社会からの支持も得られるんです。ちなみに、ビー・ガン、グー・シャオガン(「春江水暖 しゅんこうすいだん」)といった新鋭監督は、劇中での方言の使用を徹底しているんですよ。
 Netflixで配信されている「弱くて強い女たち」は、台南を舞台にした家族の物語です。第57回金馬奨で主演女優賞(チェン・シューファン)を受賞した本作では、多くの登場人物が台湾語を披露。台湾語の歌が登場するシーンもありました。
 また、ドキュメンタリー出身のホアン・シンヤオ監督の長編劇映画デビュー作「大仏+」は、台湾語の魅力を上手く作品の中に融和させた最高のブラック・コメディです。金馬奨をはじめ、釜山国際映画祭、東京国際映画祭といった国際映画祭でも人気を博し、中国のソーシャルカルチャーサイト「Douban」では、オールタイムベスト250に選出されています。
 ちなみに、監督第2作「同級生マイナス」が、現在Netflix配信中です。ホアン・シンヤオ監督らしい軽妙な作風で、台湾語を使いながら、台湾の地方都市の風土、空気感を存分に感じさせてくれます。
 さて、中国本土からの出品がゼロとなった第56回(2019)、第57回(2020)の金馬奨に話題を映しましょう。ノミネート作品のリストを見て「寂しい」と感じたかどうか……そんなことは全くありませんでした。台湾映画が、既に新しいステップへと進んでいたからです。第56回金馬奨最優秀作品賞を受賞したのは「ひとつの太陽」(チョン・モンホン監督)、この作品は、トロント国際映画祭、東京国際映画祭などに出品され、第93回アカデミー賞国際長編映画賞のショートリストに選ばれるという快挙を果たしました。
 近年の台湾映画の事情について、さらに注目しておきたいポイントがあります。それが「Netflixへの進出」というもの。元々台湾映画界は、中国本土の市場を重視していましたが、2018年・金馬奨での件によって、その道程はますます険しくなっています。その一方で、海外では台湾映画人気が上昇中。そのため、多くの受賞作品が「世界中の人々に作品を見せる」ということを重視し、海外での劇場公開を行わず、Netflixでの配信を選択しています。従来の海外展開は、Netflixの登場によって、大きな変化を迎えることになりました。
 第55回金馬奨の最優秀作品賞にノミネートされた5作のなかで唯一の台湾映画だった「先に愛した人」は、各国の映画祭で好評を博し、2019年2月からNetflixで全世界配信となりました。偶然か、必然かはわかりませんが、そこから「ひとつの太陽」「弱くて強い女たち」「同級生マイナス」、戒厳令が解除された直後の台湾を舞台にしたLGBTQ映画「君の心に刻んだ名前」(リウ・クァンフイ監督)、チャン・チェン主演のSFミステリー「The Soul 繋がれる魂」(チェン・ウェイハオ監督)、台湾&中国本土で大ヒットを記録した「君が最後の初恋」(イン・チェンハオ監督:8月20日配信)などが、続々とNetflix配信を実現させているんです。
 ローカルな台湾から、グローバルな世界が見えてくる。人々は、そこにあった普遍的な価値観に共感を抱きました。台湾映画には、これから“更なる可能性”が生じてくることは間違いないでしょう。この成功には、今の日本映画界のヒントとなるものがある。私は、そう確信しています。
(徐昊辰)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d245312eaadf80ed70b45d7b8367e363753ca52b

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夏木マリと斉藤ノヴによるチャリティライブオンエア 野田洋次郎、Superfly、Chara、TOSHI-LOWなど

2021-08-15 | アイヌ民族関連
ローリングストーン 2021/08/14 22:00
斉藤ノヴと夏木マリが立ち上げた 「One of Loveプロジェクト」による「One of Loveプロジェクトリモートライブ2021」が、8月14日(土)24:30〜25:25にBSフジでオンエアされる。野田洋次郎、Superfly、Chara、TOSHI-LOW等、プロジェクトに賛同したアーティストが出演する。
斉藤ノヴと夏木マリが2009年に立ち上げた支援活動「One of Loveプロジェクト」は、音楽とバラで途上国の子供たちの教育環境、そしてその母親でもある働く女性たちの雇用整備の向上を目指す支援活動だ。
今年も、昨年に引き続きリモートでの支援GIGとして、「One of Loveプロジェクトリモートライブ2021」の実施が決定し、8月14日(土) 24:30〜25:25 BSフジにてオンエアされる。
出演者は以下の通り。
日川キク子・渡辺かよ(阿寒湖アイヌシアター・イコロ) 、ichiro、大江千里(from NYC) 、加藤ミリヤ、GLIM SPANKY、 Superfly、菅原小春、Chara、TOSHI-LOW(BRAHMAN / OAU)、仲井戸“CHABO“麗市、野田洋次郎+野村 訓市(五十音順)夏木マリ、斉藤ノヴ
コロナ禍によるパンデミックという時世を受け、昨年は初めてリモートライブというかたちで、テレビ番組にてオンエア。多くの視聴者の皆様の支援もあり、水タンク、除菌液、マスクなどを現地へ寄付することができたという。
■OA日時
8月14日(土)24:30〜25:25/ BSフジ
再放送:
【リモートライブ2020】 8月7日 (土)25:00〜25:55 / BSフジ
【リモートライブ2021】 8月25日(水) 26:00〜26:55 予定(※一部地域を除く)
■出演者 
日川キク子・渡辺かよ(阿寒湖アイヌシアター・イコロ) 、ichiro、大江千里(from NYC) 、加藤ミリヤ
GLIM SPANKY、 Superfly、菅原小春、Chara、TOSHI-LOW(BRAHMAN / OAU)
仲井戸“CHABO“麗市、野田洋次郎+野村 訓市(五十音順)
夏木マリ、斉藤ノヴ
<サポートメンバー>
Dr.山内陽一朗
Bs. 川崎哲平
key. 松本圭司
■主催・企画 一般社団法人 One of Loveプロジェクト
■制作著作 BSフジ
■特別協賛 ゴディバ ジャパン株式会社
https://news.goo.ne.jp/article/rollingstonejapan/entertainment/rollingstonejapan-36370.html

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「Reborn-Art Festival 2021-22」が開幕。震災から10年、コロナ禍で問うものとは

2021-08-15 | アイヌ民族関連
美術手帳 8/14(土) 7:07
 東日本大震災で被災した宮城県・石巻地域を舞台に、2017年より開催されてきたアート・音楽・食の総合芸術祭「Reborn-Art
Festival」(RAF)が、その3回目の開催を迎えた。
 震災から10年という節目に開催される今回は「利他と流動性」をテーマに、21年夏会期(8月11日~9月26日)と22年春会期(2022年4月23日~6月5日)に分けて開催。夏会期のキュレーターを務めた窪田研二は、今回のテーマについて次のように語る。
「10年前に震災が起きて世界中の人たちが利他的な精神を持っていたが、それは10年経ってどんどん薄れていく。世界中で色々な分断が起きている現在、利他をあらためてクローズアップし、テーマとして掲げることは非常に重要だ。また、いま非常に硬直化している社会やコロナ禍でどうやってしなやかになれるのか、あるいは生命の循環のことを、私たちはもっと考えなければならない」。
 夏会期は、石巻市街地、女川、桃浦、荻浜、小積、鮎川の6つのエリアで23組のアーティストが作品を展開。石巻市街地と女川では、人間の営みやアイデンティティ、他者との関係性など社会的な要素を含んだ作品が中心に紹介されており、自然豊かな牡鹿半島にある4エリアでは人間と自然との関係性をテーマにした作品が多く集まっている。
石巻市街地
 新しいアートスペースが続々と生まれ、再生が進んでいる石巻市街地。ここで、地元の人々にとってなじみ深い元銭湯やスケート場などを会場に、廣瀬智央、HouxoQue、大友良英、片山真理、雨宮庸介、MESなど10組のアーティストが作品を展示している。
 同エリアの象徴的な建物である旧観慶丸商店の2階では、廣瀬智央が実際のミントを使ったインスタレーションを発表し、清涼感あふれる空間が広がる。石巻を訪れる人の多くが足を運ぶ日和山公園にある旧レストランかしまでは、雨宮庸介が個人と社会、震災以前と以降、コロナ禍における社会などの要素を包括的に取り入れた映像インスタレーション《石巻13分》(2021)を展示。演劇的なインスタレーションを構築することで、人間の普遍的な意識や感覚をよみがえらせる。
 震災以降10年間、人の手が入らずに忘れられた廃墟を併設する旧千人風呂では、ディスプレイが発する人工光や水をメディウムとし、無垢にとらえられる復興の様相の背景に潜む根源を探るHouxoQueのインスタレーション《泉》(2021)が展示。昭和の香りを残す旧サウナ石巻では、「生きる・死なずにすむ・命をとりとめる・生き返る」など多様な意味を持つアイヌ語の言葉をタイトルに冠し、現代の日本におけるアイヌとしての作家自身の立場を見直すマユンキキの《SIKNU
シクヌ》(2021)などがインストールされている。
 石巻の小学生は必ず通うとも言われるプレナミヤギ
アイススケート場では、アーティストデュオのバーバラ・ヴァーグナー&ベンジャミン・デ・ブルカが2019年のヴェネチア・ビエンナーレで発表した映像作品《Swinguerra》(2019)が展示。ブラジル北部の郊外に実在する3組のダンサーグループが登場し、人種や性別、アイデンティティなどの社会的な要素が強調される同作では、ブラジルの若者の現状を垣間見ることができる。
女川駅周辺
 今年で初めて会場に加わった女川は、東日本大震災が引き起こした津波で壊滅的なダメージを受けた。窪田は、「その復興した様子を皆さんに見ていただきたいというのは、今回女川町をエリアとして付け加えた理由のひとつだ」と話す。
 元旦の初日の出が当たるように坂茂によって設計された女川駅舎の前に設置されたのは、会田誠の彫刻《考えない人》(2012)。女川の海に向かって、会田のオリジナルキャラクター「おにぎり仮面」がロダンの《考える人》や《弥勒菩薩半跏思惟像》を思わせる姿勢をとった本作では、日本人の楽観的でいい加減な面もあるという性質を投影している。
 東日本大震災の津波で倒壊転倒した姿のまま残る旧女川交番遺構の前では、オノ・ヨーコが世界中で展開している参加型の作品で、鑑賞者が個人の願いを書いた短冊を木の枝に結ぶ《Wish
Tree》(1996/2021)が展示。女川町海岸広場周辺では、加藤翼が震災で海に流された車を、地元民約100人の力で陸に引き上げる様子をとらえた映像《Surface》(2021)が上映されている。
牡鹿半島(桃浦、荻浜、小積、鮎川)
 牡鹿半島の最初の作品展示エリアは、牡蠣の養殖が盛んな漁村・桃浦。2018年に廃校となった旧荻浜小学校の校庭、倉庫、体育館などには、篠田太郎、サエボーグ、森本千絵×WOW×小林武史、岩根愛などの作品が点在している。
 音楽家でRAF実行委員長である小林武史らによるインスタレーション《forgive》(2021)は、同名の楽曲をモチーフに、震災から10年が経ったことやコロナ禍による非日常感を現実空間に置き換えようとするコレクティブ作品。岩根愛が石巻に1ヶ月半滞在して制作した映像作品《Coho
Come Home》(2021)は、作家が高校時代を過ごしたカリフォルニア北部のマトール川流域と女川の銀鮭をめぐる2つの物語を交差させたものだ。
 名和晃平の《White
Deer(Oshika)》(2017)が設置されている荻浜エリアのホワイトシェルビーチの周辺では、森と海に生息する動植物の生態的サイクルを描いた小林万里子の《終わりのないよろこび》や、布施琳太郎が第二次世界大戦中につくられた秘匿壕(人工の洞窟)を舞台に展開したバルーンの作品《あなたと同じ形をしていたかった海を抱きしめて》、荻浜灯台一帯に出現した狩野哲郎のインスタレーション《21の特別な要求》(いずれも2021)、片山真理が自然の風景とともに撮影したセルフポートレート作品が集まっている。
 牡鹿半島の真ん中あたりに位置する小積エリアでは、RAF2019で同エリアに作品を展開した志賀理江子が栗原裕介、佐藤貴宏、菊池聡太朗とともに新作インスタレーション《億年分の今日》(2021)を発表した。
 小積浜の鹿肉解体処理施設「フィルメント」周辺を舞台に、エリア全体に広がる今回の作品では、湿地化した土地に空気を送るために溝が掘削されている。溝は山の麓へと結ばれ、その周辺には牡蠣殻や鹿の骨、掘り出された瓦礫など並ぶ。
 また、フィルメントの裏手には志賀が同施設を運営する食猟師・小野寺望とビオトープを制作。志賀がRAF2019で発表した作品に使われた立ち枯れた杉の木々と牡蠣殻は、それぞれ池の水門や薪、水質を改善するための底材として使用されている。
 牡鹿半島の南端部にある鮎川エリアでは、島袋道浩が大量の白い砂利を使った《白い道》と、吉増剛造が窓から金華山が見える部屋のガラス窓に詩を書いた《roomキンカザン》(いずれも2019)といったRAF2019の2作品のみの展示となる。
 東日本大震災から10年が経過し、そしてコロナ禍によって人々の営みが抑え込まれる状況が続くなかで今回の芸術祭を開催する意義について、小林武史は次のように述べている。
「いま、コロナの状況のなかで世界中で色々な分断が起こっている。私たちが流動性のなかで様々な出会いのきっかけをつくること、それは全体とのつながりをイメージする利他的なセンスで、
この地域だけでなく、日本やまさに全世界にも通ずる。これからの世界のバランスをとっていかなくてはいけないというタイミングのなかで、この場所で(『Reborn-Art
Festival』を)やり続けていくことは非常に意義があると思っている」。
 また、窪田はこう付け加える。「文化芸術は、人々の考えにオルタナティブな選択肢を付け加えることを可能にする分野だと思う。個々の人たちの未来の想像力が少しでも広がることによって、硬直化した社会が既定路線から外れることが可能になる。その意味でいまだからこそ芸術が必要なもので、『Reborn-Art
Festival』が開催されたことは本当に重要なことだと思う」。
 新たな日常のなかで人間と自然との関係性に改めて向き合い、地域の内側からの復興と新しい循環を生み出すことを目指す「Reborn-Art Festival
2021-22」。その魅力をぜひ現地で体験してほしい。
https://news.goo.ne.jp/article/rollingstonejapan/entertainment/rollingstonejapan-36370.html

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先住民、大統領を国際刑事裁に告訴=「人道への罪」「虐殺」—ブラジル

2021-08-15 | 先住民族関連
時事通信 8月12日(木)11時38分 

【サンパウロ時事】ブラジル先住民協会(APIB)は12日までに、自然保護よりも経済開発を重視するボルソナロ大統領が先住民の生存を脅かしているとして、同氏を「人道に対する罪」や「ジェノサイド(集団虐殺)」の疑いで国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)に告訴した。ICCの検察官が調査し、捜査や訴追について決定することになる。
 APIBは、ボルソナロ政権の施策が迫害に当たり、先住民コミュニティーを破壊するため、故意に心身に損害を与えていると主張。「ブラジルで起こっていることは、ジェノサイドと環境破壊の罪を構成している。現地司法制度は対処する能力がないためICCに訴えた」と述べ、捜査着手を求めている。 【時事通信社】
〔写真説明〕ブラジルの先住民チクナ族=2020年12月、アマゾナス州カンポアレグレ
https://news.biglobe.ne.jp/international/0812/jj_210812_1935554705.html

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