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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ民族ゆかりの市町村紹介 ウポポイで11月15~20日にイベント 特産品販売も

2022-11-13 | アイヌ民族関連
北海道新聞11/12 21:22 更新

【白老】胆振管内白老町の民族共生象徴空間「ウポポイ」で15日から、道や道内の経済団体などが連携し誘客を促すイベント「ルイカ2022」が開かれる。20日までの6日間、アイヌ民族とゆかりの深い道内の市町村を紹介する。
 道や市町村、経済団体など223の企業・団体で組織する「ウポポイ官民応援ネットワーク」の主催。イベント名の「ルイカ」はアイヌ語で「橋」の意味で、官民一体でウポポイの魅力を発信し、誘客効果を全道に波及させようと、初めて開催する。
 エントランス棟の多目的ルームで、白老町や日高管内平取町などの魅力を紹介するPR動画を流し、各地の特産品も販売する予定。期間中はウポポイに関する内容を交流サイト(SNS)に投稿すると、文房具や記念品をプレゼントする。
 初日は午後1時から同ルームでオープンセレモニーを行う。イベントは20日午後3時まで。(竹田菜七)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/759684/

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本当にやっちまった! アニメ化実現の「エグすぎ・渋すぎ」青年マンガ5作品

2022-11-13 | アイヌ民族関連
マグミクス2022.11.12
近年はTVだけでなく配信サービス限定の作品も増え、アニメ化されるマンガ作品はどんどん増えています。そんななかで、青年誌で連載された、エグい、渋いマンガのアニメ化も多数行われてきました。なかには、アニメ化発表で「まさか!」と思わされた作品も……?
変態だらけで「まさかアニメ化されると思ってなかった」作品も
2022年9月、「週刊ヤングマガジン」で連載されている『マイホームヒーロー』(原作:山川直輝 作画:朝基まさし)が、TVアニメ化され23年4月から放送開始となることが発表されました。同作は47歳のしがないミステリー好き会社員が、娘の彼氏を殺害してしまったことから始まるクライムサスペンス。作中には凄惨な描写も多く、SNSでは「まさかアニメ化するとは」「あるとしたら実写化だと思ってた」という声もありました。また、同誌で連載されている『アンダーニンジャ』(作:花沢健吾)のアニメ化も、7月の情報解禁時に「意外!」と話題を呼んでいます。
 こういった青年誌連載のエグくて渋いマンガの「まさかの」アニメ化は、これまでにも存在しました。今回はそのなかかから、特に話題を呼んだ印象的な5作品を紹介します。
●『ゴールデンカムイ』
 現在、第四期が放送されている野田サトル先生原作の『ゴールデンカムイ』も、人気作ながらアニメ化が発表された際は驚きの声があがった作品でした。
 その理由は、グロテスクな描写や、どうかしている下ネタ、変態たちの行動などさまざま。しかし、こうした飛び道具的な部分だけに留まらない、本筋である日露戦争終結後の北海道を舞台にした金塊の在処を示した刺青人皮の争奪戦、さらに歴史ロマンやアイヌ文化の紹介、狩猟グルメといった要素も加わり、唯一無二のテイストを持ったマンガが『ゴールデンカムイ』です。カットされたエピソード(後にOVA化)も多いですが、江渡貝くぅぅんのファッションショーやラッコ鍋など、過激描写含めて見事アニメ化され、人気を博しているのはアニメファンならご存じの通りです。
●『ヴィンランド・サガ』
 幸村誠先生の『ヴィンランド・サガ』は、ヴァイキングがあらゆる地で暴虐の限りを尽くす千年期の終わり頃、最強と謳われた戦士の息子トルフィンが戦場で生きながら、幻の大陸「ヴィンランド」を目指すというマンガです。アニメは2019年7月から2クールにわたって放送されています。
 間違いなく面白い作品ではあるものの、ときに残虐さもあるヴァイキング同士の激しい戦い、今どき珍しい骨太なストーリーのため、当時はどんなアニメになるか心配の声も聞かれました。しかし当時『進撃の巨人』や『甲鉄城のカバネリ』などで名を挙げていたWIT STUDIO制作による作画は美しく、アニメオリジナルシーンも交えたストーリーも丁寧で重厚。完璧なアニメ化で既存ファンの納得はもちろん、新たな作品ファンも獲得しました。
 2023年1月から始まる続編は、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のMAPPAによる制作となりますが、心配以上に期待を高めている人が多いでしょう。
https://magmix.jp/post/119822

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ネタバレ解説 ネイモアの過去とタロカンの歴史『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』が描いたもの

2022-11-13 | 先住民族関連
バゴプラ2022.11.13

『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』ネイモアに注目
映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』が2022年11月11日(金) より公開。2020年8月に大腸癌で亡くなったティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマンを追悼する作品であり、作品の内容もティ・チャラ亡き後のワカンダを舞台にしたものになる。シュリをはじめとする“残された人々”に焦点を当てたテーマが見どころの一つだ。
同時に、『ワカンダ・フォーエバー』ではMCUに新たな重要人物を紹介している。本作のメインヴィランとされているネイモアだ。メキシコ出身のテノッチ・ウエルタ・メヒアが演じたネイモアは、原作コミックの海底王国アトランティスの種族という設定から、タロカンの王という設定に変更されている。アトランティスは古代ギリシャに由来する名前であり、タロカンはアステカの神の楽園“トラロカン”を元ネタにしていると思われる。
MCUでは、ネイモアの設定はアステカやマヤといった南アメリカのメソアメリカ文明をベースに置いたものに変更されたが、『ワカンダ・フォーエバー』ではネイモアの過去とタロカンの歴史はどのように描かれたのだろうか。
以下の内容は『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』の内容に関するネタバレを含むため、必ず劇場で本編を鑑賞してから読んでいただきたい。
以下の内容は、映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』の内容に関するネタバレを含みます。
ネイモアの過去とタロカンの歴史
ネイモアのオリジン
アステカやマヤの蛇の神と同じ名前である“クルルカン”という名前で呼ばれるネイモアは、450年以上もの間生き続けており、タロカンの人々にとっては神のような存在となっている。そのオリジンは、ワカンダと同じくヴィブラニウムの隕石墜落まで遡る。
映画『ブラックパンサー』(2018) では、ヴィブラニウムの隕石が墜落したのは250年前とされている。アフリカに墜ちたヴィブラニウムの隕石は、周囲の植物に神秘の力を与え、それがブラックパンサーの力を与えるハート型のハーブを生み出した。しかし、実際にはヴィブラニウムの隕石はもう一つ地球に墜ちており、メキシコ海岸近くの太平洋に墜ちたことで海草に特別な力を与えていた。
1571年、スペイン人の植民地支配下に置かれ、迫害を受けていたタロカンの先祖は、一人のシャーマンの導きによってヴィブラニウムの影響を受けて育った海草を摂取することになった。ネイモアの母フェンは妊娠しており、お腹の中の子どもに影響が出ることを恐れて当初はこれを拒んでいた。しかし、シャーマンが生まれてきた子どもをタロカンの王とすることを約束し、フェンは遂に海草を摂取した。
タロカン人たちはエラ呼吸となったため地上では息ができなくなり海へと潜った。ワカンダ人とタロカン人の違いは、ワカンダではブラックパンサーとなる王だけがハーブを摂取していたのに対し、タロカンでは全ての先祖が摂取していたということだ。一方、母の体内で海草の影響を受けたネイモアは、海中でも地上で活動でき、足には羽が生えているミュータントとして誕生した。更に老化も遅く、長年の間タロカンの王/神として君臨することになる。
ネイモアの名の由来
タロカン人を故郷から海中へと追いやったのはスペイン人、ヨーロッパの白人であり入植者たちだ。更にネイモアに個人的な復讐の動機を与えたのは母の死だった。地上の故郷で母を埋葬し弔おうとしたネイモアは、スペイン人が建設したスペイン文化の建築物を目にする。
実際の歴史でもスペインは入植後に次々とキリスト教会を含む自分達の文化の建造物をメソアメリカの土地に建て、“歴史”を侵略していった。これに怒ったネイモアとタロカンの戦士たちはスペイン人たちを殲滅し、幼いネイモアはスペイン語で「El niño sin amor(愛のない子ども)」と呼ばれた。これが由来となり、“ネイモア”という呼び名が生まれた。“ネイモア”は、入植者から見たククルカンに対する恐怖と憎悪が生んだ名前だったのだ。
そうしてネイモアは地上の国々へ総攻撃を加えることを決めた。長年に渡り戦争の準備を進め、同じくヴィブラニウムを保持していることで欧米から狙われるワカンダと共に攻撃を開始することを望んでいた。現実においてヨーロッパの国々によって植民地支配され、人々が奴隷にされたアフリカとメソアメリカの歴史を重ね合わせているのだ。
メソアメリカの歴史
ネイモアは、海岸で母ラモンダに「全てを燃やしてしまいたい」と漏らしたシュリに共感していた。それほどまでに執念を燃やすネイモアの背景に共感できるかどうかは、メソアメリカの歴史を知っているかどうかで大きく変わる。
筆者はカリフォルニア州のコミュニティカレッジに在籍していたことがある。その大学では多くの学生が履修する初級の世界史の授業で少なくない時間を費やしてマヤ、インカ、アステカの歴史について学んだ。ヨーロッパ中心史観の“大航海時代”の流れの中ではなく、メソアメリカの歴史の流れを学ぶのだ。
カリフォルニア州には、中南米から移住してきたり移民の先祖を持つ多くのラテン系の人々が住んでいる。自分達の歴史、自分の隣人たちの歴史を学ぶことは自然なことである。
『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』の監督であるライアン・クーグラーと脚本のジョー・ロバート・コールもカリフォルニア州で生まれ育っており、メソアメリカの歴史は一般教養として頭に入っていたのではないだろうか。また、ネイモアを演じたメキシコ人のテノッチ・ウエルタ・メヒアは先住民族であるナワ族とプレペチャ族にルーツがあるという。
『ワカンダ・フォーエバー』では、ネイモアがスペインからの入植者たちについて話すとき、「天然痘」「異教」「言語」を持ち込んだと告発する。タロカンの人々が故郷を追われた1571年は、スペインのコルテスがアステカ王国を侵略し征服してから半世紀後にあたる。コルテスは1519年に中南米に天然痘を持ち込み、アステカ帝国でパンデミックを引き起こして先住民たちに多大な犠牲をもたらした。
更にスペイン人は、アステカ神話に代表されるような先住民たちの宗教をキリスト教に改宗させ、言葉もスペイン語に塗り替えてしまった。現在においても中南米でキリスト教が信仰され、スペイン語が話される背景には、スペイン人の侵略によってパンデミックがもたらされ、先住民が殺され、生きたものは奴隷にされた歴史がある。ネイモアが代弁したのはこの史実なのだ。
Fで描き直した歴史
『ワカンダ・フォーエバー』では、タロカンの人々はネイモアをメソアメリカの神の名前で呼び、ユカテコ語を使用している。いずれもスペインの征服によって失われたものだ。タロカン人たちはそこで豊かな国を築いており、これはメソアメリカの人々にとってあり得た歴史を描いていると言える。
植民地支配された人々が失われた歴史をSFの想像力で描き直し、取り戻す作業は長らくSF作品の中で行われてきた。むしろ、先祖がアフリカからアメリカ大陸へと拉致されたアメリカ黒人の作家たちによって積極的に行われてきた。
2018年に発表されたSF最高賞の一つであるヒューゴー賞では、Best Dramatic Presentationの部門にヒップホップグループのクリッピングによる「The Deep」という曲がノミネートされた。この曲は奴隷船から海に捨てられた黒人妊婦の子ども達が、海中の環境に適応して生き延び、海底に独自の文明を築いていたというストーリーになっている。本作は2019年にノベライズもされている。
『ワカンダ・フォーエバー』では、怒りをたぎらせたネイモアはワカンダとの戦争に突入してしまうが、兄と同じ「気高い生き方」を選んだシュリによって説得を受け、降伏を受け入れる。条件は、タロカンが再び欧米諸国に攻撃されることがあれば、ワカンダがそれを守るというものだ。形はどうあれ、これまで孤立してきたタロカンは初めて同盟国を見つけた。
アフリカの豊かな資源が奪われていなかった「if」としてのワカンダと、メソアメリカの豊かな文化を保持した「if」としてのタロカン。これからのMCUにどんな歴史を刻んでいくのだろうか。
映画『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』は2022年11月11日(金) より、全国の劇場で公開。
『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』公式サイト
『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』のサントラは配信中。CDは11月18日発売で予約受付中。
https://virtualgorillaplus.com/movie/black-panther-wakanda-forever-namor-history/

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<あいち2022> 体制一新の国際芸術祭 担当記者が振り返る 

2022-11-13 | 先住民族関連
中日新聞2022年11月12日 09時30分 (11月12日 09時30分更新)

イワニ・スケース「オーフォード・ネス」
 愛知県内を会場に、七月三十日から十月十日にかけて開かれた三年に一度の国際芸術祭「あいち2022」。あいちトリエンナーレから名称を変更して初めての開催で、三十二カ国・地域から計百組の芸術家が参加した。コロナ禍やウクライナ侵攻といった世界情勢の下、アートの可能性を探ることになった今展。全体を振り返るとともに、担当記者が、印象深かった作品を一作ずつ挙げた。
多様性 アートで深めた
 前回の二〇一九年は企画展「表現の不自由展・その後」に慰安婦を表現した少女像などが出品され、抗議が殺到。「あいち2022」は過去四回続いた「あいちトリエンナーレ」を引き継ぐ形で、名称や組織体制などを一新した。
 「多様な考え方が世界に広がり、戦争(ウクライナ侵攻)も始まってしまった現在において、アートに何ができるのかというのが大きな問いだった。(そうした応答の)一部に前回のことも含まれていると考えてもらってもいい」と、閉幕の日に語った片岡真実芸術監督。展示では、アジアや中南米など、欧米以外の国々からの出展が目立ち、人種やジェンダーの多様性を浮かびあがらせる内容となった。河原温(一九三二~二〇一四年)ら定評ある物故作家の作品を、現役作家の新作とつなげて紹介し、芸術の潮流、文脈をより重視する傾向も感じられた。
 さらに今回の大きな特徴が「愛知の文化や伝統を掘り下げる展示」(片岡監督)だ。愛知芸術文化センター(名古屋・栄)とともに、伝統工芸で知られる同県一宮市、常滑市、名古屋市有松地区が会場に。地域の文化と共鳴しながら、現代芸術が街を彩る光景は新鮮で、芸術祭の新たな可能性を示した。来場者数約四十八万七千人のうち、三会場で六割を占めたのは成功といえるだろう。
 美術批評家の暮沢剛巳さんは「地場産業を、現代アートとつなげながら学ぶ仕掛けがうまくできていた」と評価する。一方、作家の選定について「前回の一件があったからなのかもしれないが、韓国の作家の出展がなかったことが気になった。多様性を意識しているのは非常によく伝わってきただけに“灯台下暗し”の印象はあった」と話した。
イワニ・スケース「オーフォード・ネス」
 いわゆる先住民族出身の作家の作品が、今回の美術展の理念を象徴しているように見えた。オーストラリア出身で先住民族の血をひくイワニ・スケースによるインスタレーション(空間芸術)「オーフォード・ネス」。伝統工芸に呼応しつつも、これまで顧みられてこなかった人々の苦しみの記憶を伝えた。
 自然光の差す明るい空間に、約千個の吹きガラスがしたたり落ちるようにつるされている。場所は有松会場、「豆絞り」の技法で知られる有松絞の老舗「張正」の工房。豆粒にも、雨粒にも見える吹きガラスは、豪州の先住民アボリジニが主食としていたヤムイモの形を模したものだという。
 スケースは一九七三年生まれ。豪州南部ウーメラの出身。一帯は立ち入り制限区として知られ、六百キロ西のマラリンガでは、一九五〇年代に七度にわたり、豪州政府の承認のもとで英国軍による核実験があった。作品名は、かつて核兵器の開発研究施設があった英国の地名にちなむ。
 芸術祭のテーマとして示された「STILL ALIVE」は、日本語で「まだ生きている」の意味。スケースは「アボリジニの人々が生き抜いてきたことを表す言葉」と解釈したと語る。「(名も知れぬ)アボリジニの人々と核実験によってもたらされた死」の物語を、吹きガラスにして託した。実験による多数の犠牲者、放射性廃棄物による土壌汚染、健康被害。植民地支配から現代まで、過酷な運命にさらされたゆえの厳しい表情が、ふぞろいの形をした一つ一つのガラスに映り込んでいるようだ。
 展示期間中の九月八日、英国の君主であり豪州の君主でもあるエリザベス女王が逝去した。女王の死は、英国が核保有国としての国際的地位を築いた陰で、旧植民地に残した「負の遺産」の存在を改めて浮き彫りにする。この作品の発する叫びは、「すでに終わった」過去を掘り起こしたのではない。まさに現在のどこかで響き続けている声なのだと、強く思い知らされる。(宮崎正嗣)
アピチャッポン・ウィーラセタクン「太陽との対話(VR)」
 パフォーミングアーツで出色だったのは、タイの映画監督アピチャッポン・ウィーラセタクンの手掛けた「太陽との対話(VR)」(十月四日、愛知県芸術劇場大リハーサル室)。民話や個人の記憶、時事問題などを巧みに取り込む作風で国際的に評価されてきた監督が、初めてVR(仮想現実)に挑戦した。今作は坂本龍一の音楽と共に神秘的な異空間に入り込む非日常体験もさることながら、「他者の視点」を意識させる仕掛けに驚かされた。
 定員十五人ほどの公演が三十分おきに開催される。二部構成で初めは肉眼での鑑賞。会場を自由に歩き回りながら中央に据えられたスクリーンの両面に投影される映像を見るのだが、そこにはゴーグルを着け、VR体験をしている前の回の参加者もいる。
 ここで、会場には三つの世界が発生する。すなわち、スクリーンの一方の面に映る世界、逆の面の世界、そしてVR世界だ。スクリーンのそれぞれの面には異なる映像が投影される。たとえば道路を埋め尽くす群衆を、路面に近い高さで撮影したものとドローンのように俯瞰で撮ったもの。視点による印象の変化を強く意識づけられる。
 肉眼の鑑賞者は、VR世界を体験者の挙動から想像するしかない。中空を見上げていれば何かが降ってきているのか。回り込むような動きが見えれば、岩でもあるのか。
 決定的なのは、スクリーンの両面に輝く太陽が映し出された時。現実世界のわれわれはくぎ付けになるが、VR世界の人々はまるで違う地点をそろって凝視している。ああ、きっとあの場所に太陽が昇っているのだろう。自分には見えないものを見て、それに従い、行動する。異なる価値観の可視化であり、だからこそ人間には対話が何よりも重要なのだと気付かされる。
 後半はゴーグルを着けてVR世界へ。現実世界からの視線を感じつつ、現実と同じ場所に浮かぶスクリーンを頼りに歩きながら海底のような世界を楽しむ。地表から昇る太陽の中に飛び込むこともできる。終盤、太陽が去ると世界はねじれ、上下左右があいまいになり、スクリーンも虚空に消え去ってしまう。立ち尽くすしかない中で、最後に再び現れた太陽は希望のようであるが、「ポピュリズム」という言葉も脳裏をかすめた。(小原健太)
https://www.chunichi.co.jp/article/581063

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たいわんほそ道~高雄西子湾~古道、湧水、人、時間の交錯する港町

2022-11-13 | 先住民族関連
Nippon .com2022.11.12栖来 ひかり
道とすべきは常の道にあらず。いにしえに生まれた道をさまよいつつ、往来した無数の人生を想う。時間という永遠の旅人がもたらした様々な経験を、ひとつの街道はいかに迎え入れ、その記憶を今、どう遺しているのだろう?連載紀行エッセー、今回は高雄の運河に沿って、寿山のふもと登山街から哨船街を歩く。
日本人が記した天然の湧水
「打狗および旗後には飲料水の善良なるものなし
ゆえに各砲台の守備兵は丁砲台に通ずる道路傍の山腹より
湧いずる清水をもって飲料に供し居れり
この湧水はその量すこぶる多く且つ善良なるものの如し」
高雄市西端の西子湾エリアを長く潤してきた寿山の天然湧水について、120年以上まえに書かれた日本語の文章の一部である。「丁砲台」とは、台湾巡撫の劉銘傳が1886年に建てた大坪頂砲台のことだ。この砲台のそばから、質の良い水が豊富に湧き砲台の守備兵たちが飲料水にしているというのである。
1895年、下関条約で台湾が清から日本へと割譲され、郷土防衛をかかげた抗日武装運動「乙未戦争」の嵐が台湾各地で巻き起こった。打狗(現・高雄市)港外から上陸した日本軍は砲台を次々に占領し打狗を制圧したが、その後の現地調査で当時の台湾総督・樺山資紀へ書き送られた報告書のなかに、その湧水の記述はあった。
日本時代に埋め立て商業地として栄えた哈瑪星(ハマセン)から珊瑚が堆積して出来た寿山のふもとに沿った登山街という通りを西へゆく。修復された日本時代の武徳殿から、台湾の剣道少年たちの溌剌とした声が響いてくる。
登山街が左へ大きくカーブするあたりに山の手へ急な坂がのびる。Y字路を右奥に登ると「登山街60巷の記憶~古道と水路が交わる歴史エリア」という看板が現れた。かつての古道である登山街60巷に絡まるように走る珊瑚石の水路。これこそ、150年以上にわたり寿山より流れ出でたる湧水の道である。
この湧水が流れでる場所は、清朝統治時代には「打水湾(Freshwater Creek)」と呼ばれた。打狗に寄港した商船はみな良質の飲料水を求めて小さなボートを出し打水湾の水を汲んだという。この豊かな湧水に目をつけたのが、イギリス領事のロバート・スウィンホー。台湾各地の植物や鳥類、昆虫、貝類を採集してヨーロッパに知らしめた博物学者でもあり、彼が発見した多くの鳥類がスウィンホーの名を冠する。
スウィンホーは英国領事館建設のため打水湾そばの土地を手に入れたが、打水湾は浅瀬なうえ船着場から少しばかり離れており、結局は外国人墓地となった。今も住宅の裏手にまわると、干した洗濯物の影に十字架とアルファベットの彫られた墓石が顔をのぞかせる。
「打狗」はこの地域の原住民族(台湾における先住民の正式名称)の平埔族、マカタウ族の言葉で竹林を表す「takow」に漢字を当てたもの。日本時代に「高雄」と改められた。また1923年に、打水湾湧水の水源のあたりの貴賓館に皇太子(後の昭和天皇)が宿泊したのをきっかけに、打狗山は「寿山」、貴賓館は「寿山館」と名を変える。
第二次世界大戦が始まり、高雄の街がたびたび米軍の空襲を受けるようになると、登山街60巷には戦時指揮所が置かれ、今もトーチカや防空壕が残る。
戦後には、国民党軍と共に台湾へやってきた防空部隊の家族や浙江地方の人々、湖南や湖北の退役軍人の集落が出来、1980年代まで打水湾の湧水は飲み水として利用された。複雑な歴史のなかで名称は変われども、湧き水はこんこんと絶えることなく交錯する歴史の谷間を流れつづける。
名優のふるさと
香港や台湾映画の名バイプレイヤーとして知られる俳優の太保(タイポー/タイバオ/張嘉年)さんも、ここ西子湾で子供時代を過ごした。1950年に香港で生まれ、1歳のころ中華民国軍の軍人であった父親と共に台湾高雄へ移住した。
太保さんとは、とある映画の仕事で知り合ったのをきっかけに台北でインタビューの機会を得た。その時、彼も侯孝賢監督と同じ高雄育ちであることを知った。
小学校卒業までを高雄で過ごし、退役した父親が開いた旅行社の仕事のため再び香港へと戻った太保さんだが、台湾からやってきた彼を同級生らは広東語で「台湾の野郎(台仔)=タイポー」と囃し立てた。台湾華語の俗語でタイポーは「太保」=ヤクザ者を意味するので、頭に来てはしょっちゅう喧嘩ばかりしていたという。そんなやんちゃな「タイポー」少年も、午馬、羅烈、石天など後の香港アクション映画で俳優や監督として名を知られる仲間とつるむうち、自然に映画界へ足を踏み入れる。
当時の香港で一番大きな制作会社ショウ・ブラザーズに入り、著名な俳優でもある午馬監督の下でスクリプターを始めたのが18歳から。ときは1970年代、武侠映画で人気を博した監督・張徹の作品で、姜大衛、狄龍といったスターが活躍する「武侠カンフーアクション」の黄金時代黎明期だった。
「ひと月のガソリン代にも困るほどギャラは安かったけど、映画づくりが面白くて夢中になったよ。スクリプターから助監督、監督と経験を積んだおかげで、スタントマンや役者として自分が現場で何を求められているかよくわかるようになった」。
台湾・香港映画史を生きる
1973年、ブルース・リー主演の『燃えよドラゴン』で「龍虎武師」(カンフースタントマン)デビュー、そこで頭角を現したジャッキー・チェンに見いだされ、ジャッキーやサモ・ハンのカンフーアクション映画の常連となり、昔のあだ名「タイポー」(太保)を芸名にした。日本のお茶の間でもおなじみのジャッキー作品でスパゲティを頭から被った水夫姿の剽軽な彼を覚えている人も多いだろう。
台湾語も堪能で、1989年、侯孝賢監督の名作『悲情城市』(1989)に台湾華語・台湾語・上海語を操る鉄砲玉の博徒として登場して以降、活躍の場を台湾にも広げ『運転手の恋』『父の初七日』に出演した。幼い頃の台湾生活で身に付けた言葉が、香港アクション黄金時代から台湾ニューシネマ、そして現在へと太保さんを導いた。出演作は300本を超え、台湾と香港のめくるめく映画界50年の目撃者となった。
2019年には、初老の男性同士のせつない恋愛を描いた香港映画『叔・叔』(※1)に主演し、2020年香港「金像奨」で最優秀主演男優賞。同性愛と加齢というテーマは東アジアの映画として初めてともいえ、香港のゲイ・コミュニティについても細やかに描写された。
太保さんが演じるのは、家族のため必死で働いてきた退職間近のタクシー運転手。シングルファーザー男性との出会いと恋を通して、同性を愛する自分、歳を重ねていく自分を見つめる。お芝居と思えぬほど自然なその一挙手一投足に、映画界の酸いも甘いも嚙み分けてきた50年の役者人生が花開くようだ。
この作品のオファーがあった当時、太保さんは仕事で台湾にいた。ゲイ男性という役をやり遂げる自信が持てず、返事を延ばしつづけた。そんな太保さんに、レイ・ヤン(楊曜愷)監督はわざわざ香港から台湾まで3度も会いにやって来た。まさに昔ながらの「三顧の礼」だ。ながい映画人生で最も心に残っている作品を聞くと、
「やっぱり『叔・叔』だね。」
と、はにかむように答えてくれた。
國分直一が育った街
登山街を岬の旧イギリス領事館へと歩けば、通りは哨船街に変わる。古地図を見ればここは日本時代、トロッコ列車も走っていた。旗津行きの連絡船乗り場に近づくと、右手の小高い場所に長屋のような二階建てがある。一見そう古くは見えないが、観察すると増築された下に洋館風の建物があった。少年時代を台湾で過ごした考古学・民族学者の國分直一が育った家と言われている。
1908年、東京に生まれた国分直一は、生後まもなく家族で高雄へ移り住んだ。当時はこのあたりを「哨船頭」といい、父親は近所の郵便局の仕事を得て、一家は二階建て洋館の一階で暮らした。洋館には他にも多くの家族や単身者が住み、郵便局の宿舎のようなものだったらしい。
清朝統治時代に海外貿易港として開かれた哨船頭には、もともと漁民が多く、日本時代には更に日本の漁民も移り住んだ。國分直一の自伝的エッセーおよびインタビューをまとめた『遠い空――國分直一、人と学問』(安渓 遊地, 平川 敬治:編/海鳥社)には、植民地下の台湾南部で、豊かな感受性に支えられて日々の出来事に心を震わせていた國分少年の記憶が鮮やかな筆致で伝えられる。
台風の季節は恐ろしく、船がひっくり返って倉庫の屋根は飛び、死人が海岸沿いに流れ着いた。帰ってこない夫を待ちわびて、日本籍も台湾籍もなく子供の手を引き湾口の高台にあがって不安げに海を見ている漁師の妻たち。
それを眺めると小さい私の胸はつぶれそうに思われた。
とかつての國分少年は書きつづる。
でべその少年
また磯で蟹とりしているとき、哨船頭の漁民の子供「門田金太」と知り合う。金太は無類に喧嘩が強く、魚を釣るのも蟹を取るのも水泳もうまく、運河を泳いでみせ、ひとつだけ「でべそ」を恥ずかしく思っていたという。
のちに、わたしは山口県周防大島町の沖家室島を訪れた際、戦前に沖家室漁民らが哨船頭に漁民集落をつくっていた事を知った。
沖家室の生き字引ともいえる泊清寺の新山住職に問い合わせると、沖家室には確かに「門田」家はあるが、「金太」という子供が高雄に居たか定かではないというので、國分少年の当時の親友「金太」が果たして沖家室出身であったかはわからない。
國分直一は日本に引き揚げ、山口県は下関市で教鞭を取ったあと、終生、山口市で暮らした。かつて哨船頭に暮らしていた日本漁民の多くが山口県から来ていたことを、大人になった國分直一が知っていたかどうか。高雄の運河沿いの小さなひと区画。時を超え名を変えてきたこの場所で、珊瑚石で作られた溝を流れる湧水の如く様々な人生が交錯する。
 バナー写真:旗津への渡り船より見た寿山。かつては野性の猿が沢山住んでおり「猴山(Ape’s hill)」と呼ばれていた。
(※1) ^ 2022年11月26日(土)より全国5都市にて順次開催される「香港映画祭2022」で上映予定。公式サイト:
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02212/

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焦点:カルタゴや奴隷貿易拠点も、アフリカ史跡に気候変動の被害

2022-11-13 | 先住民族関連
ロイター11/12(土) 7:29配信

 アフリカでは気温の上昇や洪水の深刻化など、気候変動のさまざまな影響により、多くの世界遺産や名所が失われる危機にさらされている。写真はガーナで17世紀に奴隷貿易に使用された要塞。8月9日撮影(2022年 トムソン・ロイター財団/Nipah Dennis)
[ナイロビ 8日 トムソン・ロイター財団] - 雪を頂いたキリマンジャロからチュニジアの古代都市カルタゴ、奴隷貿易の拠点だったセネガルのゴレ島まで、アフリカは世界を代表する文化遺産・自然遺産の宝庫だ。
だが今、気温の上昇や洪水の深刻化など、気候変動のさまざまな影響により、これらの遺産や、その他アフリカの多くの名所が過去の記憶となってしまう危機にさらされている。
富裕国は自国の文化財を異常気象や海面上昇から守る対策を急いでいるが、文化財保護の専門家や研究者によれば、アフリカ諸国の場合は資金や考古学の専門スキルの不足といった障害に悩まされているという。
「こうした史跡については、学校で教わった。私たちのアイデンティティーであり歴史であって、かけがえのない存在だ。失われれば、二度と取り戻すことはできない」と語るのは、ケープタウン大学アフリカ気候開発イニシアチブのニック・シンプソン研究員だ。
「アフリカは、人間の活動に由来する気候変動によるものとされる損失・損害を幅広く被っている。生物多様性の喪失、水・食料不足、人命の犠牲、経済成長の鈍化などだ。その上に文化遺産・自然遺産までなくすわけにはいかない」
史跡の中には、すでに失われたものもある。
西アフリカ沿岸部には、植民地時代の奴隷貿易港の史跡が散在する。これらを訪れる人にとって欠かせない儀式は、「帰らざる門」をくぐること。要塞から海岸へと直結する、何世紀も前の関門だ。
大西洋を越える奴隷貿易の時代に故郷から強制的に引き離された何百万人ものアフリカ人をしのぶ慣習であり、地下牢から奴隷船へと連行され二度と帰ることのなかった人々の最後の歩みを逆にたどる。
だが、18世紀にオランダが奴隷を収容していた拠点、ガーナ国内のフォート・プリンゼンスタインでは、元からあった金属製の門と、その脇の通路はすでに失われている。
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産に登録されている同史跡を管理するジェームス・オクルー・アコーリ氏は「史跡の中心である『帰らざる門』は、かなり前に高潮により流失してしまった」と語る。
アフリカの人口は世界全体の約5分の1だが、気候変動の主な要因である二酸化炭素の排出量は全体の4%にも満たない。
にもかかわらず、干ばつや洪水などアフリカ大陸が被っている気候変動の影響は不釣り合いに大きく、各国がインフラの保護や回復力の改善に投資する必要性は明らかだ。
11月6日からエジプトで始まったCOP27(国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議)では、発展途上国による地球温暖化の影響への対応を支援するため、富裕国がどの程度財政的な支援を行うべきか、世界各国の首脳が議論する。
<暴風雨、洪水、侵食>
アフリカで気候変動によるリスクにさらされている文化・自然遺産が総数でどれくらいあるのか包括的なデータはない。ただ、シンプソン氏も共同リーダーとして参加する沿岸部の調査では、すでに56カ所が洪水、そして海面上昇に伴い深刻化する侵食に見舞われていることが分かった。
この調査の結果は2月、科学誌「ネイチャー・クライメート・チェンジ」で発表された。温室効果ガスの排出量の傾向が現状のまま変わらなければ、2050年にはこの数は現在の3倍以上に相当する198カ所に達する可能性があると警告している。
この調査ではリスクにさらされている史跡として、リビアにあるヌミディア/古代ローマ時代の壮大なサブラータ遺跡、アルジェリアにあるカルタゴ/古代ローマ時代の貿易拠点ティパサ遺跡、エジプトにある北シナイ遺跡群などを挙げている。
さらに、どちらもアフリカ奴隷貿易の歴史と関連しているガンビアのクンタ・キンテ島と関連遺跡群、トーゴのアネホ・グリジ村も、やはり危機にひんしているという。
自然環境としての価値が非常に高い名所の数々も、気温の上昇による氷河の融解、海面の上昇、沿岸部の浸食の進行により、極めて危うい状態に置かれている。
その中には、独特の植生と渡り鳥で知られるクラル・ベーリョ湿地(カーボベルデ)や、世界最大級の隆起珊瑚礁で、アルダブラゾウガメの生息地であるアルダブラ諸島(セーシェル)など、生物多様性に富む場所も含まれている。
ユネスコ世界遺産センターのラザーレ・エランドウ・アッソモ所長は「アフリカの世界遺産は気候変動のため、実に深刻な危機にひんしている」と語る。
「暴風雨や洪水、浸食、それに原野火災もある。世界遺産が現在、そして将来的に直面する大きな課題の1つが気候変動であると言えるだろう」
アッソモ氏が特に懸念しているのは、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山(タンザニア)などの自然遺産だという。2040年までにキリマンジャロの氷河は消失すると予想され、森林火災も増加しつつある。
<観光産業も危機に>
気候変動がアフリカの豊かな自然や文化遺産の将来を脅かす中で、こうした名所に関連する雇用や観光業も危機に直面している。
ガーナで奴隷貿易に使用された要塞、ナミビア先住民による岩壁画、ヌーの大移動が見られるマサイマラ国立自然保護区(ケニア)といった観光名所にとっても、先行きは暗い。こうした観光拠点は大勢の訪問客を集め、年間数百万ドルもの観光収入を生み出している。
たとえばガーナの奴隷要塞群は同国の歴史を構成しているだけでなく、海外に離散したアフリカ系の人々にとって、自らのルーツとのつながりを取り戻し、先祖に敬意を捧げるための巡礼の地となっている。
アフリカ出身奴隷のアメリカ大陸到着が最初に記録されてから400年となった2019年には、ガーナで「帰還の年」というイベントが開催された。記録的な数のアフリカ系米国人や欧州人が、史跡をめぐるツアーのため訪れた。
アフリカ南部に位置するナミビアには、アフリカ大陸有数の岩壁美術を見るために毎年数万人の観光客が訪れ、過疎状態の地元コミュニティーが切実に必要としている収入をもたらしている。
ユネスコ世界遺産に登録されているトゥウェイフルフォンテーンなど古代の岩線刻画や彫刻は、畜産を営むダマラ族や欧州からの植民者の到着よりずっと前に、狩猟採集民族のサン族によって作られた。
だが考古学者らは、気候変動に関連する急激な洪水や砂塵、植物の成長、菌類、近隣地域で水を探す砂漠の生物が、こうした芸術の存亡を脅かしていると懸念している。
インドネシアからオーストラリアにかけての一帯でも、気温の振れ幅の拡大や洪水、原野火災といった気候変動の影響によって、古代芸術の重要な拠点で、表面の剥離どころか岩壁の破裂といった現象まで生じていることを考古学者が確認している。
ナミビアの在野の考古学者であるアルマ・メコンジョ・ナンケラ氏は、同国の岩壁芸術遺産にも同じ問題が待ち構えているものと危惧している。
「実際、作品の劣化が見られるし、しかも非常に急速に進行している」とナンケラ氏は言う。さらに同氏は、劣化の要因の大半は「気候変動に関連している可能性が高い」と続ける。
長期的な気候変動を理解・追跡するには、長年にわたる資金・リソースを緊急に確保する必要があるとナンケラ氏は主張する。
野生動物保護関係者によれば、ケニアでは、自然遺産として世界で最も有名な光景の1つであるヌーの大移動もリスクを抱えているという。
この大移動は、地上における動物の移動の中でも指折りの迫力だ。何万頭ものヌー、シマウマ、ガゼルが、タンザニアのセレンゲティ国立公園からケニアのマサイマラ国立自然保護区へと、国境を越え、毎年決まったルートをたどって移動する。
アフリカ東部に位置するケニアにとって、もっぱらマサイマラにおけるサファリツアーを軸とする観光産業は経済の重要な柱であり、200万人以上の雇用を生み、国内総生産(GDP)の約10%を占める。
だが野生動物保護の専門家によれば、大移動も危機にさらされているという。微妙な均衡を保つマサイマラの生態系において干ばつと洪水が増加し、ヌーが草を食べる土地が奪われているためだ。
それによって、ケニアに移動する動物の数や滞留する期間にも影響が出ている。
<求められる調査拡大、リソース強化>
気候変動に関連したアフリカの文化遺産・自然遺産の損失・損害は、広範囲にわたる影響を及ぼす可能性がある。だが、富裕国における観光名所に生じているリスクほど大きな関心は寄せられていない。
ある調査では、文化遺産・自然遺産に対する気候変動の影響に対する研究のうち、アフリカ関連はわずか1%に留まっていると推定している。だがここ数十年、地球温暖化の最前線に立たされているのはアフリカ大陸なのだ。
フランス国立自然史博物館人間環境部のデービッド・プルードー准教授は「もっと各国に考古学者が必要だ」と語る。プルードー氏はナミビアのエロンゴ地域における考古学研究チームを率いている。
ナミビアの考古学者ナンケラ氏と協力関係にあるプルードー准教授は「ナミビア人研究者の教育を強化し、予算を増やし、同国の世界遺産委員会がもっと多くの考古学者を採用する必要がある」と主張する。
ガーナやエジプトなどは、沿岸部の名所を保護するため、巨費を投じて防潮壁や防波堤を建設している。
だがアフリカ気候開発イニシアチブのシンプソン氏によれば、こうした「ハードによる保護」戦略は将来の海面上昇を考慮していない場合が多く、その場所の生態系の自然な均衡をゆがめかねない。
岩壁と潮汐湿地や海藻類、あるいは波による作用を緩和する再生マングローブなど、天然のインフラを利用する「ハイブリッド保護」の方が効果が高くなる可能性がある。
さらに、危機にひんしている名所に関連するガバナンスを改善し、保全・保護の取り組みに地元コミュニティーを関与させていくことも不可欠だとシンプソン氏は言う。
フォート・プリンゼンスタインに戻ろう。管理担当者のアコーリ氏は、今も残る数少ない奴隷収容施設の1つで、壊れかけた後壁に刻み込まれた言葉を指し示す。「ライオンが自分の歴史家を持つまで、英雄は常に猟師だ」
「歴史がゆがめられる例は多い」とアコーリ氏は言う。「こうした史跡は、私たちに辛い真実を語ってくれる。だから私たちは史跡を保護する必要がある。過去に何が起きたのかを知り、将来学べるように」
(Nita Bhalla記者)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4d2fb3243177cadb5b2eaaa79a3ccd2e27e3b26

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アイヌ語しってる? カムイチェプ

2022-11-13 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/11/13 東京朝刊 有料記事 569文字
カムイチェプ サケ
 アイヌにとって、秋(あき)に川(かわ)を上(のぼ)ってくるサケは食(た)べ物(もの)にもなり、道具(どうぐ)の材料(ざいりょう)にもなります。汁物(しるもの)に入(い)れたり焼(や)いたりして食(た)べるのはもちろん、干(ほ)して保存食(ほぞんしょく)にします。皮(かわ)は、靴(くつ)や着物(きもの)などの材料(ざいりょう)となります。アイヌはサケをよく観察(かんさつ)していて、どの季節(きせつ)なのか、オスとメスどちらなのか、川…
この記事は有料記事です。 残り342文字(全文569文字)
https://mainichi.jp/articles/20221113/ddm/013/100/001000c

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宇梶静江さんの人生=真貝恒平 /北海道

2022-11-13 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/11/13 地方版 有料記事 509文字
 6月上旬、白老町の民家。部屋の窓から差し込む初夏の陽光が、宇梶静江さん(89)を包み込んでいた。その表情はどこまでも穏やかだった。10月30日の本紙1、3面「迫る」欄で宇梶さんの歩んできた人生を取り上げた。400行以上の記事で誰を取材するか。すぐ頭に浮かんだのが宇梶さんだった。そして会うたびにその判断に間違いはなかったと思えた。
 アイヌにルーツを持つ宇梶さん。幼少から青春時代にかけて、差別やいじめに苦しみ、心の中でアイヌに触れることも避けていた。「内なるアイヌ」と向き合えない怒りや悔しさから、30代で新聞に投稿し「同胞」への連帯を呼び掛けた。そして60代。古布絵(こふえ)に出合うことで、自らのルーツを真正面から見つめ直す。
この記事は有料記事です。 残り193文字(全文509文字)
https://mainichi.jp/articles/20221113/ddl/k01/070/014000c

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