文春オンライン11月26日
雪国では、積雪のために冬期通行止めとなる道路は珍しくない。だが、1年のうち約1ヵ月しか通行できない道路と聞いて、残りの11ヵ月間通行できない理由を即答できる人はほとんどいないだろう。それどころか、そもそも「そんな道路がなぜ建設されて存在するのか」と疑問を抱いてもおかしくない。
そんな道路が、北海道に実在する。その名は道道1116号線。通行期間が極端に限られる“幻の道路”として、近年はわざわざこの道路を走るために、北海道外からもドライバーやライダーがやってくるという。
“幻の道路”の入口は…
毎年9月から10月の約1ヵ月だけ通行が認められるのは、旭川空港の南東約20kmに位置する忠別湖の北岸にあるチョボチナイゲートから、北方の東川北7線ゲートまでの12.4km。もともとは富良野市から上川町までの一般道路として計画された道道1116号線(富良野上川線)の一部区間が、“幻の道路”と化している。

![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/66/d0201bc395ccd123ac43b30d0c35a783.jpg)
チョボチナイゲートの看板
チョボチナイとはいかにもアイヌ語っぽい地名で、ゲートの手前に架かる車道の橋はチョボチナイ橋、その下を流れて忠別湖へ注ぎ込む渓流はチョボチナイ沢と名付けられている。だが、この地域に関するアイヌ語の地名解説書を開いても、「チョボチナイ」という地名そのものは出てこない。
ただ、明治・大正期の古地図を見ると、現在のチョボチナイ沢のあたりに「カムイチェプオッナイ」(鮭・乱入する・谷川)という川が流れている(由良勇『上川郡内 石狩川本支流 アイヌ語地名解』P83より)こと、そこから「カムイ」を取った「チェプオッナイ」(魚・多くいる・川)でも意味が通る(北海道庁ホームページ「アイヌ語地名リスト」より)ことから、「カムイチェプオッナイ」あるいは「チェプオッナイ」が転じて「チョボチナイ」になったのではないか、と推測することはできる。
いずれにせよ、稚内とか幌加内のように漢字が充てられずカタカナ表記のままにされたことで、北海道の原野を走る“幻の道路”の入口らしさを際立たせている。
カーナビで検索できない出発ゲートを探す
チョボチナイゲートの周辺に人家はなく、旭川方面から走ってくると、左側に金網が張られている先でゲートの入口が唐突に現れる。左折の交差点であることを示す標識がないので、ゲートに気づいてもすぐに左折できず、少し先まで行ってUターンしてくる車も少なくない。
そうした自動車の多くは、カーナビにゲートの位置が表示されないのではないかと思われる。私が旭川で借りたレンタカーのカーナビも、チョボチナイゲートはおろか、そこから道道1116号線の途中までは道路自体が表示されなかった(Googleマップではゲート名と道路が表示される)。
ゲートの前では、愛車を停めて記念撮影をする人も多い。ライダーならゲートの片隅にバイクを停めやすいが、四輪車はゲートの真正面か、チョボチナイ橋の先にあるスペースに停めるほうが通行の妨げにならないだろう。チョボチナイ橋からは穏やかな忠別湖も眺められる。
開通日や期間の発表もギリギリまでわからない理由は…?
ゲートの入口には「チョボチナイゲート」と大書された看板のほかに、「開通 富良野上川線」の文字と、その対象区間と期間を掲示する看板が立てられている。
ここに「開通」の文字が掲げられていたのは、今年は「令和4年9月8日11時から令和4年10月13日11時まで」、つまり35日間だけ。この看板に「開通」の文字が掲げられてゲートが開いている状態は、それ自体がとてもレアな光景であることを、記念写真を撮る訪問者はみんな知っているのだ。
積雪のために冬期通行止めとなる道路は北海道中にあるが、雪が融けても9月まで通行止めが続くのは、「地滑りの危険がある」ことが理由とされている。
もともとは冬期以外は通行できる想定で建設されたのだが、平成24年の開通後、春先から雪解け水の影響で地下水位が上昇し、地滑りが発生する危険があることが判明したという。その結果、翌年の冬期通行止めが終わっても4年以上ずっと通行できず、平成29年9月になってやっと1ヵ月間だけ通行が認められるようになった。
冬期通行止めが終わっても9月まで待たなければならないのは、雪解け水の水量が落ち着いて地滑りの危険が減少するのが9月頃だからである。自然が相手だからか、キリ良く「9月1日~10月31日」というような期間設定にはならない。
今年(令和4年)も、「9月8日11時」との開通日時や開通期間が発表されたのは、9月に入ってからであった。この道路を走るために飛行機で現地を訪れようとする(私のような)遠方からの旅行者にとっては、スケジュール調整に苦労させられるところだ。私が訪れたのは、9月のある晴れた平日である。
チョボチナイゲート側はアップダウンが激しい1.5車線
開放されているチョボチナイゲートに入ると、いきなり目の前を大きなリスが横切った。その後すぐ、「11%」の勾配標識が目に飛び込んでくる。100m進むと高度が11m上がるという意味で、角度に直すと6度強。その後も、林の中を蛇行する1.5車線の道路脇に、何度も勾配標識が現れる。
道幅が狭いことも手伝ってスピードは出しにくいが、この季節は窓を開けて走ると気温も最適(この日は車外気温が17~18度だった)で、心地よい森林浴ドライブとなる。
アップダウンが続く細道の途中、江卸越支線という林業専用道が右の林の中へ分岐している。道道を外れたスペースに工事用車両が駐車していて、「工事用車両出入口」ののぼりが立てられているが、今日は人影はない。専用道の入口はチェーンで封鎖されているので、一般車両は立ち入れない。こうした林道が、この後もいくつか分岐している。
ただ、工事と言っても、この1.5車線の道道の本格的な拡幅を図っているわけではない。この区間は計画当初、トンネルや大型橋梁によって忠別湖の東岸を経由して富良野方面へ通じるはずだった。
だがその後、代替ルートとなる他の高速道路や国道の整備が進み、建設の費用対効果の低下が見込まれたことから、建設済みの区間はそのままとしつつ、残りの未開通区間は1.5車線で整備することにして早期開通と大幅なコスト削減を図った。それがこの区間なのだ。したがって、現在の細い道路が完成形なのであって、将来も拡幅の可能性は皆無と思われる。
ルート中最大の名所・嶺雲橋を訪れると…
ゲートから約10分走ったところで、道路が上下2車線に拡がった。ここから先は対向車を気にする必要もなく、よりいっそう快適なドライブコースとなる。
そこから2分も経たないうちに、前方に、左へ大きくカーブする巨大な橋が見えてきた。区間中最大の名所として注目を集める嶺雲橋だ。正しい読み方は「れいうんはし」で(橋梁にひらがなのプレートが設置されている)、この先にある橋も、すべて「~ばし」ではなく「~はし」と濁らない。
この道路の訪問者であれば誰もが知る絶景ポイントとあって、橋の手前に4台、橋上に3台、四輪車が駐車していて、橋上を思い思いに歩いている。休日になるともっと賑わうらしい。特に橋見学のための駐車スペースが確保されているわけではないので、なるべく静かに絶景を楽しむなら、平日の早い時間帯が望ましいだろう。
橋の上からは旭川市街を見はるかすことができる。時折通過する自動車やバイクの音以外は、鳥のさえずりが聞こえてくるだけ。9月下旬になるとわずかに紅葉が始まっている。10月初旬の開通期間終了間近になれば、今後の寒暖差次第でさらに山々が色づいてくると思われる。わずかな訪問期間が紅葉の季節に近いことも、この“幻の道路”の名を高める要因の一つと言える。
最後の橋は「昭和生まれ」
嶺雲橋を出発すると、しばらく一直線の下り坂を進む。嶺雲橋の上からも見えた旭川市街を左前方に遠望しながら下っていき、右へ右へと大きくカーブして林の中を突き進むと、次の祥雲橋(しょううんはし)に差し掛かる。
倉沼川支流を渡るこの橋も左へ弧を描いているが、嶺雲橋に比べると全長は短い。橋上から旭川方面を望めるが、ここで再び停車する自動車やバイクは少ない。一人で橋の上に佇んでいると、反対車線をサイクリングする自転車が2台、颯爽と通過していった。
祥雲橋を渡り終えると、すぐに次の景雲橋(けいうんはし)が見えてくる。橋の袂に取り付けられているプレートには「平成4年11月完成」と刻まれている。祥雲橋にも同じプレートが見られる。嶺雲橋に設置されているプレートには「平成八年十月完成」(こちらは漢数字表記)とあるので、この道が、チョボチナイゲートとは反対側から徐々に南下して建設されてきたことがよくわかる。
この2つの橋よりもさらに早く完成していたのが、景雲橋から緩やかな下り道をしばらく快走していった先で、倉沼第一沢川の真上に架けられている清水橋(しみずはし)だ。
眼下を流れる渓流のせせらぎが聞こえる橋の欄干に掲げられたプレートの完成年月は「昭和63年10月」! 昭和時代に完成してすでに34年が過ぎようとしているのに、その間、忠別湖畔やその先の富良野方面へ抜けられるルートの一部としての役目をこの橋が果たしていたのは、通算で7ヵ月ほどしかないのである。厳しい自然環境の中で、この道路の活用を願って30余年前に建設に携わった人たちは、“幻の道路”と化した現状をどう思うだろうか。
「1年に1ヵ月だけ」の稀少性が生む独自の付加価値
区間内で唯一の直線型橋梁である清水橋を渡ると、原生林の中の坂道をさらに下り続けて2分ほどで、頭上に青い案内標識が現れた。
この先で左折すれば東川市街、直進すれば「21世紀の森」と称する旭川の自然公園に至る、とのこと。チョボチナイゲートから12kmを過ぎて登場した、この区間内唯一の案内標識(反対車線を走った場合はチョボチナイゲートの手前に青の案内標識がある)のすぐ先に、区間終点の東川北7線ゲートがあった。
ゲートを通過する車やバイクの多くは、左折して東川市街方面へと走り去っていく。チョボチナイゲートからここまでの区間全体にわたって、沿道に人家は一切ないし、自動販売機やトイレなども存在しない。観光地化されていない北海道の原風景に触れられるのは、もともと、通行自体が観光目的化することを想定されていないのだから、当然ではある。
とはいえ、全行程を走り抜ける間に、生活上の必要があって通行していると思われる近隣住民の自動車や、道内各地の道路で頻繁にみられる大型トラックなどの物資運搬車両は、いずれも姿を見かけなかった。
区間内で見かけたのは、“幻の道路”目当てにやってきた観光客ばかり。皮肉なことに、「1年に1ヵ月しか通行できない」という不便極まりない稀少性が、農産品・林産品流通における利便性、主要観光地へのアクセスの向上、といった本来の目的をほとんど果たせていないこの道路に独特の付加価値を与えて、遠来の観光客を招き寄せているのである。
公共交通網の運営の観点から言えば、公道が年間で11ヵ月も通行止めになる事態は妥当とは言い難い。ただ、仮に地滑り対策工事が完了して通年、あるいは冬期以外の約半年は通行可能になったら、この道路の観光資源としての価値は大きく失われるだろう。
今年は10月13日午前11時、予定通りにゲートが閉じられた。冬期通行止め期間は来年5月9日午前11時まで。だが、おそらくは来年も冬期通行止め期間に続いて、地滑りの危険ゆえに通行止めが続くと思われる。“幻の道路”は今年もつかの間の活況を終え、来秋までの長い眠りについたところである。
https://bunshun.jp/articles/-/58470