先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ文化 体で吸収だ

2022-11-27 | アイヌ民族関連
中日新聞2022年11月26日 05時05分 (11月26日 10時43分更新)

アイヌ民族の遊びを楽しむ児童たち=南砺市上平小で
言葉遊びや踊り 上平小児童学ぶ
 世界の音楽や文化を体験する出前授業「アウトリーチ」が二十五日、南砺市上平小学校であり、児童五十八人が北海道に伝わるアイヌ民族の遊びや踊りをアイヌ民謡のアーティスト、マユンキキさん(北海道旭川市出身)から学んだ。
 一~三年の児童二十四人は「タンペイエ」「カナクン」などのアイヌ語を使った言葉遊びと、二人一組が音楽のリズムに合わせて前後左右に引っ張り合う遊びを教えてもらった。最後に、バッタの動きをまねた「バッタ踊り」をマユンキキさんと一緒に輪になって楽しみ、アイヌ文化の一端に触れた。
 児童たちは「見たことがない文字を知ることができた」「こういう踊りがあることを知らなかった」と感想を述べた。
 毎夏に南砺市内で開かれるワールドミュージックの祭典「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」の実行委が出前授業を企画した。(広田和也)
https://www.chunichi.co.jp/article/589387?rct=k_toyama

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ文化、身近に 横浜で3年ぶり「感謝祭」 /神奈川

2022-11-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/11/27 地方版 有料記事 432文字
 アイヌ民族の歌や踊りといった文化を発信する「アイヌ感謝祭」が26日、横浜市港北区で3年ぶりに開催された。首都圏で暮らすアイヌがつくる「チャシ・アン・カラの会」が主催し、アイヌ民族の伝統や歴史を伝えた。
 北海道内と比べ認知度が低い関東地域の人々にアイヌを知ってもらおうと、2010年から始めた。今回で10回目。12年以降は毎年開催していたが、新…
この記事は有料記事です。 残り260文字(全文432文字)
https://mainichi.jp/articles/20221127/ddl/k14/040/069000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平取ダム完成で しゅんこう式

2022-11-27 | アイヌ民族関連
NHK11月26日 18時56分

日高の平取町で建設が進められてきた平取ダムが完成し、26日、しゅんこう式が行われました。
平取ダムは、北海道開発局が、日高西部の沙流川の支流、額平川に9年前からおよそ670億円かけて建設を進めてきたもので、ことし7月からすでに運用が始まっています。
ダムの完成を受けて、26日、平取町にある体育館で国や地元の関係者など、およそ120人が出席して、しゅんこう式が行われました。
この中で、北海道開発局室蘭開発建設部の篠宮章浩部長があいさつし、「この流域は、幾度となく洪水に見舞われて、甚大な被害を受けてきた。また、平取町や隣接する日高町では安定した水源の確保が長年課題となっており、これらを解決するためにダムの建設を行った」と述べました。
また、北海道開発局の担当者が工事の状況などについて報告をしたあと、出席者の代表がくす玉を割って完成を祝いました。
北海道開発局によりますと、平取ダムは、えん堤の高さが55メートル、幅は350メートル、総貯水量は4580万立方メートルで、ダムの建設で水没する地域にはアイヌの人たちの祈りの場が含まれることなどから新たにアイヌ文化を伝える施設が設けられました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20221126/7000052843.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横切るリス、緑に覆われた約12キロ…北海道で1年に1ヵ月だけ通行できる「幻の道路」をドライブすると?

2022-11-27 | アイヌ民族関連
文春オンライン11月26日
 雪国では、積雪のために冬期通行止めとなる道路は珍しくない。だが、1年のうち約1ヵ月しか通行できない道路と聞いて、残りの11ヵ月間通行できない理由を即答できる人はほとんどいないだろう。それどころか、そもそも「そんな道路がなぜ建設されて存在するのか」と疑問を抱いてもおかしくない。
 そんな道路が、北海道に実在する。その名は道道1116号線。通行期間が極端に限られる“幻の道路”として、近年はわざわざこの道路を走るために、北海道外からもドライバーやライダーがやってくるという。
“幻の道路”の入口は…
毎年9月から10月の約1ヵ月だけ通行が認められるのは、旭川空港の南東約20kmに位置する忠別湖の北岸にあるチョボチナイゲートから、北方の東川北7線ゲートまでの12.4km。もともとは富良野市から上川町までの一般道路として計画された道道1116号線(富良野上川線)の一部区間が、“幻の道路”と化している。

チョボチナイゲートの看板
 チョボチナイとはいかにもアイヌ語っぽい地名で、ゲートの手前に架かる車道の橋はチョボチナイ橋、その下を流れて忠別湖へ注ぎ込む渓流はチョボチナイ沢と名付けられている。だが、この地域に関するアイヌ語の地名解説書を開いても、「チョボチナイ」という地名そのものは出てこない。
 ただ、明治・大正期の古地図を見ると、現在のチョボチナイ沢のあたりに「カムイチェプオッナイ」(鮭・乱入する・谷川)という川が流れている(由良勇『上川郡内 石狩川本支流 アイヌ語地名解』P83より)こと、そこから「カムイ」を取った「チェプオッナイ」(魚・多くいる・川)でも意味が通る(北海道庁ホームページ「アイヌ語地名リスト」より)ことから、「カムイチェプオッナイ」あるいは「チェプオッナイ」が転じて「チョボチナイ」になったのではないか、と推測することはできる。
 いずれにせよ、稚内とか幌加内のように漢字が充てられずカタカナ表記のままにされたことで、北海道の原野を走る“幻の道路”の入口らしさを際立たせている。
カーナビで検索できない出発ゲートを探す
 チョボチナイゲートの周辺に人家はなく、旭川方面から走ってくると、左側に金網が張られている先でゲートの入口が唐突に現れる。左折の交差点であることを示す標識がないので、ゲートに気づいてもすぐに左折できず、少し先まで行ってUターンしてくる車も少なくない。
 そうした自動車の多くは、カーナビにゲートの位置が表示されないのではないかと思われる。私が旭川で借りたレンタカーのカーナビも、チョボチナイゲートはおろか、そこから道道1116号線の途中までは道路自体が表示されなかった(Googleマップではゲート名と道路が表示される)。
 ゲートの前では、愛車を停めて記念撮影をする人も多い。ライダーならゲートの片隅にバイクを停めやすいが、四輪車はゲートの真正面か、チョボチナイ橋の先にあるスペースに停めるほうが通行の妨げにならないだろう。チョボチナイ橋からは穏やかな忠別湖も眺められる。
開通日や期間の発表もギリギリまでわからない理由は…?
 ゲートの入口には「チョボチナイゲート」と大書された看板のほかに、「開通 富良野上川線」の文字と、その対象区間と期間を掲示する看板が立てられている。
 ここに「開通」の文字が掲げられていたのは、今年は「令和4年9月8日11時から令和4年10月13日11時まで」、つまり35日間だけ。この看板に「開通」の文字が掲げられてゲートが開いている状態は、それ自体がとてもレアな光景であることを、記念写真を撮る訪問者はみんな知っているのだ。
 積雪のために冬期通行止めとなる道路は北海道中にあるが、雪が融けても9月まで通行止めが続くのは、「地滑りの危険がある」ことが理由とされている。
 もともとは冬期以外は通行できる想定で建設されたのだが、平成24年の開通後、春先から雪解け水の影響で地下水位が上昇し、地滑りが発生する危険があることが判明したという。その結果、翌年の冬期通行止めが終わっても4年以上ずっと通行できず、平成29年9月になってやっと1ヵ月間だけ通行が認められるようになった。
 冬期通行止めが終わっても9月まで待たなければならないのは、雪解け水の水量が落ち着いて地滑りの危険が減少するのが9月頃だからである。自然が相手だからか、キリ良く「9月1日~10月31日」というような期間設定にはならない。
 今年(令和4年)も、「9月8日11時」との開通日時や開通期間が発表されたのは、9月に入ってからであった。この道路を走るために飛行機で現地を訪れようとする(私のような)遠方からの旅行者にとっては、スケジュール調整に苦労させられるところだ。私が訪れたのは、9月のある晴れた平日である。
チョボチナイゲート側はアップダウンが激しい1.5車線
 開放されているチョボチナイゲートに入ると、いきなり目の前を大きなリスが横切った。その後すぐ、「11%」の勾配標識が目に飛び込んでくる。100m進むと高度が11m上がるという意味で、角度に直すと6度強。その後も、林の中を蛇行する1.5車線の道路脇に、何度も勾配標識が現れる。
 道幅が狭いことも手伝ってスピードは出しにくいが、この季節は窓を開けて走ると気温も最適(この日は車外気温が17~18度だった)で、心地よい森林浴ドライブとなる。
 アップダウンが続く細道の途中、江卸越支線という林業専用道が右の林の中へ分岐している。道道を外れたスペースに工事用車両が駐車していて、「工事用車両出入口」ののぼりが立てられているが、今日は人影はない。専用道の入口はチェーンで封鎖されているので、一般車両は立ち入れない。こうした林道が、この後もいくつか分岐している。
 ただ、工事と言っても、この1.5車線の道道の本格的な拡幅を図っているわけではない。この区間は計画当初、トンネルや大型橋梁によって忠別湖の東岸を経由して富良野方面へ通じるはずだった。
 だがその後、代替ルートとなる他の高速道路や国道の整備が進み、建設の費用対効果の低下が見込まれたことから、建設済みの区間はそのままとしつつ、残りの未開通区間は1.5車線で整備することにして早期開通と大幅なコスト削減を図った。それがこの区間なのだ。したがって、現在の細い道路が完成形なのであって、将来も拡幅の可能性は皆無と思われる。
ルート中最大の名所・嶺雲橋を訪れると…
 ゲートから約10分走ったところで、道路が上下2車線に拡がった。ここから先は対向車を気にする必要もなく、よりいっそう快適なドライブコースとなる。
 そこから2分も経たないうちに、前方に、左へ大きくカーブする巨大な橋が見えてきた。区間中最大の名所として注目を集める嶺雲橋だ。正しい読み方は「れいうんはし」で(橋梁にひらがなのプレートが設置されている)、この先にある橋も、すべて「~ばし」ではなく「~はし」と濁らない。
 この道路の訪問者であれば誰もが知る絶景ポイントとあって、橋の手前に4台、橋上に3台、四輪車が駐車していて、橋上を思い思いに歩いている。休日になるともっと賑わうらしい。特に橋見学のための駐車スペースが確保されているわけではないので、なるべく静かに絶景を楽しむなら、平日の早い時間帯が望ましいだろう。
 橋の上からは旭川市街を見はるかすことができる。時折通過する自動車やバイクの音以外は、鳥のさえずりが聞こえてくるだけ。9月下旬になるとわずかに紅葉が始まっている。10月初旬の開通期間終了間近になれば、今後の寒暖差次第でさらに山々が色づいてくると思われる。わずかな訪問期間が紅葉の季節に近いことも、この“幻の道路”の名を高める要因の一つと言える。
最後の橋は「昭和生まれ」
 嶺雲橋を出発すると、しばらく一直線の下り坂を進む。嶺雲橋の上からも見えた旭川市街を左前方に遠望しながら下っていき、右へ右へと大きくカーブして林の中を突き進むと、次の祥雲橋(しょううんはし)に差し掛かる。
 倉沼川支流を渡るこの橋も左へ弧を描いているが、嶺雲橋に比べると全長は短い。橋上から旭川方面を望めるが、ここで再び停車する自動車やバイクは少ない。一人で橋の上に佇んでいると、反対車線をサイクリングする自転車が2台、颯爽と通過していった。
 祥雲橋を渡り終えると、すぐに次の景雲橋(けいうんはし)が見えてくる。橋の袂に取り付けられているプレートには「平成4年11月完成」と刻まれている。祥雲橋にも同じプレートが見られる。嶺雲橋に設置されているプレートには「平成八年十月完成」(こちらは漢数字表記)とあるので、この道が、チョボチナイゲートとは反対側から徐々に南下して建設されてきたことがよくわかる。
 この2つの橋よりもさらに早く完成していたのが、景雲橋から緩やかな下り道をしばらく快走していった先で、倉沼第一沢川の真上に架けられている清水橋(しみずはし)だ。
 眼下を流れる渓流のせせらぎが聞こえる橋の欄干に掲げられたプレートの完成年月は「昭和63年10月」! 昭和時代に完成してすでに34年が過ぎようとしているのに、その間、忠別湖畔やその先の富良野方面へ抜けられるルートの一部としての役目をこの橋が果たしていたのは、通算で7ヵ月ほどしかないのである。厳しい自然環境の中で、この道路の活用を願って30余年前に建設に携わった人たちは、“幻の道路”と化した現状をどう思うだろうか。
「1年に1ヵ月だけ」の稀少性が生む独自の付加価値
 区間内で唯一の直線型橋梁である清水橋を渡ると、原生林の中の坂道をさらに下り続けて2分ほどで、頭上に青い案内標識が現れた。
 この先で左折すれば東川市街、直進すれば「21世紀の森」と称する旭川の自然公園に至る、とのこと。チョボチナイゲートから12kmを過ぎて登場した、この区間内唯一の案内標識(反対車線を走った場合はチョボチナイゲートの手前に青の案内標識がある)のすぐ先に、区間終点の東川北7線ゲートがあった。
ゲートを通過する車やバイクの多くは、左折して東川市街方面へと走り去っていく。チョボチナイゲートからここまでの区間全体にわたって、沿道に人家は一切ないし、自動販売機やトイレなども存在しない。観光地化されていない北海道の原風景に触れられるのは、もともと、通行自体が観光目的化することを想定されていないのだから、当然ではある。
 とはいえ、全行程を走り抜ける間に、生活上の必要があって通行していると思われる近隣住民の自動車や、道内各地の道路で頻繁にみられる大型トラックなどの物資運搬車両は、いずれも姿を見かけなかった。
 区間内で見かけたのは、“幻の道路”目当てにやってきた観光客ばかり。皮肉なことに、「1年に1ヵ月しか通行できない」という不便極まりない稀少性が、農産品・林産品流通における利便性、主要観光地へのアクセスの向上、といった本来の目的をほとんど果たせていないこの道路に独特の付加価値を与えて、遠来の観光客を招き寄せているのである。
 公共交通網の運営の観点から言えば、公道が年間で11ヵ月も通行止めになる事態は妥当とは言い難い。ただ、仮に地滑り対策工事が完了して通年、あるいは冬期以外の約半年は通行可能になったら、この道路の観光資源としての価値は大きく失われるだろう。
 今年は10月13日午前11時、予定通りにゲートが閉じられた。冬期通行止め期間は来年5月9日午前11時まで。だが、おそらくは来年も冬期通行止め期間に続いて、地滑りの危険ゆえに通行止めが続くと思われる。“幻の道路”は今年もつかの間の活況を終え、来秋までの長い眠りについたところである。
https://bunshun.jp/articles/-/58470

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さっぽろパペットシアター「北のおばけ箱2」

2022-11-27 | アイヌ民族関連
ようこそSAPPORO11月26日

配達やさんのフクロウが宅配便で届けてくれた「北のおばけ箱2」!! びっくり箱のような宅配便から飛び出したゆかいで、とぼけたおばけたちが、たくさん登場します! 北海道のおもしろおばけたちがたくさん登場する「アイヌ民譚集~えぞおばけ列伝(知里真志保編訳)」を題材に、ちょっととぼけていて、どこかかわいい北海道のおばけたちが大活躍するユニバーサルな舞台をクリスマスにお届けします。障がいのある子どもたちと一緒に人形や仮面、舞台美術を製作。可能性は無限大!子どもたちのアートにもご注目ください。 第2弾の今回は、さらに多くの方に楽しんでもらえるよう、手話通訳もあります。ぜひお楽しみください♪ 『おはなし』 ある日パナンぺは丸木舟で川に出ました。すると自分のふんどしが川に流されてしまいます。 川下に探しに行くと、川べりに一軒の立派な家が建っていました。そこにいたのは、なんと川の女神さま!実は、この女神には困ったことがありました。夜になると、この家に鬼が現れ、好き放題するのです。 心やさしいパナンぺは、機転をきかせて女神さまをお守りし、沢山のご褒美をもらいました。 それを聞きつけた意地悪なペナンぺ、さっそく川の女神さまに会いに行きますが…
開催期間
2022年12月24日~2022年12月25日
12/24(土)開演14:00開場13:30
12/25(日)開演11:00開場10:30/開演14:00開場13:30
開催場所
札幌市こどもの劇場やまびこ座
札幌市東区北27条東15丁目
主催者 札幌演劇シーズン実行委員会
料金
18歳以上:1200円 
5歳~17歳:500円 
5歳以下無料(要予約)
前売・当日共通/全席自由
各回定員100名 観劇には事前のご予約が必要です
※5歳未満の無料観劇も事前にご予約ください。
お問合せ 札幌市こどもの劇場やまびこ座
電話011-723-5911
公式サイトhttps://s-e-season.com/jlyp2022/
https://www.sapporo.travel/event/event-list/event-list_101029/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前田敦子さんが朗読 27日、静岡・駿府城公園で「東京キャラバン」 野田秀樹さん演出

2022-11-27 | アイヌ民族関連
あなたの静岡新聞11月26日
 演出家、劇作家の野田秀樹さんが演出するパフォーマンス企画「東京キャラバン the 2nd」(東京都など主催)が27日、静岡市葵区の駿府城公園で開かれる。伝統芸能、日本舞踊、音楽など多様な表現者が出演し、“文化混流”のステージを創る。

多彩なパフォーマンスが融合する「東京キャラバンthe2nd」の舞台=26日午後、静岡市葵区の駿府城公園
 県内から出演する横須賀高郷土芸能部は、地元の三社祭礼囃子(ばやし)を披露。笛、太鼓の演奏や踊りに他のパフォーマーが絡む。琉球舞踊とアイヌ古式舞踊のグループが同時に演舞する場面もある。女優の前田敦子さんは朗読を披露する。
 「東京キャラバン」は東京五輪・パラリンピックに合わせた文化プログラム企画として2015年に始まり、20年1月までに国内各地とブラジルで開催された。今回は静岡市と東京・池袋の2会場で開く。
 野田さんは「異文化が出合うことで刺激し合い、新しい文化が生まれてくる。将来に向けて種まきをしたい」と話した。横須賀高3年の加藤吏温さんは「これまで他と交わることがなく、とても楽しい経験をしている」と語った。
 観覧無料。27日午後1時からと4時半からの2回。開演1時間前に整理券を配布する。
https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1156100.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天地人 2022年11月26日

2022-11-27 | アイヌ民族関連
WEB東奥2022年11月26日
 「小山先生が亡くなった…」。消え入りそうな声で連絡が入った。10月27日午前のことだ。電話の主は三内丸山遺跡センター所長の岡田康博さん。声の調子から相当ショックを受けていることが分かった。
 小山先生とは国立民族学博物館名誉教授の小山修三さんのこと。縄文ブームの立役者の一人だ。人生の師と仰いだ存在だっただけに当方も少なからず衝撃を受けた。そして頭に浮かんだのは四半世紀前の拙宅での光景だった。
 チャリチャリ~ン。床に寝そべるやいなや、小山さんのズボンのポケットから大量の小銭があふれ出るではないか。目をまん丸にする小学生の息子。居間に入るやいなや靴下を脱ぎ出したのにはびっくりしたが、何より小さなことを気にしない大人(たいじん)ぶりに驚かされた。良家の男の子がそのまま大きくなったような人だなとも。
 好奇心の赴くままどこにでも出かける研究者-。評判通りの人だなとも思った。県内外で度々行動を共にしたが発想力には舌を巻いた。功名心渦巻く世界に身を置きながら出世欲、嫉妬心といった世俗的な感情とは縁遠い不思議な存在だった。どこで悟ったのか。
 あふれ出るのは小銭だけではなくアイデアも。晩年はアイヌ文化の研究にも関心を示していた。「あのね、思い浮かんだことがあるんやけど聞いてくれる」。その言葉をもう耳にすることはできない。享年83。
https://www.toonippo.co.jp/articles/-/1431770

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・レノン追悼コンサート 札幌で12月8日 オノ・ヨーコさんいとこが実行委 /北海道

2022-11-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/11/27 地方版 有料記事 349文字
 ビートルズの元メンバーで1980年に亡くなったジョン・レノンの追悼コンサート「GIVE PEACE A CHANCE! ~今こそ平和にチャンスを!~」が命日の12月8日、札幌市中央区北1西1の札幌市民交流プラザで開かれる。
 1990年代から続いてきたが、新型コロナウイルスの感染拡大で中断され、今回…
この記事は有料記事です。 残り199文字(全文349文字)
https://mainichi.jp/articles/20221127/ddl/k01/200/008000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールデンカムイ」ファンから見た感想は…『ポケモンSV』かいじゅうマニアの変態的センス

2022-11-27 | アイヌ民族関連
インサイド11/26(土) 12:00配信
※本記事は『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』の内容に触れています。ネタバレにご注意ください。
『ポケットモンスター』シリーズにおいて、毎回強烈なインパクトを残しているモブトレーナー「かいじゅうマニア」。最新作『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』(ポケモンSV)にも登場しているのですが、なぜかその姿に一部界隈が盛り上がっています。
◆ポケモン世界に舞い降りた変人トレーナー
「かいじゅうマニア」は、その名の通り“かいじゅうっぽい”ポケモンをこよなく愛するトレーナーたち。手持ちポケモンの顔ぶれはもちろん、作品によっては自らきぐるみを着用し、自分の趣味をアピールしていることもあります。
今作では、その個性に拍車がかかっている印象。角を生やしたような髪型に加え、服にはカイリューやギャラドス、ガルーラやサイドンを模したぬいぐるみの“頭部”がいくつも縫い付けられていました。
一般的なプレイヤーからすると、前衛的なファッションセンス…という感想で終わるかもしれません。ですが大ヒット漫画「ゴールデンカムイ」のファンから見ると、また違った見え方をしてくる部分があります。
「ゴールデンカムイ」は明治時代末期の北海道を舞台として、屈強な漢たちやアイヌの少女、そして“変態”的なキャラクターが入り乱れるサバイバル漫画。奇人変人の筆頭として、江渡貝弥作という青年が脳裡に焼き付いている人も少なくないでしょう。
あらためて確認すると、「かいじゅうマニア」はポケモンの顔面を服に取り入れるという奇癖の持ち主。「ゴールデンカムイ」を読んだことがある人なら、そこから思わず江渡貝弥作の奇行を連想してしまうのではないでしょうか。
実際にSNSなどでは、「かいじゅうマニアの服が江渡貝くんのやつにしか見えない」「江渡貝弥作くんの新作で笑っちゃった」といった感想も見られます。もちろん、顔面の“素材”に用いられているものは全くの別物だとは思いますが…。
ちなみにこちらはたんなる偶然の一致以上のものではないのですが、「かいじゅうマニア」本人のキャラクターデザインについては、白石由竹にそっくりだという声も。
「ゴールデンカムイ」ファンからすると嬉しい偶然ではあるものの、ただただ服の素材に“おとしもの”が使われていないことを祈るばかりです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ca37aa6e88c8be640219161adb341ce2833b9283

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真家・星野道夫さんの写真展 開催中

2022-11-27 | 先住民族関連
読売新聞2022/11/27 05:00

写真展が行われる東京都写真美術館に搬入された星野さんの作品には、極北の雄大な自然のなかで生きる動物たちが息づいている
◆東京都写真美術館(目黒区)で
 日に照らされ黄金色に輝くグリズリー、いてつくツンドラの大地に生きるカリブーの群れ――。北米アラスカの雄大な自然、そして、その中を生きる野生動物が躍動する瞬間を捉えた写真に、思わず引き込まれてしまう。
 写真家の星野道夫さん(享年43歳)の写真展「悠久の時を旅する」が東京都写真美術館(目黒区)で開催され、多くの家族連れが訪れている。
 星野さんは慶応大学在学中の19歳の時、アラスカの先住民族の村の空撮写真に魅せられ、その後、先住民族の村を訪れた。3か月間過ごした後、1978年に移り住み、広大な大地に生きる野生動物や人々の取材に取り組んだ。
 出産、子育てのために1000キロにも及ぶ移動を繰り返して暮らすカリブーなどを追いかけながら、アラスカの動物の生態を通じて自然と人間の関わりや、命のつながりを見つめ続けた。
 96年8月、ロシア・カムチャツカ半島でヒグマに襲われて不慮の死を遂げたが、生命力あふれる美しい写真は、現在も人々を魅了している。
 星野さんの妻で、写真を管理している星野道夫事務所代表の星野直子さん(52)は、「見る人にとって、大自然の営みや何千年と変わりなく続く時の流れなど、いろいろな物語を感じることができるのでは」と話す。
 吹雪の中、ホッキョクグマの親子がぴったりと寄り添って眠る写真の前で、小学生くらいの男の子がクマをまねるように、父親にくっつき、ニコッと笑いかけていた。
 「自然と命」を追い続けた星野さんの写真展は来年1月22日まで。(写真と文 川口正峰)
※写真は11月8日~20日、目黒区の東京都写真美術館などで撮影。
https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/news/20221126-OYTNT50217/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソロプチ大分―みどり、ネパールに中古眼鏡 ヤノメガネの協力受け準備

2022-11-27 | 先住民族関連
Gate2022/11/27(日) 03:01.
 【大分】大分市の国際ソロプチミスト大分―みどり(清藤倫代会長)は四半世紀にわたり、ネパール南部デウクリ地区に住む先住民族タルー族の女性の自立を支援している。12月末には中古の眼鏡100本を贈る。同市のヤノメガネの協力で準備を進めている。・・・
※この記事は、11月27日 大分合同新聞 7ページに掲載されています。
残り 559文字
この記事はGate会員限定の記事です。
https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2022/11/27/JD0061880031

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プエルトリコ、古代のペトログリフと伝承に出合う旅

2022-11-27 | 先住民族関連
ナショナルジオグラフィック2022.11.27
チュパカブラよりすごい? 先住民タイノ族の歴史に触れるルート

タイナ・ルートでは、儀式の中心地や墓などを通じてプエルトリコの文化の起源を垣間見ることができる。写真は北部アレシボにある、ペトログリフ(岩面彫刻)が多く刻まれた洞窟。(PHOTOGRAPH BY RUSSELL KORD, ALAMY STOCK PHOTO)
 1990年代に未確認動物チュパカブラが報告されたカリブ海の米国自治領プエルトリコ。島の緑豊かな高地は、この伝説の吸血獣を探す人々にとっては格好の場所だ。しかし、これらの高地を巡る「タイナ・ルート」には、伝説をはるかに超える歴史が隠されている。(参考記事:「UMA“チュパカブラ”の正体とは?」)
 タイナ・ルートは、プエルトリコ北岸のアレシボから南岸のポンセまで、二つの主要都市をつなぐ全長70キロのルート。海辺の洞窟に隠された古代のペトログリフ(岩面彫刻)から、山中の神聖な儀式場まで、島の先住民タイノ族の文化をたどることができる。
 タイノ族は、南米から移住してきたアラワク語を話す人々の子孫だ。かつてはスペインによる征服で滅亡したと考えられていたが、現在でもカリブ海からコロンビア、ベネズエラに至る地域で存続している。ユカ(イモの一種)に肉と野菜を詰めた料理「パステレス」や、リュウゼツラン(竜舌蘭)を用いた伝統的なハンモック編みなど、タイノ族の遺産はプエルトリコのアイデンティティーに組み込まれている。プエルトリコ人の自称である「ボリクア」も、タイノ族の言葉「ボリンケン」に由来している。
 タイノ族は「生きている世界」を尊重しており、そのやり方を私たちが理解することが重要だと、米スミソニアン協会カリブ海先住民遺産プロジェクトの研究者クリスティーナ・ゴンザレス氏は、米スミソニアン国立アメリカ・インディアン博物館誌「American Indian」の2018年秋号の記事に書いている。(参考記事:「歴史から抹殺されたカリブのタイノ族、復活の肖像、写真8点」)
 2016年以来、考古学者やプエルトリコ文化研究所、地元の保護活動家が協力して、タイナ・ルートを活用することでこの遺産を広めようとしている。旅行者がタイノ文化に浸る機会も増えつつある。以下では、この島を形作った風習に触れられる場所を紹介する。車を借りて自分のペースで巡ってもいいし、ツアーに参加するのもよい。ひょっとしたら道中でチュパカブラに出会えるかもしれない。
自然と聖なる空間
 タイナ・ルートには、プエルトリコでも特に多くのペトログリフが集中している。7世紀から15世紀にかけて彫られた顔や動物、神の像は、魅力的なシンボルであるだけでなく、タイノ族の歴史を深く理解させてくれる。アレシボ北部にある海食洞「クエバ・デル・インディオ」やポンセ近くの儀式場など、ルートの両端にある海岸沿いの遺跡は訪れる価値があるが、中間の緑豊かな地帯にも、タイノ族の精神的伝統の本質が記録されている。
 ルートの中ほどに位置する都市ウトゥアードの西にある「カグアナ儀礼先住民遺産センター」には、ペトログリフが刻まれた岩が囲む中庭が多くある。並ぶ石の中には腰の高さ以上のものもある。この広場は「バテイエ」と呼ばれ、儀式での踊りや礼拝活動、儀式的な球技のために使われた神聖な場所と考えられている。
「タイノとは直訳すれば『善良な人々』という意味です」と、タイノ族統一連盟(UCTP)のロベルト・ムカロ・アグエイバナ・ボレロ会長は言う。「交流のしかたや、タイノ族が参加する儀式が、彼らを『タイノ』にしたのです」
 カグアナのペトログリフは、アンティル諸島の中で最も鮮明なものの一つでもあると、プエルトリコ大学考古学研究センターのイボンネ・ナルガネス所長は説明する。「このペトログリフは、非常に古くて複雑な神話の伝統を暗示していて印象的です」と氏は言う。
 なかでも有名なのは、しゃがんだアタベイの像で、創造の母および地球の意識として描かれている。人目を引くアタベイの像は、タイノ族にとって、すべてのものが生きており、つながっていることを思い出させてくれる重要な存在だ。
 ウトゥアードの東には、タイノ族長ハユヤにちなんで名付けられたハユヤ地方があり、プエルトリコにおけるタイノ族の中心地として知られている。ここは、タイノ族が崇拝する山であり「3つの峰」を意味するトレスピカチョスがそびえ立つ、タイナ・ルートの中で最も人気のある場所の一つだ。
 標識に沿って歩くと、「ラ・ピエドラ・エスクリタ(刻まれた石)」と呼ばれる、ペトログリフで覆われた高さ約4メートルの巨石が見えてくる。魅力はその大きさや、膨大な数のペトログリフだけではない。この石はサリエンテ川の中にあるのだ。訪れればタイノ族が尊重している世界を感じることができるかもしれない。
 同じくハユヤには「セミ博物館」がある。この博物館では、祖先の守護霊を具現化した霊的な像「セミ」を展示している。聖なるトレスピカチョスの3つの峰のように、ほとんどのセミも3つの頂点をもち、創造や、生者と死者の精神的な世界の重なりを表している。博物館の建物自体も3つの頂点をもつセミに似た形だ。
 タイナ・ルートは、現在タイノ族が多く住むインディオス地方の近くにあるポンセで終わる。カグアナに匹敵する規模の「ティベス儀礼先住民センター」では、発掘調査が続けられている。これまでに西暦25年以降の遺物が考古学者によって発見されており、敷地内の博物館で見学することができる。
民間伝承、霊、伝説
 1995年にプエルトリコが国際的なチュパカブラ探しの中心地になるずっと前から、吸血鬼や悪霊はこの「魅惑の島」に出没していた。タイノ族は「フピア」と呼ばれる死者の霊を信じていた。この霊はフクロウやコウモリ、人間の姿に変身し、ときに邪悪な目的をもって夜に姿を現す。1990年に出版された小説『ジュラシック・パーク』では、謎の死を遂げた青年を襲った犯人としてフピアの名が挙がった(実際には恐竜の仕業だった)。
 1975年、プエルトリコ西部のモカ付近で、コウモリに似た人型の吸血動物が家畜を殺したと報告された。2018年には、北部バルセロネタ付近で新たな吸血の未確認動物「ガーゴイル」が出現した。この2本足で翼をもつ捕食者は、チュパカブラと同じように硫黄のにおいがしたという。人々がこれらの獣を信じようが信じまいが、チュパカブラの伝説はこの山々に根付き、今でも民間伝承の魔法が鳴り響くこの土地の歴史に加わったのだ。
未来の可能性
 ツアー会社イスラ・カリベの歴史ツアーガイドのメリーナ・アギラル氏によると、500年以上前のプエルトリコの史跡の存在に大半の観光客が驚くという。「プエルトリコに来て目にしたものに驚くだけでなく、そんなものがここで見られるということ自体に驚くのです。しかも、地中にはまだ多くのものが隠されています」
 未発掘の遺跡の調査やさらなる修復作業には、まだまだ多くの資金が必要だが、2017年のハリケーン「マリア」と2022年の「フィオナ」の壊滅的な影響により、インフラの発展が妨げられている。タイナ・ルート沿いのすでに孤立している地域は、電気・ガス・水道などの復旧と被害の除去が最も遅れている地域の一つだ。
 それでも発展は可能だ。特にタイノ族の活動家たちは、先祖から受け継いだ知識を遺跡に取り入れるために、遺跡の共同管理を求めている。「私たちが何者か、いかに遺産を展示すべきかについて、どうして私たちの遺産と何も関係のない人たちが指図できるのでしょうか?」とアグエイバナ・ボレロ氏は言う。「私たちはタイノ族として、土地と先祖に対して義務と責任を負っていると感じています」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/111500525/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナの旗はメイン州全体に表示されます。 なぜ?

2022-11-27 | 先住民族関連
KENMINSOUKO11月 26, 2022 Nakanishi Jun
メイン州ウォルドボロ – 海辺の町ウォルドボロにあるエレインとラルフ・ジョンストンの金物屋を訪れ、牡蠣と水遊びを求めてハマグリ採掘者。 ロシアがウクライナに侵攻して以来、彼らはさらにエキゾチックなアイテムを手に入れることに成功しました.15.99ドルで販売されているウクライナの旗です.
メイン州では、黄色と青の旗 (ウクライナの豊かな小麦畑を象徴する黄色と、上空を表す青) がフラッグスタッフからはためいています。 ロブスターのフロート、納屋の扉、海塩をまぶした屋根板の家、松林に囲まれたキャビンを飾ります。
ウクライナの誇りのシンボルが大規模なディアスポラ コミュニティを部分的に反映しているニューヨークやシカゴのような都市とは異なり、メイン州にはウクライナの伝統を持つ人々はほとんどいません。 しかし、州内に旗が広く存在していることは、別の種類の連帯を示しています。 マイナーは、彼らの精神は堅実であり、厳しい冬と同様に厳しい経済から生まれたと言うのが好きです.
「そこの人々は自分たちの土地と生存のために戦って良い仕事をしています。メイン州の私たちはそれが大好きです」とジョンストンさんは言いました. 「私たちは、私たちが感じていることを感じてくれる人々に旗を売っています。」
メイン州内陸部の田舎町スコウヒーガンで、クリスマス リースのビジネスも営む請負業者のトム マッカーシーが、作業場が間もなく完成する旗職人に電話をかけました。
「私は言った、『あなたができる最大のウクライナの旗にしてください』」とマッカーシーは言った. “彼がやった。”
マッカーシー氏は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と同盟を結んだ権威主義 的指導者が支配する隣国ベラルーシからの交換留学生を受け入れたことがあるが、ウクライナと家族関係はありません。
「メイン州の大半の人々は、パルプ材からジャガイモ畑、ブルーベリー畑からカニの水まで、それがどんなに苦労するかを知っています。ある日は何かがあり、別の日はそうでないことを私たちは知っています」とマッカーシー氏は語った. 「ウクライナの人々も生存者であり、旗を掲げています。それはちょっとした証拠です。しかし、それは私にできることです。」
マッカーシー氏が電話をかけた旗職人のビル・スウェイン氏は、隣人から電話があったとき、ウクライナ国旗の形をGoogleで検索する必要があったと語った。 スウェイン氏は通常、ホテルのカーテンや旗を松の木と古いメイン州の紋章である星で飾っています。
彼は、ウクライナ国旗の上半分にある特別な青の色合いは、特別に注文する必要があると述べました。 これは、ノルウェーとリベリアの国旗の濃い青 (Pantone 281) や、オランダとスロベニアの国旗のロイヤル ブルー (Pantone 293) ではなく、まれなスカイ ブルー (Pantone 2935、会社用語では色の権威と見なされている) です。
スウェイン氏はパントン 2935 で大量の布を注文した。マッカーシー氏から 5 x 8 フィートの旗を購入した彼は、ウクライナのシンボルが人気になるだろうと語った。
4月に最初のウクライナ国旗を作って以来、スウェイン氏は2,000以上の旗を販売しており、アメリカとメイン州の旗よりも速い販売速度です. ウクライナの国旗を掲げることはメイン州だけの現象ではないことを思い起こさせるように、国中からリクエストが寄せられており、彼は収益の 4 分の 1 をウクライナで運営されている慈善団体に寄付しています。 彼の会社で最年長の旗職人は 73 歳です。
「旗を作るときは、正しくやりたいと思います」とスウェイン氏は言いました。 「私たちの旗のように縫製されていない印刷された旗を見ると、すぐにそれが長持ちしないことがわかります。」
メイン州は、南海岸と広大な内陸部との間で政治的に分割されており、選挙人団の投票を選挙区ごとに行う 2 つの州のうちの 1 つです。 2020 年の大統領選挙では、バイデン大統領が海岸に立ち、ドナルド J. トランプ前大統領が内側に立っています。
しかし、ウクライナの和解は超党派です。
「ウクライナは赤か青の問題ではなく、青と黄色の問題だ」と、ベトナム戦争時代の退役軍人であるマッカーシーは語った。
メイン州フレンドシップに住むキンバリー リチャーズは、3 世代目のロブスター漁師と結婚しており、カスタム カラーの組み合わせでホワイト シダー フロートをペイントしています。 市販のロブスターマンは、色の帯を使用して、トラップの上に浮かぶブイをマークします。 今年、彼女は黄色と青でたくさん絵を描き、Waldoboro の Johnstons ハードウェア ストアで青い絵の具を購入しました。
「メイン州のほぼ全員が、そこで起こっている不正を理解しており、ウクライナの人々への支持を示したい」とリチャーズ氏は語った.
金物店のオーナーであるジョンストン夫人の家族は、第二次世界大戦の初期にソビエト連邦に侵略されたフィンランドからアメリカに来ました。 ジョンストン夫人の祖母は、彼女が幼い頃にメイン州に到着し、雪に覆われた土地を別の土地と交換しました。
ジョンストン氏は、「プーチン大統領がこのように振る舞っていると、ウクライナ人がどのように感じているかを知っています」と語った。
フィンランド人は、スコットランド人やスウェーデン人とともに、花崗岩の採石場で働くためにメイン州にやって来ました。 他の移民は、先住民族の連合であるワバナキ コンソーシアムの本拠地である土地に木材を運搬し、製紙工場を養うためにやって来ました。
しかし、近年、アフリカやアジアからの移民がメイン州に到着しているにもかかわらず、メイン州の現在の人口のわずか 4% が外国生まれであり、その多くは紛争によって家を追われています。
バンツー ソマリア系のムヒディン レイブは、ビザの宝くじに当選した後、2005 年にメイン州ルイストンに到着しました。 州内の約 2,000 人のバントゥ族が社会サービスにアクセスし、涼しい気候で伝統的な農業の洞察力を適用するのに役立ちます。 (ソマリアの少数民族であるバントゥ族は、かつて他の民族グループによって奴隷にされていました。)
バントスが植える土地を探してメイン州の田舎をドライブしていると、レバ氏は農家からはためくウクライナ国旗を目にする。
「ウクライナの旗がメイン州の庭にあります。その支持を見るのは良いことです」とレバ氏は言いました。
しかし、多くのウクライナ人が侵略後すぐに国外に避難した一方で、彼は米国に移住するチャンスを勝ち取る前に、ケニアの難民キャンプで 20 年間過ごしたと述べました。
「その一部は、白人のウクライナ人に対処する人々にかかっていると思います」とレバ氏は語った。 「あなたは、あなたと同じように困っている人を助けたいのです。彼らはアフガニスタン難民やバンツー難民に対して同じように感じますか?」
アフリカ、アジア、中東からの避難民と比較して、ウクライナの難民はヨーロッパや米国でより迅速に、より広い範囲で歓迎されました。
ウクライナ出身の Oleg Opalnik は 2002 年にメイン州に来て、現在は建設および不動産会社を経営しています。 州には数十人のウクライナ人しかいないと推定されています。 ロシアがウクライナに侵攻したとき、彼は何かをしたいと切望していました。
「最初は、ウクライナに行って戦いたいと思っていましたが、あそこよりもここから多くの人を助けることができることに気付きました。」
オパルニク氏はこれまでに、国土安全保障省のプログラムの下でメイン州に到着した 24 人のウクライナ人を支援してきました。このプログラムでは、約 10 万人のウクライナ人が、財政的なスポンサーがあれば、最大 2 年間米国に滞在することができます。 オパルニク氏は、今後数週間でメイン州に到着する他の18人のウクライナ人の世話もしていると彼は語った.
これまでに到着した24人のウクライナ人のうち、働く許可を得たのは1人だけだとオパルニク氏は述べ、コミュニティからの継続的な歓迎がさらに重要になっている. ウクライナ人がオパルニク氏が提供したアパートに定住したルイストンとオーバーンの町民は、衣服、家具、食料を寄付しました。
「彼らはここの車や建物のいたるところにウクライナの旗を目にし、彼らは幸せなマインを感じています」とオパルニク氏は新参者に言及して語った. 「アメリカ人、特にメイン州の人々は、苦しんでいる人々に対して敏感な心を持っています。」
https://kenmin-souko.jp/ウクライナの旗はメイン州全体に表示されます%E3%80%82/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族食材で創作料理 シカ肉、たき火で香り高く

2022-11-27 | アイヌ民族関連
自然への畏敬、ウポポイで
日本経済新聞2022年11月26日 1:49 [有料会員限定]
アイヌ民族文化を学べる「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(北海道白老町)の中核施設、国立アイヌ民族博物館のゲート手前に、レストラン「焚火ダイニングカフェ ハルランナ」はある。アイヌ文化や歴史に触れた来場者が、アイヌ民族と関わりの深い食材を使った創作料理を気軽に楽しめる。
森林に囲まれたポロト湖畔で営業するハルランナは、2020年7月のウポポイ開業と同時にオープンした。入り口近くにあるガラス張りの厨...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り1127文字
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO66293070V21C22A1L41000/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最初のアメリカ人駐名古屋米国首席領事 マシュー・センザー

2022-11-27 | 先住民族関連
中日新聞2022/11/27 05:05
 毎年十一月は「ネイティブアメリカン文化遺産月間」です。ネイティブアメリカンと呼ばれるアメリカの先住民による豊かで多様な文化や伝統、歴史をたたえると共に、これまでのアメリカへの貢献を認知するための期間です。
 先日、アメリカ南西部のニューメキシコ州を訪れました。先住民が多く住む場所で、さまざまな部族の複雑な歴史を伝える非常に興味深い博物館があり、私はそこで先住民の貢献について多くのことを学びました。
 アメリカで先住民が長く複雑な交易ルートを築いたことはあまり知られていません。博物館で目にしたのは、カナダ最北端やメキシコ最南端から、このようなルートを通って約千年前にニューメキシコに運ばれてきた品々でした。先住民は長きにわたり、自然環境に対して深い理解を示し、天然資源に敬意を払い、それを大切に守ってきました。
 一方で、先住民の歴史は困難の連続でもありました。ヨーロッパからアメリカへやってきた入植者たちとの争いや、入植者が持ち込んだ疫病で多くの命が失われました。現在でも、資産、教育、健康などの社会経済指標順位で、先住民は他のグループと比べて低い傾向にあります。
 アメリカ人としての私たちの責任は、最初のアメリカ人である先住民が国の生活に完全に参加できるようにすることです。バイデン大統領は、この目標に向け大きく貢献しました。初の先住民の閣僚として、ニューメキシコ州出身のデブ・ハーランドを内務長官に任命したのです。
 また、芸術や科学、教育などの分野でも、頭角を現している先住民の若者がたくさんいます。ニューメキシコ州滞在中、先住民の若いファッションデザイナーが手がけた素晴らしい作品を展示している博物館も訪れました。
 気候変動や環境問題への懸念が高まる中、多くのアメリカ人が先住民の知恵に注目し、いかに自然界を大切にするかについて学んでいます。時につらい歴史もありましたが、私たちが先住民の仲間たちを心から受け入れることで、アメリカにはより良い未来が待ち受けていると確信しています。 (駐名古屋米国首席領事 マシュー・センザー)
https://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-589797.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする