IDEAS FOR GOOD 1月 30, 2025 by 古川 紋
カナダの先住民に代々受け継がれてきた「第七世代の原則(The Seventh Generation Principle)」──それは、現代の行動が未来の七世代(現在から約150~200年間)にどのような影響を与えるかを考え、責任を持って生きるという哲学である。
この原則は、過去から学び、現在の行動が将来の世代に与える影響を見据えて生きることを促す。具体的には、意思決定の際に七世代先の人々のことを考え、環境や社会に良い影響を与えることを目指すものである。これは、地球環境の持続可能性を守り、文化を継承し、社会の調和を維持するための道しるべとなるものだ。
この考え方の起源は、イロコイ連邦(アメリカ合衆国ニューヨーク州オンタリオ湖南岸からカナダにまたがる保留地を持つ、6つの先住民族の部族連合)が定めた「平和の法」にある。この思想は、未来の世代への責任を強く意識する深い倫理観を示している。
この「第七世代の原則」を体現する先住民アーティストは多い。その中でも、唯一無二のテーマ「ゴーストサーモン」を彫るアーティスト、Gerry Sheena(ジェリー・シーナ)氏がいる。彼は「自然と共生することの大切さを伝えたい」と語る。超高速の消費文化が支配する現代社会において、ジェリー氏の作品は「七世代の原則」を基盤としたメッセージをアートを通じて伝える存在である。
彼は減少する野生サーモンの未来を守るため、アートと人類学を組み合わせ、長期的な視点の重要性を私たちに問いかける。その姿勢は、失われつつある自然とのつながりを改めて考えさせるものだ。
ジェリー氏への取材を通じて、カナダ先住民の文化から学ぶ「長期的な思考と時間の概念」の重要性を伝えていく。
話者プロフィール:Gerry Sheena(ジェリー・シーナ)
1964年4月13日、ブリティッシュ・コロンビア州メリット生まれ。インテリア・セイリッシュ族に属する。幼少期には、兄であるロジャー・スワイクムが彫刻する姿を見て過ごした。1990年頃から彫刻を始め、成人期の大半を通じて彫刻に取り組み、ほぼ独学で技術を習得したが、ヘンリー・マッケイや著名なクワクワカワク族のアーティスト、スタン・ハント3世からも指導を受ける。ランガラ・コミュニティ・カレッジやエミリー・カー美術大学(ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー)でファインアートのプログラムを受講したほか、バンクーバー・コミュニティ・カレッジでジュエリーデザインのプログラムにも参加。作品はブリティッシュ・コロンビア州のギャラリーやブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)人類学博物館やバンクーバー周辺のさまざまな公共施設で見ることができる。伝統的なセイリッシュ技法と現代的な色彩・デザインが融合したスタイルを特徴としている。
カナダ先住民の歴史的背景からみる「七世代先の癒し」
カナダの先住民コミュニティは、長い間、植民地支配の影響を受け、文化や社会に深い傷を負ってきた。政府による強制移住や同化政策、寄宿学校制度によって、伝統的な生活や言語、アイデンティティが奪われ、多くの人々がその影響と向き合い続けている。
こうした過去の傷を癒し、本来の文化や誇りを取り戻すことは、一世代で解決できるものではない。先住民の歴史観では、癒しのプロセスは七世代、つまり150年以上かけてようやく完成すると考えられている。この視点は、単に次の世代のためだけではなく、さらに先の未来まで責任を持つことの大切さを示している。カナダ先住民のうちの半数以上を占めるファーストネーションズの人々にとって、癒しとは個人の問題ではなく、コミュニティ全体が過去と向き合い、未来へとつながるための長い旅路なのだ。
カナダの先住民アートは、単なる装飾や自己表現ではなく、コミュニティの価値観や歴史、未来への願いを伝える重要な役割を担っている。伝統的なモチーフや技術を用いながらも、アーティストたちは現代社会の課題や未来の世代に向けたメッセージを作品に刻み、「第七世代の原則」との関わりを深めている。こうして、アートは過去の文化を保存するだけでなく、先祖から受け継がれた精神を未来へとつなぐ手段としても機能している。
減少する野生サーモンのSOSを伝える「ゴーストサーモン」
広大なフレーザー川(カナダ・ブリティッシュコロンビア州を流れる全長約1,375キロメートルの州内最長の川)の水面に姿を現す野生サーモンたちは、かつて先住民族の生活と文化にとって欠かせない存在だった。しかし、今やその数は急激に減少している。この問題に強い思いを抱き、「ゴーストサーモン」シリーズを生み出した先住民アーティスト、ジェリー氏に話を聞いた。
「ゴーストサーモン」誕生のきっかけ。「第七世代の原則」の本質とは
「きっかけは、政治活動家の友人だった」とジェリー氏は語る。その友人は当時、フレーザー川で急激に減少する野生サーモンの現状を、具体的な数字とともに訴えたという。
「20年前、野生サーモンは約3,000万匹いた。しかし10年前には500万匹、そして最近ではわずか50万匹にまで減ってしまった。この事実を聞いた1年前に、『ゴーストサーモン』シリーズを制作することを決意したのです」
4匹のゴーストサーモンとシャチのモチーフが彫られた美しいパネル。シャチは家族の絆やチームワークのスキルが強調されることが多く、コミュニケーション、家族、団結、旅行といったテーマと結びつけられる。
ジェリー氏に、生きているサーモンと「ゴーストサーモン」のデザインの違いについて尋ねると、その表現には明確な対比があった。生命力あふれるサーモンは、立体的に彫刻され、ときに鮮やかな赤などで彩られる。一方で、「ゴーストサーモン」は白く、平坦なデザインが特徴だ。その姿は、生を失ったサーモンの儚さを象徴すると同時に、未来への警鐘を鳴らす存在として見る者の心を揺さぶる。
「ゴーストサーモンを見た一人が、サーモンの危機について二人に話し、その二人がまた別の二人に伝える。こうして認識が広がり、最終的には七世代先まで受け継がれていくんだ」
この考え方こそ、先住民族が代々受け継いできた「第七世代の原則」の本質である。
サーモンの声に導かれて。アートで語る声なきメッセージ
アートが完成したとき、ジェリー氏は不思議な感覚に包まれるという。
「時々サーモンが私と一緒にいるように感じる。彼らの精神が僕に語りかけて、『この方法で彫ろう』『次はこのデザインだ』と導いてくれるんだ」
ジェリー氏の作品には、サーモンたちの声が刻まれ、彼らの思いが人々の心に直接届くような力が宿っている。
「シャイだから声で伝えることは得意ではない。でもアートならできる」とジェリー氏は笑う。彼にとって、アートは自分の思いを伝えるための最も自然な手段であり、「ゴーストサーモン」シリーズはその象徴だ。
現在、ジェリー氏は7~8点の「ゴーストサーモン」作品を完成させており、バンクーバーのノースウェストコーストアート専門ギャラリーのダグラス・レオナルズギャラリーとの取引を始めたばかりだという。彼にとって次なる挑戦は、多くの人々の目に触れる場を見つけることだそう。
「ゴーストサーモン」は、ただ美しいアート作品ではない。そこには、次世代、さらには七世代先の未来へと受け継がれるべきメッセージが込められている。彼の作品が広まり、多くの人々にそのメッセージが届くとき、未来の第七世代はどのような世界を生きているだろうか。ジェリー氏のアートに込められた思いが、それを大きく変える可能性を秘めている。
編集後記
「第七世代の原則」はカナダ先住民が持つ哲学であるが、その視点は日本を含む世界全体が学ぶべき普遍的な価値を持つ。急速に進む消費社会の中で、七世代先を考えた行動がいかに重要であるかをジェリー氏の作品は静かに訴えかけている。
日本にも、自然と共生する考え方や、先祖代々受け継がれてきた伝統がある。長い時間をかけて培われた知恵や文化が今も息づき、人々の暮らしに根付いている。しかし、七世代先という視点で未来を考える文化は、それほど意識されてこなかったかもしれない。だからこそ、この思想は環境問題や社会のあり方を見つめ直し、より持続可能な未来を築くための新たな視点を与えてくれるのではないだろうか。
「私たちは良い先祖になれるのか?」
この問いに対して、誇りを持って「はい」と答えられるような行動を、今この瞬間から積み重ねていくべきである。
【参照サイト】ジェリー・シーナの公式サイト
Edited by Erika Tomiyama
https://ideasforgood.jp/2025/01/30/ghost-salmon-indigenous-art/