恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

怒りの裏にある理性と感情

2007年05月18日 | 日記とか
生徒に対して怒るとき、それは果たして感情からのものなのか、
それとも計算されているものであって理性が残っているものなのか、
時々自分でもよくわからなくなることがあります。
とはいえ、これまでに本気で怒鳴って怒ったことなどほとんどないのですが。
ただ、今日はそれまでのいろんな経緯を踏まえてついに噴火してしまいました。
そこでまた話題が最初に戻ります。
私が怒った。それは果たして感情から来たものなのかどうなのか。

事の発端は応援団の練習に関すること。
クラスをまたいで全クラスの代表者が、
体育祭の応援団のパフォーマンス練習をするのですが、
やはりどうしてもクラスが違うと色々なところで温度差が出てくるものです。
そこで自分のクラスの応援団の生徒がグチグチ文句言うのが聞こえてきたんです。
あのクラスの誰がムカつくだとか、こんなのやりたくないいだとか、
そんなことをずーっと自分の前でグダグダ話しておりました。

普段なら私もそいつらの話しを聞いて「そうかそうか」と聞き流すのですが、
今回ばかりはちょっと事情が違っておりまして、
私が学年全体の応援団の指導を担当していたこともあり、
グチグチ言われる対象となっている応援団の生徒が、
どれだけ裏で苦労して悩んでいるかを知っていたんです。
もちろんその子が完璧に仕事をこなしていたかといえば疑問も残りますが、
少なくとも裏でそこまで言われるような筋合いはこれっきりもないのです。
そんなことも知らずにうちのクラスの応援団の生徒どもは、
どうせ後ちょっとで終わるしどうでもいいよね、とか、
これで失敗したって知ったこっちゃない、みたいなことを、
とどまるところを知らずに延々と続けていたので、私もさすがに来ちゃいました。

お前らの思ってることを伝えたのか。
それもしてないのに裏でグチグチ言ってるのは情けなくないのか。

とにかくそんなことをいったような気がしますが、
相当頭にきて、かつてない大音量を振り絞ったので、
頭が冷静ではありませんでしたが、そんなことを言った記憶はあります。
そこには理性があったのか、それとも感情だけが先走ったのか。
私としては存分に理性を残していたつもりでしたが、
はたして生徒にはどのように伝わったのか。それが気になります。

恐懼謹言。
コメント (2)
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