恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

「ごちそうさま」を考える

2005年04月30日 | 所感とか
約一ヶ月前に友人へ貸した三万円が耳を揃えて返却されました。
最近は人間不信になりながらも、一縷の望みをかけて金だっただけに、
世の中もまだ捨てたもんじゃないなぁ、と一安心。
しかし友人同士の金の貸し借りっていうのは当分控えようと思うのでありました。
結果的に返ってきたからいいものの、それまでは疑心暗鬼になりますからね。
疑念を抱きつつ日々の生活を送るのはあんまりいいものではないのでね。
今回の金の貸し借りでは友人ということもあって利子を取ることはなかったのですが、
一応ささやかな謝意を示すということで食事を奢っていただきました。
ごちそうさまでした。

で、この「ごちそうさま」に関して思うことをいくつか。
子どもの頃にしつけをされていた人なら当然のことだろうと思いますが、
何かを食べた後にはそれを作ってくれた人に「ごちそうさま」って言いますね。
それはなにも家庭の中の話だけではなくて、外食に行った際なども、
会計を済ませて店を出る時にはたいていこの言葉を述べて店を後にします。
例えばその店の料理の8割が冷凍食品を解凍したものであっても、
その食事を提供してくれた人への一応の礼儀として述べるのはある意味当然のこと。
私はある程度どんな飲食店に入っても、店を出る時には「ごちそうさま」を欠かしません。
これは日本人の中ではほとんど常識のようなものになってるのかと思えば、
みんながみんなに当てはまる常識ではないようなんですね。

今日の昼も訳あって外食で済ませることになったのですが、
この店は食券制で、店を出る時には会計の必要はない店なのですが、
食事が終わると同時に無言で席を立っていく人が多いこと多いこと。
確かに一人で殺伐と食事をして、「ごちそうさま」ということに対し、
少なからず恥ずかしさを感じるのはわからんでもないのですが、
そこはやっぱり料理を提供してくれた人への礼儀を考えれば、羞恥心云々いうのは、
人としての礼節や道徳に悖るように思えてなりません。
食券制や前払いの店では言葉をかけるタイミングが難しいのもあるのかもしれませんが。
逆にそれを言わないのは何かしら店員の態度やら料理が気に食わない、
とかそういうところに原因の一端があるのかと勘繰ってしまうぐらいです。
私も絶対に「ごちそうさま」と言いたくないような店には出会ったことありますから。
もう一つあるのは「ごちそうさま」=「会計してくれ」っていう観念の方は、
既に会計済みなのでから、これ以上店員に申し付けることはない、ということなのかも。

幸いにして私もバイト先では「ごちそうさま」と言われる側の人間なので、
この言葉の持つ威力というのはよくわかってるつもりです。
多少厄介なお客さんでも、帰り際に「ごちそうさま」といわれれば、
こっちとしても悪い気は全然しないわけです。ある意味で免罪符的な言葉。
「ごちそうさま」って言うのは客がそこでしっかりとくつろいでいった、もしくは、
出されたものに対しての満足の現われを表明する言葉だと思うので。
だから食器返却口に無言でトレイを投げ捨て行くように置いていく人っていうのは、
いかに身なりがしっかりしていようと、本質的な部分でダメな人間だと認識します。
まぁ、自分の所では「ごちそうさま」って言ってくれる人のほうが少数派なので、
私の中では勝手にイメージを良くし過ぎているのかもしれませんがね。
本当に礼儀正しく店員に接する人って出来た人間なんだろうな、って思います。
言われる側の人間の気持ちがわかればこそ、自分もそうしようと心掛けるわけで。
私の中では自分がされて嫌なことはしない、っていうのがポリシーですから。
逆に自分がされて嬉しいことは進んでしよう、と。簡単なようで難しいですけどね。
とりあえずは身近な「ごちそうさま」からコツコツと実践していこうってことです。
なんか道徳的な話で恐縮でありました。

恐懼謹言。
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全力疾走

2005年04月29日 | 日記とか
バイク用品店であるドライバースタンドが関東近郊の支店共同企画で、
スタンプラリーを開催するというので、何となく参加してみます。
本来なら今日は休日でどこか日帰りツーリングにでも行こうと思ったのですが、
突如として飲み会のお誘いがあったので、近距離を回るならこれが手頃かなって感じで、
千葉を中心とした短距離ツーリングに出かけます。
スタンプラリーといえば鉄道が相場なのですが、バイクで回るというのもいいものです。
全ての店舗を回りきれば賞品も出るということで、さらにやる気向上。
今回のスタンプラリーのポイントは幕張、千葉北、市原、一之江、足立。
どうせ行くならまずは遠くからってことで、幕張と市原へ向かいます。
ツーリングというにはあまりに市街地走行が多いので、特に楽しくもないのですが、
景品に目がくらんだ私は殺伐と東へ向けて走りつづけます。

順調にスタンプラリーの行程を消化し、市原を出た後で千葉北へ。
このペースなら夕方の飲み会までの時間に全ての店舗を回れると思っていた矢先に、
千葉北の到着後、バイクから降りた瞬間に一件の着信。
バイト先の退役社員からのお電話で、今から浅草橋に行くので一緒に来い、と。
正直微妙な申し出ではあったものの、さすがに世話になった人というだけあって、
断るに断れない雰囲気なんですよ。せっかくスタンプコンプリート寸前なのに。
まぁスタンプラリーの期限はまだ先まであるので、ここは臥薪嘗胆、お誘いを受諾。
今まで延々下道で来たのに時間の制約もあるので、高速を利用して全力で帰宅し、
自宅でバイク用装備からの着替えを済ませて電車で浅草橋へ。

浅草橋には私のバイト先の姉妹店があり、同行者の退役社員が、
仕事を辞めるにあたっての挨拶をしに行くのですが、一人では気まずいというので、
なぜか知りませんが一介のバイトである私がお供することになったわけです。
もっとも挨拶自体にそんな時間がかかるわけでもないので、3分程度で終了。
これだけで終わってしまったので、飲み会までの時間も中途半端なわけで、
どういうわけか新宿までお供することなり、買い物に付き合ったり奢ってもらったり。
なんかよーわからんですね。私もよくわかりません。
久々の再会で色々とお話できたのは良かったんですけどね。

午後七時からはこれまたよくわからない動機での飲み会が企画され、
ゲスト的な感じで参加することになりました。
基本的に英米文学専攻の方々が主要メンバーの飲み会であったので、
私のような日本史学専攻の人間が入り込んでいくのはいささか恐懼に堪えず。
しかもこの飲み会に誘ってくれた友人が時間に遅れて当初はアウェー感ゆんゆん。
知らない人々と酒を酌み交わすというのは考えようによっては、
教師に必要なコミュニケーション能力の訓練だと思えばいい経験です。
結局、私だけがアウェーかと思ったらどうもそういうわけではなく、
知り合いの知り合い的な繋がりの人々が多く参加した多国籍軍的な飲み会でした。
教職のゼミでもそうですが、自分と普段接する機会のない人たちと話すというのは、
色々と自分の視野を広げてくれるような気がしますね。

そこそこな盛り上がりを見せたこの飲み会も二次会まで発展し、
程よい酔い具合を残しつつ終電で帰宅いたしました。
しかしまぁ振り返ってみると東奔西走という言葉に相応しく、忙しい一日でした。
こんな一日もたまにはあり、かも。

恐懼謹言。
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熱苦しい男

2005年04月28日 | 二輪/四輪車とか
バイトを終えて夜の十時過ぎごろに夕食調達へ出かけます。
前ならバイクで通勤していたのですが、事故を起こして以来、
電車通勤にシフトしたため、電車から降りて帰宅、バイクへ乗り換える、
という二度手間を踏むわけですが、まぁしゃあないことです。
なんせ地元の駅前にはam/pmしかないので、飯の調達のしようがないんです。
こんな独占企業を利するようなことはしたくないもので。

んで、昨日借りたDVDを返却に行き、その足で本八幡のなりたけに向かいます。
バイクで通ってた頃は足繁く通っていたわけなのですが、
電車ではとんと不便な所にあるので、最近ではご無沙汰気味。
なりたけを目指して夜の道を快調にバイクで飛ばしている時に、DQN遭遇。
2車線の道路で私の右手を走る大き目の外車と並走する状況になったのですが、
如何せんその車の前を走っていた車がトロトロと走っていたわけで、
外車はいつその車を抜かすかと業を煮やしていたようだったのですが、
さすがに真横に私が走っているのでまさか進路変更はしないだろう、
と読んでいたのですが、その読みは物の見事にはずされることになります。
なんかどっかで見た光景。
そうなんです、二ヶ月前に私が事故にあったときと同じ状況なんですよ。
さすがにあれ以来並走する時は車線のやや左側を走行していましたが、
真横でウインカーをつけて幅寄せしてこられると精神衛生上良くありません。
ましてやあの事故の記憶も冷め遣らぬ今日この頃では。

幅寄せしてくる瞬間にとっさにギアを落として急加速を行ない、
何とか接触は回避することは出来たのですが、私はもう怒り心頭です。
クラクション連打とアクセル空吹かしで必死に抗議をするのですが、
何を思ったかその外車は私の真後ろにつけて執拗に車間を詰めた煽り攻勢を開始。
とりあえずこの煽り攻勢は次の赤信号まで続くことになり、もはや一触即発。
信号待ちで、このまま後ろにつけられたままでは身が危険だ、と判断。
青信号と同時に私が車線変更をして後ろにつけていた外車をやり過ごすと、
またしても右手に私、左手に外車という並走状態になります。
怒り冷め遣らぬ私は左手に睨みをきかせて空ぶかしで抗議、抗議、抗議。
まぁ空ぶかしが抗議の意にとられることはなく、煽りととるのは一般的でしょうが。
すると外車の窓があき、サングラス着用の頭の足りなそうな兄ちゃんがお目見え。
こっちに向かって何かを叫んでいるようにも見えますが、当然聞こえません。
そんな恫喝に負けるのも癪なので、こっちもひたすら空ぶかしで応戦。
そうこうしているうちに、外車はスピードを上げて走り去っていきます。
私も熱くなるとなかなか冷めないので、今度は自ら車線変更し、
逆に外車の後ろにつけて車間を詰めて煽ってやる始末。本当に泥仕合。

結局こんな状態が相手が別方向に消えていくまで続けていたのですが、
バイクから降りた後になって思うのはやっぱり罪悪感ですね。
いくら相手が気に食わないからといっても熱くなってはいけませんなぁ。
車間詰めてるときに急ブレーキでもかけられたら追突必至だろうし、
中にいる人がそっち系の方々だったら東京湾の藻屑になる危険性も。
こんな不毛なことしてても周りから見たらどっちもどっちですから。
大人気ない、という言葉が全く身に染みます。
警視庁交通安全標語「スリルより マナーで示せ 君の腕」
事故らないようにこの標語を念頭において明日は安全運転、と言っておきます。
二度寝の癖を治すのとついつい熱くなる癖はどっちが先に治るのやら。

バイクが好きだからセーフティライド。
恐懼謹言。
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葛西系な人々

2005年04月27日 | 日記とか
夕食調達ついでにTSUTAYAでDVDを借りてきました。
プロジェクトXの再放送を見るかDVDを見るかで悩んでみたものの、
結局後者に軍配が上がり、春の夜に何となく「日本」に浸っておりました。
映画じゃなくてテレビで放映されたものはだいたい何話かずつ収録なんですが、
一巻借りると続きがどうしても見たくなってしまうので、
どうしてもこのように集中的にTSUTAYA通いしてしまうのは悪い癖。
レンタルとはいえちょくちょく借りるとその費用も馬鹿になりませんわ。

で、その足で近所にあるドンキホーテで色々と日常品の買い出し。
品物の質はともかくとしてジャンクなものが安いのはなかなかの魅力であり、
賞味期限間近な食品なんかをついつい買い込んでしまうのは、
思いっきりドンキの経営戦略に嵌ってしまってるのかもしれません。
あの事件後も引き続き名物の圧縮陳列をやってる辺りはそのこだわりを感じますが、
かつてよりも警備員の数が増えているのはやっぱり世間体を気にしてのことでしょう。
あと、Yシャツが500円って言うのはちょっと反則的な安さじゃないでしょうか。
中国における反日デモの連中がしきりに「日本製品不買」とか言ってますが、
それを見て、じゃあ俺も仕返しに中国製品を買うのはやめようと思うものの、
衣料品なんかで安いものはほとんど中国製品ですからね。
どうしても同じような商品であれば安いものを買ってしまうというのは、
消費者の心理としては当然のものですからどうしようもないんですけど。
それに今は衣料品でも日本製品を探すほうが難しいぐらいですからね。
Yシャツ一つでも日本製品にこだわってしまったら、
おそらくドンキのYシャツが10着ぐらい買えてしまうんじゃないかって程に。
そこまでの信念を持って日本製品を愛する覚悟があるかといえば微妙かも。
国を愛することよりも目先の僅かな利益にとらわれる自分。鬱。

話一転、ドンキホーテって深夜の時間帯でも結構賑わってますね。
とりあえず生鮮食品的なものもおいてあるし、酒もあると。
それがどういうところで関係してるのかはよくわかりませんが、
日付が変わる頃のドンキホーテの客層は怖そうな人が多いですね。
車に乗り付けて買い物にくる人の車はだいたいマフラー辺りをいじった改造車。
そんでもってそれに乗ってる人っていうのもスウェット上下着用で、
くたびれたサンダルを履き、顔を見ればサングラスな感じの人が多いような。
私はとりあえずこういう格好をした方々を「葛西系」と呼んでいるのですが、
概してこんな人で店の中はごった返しています。
特にブランド品売り場の辺りは葛西系ファッションの見本市状態。
基本的にこういう方々とは御関わり合いにはなりたくないと思うのが率直な所。
別にいきなり因縁つけられるとかじゃないけど、なんか怖いなぁ。
誰かドンキホーテとその客層についての関連を突き詰めてほしいものです。

恐懼謹言。
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焼魚が食べたい

2005年04月26日 | 日記とか
模擬授業ってものを始めて経験してきました。
教室の都合でプレゼン的な要領のこじんまりとしたものではありましたが、
人のを見てるよりも自分でやることで見えてくることや、
感じることが非常に大きかったのは収穫といえます。
教育実習は一ヵ月後ですが、それまで模擬授業で数をこなして、
実戦までにたっぷりと経験がつめればいいかなぁと思います。
とりあえず今日だけでも見つけた反省点をしっかりと克服するように努めねば。

で、今日の昼食は大学の学食にグッとくるものを感じなかったので、
大学近くにある大戸屋へ足を運んできたのですが、ここでふと思うのは、
最近は魚の料理を食べてないなぁっていうことでした。
一人暮らしやら不規則な生活で外食するということになったとしても、
どうしても肉がメインの食生活になってしまいがちなんですよ。
安く済ませるために入る松屋なんかはどうしたって豚とか牛ばっかりですから。
そんなわけで、「トロあじの開き定食」なんてものを頼んでみました。
外食の際に家庭的なアジの開きを食べるっていうこと自体珍しいのですが、
まぁその珍しさも手伝ってかなかなか美味しくいただくことが出来ました。

授業が終わって今日は実家に帰って夕食を食べることにしていたのですが、
そこで食卓に並んででてきたものが恐るべきことに「アジの開き」でした。
母親曰く、最近は魚の料理を出していなかったからたまには、とのことですが、
なんとまぁここまで偶然が重なってしまうとなんとも悲しいものがあります。
自分自身魚が嫌いなわけじゃないので、よろこんで頂くのは言うまでもありませんが、
それでも昼飯と同じものが夕食でも並ぶというのはいささか複雑。
さすが家族という血の繋がりのある者、食べたくなるものは時期まで重なるもんです。
当家ローカルルールでは月曜日はカレーやら親子丼などの一品物の日になっているので、
月曜日の昼食にこうしたものを食べるのは避けるようにはしていますが、
おかずの重複までは予測できないので、どうにもなりませんね。

青魚系の食物にはDHAが多く含まれており、思考にはいい影響を与えるはずです。
魚はある程度食べ過ぎても悪いもんじゃないので、
今後は私の思考力がプラスに向かうことを切に信じつつ、
明日は肉を食おう、と決心したのでありました。

恐懼謹言。
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プロの自覚

2005年04月25日 | 所感とか
一応私のブログでは時事ネタやテレビ評論はしないことにしているのですが、
今日の昼に起きてテレビをつけたらJR福知山線脱線のニュースばかりなので、
たまにはこれについて思うことでも書いてみようかと。
今日のこの事故が起きてから、学校やら地元やらで私の所見を求められるのですが、
これも鉄道好きな人間としての宿命なのか、と複雑な思い。
この事故の影響で昼の時間帯はことごとくこのニュース特番に変わり、
フジテレビの「ごきげんよう」まで深夜に放送時間を変えるぐらいの緊急事態。
ちなみにテレビ朝日ではこの重大事にもかかわらず、
徹子の部屋をしっかりと放送されていたことには頭が下がる思いでした。
事故現場の悲惨な映像をニュースで伝えられている傍らで、チャンネルを回すと、
カルーセル麻紀と黒柳徹子が熱く語り合っている姿が堂々放送されており、
ここでもまたテレビ朝日の素晴らしい報道姿勢を目の当たりにすることが出来ましたが。

事故の当日であるだけに原因などの究明はまだ進んではいないようですが、
こういう事故が起きてしまうと公共交通機関の安全性は考えさせられますね。
電車にしろバスにしろ、それを利用するということは我々はそれを操る人に対し、
命を預けるといっても過言ではないし、それに対して信頼を置いています。
運賃は移動するための対価であると同時に安全運行の信頼への対価でもあるはず。
例えば自分が運転する車やバイクに人を乗せる時も、
一人で運転している以上に気を使って運転をすることになりますが、
プロとして金を貰っている彼らにはそれ以上の気配りが求められるはずです。

今回のニュースでは当該列車を運転していたのが経験が11ヶ月と浅く、
23歳という年齢であったことが一つの原因であったというような報道がありますが、
これはあくまで一つの結果であって致命的な事故原因に直結するとは思えません。
情報が少ない今の段階で原因をどうこう述べることは推察の域を出ませんが、
まず一つにJR西日本の安全性への配慮という点へスポットを当てるべきかと。
日本で運行されている鉄道ではATS(列車自動停止装置)の設置が義務付けられており、
普通は一定区間を速度超過で進入した場合はATSが作動し、
列車の速度を抑止するようなシステムになっているわけなのですが、
今回の福知山線ではこのATSが古いタイプであり、自動ブレーキがかからないのだとか。
この辺の詳しい装置については私もよくわからないのですが、
これが報道の通りであったとすれば、この機器を更新しなかったJR西日本に、
まず第一に責任があるということが追求されねばならないのではないでしょうか。
現在の報道では置石があったとかそういうことが伝えられえていますが、
少々の置石があったぐらいでは電車は脱線などしないことは明らかなので、
これはJR西日本の何者かへの責任転嫁に見えて仕方がありません。
あくまで「もし」ですが、置石が事故の直接の原因でなかった場合には、
JRが早急に自らの非を認めるのが先ではないかと思います。

経験の浅い運転士が駅に進入した際に誤ってオーバーランをすることなどは、
先日も私がここで書いたように珍しいことではないと思います。
まぁ、それはプロ意識の欠如といわれればそれまでですが。
要はコスト面の問題などもあるのでしょうが、機械の故障にしても、
人為的なミスにしてもそれはどうしても100%回避することは出来ません。
であるならば、安全性の配慮としてできる限り最善の手を尽くすことこそ、
公共交通機関としてのつとめではないかと思うのです。
何ごとも起きてからでは遅く、日頃からそれを防止する努力だけはすべきですな。
事故に遭われた方のご冥福と一日も早い回復をお祈りいたします。
そしてNHKが数年後にドキュメントを作って徹底検証をする前に、
JR西日本は事故原因の全てを解決するために全力を尽くしてほしいものです。

恐懼謹言。
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閉鎖区間の緊張

2005年04月24日 | 日記とか
バイトが終わって疲れた体のまま電車に乗り込みます。
日曜日の夜ということもあって平日の混雑に比べればどうってことないのですが、
どうせなら座って帰りたいというのは人の願いというもの。
車内広告で見かけたこんな本も本気で買ってしまおうかと思うぐらいに。
この日も隣の人との間隔は狭いものの、なんとか新宿から座ることが出来たので、
優雅に読書をしつつ、降りる駅まで約30分間の帰路へとつきました。

んで、電車が発車してから10分ぐらいして隣に座った男性が、
いきなり宙に向かって座ったままの姿勢でキックを始めたのです。
おいおい、そんなに俺のヘッドホンが音漏れしてるか?そんなに怒らんでも…。
これといって大音量で音楽を聴いていたわけでもないのですが、
やはり周りには音漏れしてるのかなぁ、などど恐懼に堪えざる思いだったのですが、
隣の男性はそれに怒って宙を蹴りつづけていたわけではありませんでした。
ふと男性の前方を注視してみると、蚊をちょっと大きくしたような虫が、
しきりに右往左往して飛んでいるのがわかりました。
なるほど、隣の男性はこれを振り払おうと必死だったわけなんですね。
電車というある意味で閉鎖された空間の中で、こんなどうでもいい虫でも、
確かに自分のほうへ飛び掛ってくると厄介ですからね。
特に女性の方などは虫なんかには免疫がないと推察され、ここでも虫が近づくと、
うろたえにうろたえて、虫を振り切っておりました。いとあはれ。

じゃあなんだ、この際この厄介な虫を退治してやろうじゃないかと意気込み、
近くに寄ってきたら足で踏み潰してやろうと思ってたのですが、
いざ自分の足元まで虫がやってきた時にふと失敗した時のことを考えてしまいます。
もし足で思いっきり踏み潰すことに失敗すれば、車内乗客の私を見る目は、
単なる「地団駄を踏む男」ということになってしまうのではないかという恐怖。
さすがにいろんな人に向かって蚊もどきが飛んでいっているわけですが、
みんながみんなこれに気がついているわけじゃないだろうし、
私が思いっきり足でダンッと踏み潰せば周囲から奇異の目で見られてしまう。
第二の電車男になれるんじゃないかという淡い欲望も去ることながら、
それに失敗してしまえばただの変な人としか認識されなくなってしまう恐怖が先行し、
結局はなにも行動を起こせないまま、虫はその命を永らえることになりました。

結局このあともこの蚊もどきはあわただしく色々な人の元へ飛び、
標的になった人々は自分の所だけにはくるな、というような体で、
ひたすらに虫を追い払ってはいるのですが、電車内というのは閉鎖区間なだけに、
虫の逃げ場はなく、結局はどうにもならないわけです。
こうしてみると、一歩外に出れば周囲の人はみんな敵なのかも。
自分さえよければいいというような利己的な考えが罷り通っていますな。
まぁ私もそんな所で勇気が出せずにどうにも出来なかったわけですが。
例外を一つ挙げるとすれば出先の飲食店で地震があった時ぐらいですかね。
なんか知らないけど外出先で地震が起こると客同士で変な連帯感が生まれますよね。
「結構揺れましたよねぇ」みたいな感じで、見ず知らずの人が相手であっても、
変な一体感のようなものが芽生えてしまうのは不思議といえば不思議。
こんな美しき連帯感を持っていつ何時も対処していきたいものです。

恐懼謹言。
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視線を感じる

2005年04月23日 | 恐懼とか
教育実習を一ヶ月前に控えたこの日は大学で授業論という特別授業を受講。
もっと内容を掘り下げた教育実践的な話を聞けるのかと思ったら、
なんか今までも幾度となく聞いてきたような話で・・・ではあったのですが、
やはり現役教師の話を聞くというのはそれなりに意義があるのかも。
それはある意味反面教師としての捉えどころも含めて。

で、学校は夕方に終わってしまったので、時間を持て余した私は、
友人と三人でぶらぶらと当てもなくふらつき始めました。
御茶ノ水から秋葉原で電波浴をしてそのまま上野公園まで歩きます。
秋葉原と上野の間は距離にして1キロ程度なのですが、
この僅かな距離の間に、往来を行く人の服装がめざましく変化するのは興味深いことです。
年齢層はそんなに変わらないのでしょうが、完全に異文化といえます。
まぁそんな人々を眺めつつ、何となく電車に乗って浅草へ。
浅草に行って何をするわけでもないんですが、雷門を見たり、仲見世を歩いたり。

んで、日も暮れてきたのでどこかで飲んでいこうということになったんです。
浅草に来たんだから神谷バーでデンキブランでも飲んでいきたいところなのですが、
金の無い学生はどこへ行ってもチェーン居酒屋が安定ということで和民へ。
土曜の夜とはいえ観光地のチェーン系の店はあまり人気がないのか、
午後七時過ぎというのに並ぶこともなくガラガラの店内でした。
居酒屋の店内が静まり返っているというのはなんとも異様ではありますが、
まぁ酒が入ってしまえばそんなことは気にもならなくなります。
開始から一時間ぐらいが経過し、いい具合に酔いが回って話に花が咲いていた頃、
おもむろに隣の席へ一人で来店してきた男性が着席しました。
この50歳台ぐらいの男性、見るからに怖い人オーラが出ているわけで、
サングラス、ピンクのポロシャツ、シマウマ柄のスラックスと、もう完全にそっち系な空気。
隣にそのオッサンが座った時には一瞬空気が凍りついたようにも思えましたが、
あまりそちらの方向は見ないように努め、我々は引続き馬鹿話に興じます。
酒が入っていることもあって、自然と声も高くなってしまう時があるのですが、
そういう時に限って隣のオッサンはチラチラとこちらのほうを見てくるんです。
あー、やっぱり若者が隣で騒いでるのは気に食わんのかなぁ、なんて勘繰っていると、
ついにそのオッサンが口を開きました。まさに戦々恐々。

オッサン「おぅ、お兄さんたちは会社帰りかい?」
私「いえ、学校帰りでちょっと一杯飲みに来たんですけど…。ご迷惑でしたか?」
あー、やっぱり一人で静かに飲みたいのに迷惑だったかなぁとガクブル。
オ「おぅ、学生さんか。若いってのはいいねぇ。若いんだからどんどん飲めよ」
と、自分のテーブルにあった鏡月のボトルを我々に勧めてくるんです。
さすが人情の町・浅草、こういうこともあるもんだなぁと思って一安心。
お言葉に甘えて我々はオッサンの焼酎をガンガン飲まされるのですが、
そんな和やかな空気もオッサンの思いもよらないカミングアウトであっさり崩壊。
「いやぁ、オジサンはね、男の人が好きなんだよ~」に我々一同( ゜д゜)ポカーン
その言葉を皮切りにオッサンの若かりし頃の武勇伝をつらつらと語りだし、
挙句の果てには周りの客席にいる男性とか店員の男性まで品定めする始末。
そして、我々にも熱い視線を送り、「ん~いい男だよねぇ」を連呼。
さすがに私も手を握られそうになった時は身の危険というものを真剣に考えました。
さっき騒いでて視線を送ってきたのは、うぜぇ、という心情ではなく、
恋する乙女の視線だったのだ、ということに気がつき、さらにガクブル。

男が男に「ほら、どんどん飲んでくれよ、いい男!」なんて言われても、
ちっとも嬉しくありません。むしろ怖いですよ。
さすがにこのままじゃ拉致されるんじゃないかというところで、
友人の一人が偽装電話でその場から離脱することを画策し、
見事にその作戦が功を奏してオッサンの餌食になることは免れました。
ホント、帰り際に我々一人一人と両手で握手していったぐらいで済んでよかった。
男が男に魅力を感じるのは悪いことじゃないですが、
さすがにそういう恋愛対象とか、そんな風には今の時点じゃ考えられませんよ。
「恋愛にはいろいろな形があっていいはずだ」っていう台詞は私にはまだ未知の世界。
しかし浅草っていうのは本当にすごい街ですな。

恐懼謹言。
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接客の真髄

2005年04月22日 | 日記とか
何かしら買い物や食事をしに店に入る時に、
その店の店員という要素というのは非常に重要なポイントを占めます。
商品がいかに素晴らしいものであってもそこの店員の態度が×なら、
もう一度行こうかなぁ、という気にはならなくなってしまうのが人の常。
例えば昨日行った勢得にしても味は申し分ないものの、
さすがに人気店というだけあって客をさばくことに必死になった結果、
その接客が疎かになってしまっている感じは否めませんでした。
美味しいものを食べには行きたいけど、店員が殺伐としていると、
どうしても足繁く通おうかなぁという気持ちにならないわけです。

それに比して私の地元である平井には接客の真髄を見せてくれる店があります。
千成飯店という昔ながらの中華料理屋なのですが、とにかくすごい。
まず店に入ると威勢のいいおばちゃんの「いらっしゃいませ」攻勢。
このおばちゃんが何といってもこの店の魅力の最大ポイント。
常に明るく活気に満ち溢れた接客で対応されると、
こちらも元気になるというのはあながち本当かも、と思ってしまうぐらいに。
店内は決して綺麗ではないながらも、程よい小汚さが逆にアットホーム感を演出。
価格設定もおおよそ良心的な価格で、私は主に焼肉定食630円を注文します。
安い割にボリューム感たっぷりというのはある意味で商品の魅力。
そこに人の魅力であるおばちゃんの要素を加えることによって、
私の中ではかなりのお気に入りポイントとなっております。
酒を片手に独り言をグダグダ喋りつづけているようなオッサンにも、
無視することなく暖かく受け応えするおばちゃんはまさに神の領域だな~。
かなり足繁く通っているのに、未だに常連としての証しである、
「毎度どうも」という声をかけてもらえないのが残念でなりませんが、
ここは意地でも常連として認識して戴けるようになるまで通うぞ、となるぐらい。
どの時間帯に行ってもいつも人が大勢いるのは、それなりに理由があるんですね。

振り返ってみるに今日の私はバイト先で色々とマシントラブルもあり、
自分の仕事を終わらせることばっかりに集中力が行ってしまい、
接客が疎かになってしまったような感覚が否めません。
そんな仕事のあとにこの店で夕食をとったわけですが、
接客とはかくあるべし、ということをひしひしと身に染みて感じました。
接客の真髄を会得するためにぜひとも訪問してみることをお奨めします。
場所はこの辺

恐懼謹言。
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飽食な人々

2005年04月21日 | 日記とか
バイト先の先輩との約束で昼飯を食べに出かけました。
町屋にある勢得というつけ麺が売りの店なのですが、
昼の12時前に訪れたというのに既に10人以上の行列が出来ていました。
最近はいろんなメディアに出ることも多いようで、地元民はもちろん、
口コミで訪れてきた人も多いような印象でした。
私はかれこれ三度目の訪問だったわけなのですが、やはり行列には萎えますね。
まぁ、かつて池袋の大勝軒で2時間半並んだことを思えば、
たかだが30分弱並ぶことは苦痛ではないのですが、
それでも一杯のつけ麺を食すために並ぶというのは少々滑稽と映る人も多いのでは。

とりあえず今日も30分程度の待ち時間で無事に入店することが出来ました。
メニューは大きく分けてつけ麺とラーメンがあるのですが、
やはりつけ麺がメインの店ということもあって客の9割はつけ麺を注文。
我々も当然それが目的であったので惑うことなくつけ麺を注文するのですが、
+50円で中盛、+100円で大盛りにできるというところに目がいってしまい、
貧乏性な私は50円で量が増えるなら、とついつい中盛にグレードアップしてもらうことに。
それに釣られた先輩も大して食が太いわけでもないのに中盛オーダー。
普通の量で麺が330グラム、中盛で450グラムという重量設定なのですが、
この僅か100グラムちょっとの差があとあとダメージを増やす要因になります。

つけ麺といえば太麺というのが相場ですが、ここも例に漏れず歯応えのある太麺。
スープは豚骨と魚介を丁寧に合わせた一品でまさに絶品といえる代物。
とりあえず食べ始めて序盤は十分に味を堪能していたのですが、
やはり後半になってくるとこの濃厚なスープと太麺の食感で満腹中枢が刺激され、
見る見るうちに食べ進めるスピードが落ちていきます。
何というかもう、味を楽しむというよりも食べ尽くすことに目的がシフトし、
ただひたすら麺を啜り続けることになってしまい、ふと横を見れば、
食べ進めることを放棄してしまった先輩の辛そうな表情。
つけ麺の最後はつけ汁をスープ割にして飲むのが習慣となっていますが、
もはやそれすら達成できなくなりそうになり甚だ残念無念。
私は何とか麺を平らげることは出来たのですが、スープ割に移行する余裕はなし。
結果として美味しく楽しく戴けるはずの食事は苦痛の時間になってしまいました。
中盛を頼んでしまったばっかりに麺を残してしまった先輩はまさに恐懼に堪えざる様子。
文字通り這う這うの体で店をあとにしました。

やはりここで思うのは何ごとにも限度というものがあって、
適度である範囲を超えてしまうとよろしくないということでしょうね。
過ぎたるは及ばざるが如し、といってバッシングを受けた政治家がいましたが、
こういうことがあるとそういったことをいつも以上に意識した一日となりました。
ちなみにこのあと二人とも一時間後から勤務があったために、
重たい腹と気だるい満腹感でだるだるの仕事具合になったのは言うまでもありません。
成長期はとうの昔に過ぎ去った我々は分を弁えねばなりませんな。

恐懼謹言。
コメント
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