恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

韓国語実践の機会

2006年11月30日 | 日記とか
学校での業務終了後、若手メンバーを中心に親睦会へ。
店はそこそこ本格的な韓国料理店で、
店員さんもほとんどがあちらのお方でした。
せっかく大学のときに朝鮮語を選択していたということもあったので、
メニューを現地読みで注文してみたり、色々とトライさせてもらいました。

英語は中学校から大学の始めまで長きに渡って触れ合ってきたのに対して、
朝鮮語はわずか2年間弱しかやっていませんが、
それでも英語と同じぐらいはわかるんじゃないかなぁと。
語彙力に徹底的な不足があるのは否めませんが、
読みながらなんとなく言葉が類推できたり、
文法が限りなく日本語に近いっていうのもあるんでしょうが、
英語をやるよりも格段に簡単なんじゃないかなぁと今でも思います。

あとはハングルっていう周りの人にはあまり認知されていない文字を、
読むことは読める(表音文字だけに、意味はともかく)ってのは、
なんとなく優越感があったりもしますが。
機会があればもう少し実用的に使えるようになればいいのですが。

恐懼再拝。
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機種変更を踏みとどまらせるもの

2006年11月29日 | 所感とか
久々に更新が滞りました。したがって記憶を頼りに書こうと思いますが、
4日も前のことだとなかなか思い出せなかったり。

ところで、最近、携帯電話の機種変更を考えています。
現在の機種を使用して約3年になってまして、
色々な面で便利なサービスも出てきてることもあって、
いい加減変えよう変えようとは思っているのですが、
最近の携帯電話があまりにも多機能になりすぎていて、
正直なところ、そこまでサービスが必要なのかなぁと。

パケットの定額利用は確かにあったらいいなぁとは思いますが、
別に携帯で音楽が聴けなくても一向に困らないし、
ましてやテレビなんかが見れてもほとんど使わないのは目に見えてます。
カメラの解像度数が5メガピクセルとか、そんなの絶対必要ないって。
それでいて我がソフトバンクの機種変更システムも、
なんだかよくわからないことになってまして、
「機種変更0円」とかいっときながら、
なんだかんだ月賦で払わされるみたいだし、
かといってMNPで他社に移るってのも流行に乗っかるみたいでいやだし。

機種変更をしたいとは思いながらも、
かつてほど気軽にできなくなってしまったような気分です。
便利で多機能になることばかりがいいことじゃないんですね。

恐懼再拝。
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手の届く場所にあると、つい

2006年11月28日 | 日記とか
部活で定期的に運動をしているとはいえ、
以前と比べて間食をすることが格段に多くなってきた今日この頃。
例えば一日6時間の時間割で4時間授業があったとしても、
その合間には必ず席に戻ってくることができるわけで、
そんなわずか10分間の休み時間でも引き出しを開けてチョコレートを、
なんてことが毎時間とは言わないまでも日常化してしまっています。
確かに授業で大きな声を出せばエネルギーも消費しますが、
あまり感心できることではないですな。
原因としてはすぐに手を伸ばせる場所にお菓子があるってことなんですが。

もちろん授業の合間だけでなく、ちょっと遅い時間まで残っていたりすると、
小腹が空いてしまってここでもまた一口、それに飽き足らないと、
向かいのコンビニまで出張して食料調達、なんてことも多々あります。
本日も7時前に小腹が減ってコンビニでチャーシューまんを買っちまいました。
名前からもわかるようにボリュームもある高カロリー食品ですよ。
これを食べて9時すぎに夕食をしっかりととり、
その3時間後ぐらいには寝てしまうわけなので、
こんな生活をしていたら明らかに肥満になってしまうわけですが。
とりあえず夕食をとるということに関してはいいのですが、
問題なのはこの間食ですよね。
腹が減ってすぐにコンビニに行ってしまうのも、それがすぐそこにあるから。

結局、どっちにしてもすぐ手の届くところに食料があると、
誘惑に負けてついつい手が出てしまうわけです。
それを断ち切るだけの強い意志があればいいんですが、それもなかなか。
なんとなく最近ベルトがきつくなってきたかなぁ、
というところからこんなことを考えてました。

恐懼再拝。
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鉄道災厄日

2006年11月27日 | 日記とか
どうも今日は鉄道事故の多い日のようで。
部活を終えて西船から帰宅する途中の乗換駅では、
停電事故で不通になってしまった武蔵野線沿線に住み人々が、
バスやタクシーを求めて駅から長蛇の列を作っておりました。
さらには中央線が車両点検でダイヤ乱れがあったり、
大きなところでは京王線が乗用車と衝突して脱線したりと、
一日だけでこんなにも鉄道関連のニュースが沸いて出てくるとは。

しっかりと営業できて当たり前である鉄道業界ですが、
ひとたびこのようなことがあると数知れぬ人に影響を及ぼすわけで、
本当に大変だなぁとおもいますね。
京王線の場合、深夜に事故が起こって早朝には復旧したわけですから、
裏では徹夜で鉄道を平常運行できるように作業をしていた人がいるわけで、
その方々のご苦労を考えると恐懼に堪えません。

人々を運ぶ足として重要な役割を果たすということもさることながら、
多くの人の夢をも運んでいる鉄道とその世界。
これからも安全かつ円滑な運行をお願いしたいものです。

しかし、武蔵野線の停電で車内に2時間も閉じ込められたって、
そりゃちょっと異常じゃないかね。
もう少し機転のきいた対応ができなかったのでしょうか。
あとは京王線の踏切事故で乗用車に乗っていた女性(40)
踏み切りに入ったら遮断機が閉まってしまったので動転して逃げ出した、
ってのもどうなんでしょうね。
どっちにしろ当事者にならなきゃわからない問題ですが。
ちょっと理解できん。

恐懼再拝。
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指先のトゲ

2006年11月25日 | 恐懼とか
朝、家を出るときはいつも時間との闘いですが、
今朝はいつもにも増して時間が無く、急いで支度をして家を出ます。
そのときに少々焦りが出たのか、自宅の木目の柱に手をついたら、
ちょうどささくれの部分に手をスライドさせてしまい、手に刺激が走りました。
ひょっとしてトゲでも刺さったかなぁと思ったのですが、
ぱっと見て特に気づかなかったってのと、急いでいたということもあり、
そのときは気にせず、家を出ました。

で、一日仕事をこなしてもそのことを忘れてしまうぐらいだったのですが、
夕方ごろ、自分の席について仕事を開始すると、
なんとなく指先に変な違和感を感じるんです。
最初はバットを握って皮でも剥けたのかと思っていましたが、
よくよく指先を見ると、小さな物体が皮膚の下に。
そう、朝のトゲが今になって痛みを増してきたのでした。
とりあえず爪であれやこれや手を尽くして抜こうとするのですが、
運の悪いことに、けっこう深くまで入り込んでいてなかなかつまみ出せず。

やはりこういうときは学校ですので、保健室へ行くに限ります。
退勤直前だった保健室の先生(艶女)を捕まえて、毛抜きをお借りします。
しかし、自分で色々と手を尽くしはするものの、これがなかなか取れないんです。
そんな様子を見かねた先生が、心優しく私の指先を見てくれまして、
皮膚の下にもぐりこんだトゲを抜くため、安全ピンで皮膚の上層部を抉り取り、
非常に手際よく処置していただきました。さすが頼りになりますわ。
トゲなんてもんが刺さってしまったってのも数年ぶりだったし、
ましてやそれを抜いてもらうなんてのも何年ぶりなんだか。
とにかく、これで指先から違和感は消えていきました。
いやー、しかし、こうやって人の苦痛を取り除くことができる、
ってのは本当にすばらしいですな。
感謝感謝でした。

恐懼再拝。
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大事なのはフォロー

2006年11月24日 | 所感とか
今まで幾度か書いていますが、生徒に対して「叱る」という行為について。
授業中にしても普段の学校生活についても、
みんながみんな模範的な生活をしていればいいんですが、
当然のことながらそんな状況なんてあるわけもなく、
時として指導を行わなければならないときがあります。
それが校則を違反していることだったり、
自分の価値観にあわないものであれば、こちらとしても気分を害するわけで、
注意をしなければならないのですが、これがまた難しいこって。

生徒の改善すべき点を見たのであれば、注意するのが筋ですが、
未熟な私としてはつい感情に頼ってしまうことがあって、
後々になって後悔することも多々あります。
ただし、自分の中ではこういう感情に基づいた物の見方も大事で、
そのメッセージに感情が篭っていなければ伝わらない部分もあるとは思うんです。
問題は、その後のことで、その生徒に対してどうフォローをしていくか、
ということなんです。
怒りっぱなしにしたままでは多くの生徒がその真意を理解せず、
こちらに対して悪意を抱くのみで、結局気まずい空気になってしまい、
根本的な解決にはならない、というのは、
少ないこれまでの経験でもよくよくわかっていることです。

しかし、これまた経験の少なさが災いして、
その後にどうフォローするか見通しが立っていないことが殆どだったりするので、
こういうところから後々の後悔が生まれてくるんだろうと思います。
かといって、注意すべき点を見て見ぬ振りをするというのは明らかに下策だし。
全ての先生が後々のフォローする見通しをつけた上で、
生徒を叱り飛ばしているとは到底考えられませんが、
少なくともその後でどうフォローするかというノウハウはあるはずで、
まず自分にはそういうところが不足しているなぁとしみじみ感じます。
こういうのにはマニュアルなんてものは存在せず、
一つ一つ経験を重ねていくしかないものだとは思うんですがね。
現段階ではなんとも歯がゆいことが多いのが昨今の悩みどころです。

恐懼再拝。
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土手脇の弁当屋

2006年11月23日 | 日記とか
練習試合で多摩川土手まで行ってまいりました。
午前と午後に1試合ずつのダブルヘッダーで、
途中昼食をとるために休憩を取るのですが、
うっかりしたことに昼食を持参してくるのを忘れてしまったため、
仕方なく河川敷近くで食事を取る場所を探すのですが、
周りは住宅街ばっかりで吉野家はもちろん、コンビニすらないありさま。
困ったなぁと思って周りを見渡していると、
土手の脇に小さな店らしきものを発見。
看板はもちろん、外見からはそこが店だと判別できる要素は皆無なのですが、
中を覗き込んでみると、食事をしている先客が1人いて、
よくよく見てみるとカウンターがあって、弁当屋であることをかろうじて把握。

ここのほかにも店は無いだろうし、時間も限られているので、
ここにするか、と意を決して手動の扉を開けて入店。
本当にこじんまりとした空間で、メニューも10品もありません。
個人経営の弁当屋なんてこれぐらいのものなので、さして驚きはありませんが、
弁当屋の癖にイートインコーナーが面白いところです。
先客が中で食べていたので同様にここで食べていく旨を伝えると、
もちろん快諾。容器はテイクアウト用ながらも、
しっかりとその場でから揚げを揚げていただきました。

味こそ平凡中の平凡なのですが、ずっと外にいて冷えた体には、
挙げた手のから揚げはありがたいものです。
途中、デザートに梨を出してくれるというサービスも受け、
食事を終えて帰るときもユニフォーム姿の私を見て、
「寒いけど気をつけて頑張ってね。いってらっしゃい」と、
声をかけて送り出してくれたおばちゃんには、
個人経営の店ならではの温かみを感じました。
何気ないそういう一言も、なかなかチェーン店では味わえないもの。
食事で体を温め、人間で心も暖めてもらったような気がしました。

恐懼再拝。
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やるだけはやってみないと

2006年11月22日 | 所感とか
程度の差こそあれ、生きていると後悔するってことが多々あります。
ただし、その後悔っていうのもおそらく色々な種類があって、
「あの時こうしていればこうなったのに」といったように、
別の決断をしていれば今とは違った、
もっとより良い結果になっていただろう、なんてのがありますが、
それ以上に自分自身の中で特に後悔の念を深くさせるのは、
行動を起こさなかったことに対する自分自身への後悔ではないかと。
やろううと思えばできたはずなのに、それを敢えてしなかった、
結局、傍観者になってしまった、というようなことでしょうか。

よく、やらないで後悔するよりもやった後で後悔するほうがマシだ、
なんてことをいいますが、これはまさにその通り。
なんにしても結果ではなくて、目標に至るまでにそれをやろうとしたかどうか、
という過程こそがその後に自分自身を振り返るときの、
一つの大きな要素になるんだろうと思います。

物事を判断するのに経験がまだまだ足りないというのはあっても、
さしあたって自分自身の感性と価値観は大事にしていきたいし、
自分にできることなのであれば臆することなくやってみる、
ということを改めて自分に課してみようかなぁと思ってます。
それが例え力及ばず、失敗してもやらないで後悔するよりはマシでしょうから。

恐懼再拝。
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早朝・バイク奪還作戦

2006年11月21日 | 日記とか
昨日バイクの修理が完了したという連絡を受けたのですが、
勤め人の身としてはなかなかバイク屋の営業時間内に引き取るのは困難です。
しかしながらこのバイク屋さん、うれしいことに朝の7時から営業しており、
なるべく早く自分のバイクを引き取っておきたい私は、
出勤前のわずかな時間を使ってバイクを引き取りにいくことを画策。
というわけで、朝ちょっと早めに起きまして、
バイク屋までバスを使って取りに行くことに。

店の前に7時に到着するとタイミングよく店主がシャッターを開けていたので、
バイクを引き取りにきた旨を伝えて無事に引き取り完了。
ブレーキ部分だけ新品になっているアンバランスさがなんともいえません。
部品代と工賃を含めて6万円以上かかったらしいのですが、
今回私が盗難被害にあったという事情を鑑みて、
6万円ポッキリに値引きしてくれました。こういうとこ、さすがは個人商店だな。
そんなわけで引き取ったバイクをそのまま走らせて出勤の途へ。

きんむを終えて帰りがけにはその足でバイク用品量販店へ。
こういった盗難は一度起きると立て続けに起きるとも聞くので、
そんな盗難を未然に防ぐためにバイクカバーを購入を買い求めます。
この類のカバーは以前にも使っていたのですが、
いつしかカバーをかけるのが面倒になってしまい、
いつの間にやら紛失していたという経緯があるのですが、
備えあれば憂いなし。駐車中はしっかりとバイクをカバーさせていただきます。
一手間かけるだけで盗難が防げるなら安いもんよ。

ところで、今日バイクで出勤したせいなのか、
はたまた先日雨の中で試合に興じたからなのか、
どうも風邪を引いてしまったようで。
明日無事に出勤できますかどうか。

恐懼再拝。
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比喩としてのウィーン会議

2006年11月20日 | 恐懼とか
先日、他学年で長時間にわたる会議がありました。
どんなことを話し合っていたのかは知りませんが、
その会議に参加していた先生に内容を聞くと、
「いやー、ウィーン会議みたいなもんでしたよ」と。
明らかに世界史の話題を比喩表現にしているのがわかるのですが、
現段階でそっこまで世界史に精通しているとはいいがたい私は、
すぐにその真意を理解することができませんでした。

<ウィーン会議>
ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、1814年9月1日から開催された。1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進行せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された。
wikipediaより抜粋


つまり、会議の内容がうまくまとまらず、遅々として進行しない様子なんですね。
なんとなくの知識で、イメージはついていたのですが、
こういう表現がぱっと出てくるってすごいと思うなぁ、と。
しかもこの先生、社会科の先生じゃなくて英語科の先生。
世界史を教えている私がこれにすぐ気がつかなかったのは、
まったくもって恐懼に堪えぬ次第であります。
さらっとスマートに、こういうことが言えるといいんだけど。
「ブルートゥス、お前もか!」とか。

恐懼再拝。
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