黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

秋田県南秋田郡八郎潟町での移動運用 (2010/06/04~05)

2012年04月01日 22時57分44秒 | アマチュア無線 移動運用


    

 


 秋田県道の駅「おおがた」での運用を終えた後、菜の花ロード(298号線)を逆に大潟橋を通り大道交差点を左折219号線に入り北上、7号線と合流した地点から数百m北上した国道沿いの空地(八郎潟町の一番北側の7号線と東部承水路に挟まれた残土置場)に車を乗り入れ運用場所とした。この日は秋田県に入って初めて雨が降ったが幸いにもアンテナの設営時も撤収時も日頃の行いが良かったのか?雨上がりに出来て雨具無しの作業で終了した。運用場所は近くに人家も無く幅は40mくらいであったが奥行きは300m以上有りかなり広大な面積の場所であった。

 


 八郎潟町は道の駅も無く秋田県では藤里町に次いで出ていない所、私は現時点でQSLは2枚しか無かったので しっかり運用した。この場所での総交信数は335局、其の内3.5MHzは74局との交信に終わった。終了後の夜は寂しい所では会ったが逆に回りに街灯が無かったので寝るのには適していた。車中泊において道の駅は安全性の確保やパトカーの訪問が無いのは良いのだが夜の防犯対応の為、街灯が一晩中点灯されるのでカーテンの無い私の車では寝付きにくいのだが この場所は其の問題は無かった。



 6月5日の運用後、上小阿仁村の鈴木さん(JM7DTZ)とアイボールQSOが実現でき奥様の手作りの食事を御馳走になったり、色々な御話を御伺いしたリ其の後の移動運用で御声掛け頂き沢山のコンタクトが実現した。

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 秋田県南秋田郡大潟村での移動運用 (2010/06/04)

2012年04月01日 17時21分24秒 | アマチュア無線 移動運用


    

 


 井川町の運用が終わると辺りは暗く成っていたので次の運用地の道の駅「おおがた」で車中泊の予定で228号線を西に走り7号線に入り北上、大川三叉路を左折 更に北上、大道のT字交差点を左折し西方向へ八郎潟町役場を越え大潟橋を渡ると大潟村に入る298号線は「菜の花ロード」と言われ、私が通過した時は22時を回っていたので真っ暗な幅広の道路を淡々と走った(最初の写真 翌日の八郎潟町への移動時に撮った)途中1箇所だけへ字型のカーブが有ったが街灯の無い真っ暗の中、一直線上の道を走った経験は無かったので不気味な感じがした。途中2台の車と対向したが 正面に小さいライトの光が見えた後、対向するまでに大きいハンドル操作無く4~5分以上掛かる経験は日本の国内の道路で此処だけの様に思う。その時は周囲の景色は見えなかったので翌日 態々このコースを走り日中の写真を撮った。最期のT字の交差点を右折し暫く走ると街灯が見え始め道の左側に道の駅「おおがた」があった。到着は11時前だったと記憶しているが車は私以外に2台、非常に寂しい所で有った。最終的にはこの道の駅での車中泊は私だけに成った。



 朝起きて発電機での運用なので裏手の敷地内の駐車場に移動。釣竿アンテナで04:41jstから運用開始08:58jstの閉局までに190局と交信した。此処まで北上すると夜明けが早く独りでに早起きになる。多分四国とは40分以上早い様に思った。運用場所の写真に写っている風力発電機はプロペラの部分が変わっておりスクリューマグナス風車と言い 螺旋状のフィンに風が当たるとフィンが回る事により風車が回り発電する世界初の風車との説明があった。



 9時を過ぎた時間に道の駅の建物に入ると昨晩の状況とは一変し大勢の人が集まって賑わっていた。この干拓地は国家事業として進められた事は有名で社会科のテストにも良く出たが農地と居住区が分離されており住宅地の近くの為、人の交流の場と成っている様で若いママさんで賑わっていた。秋田美人と良く言われるが皆さん確かに色が白い「色白は七難隠す」と昔から言われるが其の上に背丈が有り魅力的な女性が多い。我が愛妻はポルネシヤ系の槍を持って踊っていた人が先祖だろうと何時も言うのだが色黒の明るい性格、其れは其れで良いのだが「もし来世が有るのなら秋田の色白の美人も好いな」と思った。



 最期の写真は八郎潟町と大潟村を結ぶ大潟橋 写真左側に八郎潟展示館がある。




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DX通信における 手段 其の1

2012年04月01日 09時49分56秒 | 日記

 昨日(30日)の24MHzのコンディションは18:00jstから20分程度で急激に上昇したので今日も少し前17:00前から聞いてみた。最初は信号が弱く数局しか聞えなかったが やはり18:00jst頃に急に聞こえ出しEUの局が56~59プラスで入るようになったが周期の早い可也深いQSBを伴っている。相手の信号はGPだと56~57程度、ビーム組は59で入感する程度、ビーム組はQSBの深い谷間でもほぼ問題なく送信内容を了解出来るが GPやワイヤーのアンテナの局はQSBの谷間では了解出来ない部分が有った。



 24MHzで運用する場合、14MHzや21MHzの運用時の様に簡単に信号強度を送れない 56を送ってもQSBの為、次のトランスミッションを了解出来ないケースは侭ある。特に問題なのは相手の名前のコピー、ショートQSOが多いので せめて相手の名前くらいは正確に取りたいのだが其れさえ侭成らぬ状態もある。

 

 海外の局の名前はロシアや北欧の局の様に同名が多い国は予測が可能なのだが、ヨーロッパの自由主義国家は其々まちまちで予測が難しい綴りが了解出来ても発音が解らないケースも多い。私は発音が解らない時は「スペルは解りましたが貴方の名前はどう発音するのですか?ゆっくりと御願いします。」と聞き直すのだが 其れでも発音が解らない時が有る何回も聞き直せないので適当に其れらしく誤魔化すのだが原因はローマ字読みする処に問題が有る様に思う。

 

 私もそうだったがDXを始めた当初はQTHと名前のコピーが完全に了解出来てから呼びに回っていたが やはり誰しもここらが関門の様である。ここを乗り越えると、くそ度胸でCQを出してみる。CQの局を呼ぶより自分がCQを出し呼び出す方が実は楽である。何故なら通信の主導権は自分側に有るのだからシグナルレポートの交換で終わろうと名前とQTHの交換で終わろうと自分の実力の範囲で相手をコントロール出来るからだ。



 其れから名前の事だが 最近はTomとかRoyとかアチラ方面の名前を使う方が増えてきたが私は40年以上前から使用していた 当時は殆んど居なかった様に思う。ただ日本でも名の有るDXerで一部使用していたが稀であった。私はDXの交信は以前からTonyを使用しているが別に格好付けて居る訳では無く、理由は海外の人が聞いて直ぐ解る名前で聞き間違いが殆んど無いから使用している。当時は日本では限られた名前が多く圧倒的にToshiが多かった様に思う。アマチュア人口の多いJAで少しでも覚えてもらう為に奇を狙った感は少しは有るが此れも一つの手段として有りかな?と思う。とにかく簡単明瞭が一番だ。従って私はQTHの紹介はAnanを使用している母音から始まる発音で字数も少なく繰り返しどの国の人も抵抗無く発音しているしコンディションの低下により聞返される事は有っても発音上の問題で聞き返される事は殆んど無い。


 
 其の内,ラバースタンプのQSOを其れらしく出来る様に成ると突然、早口の英語で長々と話し掛けられたり質問に遭遇する。特に18MHzや24MHzを運用している時は要注意、私もこの様な経験は何度も有る。この時の対応は3通り有る。其の1、相手の送信内容にレベル的に対応出来ない場合、相手の送信が終わったら すかさず「ごめんなさい 今電話が掛かってきたので失礼ですがQRTします。」其の2、「今 XYLからブレークが有りました閉局します。」このケースは古今東西の嫁持ちのアマチュア局は経験の有る処、ご理解を戴けることは間違い無し 其の3、此の方法は最後の手段、過激だが目を瞑って黙って無線機の電源を落す・・・・・・



 第三の方法は私はSSBでは経験無いがCWの交信で長々3分程、高速で打たれ何も解らず送信出来なかったが相手は無線機のトラブルと思ったのだろう暫く何か打っていたので逃れる為 止む得ず電源を落とした事がある。流石に電源を落すと信号は聞えなくなるが、赤面の至り、良心の呵責に苛まれる事は必至で有る。



 冗談はさて置き異文化との交流は苦労も有るが得る事も多い。世界を相手にして自分の世界を広げるのだから其れ成りの努力は必要、偉そうな事は言えないがアマチュア無線を志した者なら一度は挑戦すべきと思う。


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 桜の開花に思う

2012年04月01日 09時24分56秒 | 日記

本日、夕方に外出する機会が有ったが 桜の花が開花した様だ 例年に比べると3~4日遅い様に思う。開花と言っても大きい枝に花びらがポツポツ開いた程度、昨晩は夜半に春の嵐が吹いていたのでタイミング的には良かったたのでは? 桜の花弁は雨と風に弱い そして間の悪い事に桜の開花時期の7~10日の間に必ずと言って良いほど春の嵐に遭遇する 桜が7分~満開時期に強風が吹いたり其れに雨が重なると最悪の状態に成る。去年は開花時期の天候が安定していた為 桜の時期は長く九州に旅立つ4月14日にも少しまだ花弁が残っていた。今年も是非そうであって欲しいものだ。



 最近に成って思う事だが正月を迎えて歳を重ねたと実感する事より春の桜を見た時に歳を取って一年が過ぎたと実感する。今年も奇麗な桜の花を見れたと思うと同時に来年はこの花を見る事は出来るのだろうか?と感じてしまう。若い頃は(子育ての時代は)今思うと桜の開花を見て奇麗だなと思うことは有っても其の時期を心待ちにする事など無かった。歳を重ねて俗世を余裕を持って見られる様に成ったと考える事も出来るが、桜は一瞬に奇麗な存在感の有る花を咲かせ潔く散っていく、またある意味、春の嵐に散る無残な桜の花弁に自分の生き様を投影しているのかも知れない。

   

 とにかく桜は この時期一瞬に咲き始め 山肌や周囲の景色の中で此れほど桜の木があったのかと?思わせる程、存在感を示すが一度散ってしまうと新緑の中に溶け込み何の変哲も無い木と変わり其の存在感が消える。まさに人間の一生と合い通じる物が有り古来「わび さび」の解る日本人の琴線に触れる処が 桜が日本人にこよなく愛される由縁であろう。



 今年も其の時期が来た。時間的余裕も有るので沢山の桜を見に出掛けたいと思っている。短い期間、何よりも安定した天候を祈るばかりである。

 

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