9M0L 00:01jst 7MHz SSB
9M0L 19:10jst 18MHz RTTY
VK9XS 20:00jst 14Mhz RTTY
9M0Lもアンテナが有るバンドでは14MHzのCWのみと成ったが本日は出てい なかった様に思えたが明日にでも14MHzに絞って聞いてみようと思う RTTYモ ードも本日 如何にか交信できた。
函館市を夕方に出発227号線から228号線(松前街道)と乗り継ぎ北斗市を越えて木古内町に入った。木古内町の中心地の少し手前に「木古内の坊」と言う親孝行の子供の像がある辺りに少し車が駐車できて無線が出来る場所が有ったので(北緯41度40分56秒 東経140度26分30秒)其の場所で運用する事にして18日は其の侭車中泊した。昨年に続いての函館市は観光に徹し御2人の方に御世話に成りながら沢山の場所を見学できたので大満足で有った。明日から又、本格的な移動運用が始まる今晩は英気を養う為、早めに寝袋に入った。車内の照明を落とし横に成って外を見ると函館山の頂上辺りの灯火が薄っすらと見えた。可也の距離を走った様に思えたが この場所の3m先は海 そして其の先に海に飛び出した函館山がある。昨晩はちびっ子ギャングと一緒に騒がしい中で此方の方を見た景色を思い出しながら眠りについた。
翌朝04:31JST~09:29JSTまで7MHzで運用、交信数は153局、北海道に入ると早朝は西日本が入感するが7:30分を過ぎると4、5、6、の信号が落ちて思った程、局数が伸びない。電波の上でも可也北に上がった事を実感する。これ等の経験は次の年の沖縄、九州の移動時にオペレートする時の運用に随分プラスに成った。
16日の夜は「FMイルカ」の下の駐車場で車中泊の予定であったが夜に施錠される可能性が有ったので近くの西ふ頭に行き(最初の写真の②の近くのトイレの有る道端)私の特技、何処でも平気で寝れる特技を生かして車中泊した。(写真2番目)翌朝は「緑の島」付近を散策、停泊している色んな船を見たが小浜水産高校の練習船「雲龍丸」を見付け奇麗な船だったので写真に撮った。
私の母方の叔父さんが外国航路の貨物船の機関士をしていて1~2年に一回くらい日本に帰ると実家に珍しい土産物を持って来た時、外国の話をよく聞いていたので憧れていた。当時1ドル360円の時代、海外旅行など庶民には考えられない時代、行けても船舶、行く時は水杯の時代で有った。
外国航路に乗船すると外国が見られる上に当時は破格の給料が貰えた。私も高校に進学の時、水産高校の通信科を真剣に考えた事も有ったが母親に相談すると「頼むから船乗りだけは辞めて!」と真剣に言われた。母親は(生家)長女、兄弟が多く叔父さんとは親子くらい歳が離れており祖母(実母)が早く亡くなったので親代わり的な立場で有ったので叔父さんの事は何時も心配していた様子、まさか自分の息子に「船乗りに成りたい。」と言われる等、考えても居なかったのだろう。私も根性が無かったのか真剣でなかったか?すんなり諦め電気科を受験したが根底にはアマチュア無線に対する強い興味が影響していた様に思う。
其の後、竹村さんとの待合せの場所で合流(上段右端の写真)竹村さんの乗用車で函館の朝市に向かい美味しい朝食を御馳走になり函館山の麓にある有名な史跡や観光地を案内と説明を受けながら回った。(中段以降の写真の場所)竹村さんは昨日急に体調を崩された事も在り御元気そうであったが昼から念の為、病院に行く予定が有ったので昼前に御別れしたが移動中の車の中で色々御話出来て楽しい時間を過した。お別れしてから菊地さんと御会いするまでの間に少し時間が有ったので竹村さんが案内して下さった場所の写真を撮り忘れていたので歩ける範囲の所を歩きなながら写真に納めた。中段の最初の写真の石畳などは趣が有ったし下段の3番目の写真は何の変哲も無い景色だが「北海道第一歩の地」明治の世に成り客船業務が始まると北海道に訪れる人は沖合いに停泊した船から「艀(はしけ)」でこの桟橋に降りたった場所、この桟橋はまさに北海道への入口であったらしい。
昼頃に菊地さんと待合せ菊池さんが務めていた会社の近くのレストランで昼食を御馳走になり食事が終わると其の店の女主人が挨拶に出て来られ現役時代のお話をされていたが菊地さんは其の会社の御偉さんであった事は容易に想像できた。店を出て菊地さんの車で少し郊外に出た男子トラピスト修道院に向かい新緑の中、説明を受けながら見学した、気候は丁度四国の5月の連休くらいの感じ天気も良く清清しい空気の中で見て回った。其の後、五稜郭に向かい見学したが奉行所は?丁度工事中で見学出来なかったが内部を歩いて回ったが流石観光地で人出で賑わっていた。色んな場所を案内戴きながら道中、沢山の話をお聞きした。若い頃、大学で水産関係を専攻し母船団方式の遠洋漁業に出ていた時の話など興味深くお聞きして今でも記憶に残っている。菊地さんや竹村さんとの最初の出会いは何時の頃かはっきり思い出せないが函館の局の中ではアクティブに出ておられる方々、今回の東北、北海道移動の話を無線でしていた時、函館に来た時に会おうとお誘い戴き今回実現したが 本当に楽しい一日を過す事が出来て大変幸せで有った 本当に御世話に成りました。
津軽海峡を渡って函館山の近くを航行する時はデッキに出て「遥々来たぜ函館~ 逆巻く波を乗越えて~」と北島三郎さんになった気持で「函館の女」を歌っていた。定刻に入港、フェリーを降りると駐車場の所でJH8BHN菊地さんが待ち構えて居て下さった。まずは車を邪魔に成らない所に停めて、其れから挨拶をしたが長身のスマートな方だった写真の右側の方、左側の帽子を被った方がJF8FWA竹村さん(この写真は北海道からの帰りに見送りに来て頂いた時に撮ったもの)この時、竹村さんは急に体調を崩され病院に行っておられて少し遅れて奥様と同伴でお越しに成った。其の間、菊地さんと御話ししたが菊地さんは私より少し先輩で緊張気味の私に優しく話し掛けてくれた事が印象に残っている。暫くして竹村さん御夫妻が体調の悪い中お越しに成り申し訳なく恐縮したが御話する中ではお元気そうだったので一安心した事を覚えている。「これからの予定は?」と聞かれた時「函館山に登り函館の夜景を見に行こうと思います」答えると菊池さんが「今日は山にガスが懸かっていない様なので大丈夫だろう」と言ってくれたので夕方に上がる事にした。明日は午前中は竹村さんが昼前から菊地さんが函館市内を案内して下さるので朝、ロープウェーの駅の下の駐車場で御会いする約束をし其の日はお別れした。
函館山は2009年に(一年前の7月1日)北海道を回った時に2度訪れたのだが其の日は函館の「港祭り」物凄い人出で函館山に上がるロープウェイの駐車場が空くのを1時間以上待っても1台も入れず諦め五稜郭に行こうとしたが知らない土地で且つ通行制限が掛り断念、森町まで行き車中泊、翌日引き返して函館山に車で上がったが(昼間は車で上がれるが17時以後は車は通行止めに成る)前夜の雨の影響と天候不良で下界は雲の中何も見えない散々な結果と成っていた。
今回の北海道は前回の旅行で達成出来なかった摩周湖の写真、美幌峠からの写真、函館山からの夜景を撮る事が移動運用以外の大きな目的で有った。夕刻の明るい内にロープウェイで山頂まで上がったが山頂の展望台は可也の人出で賑わっていた。季節的に良い時期なのだろう。日没前になると修学旅行と思われる小学生の団体がドヒャ~と乗り込んで来てふざけるは喧嘩紛いのプロレスを始めるは?大変に騒がしく成ってきた。夕刻の写真で解る様に天気は曇り、状況は良くなく写真はピンボケ状態で上手く撮れなかったが百万ドルの夜景を肉眼で見る事が出来た。この段階で昨年遣り残した事を一つ達成した。