天塩町の運用地を出発し500mくらい走り天塩川を渡ると幌延町に入る と同時にオロロン・ライン(106号線)は日本海側の海岸線を淡々と並走する道に成る。幌延町に入ると 直ぐに日本海に浮かぶ利尻富士が見え始め更に進むとやがて道路の右側に30基に及ぶ風力発電の設備が一直線上に建ち並ぶ場所を通過した。
国の施策と補助がある関係で風力発電設備は日本全国、何処でも見られる風景だが建設はしたものの殆どの風力発電設備は採算が取れていないとか?徳島にも同様の設備が有るが全ての設備のプロペラが回っている事を見た事なかった。この幌延町のプロペラはどの発電設備も大変元気よく回っていた。此の場所だと人家も無く よく有る「新聞報道や低周波数公害の裁判沙汰に」成る事も無く むしろ延々と続く単調な景色に変化を与え通行する人達にインパクトの有る壮大な風景に成っていた。まさに一石二鳥で有る
稚内までは道幅の有る路面状態のよい道をドンドン進んだ。稚内市の最北端 ノシャップ岬に有る灯台と稚内市青少年科学館の写真、この場所で昼食と休憩を取った。其の後、稚内市内を通過したが午後なのに霧が出ていたのか?全体的に白っぽい状態の中を宗谷岬まで東に進んだ。国道の右手の山手側には北の守りの要、自衛隊のレーダー・サイトが点在していた。
左から皆さん良く御存知の宗谷岬の日本最北端の標識、宗谷岬は2009年に続き2回目、前回は網走からオホーツク沿岸を北上 帰りは猿払村~浜頓別町~中頓別町~美深町~小平町~札幌市~小樽市と移動した。今回の日本海沿岸のオロロン・ラインの北上コースと合わせて宗谷半島をめぐる大きい幹線を走破した事に成る。どの場所に行っても常時5~7m位の風が有り非常に心地良かった事を覚えている。2枚目は宗谷神社、移動中の安全を祈願して賽銭は100円とした。御利益が有ったのだろう無事に徳島に帰還することが出来た。3枚目の写真は大韓航空の旅客機が領空侵犯した際、ソビエト空軍の戦闘機に撃墜された(全員死亡)その遺族会が建立の「祈りの塔」個人的な思いだが終戦後に北方領土に侵攻して四島を我が物にして「返す気も無いのに条件闘争する」現、ロシア政府、遣りたい放題の北朝鮮、訳の解らぬ中国国家等等、大陸の気質は日本人には理解し難い。「国境が有って無いが如しの陸続きの条件の中」で絶えず侵略したり又侵略に怯えた長い歴史の中で「遣ったもん勝ち」「遣らなければ遣られる」的発想の国とは、まともな話は出来ない。また反面「多分、日本人が平和ボケし過ぎているのだろう。」自国を自力で守れない国が国家と言えるのだろうか?考えさせられた。最後の写真は宗谷岬の灯台、北の海の道標として活躍している。
左端の写真は宗谷岬の後ろ手の丘の一番奥にあるレストランだったと思うが風車がたの建物、次は其の建物から宗谷岬方面を遠景で撮ったもの灯台、明治時代の北方方面の監視小屋 正面の4軒続きは観光客相手の食堂。左から一番最初の食堂のホタテラーメンは最高だった。 3枚目は最北端の標識、私も最北端の前で写真に納まりたかったが「生来の小心者」観光客の人に「撮って貰えませんか?」の一言が言えずに旅行中の写真は6000枚を越しているが自分が写っている写真は殆ど無い。旅行から帰ると家内に何時も「お父さんの写真は風景ばかりで人間が写って居ないね?」言われるので「小心者なので人に頼めない」と言うと「うそ~無線ではあれ程喋るのに信じられない?」と笑飛ばされるが事実だから仕方が無い。多分 少々屈折しているのだろう・・・・
最後は宗谷岬を丘の上から撮ったもの、写真で見ると観光客で賑々しいがこの周辺だけで少し離れると何も無い場所、冬の厳寒期にはどの様な景色に成るのか想像も出来ない。