黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 四国88箇所霊場 第14番札所「常楽寺」

2019年02月24日 | 四国88箇所霊場

            


 四国霊場第14番札所の「常楽寺」は四国霊場の中で唯一、弥勒菩薩を本尊として居る。弥勒菩薩は56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏である。特に京都・広隆寺の国宝で、片膝を立てて頬を右手で支えて考えて居るお姿の弥勒像は、其の優しいお顔の表情が美しく、お大師様とともに光明を授けてくれる様な仏といえよう。


 此の寺の縁起では、弘法大師が42歳の厄年の頃、此の地で真言の秘法を修行して居た時に、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたという。大師は直ぐに感得し、そばの霊木に其の尊像を彫造し、堂宇を建立して本尊にした。此の本尊について大師は、御遺告の一説に「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし、56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべし・・・」と触れられて居る事からも、常楽寺への篤い思いが偲ばれる。


 後に大師の甥・真然僧正が金堂を建て、また高野山の再興で知られる祈親上人に寄って講堂や三重の塔、仁王門などが建立されて七堂伽藍がそびえる大寺院となった。室町時代には阿波守護大名の祈願所にも成って居るが「天正の兵火」により焼失して居る。だが江戸時代初期には復興、後期の文化15年(1818年)に低地の谷地から石段を約50段のぼった現在地の「流水岩の庭」近くに移っている。本堂前の境内は奇形な岩盤の断層が重なる「流水岩の庭」があり他には無い様式で自然な美しさに溶け込む魅力を醸し出していた。


 私達は此の日は第13番札所「大日寺」を出て鮎喰川南岸に沿って1Km程、東に向かって走り左に見えた一宮大橋を渡り北岸側を少し東に走ったらナビ画面は左折して北方向の細い道を指示したので車を進めたが私達の不注意で常楽寺の直ぐ傍まで行きながら左折して寺の駐車場に向かう所を直進して仕舞った為に少し道に迷った結果、本来の進入路の反対側から寺に向かって進んだので奥手側の写真の「放生の池」の横に車を停車して池をゆったりと泳ぐ水鳥を見る事が出来た。此処でも遍路姿の人は全く見掛け無かったので「焼山寺」「大日寺」に続き此の寺でも此の日一番の納経に成ったのではないか?と思う。此の日は朝の出発が早かったので本堂で納経の際にも人が居なかったので他の人達を気にする事無くゆっくりと納経を済ませる事が出来た。



    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八箇所霊場 第13番札所「大日寺」

2019年02月24日 | 四国88箇所霊場

    


 早朝の「焼山寺」の納経が終わって名西郡神山町から鮎喰川に沿って可也の距離を東進して漸く徳島市に入った。此の徳島市内には5箇所の霊場があり其の中で鮎喰川を渡った平地に第13番札所の「大日寺」がある。車の往来が激しい県道の反対側が、かつての阿波の総鎮守で在った一の宮神社と成って居る。開基は弘法大師とされ、縁起に寄ると「大師が森」と云う此の地で護摩修法をされていた際に空中から大日如来が紫雲と供に舞い降り「此の地は霊地なり 心あらば一宇を建立すべし」と告げられた。大師は早速に大日如来像を彫造して本尊とし、堂宇を建立し安置したと伝えられている。寺名の由来も此の縁起による。境内は老樹に覆われ密教寺院の雰囲気を漂わせて居るが、戦国時代には「天正の兵火」により堂塔は全て罹災している。其の後、江戸時代の前期に阿波3代藩主、蜂須賀光隆公に寄り本道が再建され、諸国に国の総鎮守、一の宮が建立された時には、其の別当寺として同じ境内にあり管理に当たっていた。ただ一の宮の本地物は行基菩薩作の十一面観音像とされており、同じ境内であった為に江戸時代には一の宮神社が札所であり、納経所として参拝されて居た様である。


 其の後、明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺は大日寺と元の寺名に変えたが、元々、此の寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。宗教的に考えると少し不思議な感じもするが?何れの地を訪れても神社と寺院が同じ場所に隣同士に建って居る事は子供の頃から見慣れて居る事で違和感は全く感じない。日本人の心には仏と神が融和して居る。


 私が此の寺に訪れたのは初めてであったが仕事柄、此の寺の前の道路を通る事は結構多くて私が自動車免許を取り立ての20歳に(50年前)寺の前でダンプカーと思わず正面衝突を仕掛け、僅か残り1m以内の処で双方のブレーキが効き車が止まって事無きを得た事があった。此れは私の長い運転歴の中でも一歩間違って居たら死亡して居たかも知れない一番恐ろしい思い出だが、神仏の御蔭で助かったと思った。其の後に何回と無く此処を通過する度に心の中では何時も感謝して居たが50年後の今回、70歳に成って漸く納経と助けられた事のお礼に行く事が出来た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする