黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 相変らずのDX CONTEST参加局の減少化

2019年02月18日 | アマチュア無線

 先週の12日に1日中徳島市内の人混みに出掛けて居たら疲れたのか?珍しく宵の口から眠たく成って蒲団に入った。翌朝に目覚めたのは06時頃で何時に無く良く寝たなぁと思いながら起き出したら頭が重い感じ・・・・・・・最初は睡眠時間が長過ぎたか?と思って居たが昼ごろに成ると少し熱がある感じなので風邪薬を飲んで昼先からは蒲団の中で大人しくして居たが翌日も頭が重く終日蒲団中で過ごす事に成った。如何やら人混みに居た事に寄り風邪を貰って仕舞った様子、15日も昼まで蒲団の中で大人しくしたが熱も無いので何時もの通りの生活に戻って居たら其の晩から咳が出る様に成って其れが段々と酷く成って17日頃にピークに成り今日辺りは大分楽に成ったが矢張り夜に成ると少し咳き込む事があり如何も身体が本調子に成らない。


 其の性で無線機のスイッチは入れなかったので業務日誌を確認したら何と2月10日から交信実績が無し状態に・・・・此れでは拙いと思い今朝は久し振りに無線機のスイッチを入れたらCWのコンテストが行われて居たのでDXコンテスト・カレンダーで調べたらARRL DX CONTEST CWが行われて居る事が解かり交信相手はUSA局で此方からはRSTプラス001から始まるシリアルNOの送信と成って居たので何時も通りの呼掛け専門で少し始めた。メインは14MHz帯を中心に運用したが交信出来たのは50局程で全バンドでのCWモードでの1stQSO局は一局も無く殆ど7MHzか14MHzで過去にQSOして居る局ばかりで然も先週のRTTY CONTESTでQSOした局が結構多くて矢張りCONTESTに参加する様な局は限られている感じで寂しい感じ、コンディションが悪い性も多分にあるのだろうが?国内外供のアマチュア無線離れの傾向は可也進んで居る様に思える。寂しい限りです。
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 岩手県への旅 (2010年、2014年)

2019年02月18日 | 旅行

      


 東北の岩手県への旅は2010年7月13日~7月18日と2014年の保々同じ頃の7月14日~7月15日の二回訪れた。最初の旅は無線の移動運用が主たる目的であったが三陸リアス式海岸を此の目で見てみたい思いも同じ位にあった。最初に訪れた年は久慈市から南下を始め野田村、譜代村、田野畑村、山田町、大槌町を移動運用した。此の移動運用は東北地方では青森県に次ぐスリリングな展開で全国の沢山の局と交信する事が出来たし山田町や大槌町での運用場所で5人の方とアイボールが出来て此の時の旅で総勢10名の東北の方と御会いする機会があった。


 又、田野畑村での最初の運用場所では地元の土木作業員と運用場所の件で一触即発状態と成ったが其の時に大きい熊が駐車場を横断するハプニングがあって其々が慌てて各自の車に飛び乗って事無きを得た。(喧嘩に成ったり熊に襲われる事も無かった)此の事は私が全国行脚中に起きた三大事件の一つである。後の二つは2011年に沖縄県の金武町の米軍基地(上陸用舟艇置場で何も置いては居なかったので)の向かい(基地内ではない)で大きなアンテナを張って調子良く運用していたら銃を持ったアメリカ兵MP二人組みに「何を遣って居るのだ出て来い!」と金武町で緊張する一件に成った事と2013年の鹿児島県鹿児島郡十島村(中の島)の御山を上がって居る最中に一寸した他所見で其処だけグレーチングが無い場所に左後輪を側溝に脱輪し引き上げ様のジャッキが引き揚げ作業中に不運にも壊れて仕舞い万事休す状態に成り恥ずかしながら最終的に地元のお巡りさんのお手を煩わせて仕舞った一件である。


 2010年の岩手県内の旅はハプニングは有った物の無事徳島に帰り着いた6ヵ月後に三陸海岸があの大震災に寄る大津波で甚大な被害を被る等は考えても居なかった。そして2014年に北海道に行く機会があったので帰る行程に前回に訪れた場所に再度訪れる事にしたが私が山田町で運用した場所等は様相が完全に変って居たし陸前高田市を夜の20時頃に通過すると前回は明々として居た町筋の灯りが全く無く遠くに普及作業員用の為か?コンビ二の店灯りだけがポツリと光る現状に愕然となった。又前回の大槌町では良い運用場所が見付からず2~3時間を掛けて海岸線から可也奥深い山麓部分まで分け入って探したが2014年に訪れた時は其の場所まで行って漸く以前の景色が確認出来たが漁港近くの少し高い場所に立っていた人家は影形も無く更地状態に変って居た。翌朝に見た田老の堤防や三王岩横の遊歩道もグチャグチャに壊れて居たし其の近くの海岸線は様相が激変し更地になった場所に更に盛り土するユンボやブルトザーは忙しく動き回って居たが矢張り人家が無い景色は寂しく悲しかった。ただ生活の糧となる漁業関係の港や、漁協の設備や製氷塔等は真新しい物に建て替えられていたり養殖用の生簀か?内海に可也の数が浮かんでいる姿を見て漁業関係は徐々に復旧して居る姿が確認出来て嬉しく思ったし其処に日本人魂を強く感じた。日本人て本当に凄いと思う。

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