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四国霊場には四県に国分寺があり、其の最初の札所が「阿波国分寺」である。仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724~49)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上などを祈って、勅命に寄り全国68箇所に国分寺、国分尼寺を創建した。奈良・東大寺は其の総国分寺とも言われている。
縁起によると、阿波国分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と「大般若経」が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられて居る。開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を彫造し本尊としている。創建当時は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方で、此処に金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七塔伽藍が整って居たといわれている。
弘法大師が弘仁年間(810~24)に四国霊場の開創のために巡教された際に、宗派を真言宗に改めている。其の後に「天正の兵火」に寄って境内は相当に衰微したが寛保元年(1741年)に阿波藩郡奉行、速水角五郎に寄って伽藍が再建されて以来、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。
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私達が訪れた時は本堂の工事中で三番目の写真の仮納経所での納経となったが境内は綺麗に掃き清められて塵一つ落ちていなかったし写真の様に木々も綺麗に剪定されていた。此の寺の本堂の左右には桃山時代(1573~98)の作庭と言われる築山、泉水、枯れ山水が在るらしいが(平成12年に国の名勝に指定された)非公開で見られないのが残念で成らない。