鶴林寺の歴史・由来
第20番札所「鶴林寺」は徳島県勝浦町の標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遥かに太平洋を眺望出来る風光明媚な霊山が境内である。此の付近には樹齢千年を越すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静かな参道に建ち其の姿は隆盛の面影をしのばせる。寺伝に寄ると延暦17年、桓武天皇(在位781?~806)の勅願に寄り、弘法大師に寄って開創された。大師が此の山で修行して居た時、雌雄二羽の白鳥が、かわるがわる翼を広げて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護して居た。此の情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチ程の地蔵菩薩像を彫造し、其の胎内に5.5センチくらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を「鶴林寺」にしたという。
また此の寺の境内の山容がインドで釈迦が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ている事から、山号は「霊鷲山」と定められた。以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝、や義経、三次長治、蜂須賀家政など武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進を受けるなど寺運は大きく栄えた。阿波一体の寺が兵火に遭遇した「天正の兵火」にも山頂の難所に寺があった為か此の難を免れている。
此の「鶴林寺」は我家から可也近く山の麓までは車で8分程の距離に在り年に1~2回は必ず訪れるが険しい山道を登り駐車場で車を降りると200メートルの歩きが有るが途中の山門をくぐると境内は綺麗に掃き清められ然も辺りの凛とした空気に触れると自然に心が清められる感じに成り私の好きな場所である。此の「鶴林寺」と次の札所の「太龍寺」は何時も身近に感じながらもお遍路として納経に改めて訪れたのは初めての事であった。