黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

長期移動運用の機材 (発電機)

2012年09月08日 | アマチュア無線 移動運用

    


 移動運用で大切な機材として発電機が上げられるがバッテリーによる運用も可能では有るが長期の移動運用中の安定な運用を考えると成るとやはり発電機は必須アイテムに成ると思う。最近の発電機は低騒音タイプのインバーター発電機が主力でホンダの6iや9iに人気があるようだが勿論ヤマハ、スズキetc メーカーは沢山ある。小型、軽量で、騒音が小さく良い事ばかりだが難点は値段が高い事と故障すると素人では現場での修理が難しい。特に最後の故障の問題は何時も付き惑う潜在的なリスクと成り一度故障が発生すると移動運用の継続が難しくなる。移動運用で発電機の予備機を持って出る局は居ないと思うので其の時点で中止となる可能性が高い。



 私は今まで3台の発電機を使って運用してきた最初はスズキのパイプ型発電機2KWで2年くらい使用したが2010年の長野、東北、北海道の長期移動の最終段階で岐阜県笠松町で壊れた。其の後、新ダイワの1KWを使用したが無線運用には問題は無いが電磁調理器と電子レンジを動作させるには容量不足を感じ現在のヤマハの1.4KW出力の発電機を使用している。3台とも中古で購入し使用目的や利便性で無く価格で(2万円以内)決定した。

 

 従って低騒音タイプやインバータータイプには手が届かず工事現場で使用するパイプフレームに覆われたリース上がりのオーソドックスな発電機ばかりである。従って重量が有り騒音も高いが辛抱するしかなかった。只、これらの発電機の長所は頑丈で故障が少ない事、特に可也強い雨降りの中でも問題なく使用出来てエンジンが止まらない事等が上げられる。プラグの交換方法とキャブレターの分解掃除の方法さえ解っていれば困る事は無い。長年の歴史の中で機械的にも電気的にも完成度が高まり殆どの問題点がクリヤーされている様に思う。安定感に関しては一押しで有る。

 

 反面、最近流行の低騒音タイプは外装がプラスチックで傷つき易く、割れる可能性が有り何より低騒音タイプにする事による放熱妨害や内部温度の上昇による故障への問題や連続使用に対する安定感など(メーカーは補助タンクを利用しての連続運転は認めていない)少し問題が有る。燃料タンクの容量も少なく、私の運用スタイルの6~8時間の連続運用時には途中で燃料の補給が必要で運用を中断し燃料補給中に他の局が出て来て混信になったり最悪の場合はQRT状態に追い込まれるケースも現実に多々ある。ただ低騒音と小型軽量は大きい魅力で運用場所の可能性はパイプ型に比べると可也広がる。とにかく運転音は雲泥の差が有る。



 発電機の容量だが600Wクラスで無線運用だけだと賄う事が出来るが、最低でも900Wは欲しい処、出来れば16iシリーズの選択が良い様に思う。冬場の山篭りや寒冷地での運用は暖房機の使用も必要だし、高額な発電機の購入、移動運用だけの目的の購入でなく、まさかの災害時の電源確保などを考えれは其れ位の容量は必要で有ると思う。とにかく「大は小を兼ねる」この余裕が寿命や安定感に大きく影響する。



 私はホンダの16iが有れば「鬼に金棒」と移動から帰ると何時も購入を考えるが今だ現実と成っていない。移動の度に28Kgの発電機を上げ下ろししたり、台車が入らない路面の場所では2~30mを発電機を持ち上げて「このやろう~」と叫びながら運んでいる。でも一番最初は重量38Kgの2KWの発電機を同じ様に持ち運びしていたのだから少しは楽に成った。

 

 全国を廻った時「此れをよく運べますね」とか「どの様に持ち運びするのですか?」とよく質問されたが「この程度が持ち運び出来ないなら移動は遣るべきでない」とか「此れが持ち運び出来なくなったら移動は辞める」等と貧乏人が毒付いていたが最近は正直、負担と成って来た。16iを購入するか、移動運用を辞めるか?は定かでは無いが痩せ我慢も限界で結論が出るのも、そう遠い先では無い様に思える。



 最初の写真は 現用のヤマハ1.4KWの発電機、次は1KWの発電機、タンクからは燃料漏れ其の外、可也ガタガタで有ったが直して見掛けは悪いが正常に発電動作は働く、ただ冬場の移動や電子レンジを動作させるには容量的に足らないので現在は使用していない。
 









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 移動中の機材 カーナビ其の他

2012年09月07日 | アマチュア無線 移動運用

 


 長期移動の生命線 カーナビは大変重要な機材である。私の様な田舎者が臆しながらも全国を旅する事が出来るのも「カー・ナビ」の御蔭である。此れが無ければ「日本一周」など夢物語であっただろう。それ故に車に次いで重要な機材である。



 只言える事は幾ら精度の高い文明の利器でも完璧な物など無く、時々とんでも無い指示をする事が有り悩む事に成る 私のカーナビはパナソニックの古いタイプでオークションで1万5千円で入手した物、購入時は最新の地図帳を入れたが現在4年を経過すると田畑や最悪は海の上を走る表示と成る事も時々有る。最大の難点は都会地の2階建ての高速道路を走行中、予測表示をせず表示が停まって仕舞う事、名古屋と大阪で1号線を走行時に其の症状に悩まされた。細かい指示上の問題は日常茶飯事である。



 私はそれらのトラブルの解消用にポータブルタイプのナビをもう一台搭載している、此れはHDDタイプでは無いので実際の走行案内目的には向かないが(動作が遅く走行を間違うとデータをロードして新しいルート表示までに数分掛かる場合が有り実用上走行中は使い辛い)確認用には十分で一番有用なのは移動運用地が境目の場合、歩きながら微妙な境界の確認が出来る事と緯度経度の打ち込みが出来るので最近は運用予定地をグーグル・アースの航空写真で確認して其の緯度経度を読取りメモし現地へ行く時には最終ポイントには此方のナビで寄せる様にしている。最新型国産のナビは如何か解らないが古いタイプは意外と緯度経度で目的地を設定できるナビは少ない。設定できても秒までの設定機種では誤差が100m以上有り地形によっては其の場所に正確に行けないが秒の次の桁が設定出来るナビだと殆ど誤差無くその場所に辿り着く事が出来る。



 次に便利な機器は速度違反を取締るGPSレーダー探知機、私の車は走ろうにも車が走らないので心配ないが走り屋さんは必要かと思う、私も念の為にユピテルの商品を搭載しているが思わぬ所で「ネズミ捕り」に出くわした事がある。特に北海道の観光シーズンは絶対注意が必要、パトカーからレーダー波を当てられると即アウト、探査機の値段以上の罰金を払う羽目に陥る。最近の商品は警察関係の無線電波を受信するだけで警報を発するので周辺のパトカーの存在が解る物も有るのでレーダー波を当てられる前に予知する事が出来る。



 其れから北海道、東北方面に移動される場合は別のフォグランプの用意が有ると便利で有る。特に山間部や高度のある場所で運用する場合は必須で有る。通常のライトの中に組み込まれているフォグ等は光が通らない。本格的な物でないと通用しない状況に成る事がある注意が必要である。

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 長期移動用の機材(移動車の選択)

2012年09月07日 | アマチュア無線 移動運用

        
 
  


 
 移動運用の遣り方には様々な方法が有るが特に長期間の移動運用を行う時(1ヶ月以上)移動手段である処の車の選択は非常に重要である。居住空間の広さ、維持経費、燃費等、考慮するポイントが幾つか有る。



 長期移動と成ると基本的にリタイヤ組が圧倒的に多いと思うが一番最初に考える事が軽四か普通乗用車の選択、私も現役時は大きい車に乗っていたがリタイヤと同時に軽四に乗換えた。維持費、燃費、どちらを取っても問題なく軽四の選択に成ろう。唯 自動車は嗜好品なので其れだけでは判断出来ない所が有る。



 本格的な移動用と考えると内部の改装やボデーに手を加える可能性が出てくるので移動運用の 専用車がベスト、私はベッドを組み込んでいるので(簡単に着脱出来ない)専用車としているので維持経費などを考えて選択肢は軽四しかなかった。経済的に余裕が有れば普通車がベスト、軽四の選択肢を取った時、一番心配した事は車のパワー不足の事、この件に関しては一般道を走行時は余り問題に成らない。唯、連続する昇り勾配や高速道路の走行には不足を感じる事が有る。従って軽四車の場合はターボ付きが必須、私の場合はターボ車で無い上に常時250Kg程度の荷物が積載されているので高速道路、特に昇り坂では泣かされる。其れと運転動作は面倒だがマニュアル車はエンジンの最大トルクでギヤチェンジが出来、エンジン・トルクを有効に絞り出せるので操作が苦に成らない人は考える余地がある。トルコン車の場合はトルク・コンバータで自動的に切換わる事から連続の勾配を駆け上る時、トルク・コンバーターが小刻みに切り替わりエンジンのトルクを十分に利用出来ないもどかしさは皆さん感じた事が有ると思う。其の意味ではマニュアル車でターボ付き車がベストチョイスで有ると思う。



 全国を移動していると各地の道の駅で長期旅行(車中泊で)中の車を見る機会が多いが普通車で圧倒的に多いのがハイエース、エンジンの大きさや、グレードなど選択肢が広がり何よりも改造オプションが沢山の会社から豊富に有り、其れを利用すると素人でも一寸したキャンピングカーに早代わり出来るのは素晴らしい。居住空間の確保も簡単で夫婦で旅行しながら無線も楽しむなら私ならこの車種を選択する。最近のRV車も格好良いが長期旅行や移動運用が目的なら箱バンタイプが良いと思う。



 軽自動車ではホンダのバモスかスズキのエブリが多い様に思う車中は基本的に同じで有り最後は好みの問題と成ろう。現在買い替える余裕は無いが最近出たホンダの乗用タイプの箱バンで車内の内張りの突起物にベットを(オプション板)取り付けているCMを良く見るが一寸した移動などには面白そうである。


 上記の写真は過去にも公開しているが、移動中は助手席を外し其の部分にバッテリーを搭載して上側に着脱式のコンパネ板を置いている。バッテリが80Kg、ベッドが50Kg程有り大人が2人載っているのと同じ状態、電子レンジ、衣類、無線装置、発電機等を合せると250Kgの荷物になる。

 

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先回の移動運用のカード発送完了

2012年09月06日 | 日記

 先日の馬路村の湯けむり対象地区の魚梁瀬温泉と馬路温泉と安芸郡東洋町での移動運用のカード印刷が完了発送準備が完了、明日郵便局へ持込む予定、今回は意識的に早い対応を心掛けた。昨年の沖縄、離島、九州、中国地方の移動運用時のカードは書式の決定やプリンターの故障によるトラブルで皆さんには多大の御迷惑をお掛けしたので、今年からは移動運用時のカードの迅速な発送を目標に取組んでいる。其の前の紀伊半島、直島移動のカードの発送は1週間以上前に配達完了の知らせがポストに入っていたので晩秋には皆様の御手元に届くのではと思っている。

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 京都府相楽郡南山城村での移動運用 (2010/07/30)

2012年09月05日 | アマチュア無線 移動運用

 岐阜県羽島郡笠松町の運用後来た道を引返し岐阜羽島から名神高速に乗り京都南まで向かう京都南ICで高速を降り24号線を南に下がり途中から163号線に入り京都府で唯一の村である南山城村に向かう163号線に入ると木津川に沿って東進し段々山の中に分け入る感じの道と成った。京都の運用地に関しては日頃御世話に成っている地元の松井さん(JE3OKZ)に相談したら「南山城村が良いのでは?」と運用場所も教えて戴いたのだが私の理解が悪く場所が良く解らず地元のガソリンスタンドに給油に立寄ったところで尋ねると童仙房高麗寺方面を教えて戴き細い道を上がっていくと15分くらい走ると開けた場所に出た。少し山手に上がる道を昇ると御墓の見える高台に出たが逆Vを張る程広さが無く狭かったが時間は17時を回っていたので釣竿アンテナを利用して運用する事に運用場所は北緯意34度48分43秒 東経136度00分01秒 標高484mHで発電機は笠松町で故障していたので予備のバッテリーで17:20~19:59jstの間7Mhzで運用を始めたが非常にコンディションが悪く6、7、8エリヤは交信出来るのだが1、2エリヤに対するパスが悪く思う様に局数が伸びない。



 運用開始後1時間くらい経つとバッテリーの電圧降下が始まり送信音がバッテリー容量不足の独特の状態が現れ始め車のエンジンを駆けた状態で運用する状態に成ったが軽四のダイナモの容量不足か状況は良化されなかった。今までの運用で3エリヤからの運用は初めて最低でも100局は達成したかったが90局で精魂尽き果ててしまった。現地で車中泊の選択肢も有ったが発電機が使えない状況では多くは望め無いと判断、山を降りる事にした。来た道を引返し24号線との合流点から奈良市に向かい市内のコンビニの駐車場で高速の深夜割引の時間待ちをしたが3時間近く有るので帰る方に気が変わり宝来ランプから第三阪奈道路に入り生駒山の下を潜る長いトンネルを通り大阪方面へ其の後名神高速に入り明石大橋を渡り淡路島を経由して鳴門大橋を渡り31日に日付が変わった01時頃 実に2ヶ月半の長野、新潟、山形、秋田、青森、北海道、青森、岩手、宮城、福島、新潟、長野、富山、岐阜、京都府を巡る移動運用は終わりと成った。

 


 走行距離は約15000Km 車で消費したガソリン1150L 発電機で使用したガソリンは400L以上 実にドラム缶2本に相当する 老体の発電機も故障するはずだと思った。移動中や運用中に様々な事が有り大変な事も有ったが今思い返すと全てが良い思い出に成っている。

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岐阜県羽島郡笠松町での移動運用(2010/07/29~30)

2012年09月04日 | アマチュア無線 移動運用

    


 富山県中新川郡舟橋村の運用が終わると300m位しか離れていない舟橋立山天然温泉「湯めごこち」に入浴した。温泉設備は良く特に露天風呂は広く御客さんも沢山入浴していた。途中から雨がポツポツ降り出したが苦に成らず寧ろ雨の中の露天風呂は趣があった。2時間は温泉を楽しんだ後、駐車場で車中泊する心算でベットに横に成ったが眠られず思い切って富山市内を抜ける事にして自動車を走らせた。夜中の1時過ぎに場所も名前も思い出せないが途中の道の駅に入り車中泊し、翌朝小杉ICから北陸道に入り小矢部砺波JCTから東海北陸道へ最初は平坦なコースで有ったが山間部に入ると一定勾配の登り坂が続きやがて10Km以上あるトンネルの通過時は連続の上り坂でおまけに片側一車線なので後続車は追い抜きが出来ない。

 

 我がピョンピョンⅡ号は最初は時速90Km位で走っていたが連続の登り勾配でアクセルペダルはベタ踏み状態でも最後は60Km状態にスピードダウン「此れには参った」軽四でターボ無しのエンジンでおまけにトルコン車そして車内には250Kgの荷物を積んでいたので走らないのだ。後続車の方には申し訳ない気持ちで一杯なのだが、どうする事も出来ない。やがて峠を越えて下り坂に成ると重量が有るので加速度が付いて120Kmくらいで下り坂を走りる事が出来たが この車では二度と東海北陸道は走れないと思った。飛騨白川PAで無理をしたピョンピョンⅡ号を休める目的で車を停め私もベッドに横たわり仮眠する事にした。



 岐阜県側に入るとアップダウンは有るものの全体的には下り勾配で順調に進み一宮JCTで名神高速に入り直ぐの岐阜羽島ICで高速道路を降り国道18号線で安八郡安八町に向かう。安八町は岐阜県下ではQRVの少ない所で両側を揖斐川と木曾川に挟まれた町で どちらかの川の河川敷か堤防上でフルサイズのアンテナの設営が可能だろうと考えて岐阜県内での運用地と考えたのだが 思いの外人口密集地帯で両河川の近くも車で廻ったが此れと言う場所は探し当てられなかった。1時間ぐらい不慣れな町をさ迷ったが諦め高速道路を通過中に大きい河川敷が見えた2番手の運用候補地の笠松町に向かう事にした。



 笠松町に入ると木曾川を目指し東に進み木曾川橋の手前を川下に少し行くと河川敷に入る道が有り其の先にアスファルト舗装された大きい駐車場が見付かった。運用場所は北緯35度21分41秒 東経136度45分30秒の写真の場所で逆Vを設営7Mhzで16:17jstから運用を開始したが7局目の小西さん(JG4SMS)との交信中だったと記憶しているがトランシーバーが動作しなく成った。発電機のエンジン音はしていたので車までのコード関係のトラブルと考え外に出て調べたが問題なく車に戻り調べようと運用卓の上の電圧計を見ると針が振れていない。この段階でも発電機の故障とは思わ無かったが発電機側の電圧計を見て初めて現実が理解出来た。



 この時の移動は100%発電機頼みで予備電源として90AHのバッテリーをセパレーターで分離、走行中に充電出来る様にはしていたが発電機が停止した時に自動的に切替える事等考えて居なく最悪自動車の「バッテリーあがり」時のエンジン始動用にしか考えて居なかったので無線機側に供給する接続など考えて居なかった。急に電波が停波した事で聞いていた各局には心配は掛けているし早く電波を出す方法を考えなければと色んな事が頭の中を駆け巡ったが直ぐには妙案が浮かばなかった。時間が経つと冷静に成りバッテリーから12Vの電源端子までは「バッテリー充電コード」を代用利用し接続する事にした。予備バッテリーは2番目の写真の様にベッドの下に取付けて有るので助手席側の後ろのサイド開きのドア側からでないと(ベッド用のコンパネが片ヒンジで取り付けられ片開きであったため)結線作業が出来ない状況にあった。そしてこの時は無線機は屋根の上の荷物入れに取り付けていたので(写真とは状況が少し違う)窓ガラス越しに接続しなければ成らなかった。作業をするためにサイド・ドアを開けようとするとドアが開かない。原因を調べるとキャリアを取り付けている部分が上の重さと走行中の振動で下がりスライドドアの一部に接触してドアが動かないのだ。コンパネは写真の様に開くので車内の方からは作業が出来ない。網戸を外して窓ガラスを下ろせば可能だがサイド・ドアをあける必要性は他にも有ったので新車では有ったが下がっている部分に木片を当てて下からハンマーで叩いて修正する事にした。荒療治で「涙がポロリ」の状態で有ったが電波が出る様にしなければの思いの方が強かった。



 解決策は旨く運んだがこの日は木曽川の水位が上がっており消防所から車が出て水位を監視してる状態で有ったので河川敷での車中泊は取りやめて少し上流の名鉄名古屋本線の木曽川鉄橋の下の笠松港公園の入り口の堤防上の空地で車中泊する事と成った。翌朝、昨日の場所に戻り05:32~07:59jst間を7Mhzで運用し103局と交信しこの場所での総交信数は昨日と合せて110交信に終わった。運用後、時間が有ったので発電機を調べたが発電機の中に組み込まれたレギュレーター回路(ブラック・ボックス)が故障、現地では如何する事も出来ず諦めた。この発電機は移動運用を始めるに当たりオークションで15000円で落札、外観はボロボロで有ったが分解掃除して自分で色を吹き直しして使用出来る様にした物、愛着も有ったが何よりも2009年の北海道1ヶ月、今回の2ヶ月半の運用中、時々機嫌を損ねる事も有ったが移動運用時は暑い日も寒い日も元気に働いてくれ2年半の間に30000交信に及ぶ電源を供給し続けてくれた戦友の様な物、残念ながら岐阜県羽島郡笠松町で命尽きた。



 このトラブルは移動の最後の段階で発生したので「不幸中の幸い」で有ったが北海道当たりで発生していたら運用が出来なかったたと思われるので其の後の安定した移動運用が出来る様に150AHのバッテリーに載替し、電源もフローティグ方式にして発電機とバッテリーの並列運転とし発電機の燃料切れや万一の発電機がストップ時にも瞬時にバッテリー運用に切換わり即電波が停まる事の無い様に安全策を施した。この事は急激な負荷の変動を発電機に与える事無く一定回転する事により燃費を向上させた。笠松町では痛い目に有ったがトラブルを乗り越える所に意義が有り其の為に彼是考えて改善していく事にアマチュア的楽しみが有る様に思う。



 写真の車には釣竿アンテナが付いているが 此れは運用終了後、修理作業中に受信する為に接続した物


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富山県中新川郡舟橋村での移動運用 (2010/07/28)

2012年09月04日 | アマチュア無線 移動運用

 上市町の山からの運用を終わり下りてくると上市川第2ダム湖の周辺は山に昇らなくても逆Vアンテナを張って移動運用が出来る場所が何箇所か有った、夜の遅い時間帯に此の場所に到着したので気付かなかったのだ。ダムの堤もよく見るとコンクリート製では無く緩やかな勾配で下がる土砂で作られた幅広い堤防状の構造で有った。



 町筋まで帰り3号線~4号線と進み中新川郡舟橋村に入る。この村は北陸3県(福井、富山、石川)で唯一の村、村移動が好きな私が一番運用したかった所、更に全国で面積が一番狭く3.47K㎡かつ人口増加率は日本一と言う場所である。名前の由来は室町時代のこの地の城主が橋で無く掘りに船を連ね渡らせた事から舟橋と呼ばれる様に成ったらしい。この村には東側から入ったが直ぐ北側に河川が有ったので4号線の信号を右折すると200mも行かぬ内に富山市に入りアウト、引返して南へ向かうと直ぐに左に村役場右に小学校が有り駐車場も有ったが公共の場なので遠慮した。更に進むと中学校が有り其の西手に緑地公園が見えたので右折して向かう この段階で北の境から900m程で既に村の南北の中央部に成る。緑地公園は綺麗に整備されていてアンテナを張れる格好の駐車場が有ったが昼の時間帯で車内で仮眠の人が居られアウト、更に南に下がり東芦原地区の森崎開発の前の神社と墓地の間の幅広部分(墓参り様の駐車場と思われる)が有り取合えずナビに登録、其の直ぐ南は6号線が東西に走っており西側に大きい堤防が有ったので上がると抜群のロケーション、ナビで確認すると立山町付近と出た(私のナビは古く走行中に其の場所の町名が表示されないタイプ)これまたアウトである。仕方なく引返し登録した場所の少し東側に「舟橋・立山天然温泉湯めごこちの」大きい駐車場が2面有ったが何れも残念ながら立山町でこれまたアウト、仕方が無いので今回の移動運用中の墓地シリーズ、北海道妹背牛町、東北、青森県南部町に次いで3番目の舟橋村の墓地サイドからの運用が決定した。



 舟橋村の全体の形は九州の地形に良く似て居て、それで言うなら運用場所は鹿児島の桜島の当たりの感じで北緯36度41分22秒 東経137度18分03秒に位置する。今回は富山県内の運用として確り遣るつもりでフルサイズの逆Vアンテナを設営した。運用は14:57~20:06jstは7MHzで20:07~20:32jst間は3.5MHzで運用し総交信数284 其のうち3.5MHzは26局に終わった。



 この村は前記の如くアピール性には事欠かず 其の後も沢山の人が移動運用しているがフル・サイズのアンテナでの運用と成ると中々大変な場所で有る。

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 富山県中新川郡上市町での移動運用 (2010/07/28)

2012年09月03日 | アマチュア無線 移動運用

 野辺山の宇宙電波観測所を見た後、清里~韮崎を経て太平洋側に出て東名高速で西に走り岐阜県に向かう帰り道の予定で有ったが0、7、8、1エリヤを運用したので太平洋側よりも運用していない9エリヤの方が今後来るチャンスが少ないと考えて急遽計画を変更して韮崎ICから中央道に入り長野自動車道~上信越自動車道と乗り継ぎ長野県を縦断し高速を降りるのが面倒で有ったので上越ジャンクションから北陸自動車道を通り9エリヤの富山県に行く無茶苦茶なコースを進んだ。其の後富山県で運用した時「神出鬼没やな~」とか「訳解らん動きをする」「予測出来ん動きをしてる」とか散々言われたが少々根性捻じ曲がって居る私は「旅は風の吹くまま気の向くままが最高」と惚けた。



北陸自動車道の立山ICで高速を降り先ず食料の調達の為にスーパーに立寄り次にカーナビ検索で温泉を探す事にすると近くの152号線沿いに大岩神子温泉を見つけ向かう事にした。温泉は北相木村、上野村と1500mH近い人里離れたの峠の車中泊で温泉に入る事が出来なかったので3日振り、長時間を掛けゆっくりと温泉を楽しんだ。外に出ると日は暮れて真っ暗、上市町の役場を廻り山手側の上市川第二ダム湖の方に向かいダム湖の畔に有る自然ビジターセンターの上の駐車場 北緯36度39分44秒 東経137度27分00秒 海抜463mHで車中泊した。翌朝、釣竿アンテナと発電機で05:52~08:56jstまで7Mhzで運用開始、77局と交信した後、閉局した。

 

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野辺山宇宙電波観測所と脱線した話(2010/07/27) 

2012年09月03日 | 日記

        



 群馬県多野郡上野村での運用を終えて長野県側に戻り小海町に入り141号線(佐久奥州街道)を南下して南佐久郡南牧村野辺山に行く事に、目的は野辺山宇宙電波観測所のパラボラ・アンテナを見に行く事に有った。

 

 私は子供の時から星に興味が有り夏に成ると家の中での食事は暑いので天気が良い夕方には実家の庭先に「いっきゃく」と呼ばれる横1,8m縦3、6m 高さ50cmの確りした作りの木製の台(フラットのベッドの様な夕涼み台)を置き家族で食事したり風呂上りの夕涼みをしたり、今思うと質素な食事では有ったが風情としては随分優雅な事をしていた様に思う。

 

 当時はテレビの無い時代でその様な中で家族間のコミニケーションがあった様に思う。今思うと戦後で経済的には大変な時代で有ったが実家が農家で有った為、質素では有ったが食べる事に事欠かなかった事と精神的には恵まれていた。その様な演出をする「いっきゃく」なる物は近所の農家には何処にも有った様に思う。昼間は日陰での昼寝のベットに成ったり遊びの卓球台にも早変わりした。

 

 私は夏休みの夜など、其の上で大の字に寝て星空を眺めるのが大好きで何時間も見ていて寝てしまい母親に「風邪をひくよ」と起こされた経験が何度も有った。其の頃は当然、望遠鏡が欲しくて欲しくて堪らなかったが高値の花で親に買って欲しい等と言えない経済状況は子供なりに十分理解していたが、大人に成ったら大きい望遠鏡を買う事が一番の夢で有った。

 

 この頃から手が届かない遠くに対する憧れや、「冒険ダン吉」だったと思うが漫画でハムの世界をオボロゲながら知り、行った事の無い外国と話が出来る無線の世界を知った様に思う。兎に角、貧乏な家に生まれた割には夢は持って居た様に思う。其れと長兄のJA5CHQの影響も絶大で有った。とにかく兄は欲しいと思ったら何でも手に入れる天才的な手腕を持っており中学生か高校1年生くらいの時に当時高価なカメラや空気銃や剣道の防具や自分で和船等を作ったりして同級生が遣らない事を楽しんでいた。

 

 兄は優秀で有ったので親父は可也期待をしていた様子で特別扱いも有ったが上記の才能も(欲しい物を手に入れる才能)人一倍有った様に思える。私は先進性の有る物や、遊び等に関して兄の御蔭で随分と恩恵を被った。アマチュア無線も其の一つで兄が居なければ学生時代での開局も夢と成って居ただろうしアマチュア無線の世界に入る事も無かったかも知れない。此れは「好奇心の塊」の兄の御蔭と感謝している。私は現在アマチュア無線に夢中だが子供の時の夢を実現して月に1度くらいは条件の良い日に手に入れた反射望遠鏡を庭先に出し天体を覗いている。



 例によって随分脱線したが天文とアマチュア無線と関係の深い野辺山の45mのパラボラ・アンテナを見ずに素通りする事は出来なかった。広大な敷地に宇宙からの微弱な電波を捉える大型パラボラアンテナや小型のパラボラアンテナの集合体である電波望遠鏡など目の当りにして興味が尽きなかった。従ってこの村からの運用する時間が無く訪れる事だけで終わった。最初の2枚の写真は野辺山駅周辺のメルヘンチックな風景と土産物店

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 道路愛護デーと言う名の行事と常会 (2012/09/02)

2012年09月03日 | 日記

 今日は年に2回有る「道路愛護デー」と言う名の奉仕活動の日、私の住んでいる阿南市下大野地区は田舎で農村地帯で有る。この地に来た34年前はこの近辺は未舗装の道が所々に有り、4月と9月に出役が有り路面の傷んだ所の修復や農面道路のコンクリート打ち等を常会(各地域毎の集まりと言うか親睦団体)総出で行っていた。近年、其の整備も終わり最近は路肩の草刈や道路掃除が主たる役割と成って来た。本日も朝8時に作業が始まり近所の5軒程が家の近くの道路の草刈と清掃に励んだ。



 昼前の11時に近くの集会所に集まり懇親会が始まり、農繁期の為、皆さん忙しい時期なので25軒の内の半数しか出席が無かったが連絡事項や世間話が弾んだ。思えばこの集会所も基礎工事、鉄骨の組立て、外装のトタン板の取付けまで出役で皆さんと協力して建てた。流石に内装は常会内に大工さん3~4人居たのでその人がした様に思うが中に有る落成記念の写真には若い家内に抱かれた長女30歳が3歳くらいだろうか写っていた。考えると月日の経つのは早いもの既に30年以上経ってしまった。私は31歳から家長として常会に主席する様になったが其の当時は若い人でも50代で最年少で有った。其の当時、御世話に成った父親世代の諸先輩は大半が天国に召され其の頃は常会に出て来ていなかった同世代も4所帯の御主人さんが既に亡くなっている。皆さん1~2歳年上だが其れでも皆さん早すぎる働き過ぎなのだろうか?私は仕事無しの浪人生活、そんな私に来年は常会長の大役が廻って来る事に成った。最近は現在の会長さんの下で各行事の準備や実行方法に付いて見習い中である、その様な訳で来年は少し忙しい年に成りそうな気配がする。家内も来年の為に休みを取り昼食の準備など勉強した様子、久し振りの夫婦揃っての出席となった。

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群馬県多野郡上野村での移動運用(2-010/07/26~27)

2012年09月02日 | アマチュア無線 移動運用

    

 



 長野県北相木村の「長者の森」から124号線を少し引返した所に分かれ道が有り右折すると長野県と群馬県の境の「ぶどう峠」標高1449mHが有る。この峠を北から入りU字型に回るとU字の底の部分に当たるところで群馬県多野郡上野村に入る。上野村は日航のジャンボ機JAL123便が御巣鷹山の斜面に(1612mH)に1985年8月12日に墜落し多くの犠牲者が出た所で有る。偶々私の誕生日が8月12日なので其の後、毎年誕生日には慰霊祭のニュースが流れ、この事は私には直接関係は無かったが身近な出来事で有った。現場は上野村の一番南側でぶどう峠から距離は有ったが南東方向にある。



 上野村の運用は北緯36度03分50秒 東経138度38分33秒で標高1502mHで上野村の標識の北側の(2m先)道幅が広くなった所に車を止め片方のエレメントは上野村、片方は北相木村側に「くの字」に張り運用した。運用開始は26日の14:40~20:59jstは7MHzで21:02~22:45jstを3.5MHzで運用、翌朝06:11~08:43jstを7MHzで運用、総交信数324 内3.5MHzは58局で有った。この時点で1エリヤからの唯一の移動運用が実現した。



 この地での思い出は平渡さん(JF1HQI、此の方の事は7MHzで運用する人なら知らない人は居ない位、出ているし有名な方)とアイボールした事、1stQSOは1986年と古いが私が本格的に移動運用を始めた2009年からの移動地は完璧に交信して戴き交信回数は220回以上を数えている。アワード・ハンターなので私が挑戦している全都道府県からの移動運用が完了すれば「ONE MAN WAJA」を完成する数少ない一人で有る。藤岡市から御弟子さんを連れて高級車で颯爽と現れた。御声を聞いた感じよりも若く精悍な感じで身長も高く圧倒されたが気さくな感じで御話が出来た。又、平渡さんには毎朝の「おつとめ」の時には旅行中の安全を御祈りして戴いたので御蔭さんで2ヶ月半に及ぶ移動中、事無きを得る事が出来たので非常に感謝している。



 もう一人は若き営林省の御役人で御名前も聞かなかったが楽しい山の話を御聞きした20歳後半くらいの筋骨隆々の青年で朝の内、少し姿を見たのだが一旦、車で帰り1時間後に姿を現して直ぐに山中に消えたが1時間後に写真の車が停まっている所で休んでいると「熱いですね~」と話し掛けて来た。見ると映画スターの様な顔立ちで、私は其方の方では無いが男が見ても惚れ惚れする美男子で有った。「何をしていたのですか?」と質問されたのでアマチュア無線の事を説明すると少しは知識が有る様で有った。

 

 二人が話ししている時、大きいアブがブンブン飛んでくるので「何故なの?」との話しに成った時、アブは自動車の排気ガスに反応するのだと言う事を教えてくれた。私と彼の車はエンジンを切っていたのだが展望台から景色を見ていた人の車のエンジンが回って居たので其れに反応した様で10匹くらいのアブが其の車の窓ガラスやボデーにゴンゴン当たっていた。私が彼の仕事と何をしていたのか聞くと、昨日から国有林の木々の調査をしていて帰る時、今日も使うのでチェンソーのガソリンと混合用のオイルを山に残して帰り、今日現場に入るとガソリンは無事だったがオイル缶が爪で穴を開けられ飲まれていた為、仕事が出来ず取りに帰っていたとの事で有った。「此処等は熊が居るんですか?」と聞いたら「結構居ます」との事、熊が味の無いオイルを好むなど想像もしなかったが(オイルを食べた事の無い私が味の事を解るはずも無いのだが)「熊は蜂蜜などの様にベトベトした物が大好きで味よりも食感を味わっているようだ。」との事で有った。私が彼に「夏の山仕事は大変でしょう」と聞くと彼は「まだ若いので現場に出る仕事が大半で大変だが、でも机の仕事よりは性に有っています。」と笑う顔が大変印象的なナイス・ガイであった。
 

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 長野県南佐久郡北相木村での運用(2010/07/26)

2012年09月01日 | アマチュア無線 移動運用

        

 


 南相木村の運用後50m程、車を移動し北緯36度02分09秒 東経138度34分28秒で海抜1476mHで車中泊した翌朝の05:49~08:05jstに7MHzで運用し102局と交信した。需要が有れば長時間運用する予定で有ったが 呼ぶ人が途切れたのでQRTした。小海町、南相木村、北相木村と全て標高は1400mHを越しているがどの場所も交信数は100局前後で終わり余り伸びていない。

 

 長野県は全国の中央部で国内コンディションの方は南北に均等に開け其の意味で条件も良いはずなのだが?色々考えたが標高が高すぎる為に近いエリヤに対する電波が落ちずにスキップゾーンが広い様に思う。そして釣竿アンテナと言う垂直系のアンテナを使用した事が(打ち上げ角が低いので電離層での反射波は遠くに飛ぶ)更に拍車をかけた様に思われた。したがって時間帯によっては近距離のエリヤの信号が「フワフワ」して取り辛い事が有った。今回の移動の最初の長野県東筑魔郡山形村でも標高が1500mHを少し切る標高でも同じ様な現象が出たのでHFでの電波の伝搬では必ずしも高さが全てでは無い様で有る。今までの全国の移動では高くても400~800mHくらいでの移動運用、其の高さが大半で其の場所では、この様な事は余り感じなかったのだが・・・・



 長野県の様に2000級の山が沢山ある県は珍しく徳島県では1400mHが車の乗り入れ可能な移動地では最高峰クラス、従って今回の様な経験は初めてで有った。



 運用後、来た道を引返し分岐点から右折し124号線の先端、「長者の森」に向かった。この場所は遊具も有り綺麗に管理されていたが私が着いた時は子供連れの御夫婦がテニスをしていただけで其の他のお客さんは居なかった。私は休憩を兼ねて近くを散策したが静けさが有り森林浴で気持ちが和んだ。

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TS-450V 息を吹き返す (2012/09/01)

2012年09月01日 | アマチュア無線

       



 先日、テスト中に急に壊れたTS-450Vのパワーが出ない故障、本日、茨城から部品が入荷したので早速交換してダミーとバードの電力計を接続してテストしてみる。SSBが負荷が軽いのでSSBモードで送信するとパワー計が10Wまで振れてIC-756 proⅡでモニターすると変調も歪んでおらず 正常動作をしている様子、他の回路の部品不良も無く「ほっと」した。



 不良部品はドライバー段のQ1のトランジスターのベース~エミッタ間のショートでテスト中はアイドリング状態でマイクゲインを絞りきった状態で有ったのでテストによる故障とは考えにくいのだが?そして故障前もCWで7W程度しか出ていなかったので「おかしいな?」とは思っていた。部品交換後、エージングしてキーイングすると11Wは出ていたので良化した事は確かである。



 前にも書いたが今回は高い部品代と成った。部品代が1995円、送料が790円、代引き手数料が315円で消費税をを含んで合計3100円、部品代はインターネットで調べたが1800~2000円くらいで高いとは思うが並みの値段、1個買いなので此れは仕方が無いし代引き手数料は銀行振込みと成ると同額程振込み料が掛かるので行かない分だけ楽、問題は送料、トランジスター1個で790円は痛い・・・郵送してくれれば安いのだが個別の対応は手間が掛かるので遣ってくれない。とにかく田舎にいて困るのは部品の調達、メーカー修理だとケースを開けると1万円は必至なので「自然に壊れたものなら6000円の儲け」と諦めるしか無い。でも直ったので気分は良い。



 写真2~3 さて私は何でしょう。今まで使う事が無かったので外で雨ざらし状態?


 今回、8年振りに使いました。高圧トランスでは有りません。またメーカー製でも有りません。灯油のポリ容器は大きさの比較用、火気厳禁は両方共、中にはポリ容器に入り切れない油が入っています。中の油が沸くまでに市販のリニヤが全て根を上げるだけの能力が有りますHi ただし私の所には その様な強力な兵器は有りません。念の為

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長野県南佐久郡南相木村での移動運用(2010/07/25)

2012年09月01日 | アマチュア無線 移動運用

       

 



 南佐久郡小海町での運用は思わぬトランシーバーの故障の為、思った様な運用は出来ずに閉局し次の予定地の南佐久郡南相木村に向かう事にしてメルヘン街道を下る事にした。街道を暫く進むと「レストハウスふるさとが」が有り沢山の車とバイクが駐車していたので私も立寄り小休憩した。天気が良く写真も撮った事はハッキリと記憶しているが例により保管状況が良くなく見付かって居ない。更にメルヘン街道を進むと道は佐久穂町に入りどんどん下って行き清水町の信号に出た。其の信号を右折して141号線に入ると漸く平坦な道に成ったが其れでも標高は786mH随分高い場所で有った。昨晩の麦草ヒュッテからは標高差1230mを駆け下った事に成る。

 道は南下する様に走り小海町役場を通過し「やすらぎ園」を過ぎて直ぐに左折し小海大橋を渡り直ぐの小海トンネルを抜けて2号線にそして124号線に入ると北相木村に入った。実はこのルートは小海町でアイボールした塚原さん(JE0SSM、7Mhzで出てる人なら知らない人は居ないくらいアクティブな人)から北相木村と南相木村を運用するなら御座山の麓に両村にまたがる峠が有り其の場所は道幅が広いので少し移動すれば2ポイントの運用が可能であり、行き方は北相木の郵便局を過ぎると別れ道が有り下る方向に入り林道を進むと峠に向かうと教えて戴いた。

 北相木村の分かれ道はすぐ解り教えられた林道に入ったら途中で枝打ち作業の人達が居て其の方向に車を乗り入れてしまった。林道を進むに連れて道幅は狭く成り路面は荒れた林道に迷い込み行止まりに、車を廻すスペースも無く曲がりくねった300m位をバックで戻る時は何回も車から降りて確認が必要なくらい大変な悪路で有った。脱輪などすると自力で脱出は無理だし通り合せの人や車等は期待出来ない場所で有った。今グーグルの航空写真で見ると白岩地区と思うが県道に出れた時にはホットした。



 再度、両村の境界の2号線から124号線への分岐点近くまで戻り、塚原さんに教えて貰う事と成ったが電話の会話の中で塚原さんが現地に来てくれる事に成り近くの待合場所で合流し先導して貰った。林道への入口は間違いは無かったが先程の作業中の50mくらい手前の山の影に直角に別れる分かれ道が有り 作業中の人に気を取られ其れを見逃していた事が原因で有った。その道に入れば一本道、やがて北相木と南相木の境の峠、栗生峠(くりゅう)A-1312 北緯36度02分08秒 東経148度34分28秒 標高1476mH 南相木村側に着いた。其の場所は道幅が広く谷側に車を止め釣竿アンテナと発電機で15:13jstから7MHzで運用を開始して16:00jstからバトンタッチして塚原さんが30分間くらい運用したが凄いカミナリと豪雨でQRT、雨が止んだ所で塚原さんは下山された。私は其の後16:40~20:01jstまで運用を再開して7MHzで140局と交信した。



 写真は南相木村で運用する塚原さん この後だったと思うがカミナリと強い雨が有った。



 

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