黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

最近の24Mhzのコンディション (2012/09/24)

2012年09月24日 | アマチュア無線

 2~3日前から24MHzのヨーロッパ方面のコンディションが良く珍しい所は出ていないが16:00~18:00jst間に良く聞こえている。今朝、朝方のコンディションはどうかな?と久し振りに聞いてみると7時頃からノイズ混じりに北米の信号が確認できた。

 本日のSSNは46と高くは無いが昼間の24MHzはFairとなっており暫く聞いていたら下記の局と交信できた。



 FM5WD     07:35jst  24MHz   CW

 FG5FR     07:39jst  24MHz   CW

 T88X      08:01jst  24MHz   SSB

 FG5DH     08:08jst  24MHz   SSB

 XE2S      08:27jst  24MHz   CW

 KP4TF     08:30jet  24MHz   CW
 
 V44KAO    07:27jst  21MHz   CW

 KP2/K5WE  07:30jst  21MHz   CW

 VO2NS     08:20jst  21MHz   CW


 其の外に KP4VP,P43A,FM5AA,HP1/IZ6BRN,HK3C が24Mhzで強く入感していたが交信済みで有ったので受信のみで終わった。08:00~08:30jst 間は絶好調でVK,9V1,北米、カリブ海、南米、太平洋、Uゾーンの極東側が同時に入感する時間帯が短かったが30分間程続いた。久し振りに「早起きは三文の得」を体験した。



 夕方のパスも見逃せず9月22日は16:52~17:32jst間にEUと10局交信 23日は16:25~17:45jst間に14局とSSBで交信している。珍しい所では無いが24MHzが開けるチャンスは多くは無いので出来る時に確実に交信する事が重要である。



 夕方のコンディションの開けている時間帯に突如、ジャミングが59プラスで24.930~24.955MHzの間に毎日出て来るので注意が必要で有る。此れが出てくると殆どの信号が潰され交信不能と成る。北朝鮮か中国からの物だと思うが困ったものだ。

 

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知床峠~知床五湖~ウトロ~弟子屈町へ (2009/07/19)

2012年09月23日 | 旅行

          

          

    

 


 羅臼の国後展望台の運用場所を撤収し次の目的地の知床半島のオホーツク側のウトロに向かって出発した。羅臼の町で昨日、「相泊の湯」に行った途中の「ひかりゴケ」の場所が見つからず見残した事が気に成り、再度知床半島の東側を北上した 今回は注意深く走ると落石の防護壁のフェンスが有る場所に案内板を見付け見学の為に中に入った。観光案内等には書かれていたが「ひかりゴケ」の有る場所は何の変哲も無い道路脇の入り込んだ岩場の間に有り観光の目玉と言う扱いで無く、専用の駐車場も無い場所に有った。

 

  当然に訪問者も私一人で学術的には貴重な物なのだろうが、一般の観光客が態々に見学に来る物で無い気がした。説明の看板に有る様に「見る角度によって見えたり見えなかったりする」旨の事が書いてあったが、見た感じでは光って居るような居ないような感じで私が期待した物とは違っていた。上段最初の写真は私が撮ったもの2枚目はインターネットで拾って来たもの、此方の方は氷柱の後方に光っている様子が良く解かる。



 其の後3枚目に写っている知床峠を登り始め4枚目の写真の「知床の熊の湯」で入浴する事にした。この熊の湯は道内では本格的な露天風呂で無料で入れる温泉として人気スポットで私は朝の10時頃到着したが既に直ぐ近くの駐車場は満杯常態であった露天風呂は写真には写ってはいないが川の右側の奥手に有り、脱衣所も有り露天風呂も大きくは無いが私が入った時には10人以上、入浴していた。事前に湯温が高い事と水を入れると地元の人が居ると叱られると聞いていたので我慢して入ったが最初は冷えた体には堪えたが我慢出来ない程では無かったが長時間湯船に浸かれる常態では無く谷川を流れる水で冷やされた冷気が心地良かった。この露天風呂の写真は是非撮りたくてデジカメを持ち込んだが男子風呂とは言え利用客の多い中で写真を撮る勇気は無かった。



 一時間以上 温泉を楽しんだ後、昨日と同じ様に知床峠を登り始めたがピョンピョン一世号には厳しい上り坂、ウインカーを点滅して道路の端を走行した。峠の上の方は昨日よりは視界が有ったが矢張りガスって居て峠の駐車場の車両が確認出来る程度しかなかった。景色は見えなかったのでウトロの方に下って行き知床五湖の有る方に右折し向かった。五湖の駐車場はガスって居なかったが散策コースを進み湖面近くに成ると水温と外気温との温度差から霧が発生し一湖と二湖はガスって視界が悪く写真を撮ったが旨く写っていない。三湖以降は熊が出没する為、侵入禁止措置が取られていた。



 知床五湖の表示板の次の写真は木製で作られた遊歩道だが この下は熊が生息しているので進入出来ないような防護策と橋の下横には高圧電気を流している電線が張りめぐらせて有った。遊歩道橋の下は雑木林と熊笹に一面覆われていて今にも熊が出て来そうな雰囲気があった。



 知床五湖から334号線(羅臼から知床峠を越しウトロ)につなぐ93号線沿いには人家も無く道の両端は原生林と熊笹に覆われており野生動物の天下で3段目の写真の様に野生の鹿を沢山見た。



 峠を下ると知床半島のオホーツク側に出て知床半島を周遊する観光船の発着するウトロ港に着いたが生憎の空模様、観光船に乗っても良い景色は期待出来ないと諦め、後日再訪問する事として網走方面に車を走らせたが途中の道端に「オシンコシンの滝」が有り休憩を兼ねて見学した。この滝は冬の厳寒期に凍結した写真を良く見るが夏の水の流れる滝も高低差は余り無いが美しくシャッターを切った。食事と休憩を取った後、私の一番写真が撮りたかった摩周湖の有る弟子屈町に向かった。

 

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 北海道目梨郡羅臼町での運用 (2009/07/17~18)

2012年09月23日 | アマチュア無線 移動運用

        




    私はポー川史跡自然公園を出発して直ぐの伊茶仁の三叉路を直進して海岸線を走る335号線に入る。午後の時間帯は7MHzはコンディションが悪いので知床峠に上がる事に、海岸線はガスっていなかったが知床峠を上がり始めた「熊の湯」辺りから霧が張り始め峠のパーキングエリヤ(931mH)では周りが全く見えない程ガスっていた。景色は見えないし寒いわで引き返し羅臼側に降りる途中の国道脇に「知床間欠泉」の看板が有り左側に回り込むと其の場所は有った。車を停めて中に入ると同年輩の御夫婦がベンチに腰掛、待っている様子だったので「こんにちわ」と挨拶して隣に座って待つ事に、私は飛び込みだったので間欠泉の噴出する時間間隔等は知識が無かったのだが御二人の話では20~30分に1回は噴出するらしい事だったので世間話をしながら待つ事にした。最初の予定の時間が来ても何事も無かったが?急ぐ旅では無かったので更に30分っ待ったが何も起こらない。

 

 流石に1時間待たされると間が持たなく周りを散策し始めた。少し離れた場所に小さい立て看板が有り見て早く言うと『現在、この間欠泉は活動が不安定で噴出を確認された人は御連絡下さい。』的な内容であった。「こりゃ アカンワ!」である。御二人の所に戻りその旨を伝えたが御二人はまだ暫く居ると事だったので挨拶をして別れた。

 

 羅臼の町筋に戻り時間が有ったので移動運用中に教えて貰った「相泊温泉」に行く事にして知床半島の東側を北上した。この温泉は車で進入出来る終点近くに有り写真の様に国道から堤防を降りた海岸の岩場にブルーシートを張った物、男湯と女湯の境は板壁一枚で前方は海が見える様に開放されていたので高波の場合は浴槽に波が入るくらいの場所にあった。写真機を持って行き前からの写真を撮りたかったが女性の入浴客も居たので変に誤解をされても困るので遠慮した。

 

 当然、昼間の時間帯でこの温泉設備に入る度胸の有る女性なので年齢は皆さんの想像通りで有る。これは入浴中の確認ではなく駐車場に上がって来た時に偶々見えたので念の為、駐車場は6~7台駐車すると満杯状態に成る。兎に角、男の私でも昼間は尻込みするような温泉で有ったが話の種には成る。知床半島の観光に行くなら峠の登り口の「熊の湯と相泊の湯」は是非行かれると良いと思う。



 其の後再び羅臼町に戻り運用場所を探していると国道沿いを上に登ると羅臼国後展望台か公園か名前はハッキリ憶えていないが国後島を正面に見る高台が有り頂上(100mH)近くに駐車場が有ったが数台車が駐車していた事と電線が近くを通って居た為に諦めて少し下がった写真の場所を運用地に定めた(北緯44度00分55秒、東経145度11分13秒で海抜70mH)運用は7MHzで1914~22:08jstと翌朝04:33~11:47jstと15:~19:13jstに7、21、24MHz帯で運用した。総交信数は263で其の内の21MHzが37局、24MHzが2局で有った。2日目も日没まで運用したので最終的に この場所で二晩続く車中泊に成った。この場所は鹿が放し飼いに成っており2泊目の朝、車の周りを十数頭の草を食む鹿に囲まれた時には私は驚いたが鹿の方は私が車から外に出ても平然としていた。四国では経験出来ない事で非常に印象に残っている。



先ほど「知床間欠泉」の事をインターネットで調べたら2年振りに動きだし定期的に噴出している事が確認されて居るらしい次回行く機会が有ったら是非見たいと思っている。間欠泉の写真はネットから拝借した。

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北海道標津郡標津町での運用と観光 (2009/07/16~17)

2012年09月22日 | アマチュア無線 移動運用

        
  
        

      


 野付郡別海町の運用が終わると急いでアンテナを撤収し次の運用予定地の標津郡標津町へ向かう 運用場所の下見は昨日にしていたので迷う事無く野付半島の標津町側の駐車場北緯43度37分20秒、東経145度13分09秒 海抜1mHに行き7MHzで16:40~21:11jstまで運用し174局と交信した。朝方よりは夕方のコンディションが良かったのか約2倍の交信実績と成った。其の日はこの場所で車中泊した。



 翌朝244号線を北上する中で標津町役場内の「あすぱる」と近くの「標津サーモン科学館」を見学した。(写真中段)標津の町はあまり大きくは感じなかったが町筋の建物が今風で今まで見て来た町とは違った印象が有った。色んな人に話を聞くと北海道内で指折りの漁場を持つ財政が豊かな町である事が解かった。町役場は大きな立派な建物であったし「あすぱる」は何を見て回ったかは思い出せないが大きい多目的ホールが有り設備が充実していた。

 

 私の住んでいる阿南市は人口6万人、それに比べて現在の標津町の人口は5647人で一桁違うが、この様な設備を維持管理出来る財政的基盤が有る事に驚いた。「標津サーモン科学館」は広大な敷地の中に「鮭、マス」の資料展示と水族館が合体した様な建物と高いタワーが有り周り一面に芝生が植えられ綺麗に維持管理されていた。中段3枚目の写真は私の手で中に泳ぐ魚は人間の古くなった皮膚膜や角質を食べてくれる魚で名前は忘れたが興味本位で水槽内に手を入れたら集まって来て早速作業を始めたが皮膚を齧られている僅かな痛痒さを感じる不思議な生まれて初めての感覚を味わった。魚は相手を選べないので毒気の有る爺さんの皮膚を食べて後日、腹痛を起こしたかも知れない。

 

 後ろの御婦人のグループが同じ様に手を入れていたが「ひぇ~」とか「ひゃ~」とか色っぽい声を出していた。旨く言葉に表せないが「こそばい」感じで体験的に言うならば人に耳掃除をして貰っている時に「こそばくて」身を捩る様な時に味わう感覚だろうか?・・・・・どうでも良いことだが アハハ・・・・



 標津の町筋を抜けるとポー川史跡自然公園(写真下段)が有り昔の家や開拓時代の農機具や道具などが展示されていた。最後の写真は標津湿原、写真では解からないが湿原の中を蛇の様に蛇行して流れるポー川が有る。2時間くらい見学の後に今回の旅行の目玉でも有る羅臼、知床方面に向かった。
 

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 北海道野付郡別海町での移動運用 (2009/07/16)

2012年09月22日 | アマチュア無線 移動運用

    

 

 


 「しべつ海の公園」で朝を迎え直ぐに昨日に下見した野付半島の一番先端の駐車場に向かった。この駐車場は50mx40mくらいの広さで駐車場の中央部に車を停め入り口の電柱と写真の手摺りの間にアンテナを設営しした。運用場所は北緯43度34分02秒、東経145度20分49秒 海抜1mHで運用は7Mhzで07:24~16:10jstまで運用したが総交信数は84局で終わっている。

 

  此の日のコンディションなど細かいことは憶えていないが兎に角北海道で聞く西日本の信号は全体的に弱弱しいもので有った。北海道の夜明けは早く4時頃に成るとうっすらと成り始める。7MHzの場合は04:30jst頃から先ず6エリヤから聞こえ始め20~30分間は強く入るが直ぐに信号強度は落ちてしまう。其の後4、5、3エリヤと開け始め05:30jst位に成ると1エリヤが開け西日本の局の信号はブロックされピックアップ出来なくなる。1エリヤにスタンバイして貰うと西日本の各局の信号強度は負けない程度に振れるのだが指定無しのフリーのオペレートをすると西日本の局がピックアップ出来ない状態に成る。

 

 日頃、私が徳島で北海道の局との交信時に59を戴くと其れ成りの信号強度で届いていると思っていたが実際は可也の御祝儀RSレポートで有る事が北海道に来て初めて実感した。(其の後、北海道のアイボールした人の話を聞くと皆さん同じ事を話されていた。)そしてこれ等の経験は7、8エリヤでアイボールし御世話に成った方々の要望にお応えする為の2年後の沖縄、離島、九州の移動運用時に十分に生かす事が出来た様に思う。



 昨日の夕方に此の場所に来た時には海と運用場所の高低差が無く見知らぬ土地での車中泊に不安を感じて標津の町筋に向かったが昼間は周りが見渡せ安心して運用する事が出来た。昼間の運用中に訪れた「ほっかむり」した昔スタイルの面白い漁師の叔父さんとのやり取りや、グラスファイバーで作られた筒型のトイレ等が印象に残っている。そしてこの日は雲は有ったが青空が広がる気持ちの良い天気で有った。


 最初の写真は運用場所から見た野付崎灯台と東側の景色、2枚目は北側の景色で正面に国後島が見える。
 


 

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納沙布岬から標津町への旅 (2009/07/15)

2012年09月21日 | 日記
        

    

 

 納沙布岬の駐車場を出発し44号線を(根室半島の北側の海沿い)西方向に走り根室市の厚床から243号線(パイロット道路)を北上して奥行臼駅逓から244号線(野付道路)の海岸線沿のコースを北上した。

 標津町の町筋の手前のポン茶志骨の三叉路を右折すると野付半島に進む950号線(フラワーロード)に入る。この道は一本道で竜神崎の野付崎灯台の近くまで車で行く事が出来る。野付半島は海に突き出たかぎ針状で独特な形をした砂の半島で全長28Km近く有り半島を車で走る時は解からないが航空写真で見ると綺麗な形をしている。また野付半島の北側の国後島の南側にも同様な構造の砂州が有り地形的なつながりを感じる。

 この日は時間的に遅かった事と海岸線と道路との高低差が無く(1~3mH位)高波等に対する安全上の問題から自動車で行ける最先端の駐車場まで下見に行った。野付半島の先端は別海町に成り根元の手前部分は標津町に成り、其々の運用場所を確認した後標津町の町筋の南側のオホーツク温泉に日帰り浴した後に「しべつ海の公園」の駐車場で車中泊した。

 写真の上段の最初は野付半島の絵地図、上段右端の写真は洋上に浮かぶ国後島
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 日本最東端の納沙布岬に到達 (2009/07/15)

2012年09月21日 | 旅行

    

 


 昨晩からの雨は様子を見たが依然と降り続き仕方無くレインコートを着てのアンテナ撤収作業と成った。霧多布岬の丘を下り直ぐに123号線に入り右手に海を見ながらの単調な道を淡々と走った。浜中町の榊町から142号線に入り暫く行くと道は海岸線を離れ根室半島の中央部を走るコースに成り、今思い返しても殆ど記憶に残っていない。



 其の後、別当賀から左折して根室半島の反対側に出て44号線に入ると目の前に白鳥の飛来で有名な風蓮湖が見え始めて直ぐに道の駅「スワン44ねむろ」が有り其の後に温根沼を渡る温根大橋を渡った。この辺の景色は特徴が有ったので今でもハッキリ思い出すことが出来る。やがて車は根室市内に入り35号線に入り納沙布岬への一本道に入った。



 ドンドン進むと道の右手側に平和の塔が見えて反対側の道に入ると日本の最東端の標識と灯台がある場所に出た。生憎の雨と曇天の天気で観光客は一人もおらず記念に写真を撮ったが寒々とした四国で言えば冬の景色の様な感じに写っている。辺りを一周したが外は春用のジャンパーを羽織っても寒い常態で近くの「北方館 望郷の家」に入る事にした。

 

 この建物は二階建ての大きい建物で「北方領土に関する資料」が色々と展示されていた。四国に住んでいると「北方領土返還」のニュースを聞いても正直、余り実感が沸か無かったが、この地の人達には切実な問題で有る事が良く解かった。終戦のドサクサにまぎれて戦争していなかった国が北方領土に侵入、日本の住民を追い出し自国の領土とした事は常識外れとは思うが戦争をする事や戦争に負けると言う事は悲しい事だ。島を追出された大半の方々が根室、釧路方面に分散して住んでいると言う。そして当時の世代の方々は高齢者と成っても「北方領土の返還」を強く望んでいるが二世、三世の時代に成ると時の経過と共に、其の人達の生活の基盤が確立しているので思いは有っても実質、其の動きが弱まって行く様な気がする。時あたかも現在、韓国との竹島問題、中国との尖閣列島の領土問題など領土問題が発生している。自国の領土や国民が守れない国が独立国家と言えるのか?奪われた領土を平和的な話し合いで返還して貰う事は至難の技と思うが 其れだけに現在発生している領土問題の解決策は未来に続くもの禍根を残さぬ為にも確りと対応しなければ成らない大変重要な問題で有ると思う。

 例により話が横にそれたが「望郷の家」で2時間以上留まり 全ての資料に目を通し外に出る時、女性の係りの方が出て来られて「熱心に観覧して戴き有難う御座いました」と言ってくれたが「私の方こそ何の御役にも立てないが確り勉強させて戴きました思いは皆さんと一緒です 頑張って下さい」と言って北方館、望郷の家を出た。

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阿寒湖~釧路~霧多布岬観光の旅 (2009/07/14)

2012年09月21日 | アマチュア無線 移動運用

          

         

  

 


 阿寒湖の朝は天気が悪く観光は諦め、後日再訪問する事にして釧路~根室方面に移動する為に240号線(マリモ街道)を南下して釧路にむけてスタートした。根室市内の手前までは国道脇に見る物は余り無く市内の手前で釧路湿原の標識を確認しその方面へと向かった。何も無い原野の国道脇に茶渇色のレンガ積みの釧路湿原の展望台と展示室が有り入場見学した。上段の写真は展望台から撮ったもの 又この東手側には散策コースの有る展望台(細岡やサルボ展望台)が有りとにかく、ここら一体が広大な面積の湿原地帯に成っている。



 其の後、釧路市内に入り北太平洋シーサイドラインに抜けるコースを走ったが沢山の交差点を経由して複雑な動きをした。カーナビ無しでは私の様な田舎者には迷いそうな道程で海岸線沿いの一本道に出た時はホットした。此処から日本の最東端の納沙布岬までは道幅の有る両脇に大きい葺きの葉っぱ生い茂りその外側には原生林が広がる原野の中を前も後ろも車の走っていない道を淡々と走った。



 123号線を更に進むと厚岸町とバラサン岬側を結ぶ赤色の厚岸大橋が有り東側は厚岸湖、西側は厚岸湾が広がっていた。最初の休憩はチンベの鼻に有るあやめヶ原の駐車場で取り 其の後、遊歩道を進むとあやめが咲く原野に馬の放牧がされていた(中段1枚目の写真)花の最盛期には既に遅しの感は有ったがあやめが咲く遊歩道を岬の先端へ向かうと展望台が有り其処から撮った写真が中段の2回目の写真、この時は天候が回復して青空が広がっている。



 123号線を更に進むとやがて浜中町に入り涙岬~アイヌ岬を過ぎると左手側に火散布沼が見え更に進んだ琵琶瀬の展望台から撮った思われる写真に霧多布湿原が写っているのが中段3枚目で4枚目の写真は3番目の移動運用の地霧多布岬が写った写真で中央右側の白いアーチ型の橋が霧多布大橋その右端の小高い丘が霧多布岬で灯台が写っている。


 
 運用地は北緯43度04分44秒、東経145度09分49秒 海抜28mHのキャンプ場の隣の駐車場で運用し17:19~22:18jstまで運用し総交信数88で運用後半に3.5MHzのリクエストが有り、真っ暗の中、勾配の有る草地を何回も転げながらフル・サイズの逆Vアンテナに張替えて運用したが11局で呼ぶ局が無く成り「ガックリした」事が有りショックで其れ以後は3.5MHzの運用はしなかった。それにしても3時間の運用で88局の交信数は如何にも少なく今思うと随分とヘボ・オペレートだったのだと思う。運用終了後に雨が降り出し年間平均温度が20度を割る道東地方の寒さとカモメの鳴き声に悩まされた運用場所で有った事が記憶に残っている。

 最後の写真が写した日と時間帯からして運用場所近くの駐車場と思われます。

 

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美瑛町~旭川市~層雲峡~阿寒湖の旅 (2009/07/13)

2012年09月20日 | 旅行

           

      

 


 美瑛町の運用を終えて十勝温泉に向かい午前中から日帰り浴を楽しんだ、大きい浴槽に利用客は私一人で美瑛町の山中の2日間の汗を流した。其の後、美瑛町の方に帰り、四季彩の丘や一世を風靡したスカイラインのコマーシャルで有名なケン・メリーの木等を見た後、旭川市に向かう事に、美瑛町では曇天であった天気が旭川市に入る時には雨が降り始めた。人気の有る旭山動物園に着く頃は強い雨になったが其れでも動物園の駐車場は満杯常態でグルグル回り可也離れた駐車場に車を入れ漸く動物園に入場する事が出来た。



 園内は子供の団体や同世代のリタイヤ組みで込合っており人波で体が押される事で動く感じで周りの人の持つ傘の滴でズボンが濡れて閉口した事を覚えている。園内を一周して其れなりに楽しかったが、やはり動物園は一人で行く所では無い事を感じ2時間程で出て層雲峡方面に向かった。



 旭山動物園は旭川市内の東の端に有り、駐車場を出ると直ぐに37号線~39号線と乗り継ぎ当麻町~愛別町~上川町に入り層雲峡に入る。私は若い頃に何故か「層雲峡」と言う言葉の響きに憧れを感じ新婚旅行は北海道と決めていたのだが式が家内の都合で秋に成り11月11日に成ってしまい旅行会社に問い合わせると北海道旅行は時期的に遅いので沖縄を進められ沖縄に行く事に成り、若い内の北海道旅行は実現しなかった。

 

 その様な経緯が有り、この地は可也期待をしていたが雨に煙る層雲峡は少し違っていた。流星・銀河の滝は良い景観で有ったが生憎の天気で非常に残念であった。非常に長い銀河トンネルを抜けると大雪ダムがあり道を直進すれば石北峠へ(2011年の移動は北見市からこの峠を逆に旭川市に走った)右折してダムの堤の上を行くと273号線に入り三国峠に向かう事に、この道は通行量も少なく道幅も有ったので雨の中を時速100Kmくらいのスピードで走る地元の車の後を追従して走った。三国山1541mHの西側の三国トンネルを越えると上士幌町に入り暫く走ると糠平ダム湖に着き休憩を取った。

 

 其の後、足寄町に入り役場近くで241号線(足寄国道)に乗換え東に走り釧路市に入り直ぐに右折し240号線(マリモ街道)に入り目的地の阿寒湖に22時頃到着した。2回位温泉街を回ったが温泉街は車中泊する様な場所は無く近くのマリモ幼稚園の空き地に車を止め、侘しいコンビニのオニギリノの遅い夕食を食べた後、どしゃぶりの雨の中で荷物の載替えが出来ないのでベッドが出来ず(寝袋が使えず)運転席のリクライニング・シートを下げ寝ようとしたが天井を叩く雨音と寒さで寝られず「何で自分はこんな事を遣っているんだろう?」北海道に来なければ今頃、暖かい食事と布団の中で眠れるのにと、泣きが入ったのを覚えている。兎に角この年は雨の多い年で旅行の後半間際までスッキリとした青空を多く見る事は無かった。

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北海道上川郡美瑛町での移動運用 (2009/07/12)

2012年09月19日 | アマチュア無線 移動運用

         





 私のブログは例によって時系列はバラバラだが2009年の初めての北海道の1ヶ月間の旅行の話に戻る。この時は移動運用と言うよりは観光旅行の方が中心であった。2009年7月8日の正午前に徳島を出発、大鳴門橋~明石大橋を渡り名神高速~北陸道で福井県の敦賀港から「新日本海フェリー」で9日の0:15分に出港し其の日の20:30頃に苫小牧港(実際は厚真町)に入港した。この時の観光ルートは道東を中心に考えていたので苫小牧港に入港する方の便を利用した。其の夜は安平町のスポーツセンターの「せいこドーム」の駐車場で車中泊し翌日、むかわ町~日高町~平取町を経て占冠村まで進み村外れの「湯ノ沢温泉」近くの道端で占冠村からの北海道での最初の運用を行い(此処までの事は可也以前にブログに書いたが途中で中断)南富良野~富良野市に入り途中で右折し麓郷を通り「北の国から」で有名な「五郎さんの家」を見学し中富良野町~上富良野町と進み小高い丘の上に有る写真の「日の出公園」に行った。



 この時の北海道は十数年振りの冷夏で北海道では梅雨が無いと聞いていたが地元の人が言う「蝦夷梅雨」常態で天気は安定せず雨か曇天常態で富良野のパッチワークの様な綺麗な農業地の写真が取れなかった事が残念であった。日の出公園を下ると横にキャンプ場が有り入りかけたが日の暮れまでには時間が有ったので美瑛町の望岳台まで車を進めた。其の夜は望岳台の駐車場で車中泊し翌日は少し下った白金温泉の少し上の道路脇の駐車場で美瑛町を運用した。北緯43度27分36秒、東経142度38分23秒、標高762mHで運用し7MHzで106局と交信した。この頃は観光が中心で余りガツガツしていなかったのか?良いロケーションの割には交信数は伸びて居ない。



 この場所での思い出は北海道で非常にアクティブな3人の方とお会いした事、一番最初にお会いしたのが旭川市の浜本さん(JG8UCB)大きい車で颯爽と現れ色々お話したが其の時に北海道の地図を頂き、其の後の移動中、非常に役立ち今も大切に保管しているが其の時の走った工程や距離数、給油場所など克明に書き込まれている。其れとモービル・ホイップのエレメントの調整用の六角レンジを頂いて助かった。次にお会いしたのは北海道の移動局で非常にアクティブな石山さん(JA8GLV/8)大きい車で移動場所に来られお話する機会を得た。石山さんとは次の年2010年にも猿払村で短時間で有ったが再会する機会があった。其の後、JA8GLV/8で沢山の移動地からサービス頂き御世話に成っている。夜暗くなって坂森さん(JE8JSX)がお越しに成り暗い中ではあったが御話した事をはっきりと覚えている。とにかく県外での移動運用中にアイボールしたのは初めてで、望岳台の下の何の目印も無い寂しい場所に其々の方が遠距離を掛けて態々来て下さった事が大変嬉しかった。それにしても流石に北海道の人、皆さんガッシリした大型車に乗り100~150Kmは、ほん近くの感覚、其のフットワークの良さには驚いた。

 この時の私の移動車はスズキのワゴンR、甥が廃車する予定の物を貰い受け車検を受けて移動用に少し手を加えた物、すでに110000Kmを走っていたが、エンジンはバリバリでマニュアル車、私がピョンピョン1号と名付けた この車は北海道内の約8000Kmを元気に走破した。

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