令和時代を迎えて早半月、あの改元カウントダウンのお祭り騒ぎは何だったのかと思うくらい、世の中には平穏な時間が流れています。まぁ、慣れてしまえばこんなものなのでしょう。
ところで、今週の週刊新潮の中にこんなコラムがありました。内容については立ち読みでもして頂ければいいかと思いますが、さすが週刊新潮、何ともお粗末なものです。
どうやら今上陛下をヴィオラに見立てて、動き始めた令和時代の天皇像について記事を書いているのです。実際に今上陛下はヴィオラを演奏されていて、桃華楽堂で開催される学習院大学OBオーケストラの梓室内管弦楽団にもヴィオラで参加されています(因みに私が音楽大学でついていたヴィオラの先生は今上陛下の指導もされていたので、一応私と今上陛下とは兄弟弟子ということになります)。
先ずこの記事は『天皇陛下』と書かないあたりが不敬です。皇室を野に貶めたいのか何だか分かりませんが、リベラル気取りはものの言い方を弁えなくて困ります。
それと記事では、ヴァイオリンとチェロとでは音域が離れていてアンサンブルがしにくいので、その間を取り持つ楽器としてヴィオラが出来た…みたいなことが書かれていました。
バ〜カ言ってんぢゃねーよ!
元々、ヴィオラという言葉はルネサンス期のヨーロッパにおいて弦楽器の総称でした。そこから細分化していく段階で、指で弦を弾いて演奏する撥弦楽器をヴィウエラ(ヴィオラ)・デ・マーノと呼び、これが後にギターとなりました。一方、弦を弓で擦って演奏する擦弦楽器のうち、楽器を足に挟んだり、小さなものは膝の上に立てて演奏する弦楽器をヴィオラ・ダ・ガンバ(脚のヴィオラ)と呼び、腕に乗せて顎の下に構える弦楽器をヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕のヴィオラ)と呼びました。
その後、時代の変遷と共にヴィオラ・ダ・ガンバ属は音量の乏しさとチューニングの不安定さから徐々に廃れていき、唯一最低音を担当していたヴィオローネという大型ヴィオラ・ダ・ガンバが今日のコントラバスとして残っています。一方のヴィオラ・ダ・ブラッチョは『小さなヴィオラ(Viola+ino)』という意味のヴァイオリン(Violino)が主旋律を取るようになり、大型のチェロ(Violoncello)がバスを担当するようになりました。
因みにフランスの王宮楽団では低音パートにコントラバスではなく、ヴァイオリン属の大型楽器バス・ド・ヴィオロン(バス・ヴァイオリン)という楽器が代わりに使われていましたが、この楽器は何故かヴァイオリン属の中で唯一後世に残ることは無く、コントラバスに取って代わられました。しかし弓の持ち方だけが習慣として残り、今でもコントラバスの弓の持ち方はバス・ド・ヴィオロンの名残のフランス式(チェロのように弓を順手で持つ)とヴィオラ・ダ・ガンバの名残のドイツ式(ヴィオラ・ダ・ガンバのように弓を逆手で持つ)の二種類があります。
こういうことで、ヴィオラは付け足しみたいに後から出来た楽器ではなく、むしろ始めにヴィオラありきでヨーロッパの弦楽器の歴史は始まっているのです。こうしたことも調べずに偉そうな記事を書き散らかすなんて、皇室にもヴィオラにも失礼です。
この不愉快な記事を読みながら、改めてヴィオラの地位の低さを思い知らされたような気がします。もっとヴィオラ弾きが頑張って、ヴィオラという楽器の地位向上を諮らねば!と思ったのでありました。