20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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コミットするということ。

2010年06月02日 | Weblog
 公園の池のそばで、カモがけんかしたり、じゃれあったりしながら、3羽でくっついて歩いていました。
 けんかのシーンといったら、そりゃあ過激です。くちばしでつっつきあったり、叫び声をあげたり・・・。
「仲よくするのよ」って、おもわず仲裁に入ろうかと思ったくらいです。

 それなのに、ひとしきり時間が過ぎると、また三羽はぞろぞろとくっついて移動します。
 ひとりぼっちはさみしいのでしょう。だからけんかしながらも、一緒にくっついているのです。
 
 数年前、児童文学の世界では、金子みすずの詩の中でも秀逸とされる『わたしと小鳥とすず』に出てくる「みんなちがって、みんないい」という、印象的なフレーズに触発され、「そのままの自分でいい」という自己肯定の物語がたくさん生まれました。
 そのときは、その自己肯定が新鮮で、それなりの評価も得ました。
 
 しかし、現実の子どもたちの世界はさらにその先をいっていて、「そのままの自分」を自ら認め、肯定したそのあと。
 自己肯定した子どもが、他者とどうコミット(かかわりあいを持つということ)できるか。そこまで描いて欲しいと願うようになってきました。
 
 おおらかに、他者、あるいは仲間たちとのつながりを作品の中で謳い上げることの出来た、過去の時代と比べ、今はつながりあいの方法を描くことがほんとうに困難になっています。
 これまで、思春期の子どもたちの心情を描いた作品は、「ひりひりした感情」を描きながら、ある意味社会からデタッチメントするという手法の作品が多かったような気がします。
 またその「ひりひりした感情」が、読者である子どもたちの胸のどこかに触れ、「自分と一緒」という共感性を生み出していったことも事実です。
 しかし、そういったところに立ち止まっていることに、読者も、私たちも、そろそろ疲れを感じ始めてきているようです。
 他者とコミットメントできる方法を模索した作品を読みたい、という気持ちが出て来たのです。
 
 そのひとつの方法を作り上げた例としてあげられるのが、今年度日本児童文学者協会賞を受賞した『園芸少年』(魚住直子・講談社)かもしれません。
 他者と、どうコミットするか。
 この『園芸少年』のゆるやかさ・・・、友だちとのゆるやかなコミットメントの方法をユーモラスに描いたこの作品の視点は、まさにひとつの例といえるような気がします。
 
 カモたちだって、けんかしながら、仲間とどうコミットするかを模索しているのです。
 人間も、児童文学もそのことへの模索という点からいったら、同じかもしれません。
コメント (2)
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