こうした、青々としたグリーンを見ると、心まで洗われる気がします。
先日、アメリカでは無名らしいですが、イエール大学の助教授。
日本のテレビのコメンテーターに出てくる、丸と四角のメガネをかけている人が、
「高齢者は早く、集団自決か、集団切腹しろ」と言ったとか。
観念だけで、ちょっとウケる話をしたいと思うから・・・。
そこに人間としての「心根」がないから、言葉が上滑りするのです。
どういう背景で、その言葉を言ったのかは知りませんが、例え、「物申す」的な発言であっても、そうした言葉を軽々に吐く人は、信用できません。
ネットで叩かれまくっていましたが、もう、日本のテレビには出られないでしょうね。
ネットを見ると、有名なベストセラー作家であり、学者の方が、
「ウザくて邪魔な年寄りが大勢いるせいで、若い人が割りを食っていると思っている。でも実際は世代間の、順送りだと」。
他には
「人間は本来、成長するに従って、徐々に視点が増えていく。しかし、彼の視点は一つしかない」そう発言している某大学の名誉教授もいます。
若い人たちから「老害」と感じられるようになったという気づきや、感受性くらい、一線で活躍している人は、敏感に持っている人が多いです。
確かに、お金の絡んだ業界の中には、いつまでも自分さえ良ければいいという強欲さで生きている、某Tとか、某Mとか・・・。そういう人たちもいます。
あの人たちのように、信じられない悪どさで、居座っていつまでもお金を毟り取っている、大金持ち「老害」もたくさんいることはいますが。
それらに対してだとしても「集団自決」「集団切腹」はセンセーショナルすぎます。人権無視です。
お金目的でも何でもなく、ものをきちんと考えている人たちは、誰もが、自分の役割は終えたと感じた時は、さっさとリタイヤする覚悟を持って生きていると思います。
闇雲に、しがみついている人など、ほとんどいません。
だから体に鞭打って、後輩にどうつなげていこうかと、苦悩しながら、必死に今を、きちんと生きているのだと思います。
そうした個々の、汲々とした思いなどわからずに、表面的なところだけをなぞって、「敏感」「鈍感」という言葉を使う。
挙げ句の果てが「集団自決」。
人間を見つめる浅薄さに、薄ら寒い思いさえしてしまいます。
そこにあるのは、「自分だけが、何もかも分かっている。感じている」という傲慢さと、最も大事なところ・・・。
「あと20年もすれば、自分だって、高齢者になるのだ」という、気づきの欠如です。