今日は、夫のお誕生日お祝いランチです。
この年になると、「プレゼントもいらない。ランチもコース料理じゃなくて、フツーでいい」
欲望というものが、すっかりなくなります。
私も同様です。
一応、希望を聞いて、高島屋の「糖朝」で、豆乳坦々麺を中心に、点心を数種。
ラストは、「糖朝」名物、香港スイーツをいただき終了。
カロリーを考え、夜は、ぶっかけそうめん。
そんなメニューです。
先日の夜、テレビでノンフィクション作家の沢木耕太郎氏が、「晩年の美学」を語っていました。
「見事な“生き方”でもなく、鮮やかな“死に方”でもない。そのような言葉があるのかどうか定かではないが、あえていえば“在り方”。人生はなだらかな終わりに向かっての日々が続く。
生き方というのは、ある目的のために、そのときを我慢しながら、その方向に向かっていくことになる。
でも70歳になったら、目的に向かって、生き方というレールを自分で設定して、そこに向かっていく必要はない。
『こんな風な人生』『こんな風にしておきたい』とか、『こういう風な人生で最期を迎えたい』とか、そういうのは、もういいと。」
「明日、死んでも、文句は言わない。『いま、これでいい』と思っている瞬間をできるだけ経験して連ねていけば、それがあるとき『終わりですよ』って言われたときに『はい』と言うだけだ」
「自分に一生、楽しめることが、1個、見つかっていれば、さまざまなものを失っていくだろうけど、その1個だけ失わなければ、耐えられると思う。僕にとっては『読むこと』と『書くこと』が最後に残ったんだと思う。それがあれば、友人を失い、僕の肉体的な能力を少しずつ失っていっても支えられる」
なるほど。
ベッドルームに向かおうとして、思わず、聞き入っていました。
うちは、夫も淡々と自分の仕事をし、私も本を読んだり、書いたりの日常。
過日、30枚の原稿チェックをしてくださった編集者に、「カトーさんの強い思いが伝わってきた」と言われました(笑)。
枯れた思いではなく「強い思い」。
その言葉に、自分の内に現存している「子どもたちに向けた」熱い思いが、伝わったような気がして、何となくうれしかったです。
土日には、おいしいものを食べ、その日々の積み重ねだけで、充分、満足。
そんな心境に入ってきました。
でも、その身軽さが、なんだかうれしい。