20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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冬の夕焼け

2012年12月21日 | Weblog
            
 
 西の空が暮れていきます。
 冷たい北風がピューピューふいていて、暮れかけた空を見事なくらいクリアにしてくれています。
 クリスマスも近い冬の夕暮れ。
 一年をふりかえり,モーツアルトの『レイクエムニ短調』を聴いています。

 聴きながら思い出したのが、もうかれこれ8年前、拙ホームページのエッセイに書いた文章です。ノンフィクション作家だった佐藤一美さんがお亡くなりになって、もう8年も経つのですね。
 今年は友人の、大切なお嬢さんを亡くしてしまいました。
 8年前のエッセイを、そうした鎮魂の気持ちから、↓に貼り付けておきます。

      年暮るる

 2004 年もあとわずかで暮れていく。
 北風の強い晴れた日は、遠くの景色までよく見える。雪をかぶった富士山、丹沢の山々、秩父連山、群馬の山々、超高層ビル群、レインボーブリッジ、東京タワー、空高くのびる遠くの超高層マンションの数々。それらに、きーんと澄みきった冷たい風が吹きつけ、冬の落日があたっている。
 この景色をみると、冬だと実感する。今年は年の暮れになってやっとそんな思いを噛みしめた。

 ある詩人が12月にはひとり静かにバッハを聴くと著書に書いていた。ベートーベンではなくてバッハ。
「ひとをけっして孤独にしない、それがバッハ」と彼は書いている。 
 風の冷たい、陽のかたむきかけた夕暮れ。窓の外のそんな景色を見ながら、私はバッハを聴いている。
 バッハの「マタイ受難曲」を聴いていると、年の暮れを忘れ、心が静かになるような気がする。音楽がこんなにも豊かであたたかなものであったかということを、しみじみと思わせてくれる。

 その詩人、長田弘はこうも書いている。
「音楽を聴くのは、胸中に、三本の小さなローソクをともすためです。一本は、じぶんに話しかけるために。一本は、他の人に話しかけるために。そして残る一本は、死者のために」

 暮れゆく年に、亡き義父と父、そして今年急逝された我が友、佐藤一美さんに感謝をささげながら、私はこうしてバッハを聴いている。
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2 コメント

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今日も小雪が降りかかる (りょう)
2012-12-21 09:43:54
深々と心に雪が降り積もるようなエッセイです。
雪は、冷たいのに暖かい。
その暖かさに包まれながら聴く「マタイ受難曲」は、
最高でしょうね。
さぁ、僕もぼちぼち慌しさをクリアーして、
三本のローソクをともすことにしようか。
って、演歌じゃありません。ぜったい、演歌じゃありません(笑)
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Unknown (加藤純子)
2012-12-21 13:15:05
りょうさん

過分なお言葉をありがとうございます。
数年前までは、blogではなく、ひと月に一度くらいの頻度でエッセイを書いていました。

奥様もクラシックはたくさんお聴きになっていらっしゃるでしょうが、私はこの季節「YO-YO-MA」のチェロのバッハを聴いています。
夕暮れには切ない気持ちになります。

りょうさんも、クラシック通でいらっしゃるのを
存じ上げておりますので、演歌でないことはしっかりわかっておりますよ(笑)
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