4年にも及ぶ西塔の修理が終わり
二つの塔が並び建つ奇跡の光景が當麻寺に戻ってきた。
Sony α99 Vario-Sonnar 24-70㎜/f2.8 (60mm f5.6,1/800sec,ISO100)
當麻寺の創建は今から1400年あまりも昔、
推古天皇の御代、聖徳太子の異母弟の麻呂子王によるものと伝えられる。
法隆寺と同時代だからたいへんな古刹なのだが、
法隆寺はもとより、東大寺や興福寺など有名どころに比べ、
正直なところ見劣りはするし訪れる人もまばらだ。
(関係筋から叱られるかもしれないが...)
それでも年に2回、「あいかわらず田舎臭いなあ」と苦笑しつつもここを訪れる。
先祖の追善供養をお願いしているからだが、
その縁は今から60年以上も前に遡る。
年の離れた従兄が学生時代に奈良を放浪するうちに、
どういうわけか當麻寺に転がり込んだ。
そして、この寺の「不思議」に強い関心を持つこととなる。
不思議の謎解きを始めたそうだが、
それはやがて當麻寺への愛着に変わり
さらに、その縁は従兄を自分の子のようにかわいがった父、
そして私へと受け継がれてきたのである。
従兄は事あるごとに不思議を私に話してくれた。
もし、その不思議に興味を持った方がいらっしゃるなら
過去の記事を参照されたい。
ただし、あくまでも従兄と私の私論なのであしからず。
さて、あらためて冒頭の光景。
1200年あまりの時を刻む二つの塔だ。
かつて二つの塔が建ち並ぶ伽藍は多かったという。
しかし、その塔のほとんどが今では消失している。
代表的な光景として薬師寺の双塔を思い浮かべる向きもあろうかと思うが
今修理中の東塔こそ創建当時の姿だが
西塔は昭和50年代に再建されたものだ。
塔が消失する原因の多くは落雷と戦災だという。
だからこそ、1200年の長きにわたって二つの塔が消失を免れたのは
これはもう奇跡としか思えないのである。
そして、その塔たちが當麻寺で繰り広げられてきた
「不思議」を見届けてきたと思うと
それだけでこの寺に対する愛着が倍加するのである。
並んだ2つの塔、本来の姿、立派です。
素敵な風景ですね
以前のブログも拝見して存じてます。
前に私が行った時は、確か修復中だったと思います。
寺社の修復はどうしても長い時間が必要になりますね。
有名どころと比べてと言うよりもあの辺がちょっと田舎というか?ひなびているというか?で人も少ないのだと思います。
でも、静かでひっそりしていて落ち着けるいいところだと思います。
そして中将餅ですよね。
わたし的には、やっぱり外せません。
4年はまだ序の口。
薬師寺の東塔の修理は10年かけています。
いよいよ来春には新装開店のようです。
塔のある風景としてはやはり薬師寺。
これも楽しみです。
境内に電線が張ってあったりして
もう少し観光用に整備したら…
と思うのですが、
その田舎臭さも當麻寺の魅力かもしれませんね。
中将餅!
もちろん買いましたよ。
過去記事を拝見しました~
そういう「不思議」。。大好物なワタシです(^_^;)
従兄弟様がここにご縁をもったこともまた不思議なもの。。
そのまるでペルシャの絨毯のようなご本尊様のホンモノを
従兄弟様がごらんになった!!!すごいですね~!
私もググりましてレプリカの方の画像を拝見しました
このようなお寺にご縁があること!素晴らしいです★
伽藍で東西の塔が一対になっている姿は左右対称の美を感じます。
薬師寺の西塔を再建するときに、作家文人などから、猛反対があったのをよく覚えていますが、
現世のもののあわれ、景観の尊重
と
宗教事項
は別物!とした判断が、他の宗教建築に対する影響が大きかったと考えています。
何百年かの歳月を経て生まれ変わる建築。
いずれ、景観に馴染んでゆく日がやってきて、
長年経って朽ちてゆく
長期的な転生輪廻を期待して、後世の人達に引き継いでもらいたいものです。
また、過去の記事まで読んでいただいて感謝です。
彼岸会を含めて2日の行程を考えていたのですが
台風の影響を心配して、
取り止めも含めさんざん迷いました。
結果、日帰りの強行軍となったのですが
久しぶりにこの光景に出会えたので
行ってよかったです。
それはそうとして
現在の悩みはこの當麻寺との縁を先祖供養も含め
子供たちにどう教えるかです。
核家族化の大きな悩みですね。
塔は伽藍のシンボルですから
それが失われているというのは残念なことですね。
奈良のお寺のあちこちで塔があった証として
石の台座を見るにつけそう思ってしまいます。
いろいろ論争はあるし、
経済的な事情もあるのでしょうけど
薬師寺や法起寺のように塔が再建されたことを
幸運ととらえ、
その景観をいつまでも残してほしいものです。