はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

鹿児島の桜

2006-03-20 15:55:18 | かごんま便り
 この季節になると赴任した先で、或る風景を探すことにしている。今回は薩摩半島方面に車を走らせた。ここにも似たような景色があった。
 これは紀友則(平安時代)の「春がすみ たなびく山の 桜花 みれどもあかぬ 君にもあるかな」の気分に浸りたいからだ。みれどもあかぬ君(いくら見ても飽きない君)の部分は、もう私には関係ないが、せめて若々しく、早春を迎えた喜びを感じたいから。
 山の姿が異なり、たなびく霞こそないものの緑の山に山桜が淡色の彩りを添えている。里の桜よりも一足早く咲き、存在感を示していて趣がある。
 昔の人はとりわけ桜への思いがあった。「風雅和歌集」には、花の様子と風景を詠んだそれぞれの歌を「待花」「初花」「見花」「曙花」「夕花」「月花」「惜花」「落花」の順に配列してあるという。
 この区別も繊細で風流。「月花」に収めてある後鳥羽院の句は「あたら夜の 名残を花に 契りおきて 桜わけいる ありあけの月」。今の時代、夜桜を愛でるどころか提灯の明かり、焼き肉の煙、酒宴のにぎわいが先にくる。
 山桜の景色を楽しんだ帰りに、知覧特攻平和会館に寄った。胸を打つ展示の品。一つの辞世の句が立ち止まらせた。「野畦(あぜ)の草 召し出されて 桜哉(かな)」。原田栞大尉、第27振武隊(疾風隊)とある。平和ならば野の草のような自分が、特攻に選ばれたことで桜になることができた、という。12字に凝縮して表現した心奥。もっと詳しく知りたくて同館参事、松元淳郎さん(78)に聞いた。
 以前、元華厳宗管長・狭川明俊大僧正もこの短冊を5分ほど見つめて「これが20歳やそこらで書ける字か、詠める句か」と、つぶやいたこと。原田大尉が戦死したのは1945(昭和20)年6月22日。知覧からは最後の出撃で26歳だった。翌23日は沖縄守備軍の組織戦が終了した。熊本県菊池市の出身で、大学卒後に志願して入隊したことなどを説明していただいた。私と同じ出身県で、しかも大学の先輩だった。
 説明を聞くうちに咽(のど)に熱い塊(かたまり)が込み上げてきた。ほんの60年前には実際にそんな時代があった。18歳で出撃した人もいる。鹿児島の桜は、当時と比べて、恵まれた今の生活を、改めて考えさせてくれる機会を与えてくれた。
   毎日新聞 鹿児島支局長 竹本啓自 (毎日新聞鹿児島版 3月20日掲載)

卒業式シーズン

2006-03-20 14:45:14 | はがき随筆
 3月はあらゆる学校の卒業式のシーズンである。喜怒哀楽を共に過ごして指導を仰いできた先生方をはじめ、同じ教室で机を並べて学んできた学友とも卒業式後、いよいよおさらばしなければならない。「蛍の光」や「仰げば尊し」などが講堂内に厳かに流れてくると、別離の辛さが一段と高まり、熱いものがじーんと込み上げてくる。目元をそっとハンカチで拭う女性、凛として引き締まった顔々々。この日を境にして更に進学する者、あるいは就職する者と道は二つに分かれるが、共に若さと夢の実現に向けて万全を期してほしい。
   霧島市隼人町 有尾茂美(77) 3月20日掲載