はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

毎日はがき随筆大賞

2006-06-17 12:29:36 | グランプリ大会
 6月11日福岡市で開催された、「第5回はがき随筆大賞」の表彰式に行って来ました。
 会場は、福岡市中央区にある、ロケーションの素晴らしい「山の上ホテル」。約130人の随友が集い交流を深めました。毎日新聞の九州山口各地域面に毎日掲載された作品の中から、05年度随筆大賞・グランプリに大分代表竹田市の三代律子さんの「残された健君は?」が選ばれました。
 昨年末、「支局長が選ぶ心に残る1本」に選ばれた作品ですが、戦中派の私には心に重く残ったエッセイでした。今でも読み返すと涙が溢れます。続いて、優秀賞2作品、日本郵政公社九州支局長賞、RKB毎日放送賞の紹介がありましたが、司会された、RKB放送のラジオ番組パーソナリティー中島順子さんの朗読がすばらしく胸をうたれました。
 作品の選者は「蕨野行」で知られる芥川賞作家、村田喜代子さん。表彰式の後に作品の講評と講演がありました。
 新聞をまあるく切り抜き「この穴から見える範囲を書きなさい、詰め込みすぎないこと、然し省きすぎると、味わいが失われます、どこを選んで見るかが大切です」と。あぁ難しいよう
 「家族」をテーマに募集したエッセイも、予想を超えた応募があり、素晴らしい作品が紹介されましたので、次回の「ひとりごと」で、ご紹介しましょう。
 同行した、弘子さんは、G・Gのチャンピオン。疲れも見せず張り切って居られましたが、九州の最南端、鹿屋からの日帰り旅は空を飛んでもくたびれました。

大賞受賞作品を紹介します。

残された健君は?
 敗戦とは思いがけない事実であった。北朝鮮から歩いて引き揚げる。気の遠くなるような距離を野宿の日々。60人組。健君が熱を出した。真っ赤な顔でもう歩けない。彼の母はリュックとその弟を背負い健君の手を引く。余程の決断に一軒の家の門を叩く。なけなしのお金を出し「すぐ迎えに来ます。預かってください」。悲痛な叫びは届いた。「すぐに…」を健君に言い含め振り返りながら別れたその母。戦後60年、健君は無事だっただろうか。熱っぽい眼差しで懸命に黄色い帽子を振っていた幼い姿が目に焼き付いて離れない。8月とは心が重い。  
 大分県竹田市 三代律子さん



雨の日の断想

2006-06-17 08:53:40 | はがき随筆
 4月も菜種梅雨とかで雨が多く、5月晴を期待したが、なぜか5月も雨ばかり。
 うんざりしているが、こればかりはどこにも腹の立てようがない。
 万物の霊長と人間は威張っているが、自然に向かっては何の力もない。仕方なく言われる通りに生きるしかない。考えてみれば情けない限りである。
 そこで自然と妥協し、自然を利用して生きる術を考えるしかない。己の力の弱さを自覚し、たくましく力強く全力を尽くして生きていくしかない。
 どこまでも自然を愛し、そして自分を愛しながら。
   志布志市志布志 小村豊一郎(80) 2006/6/17 掲載

喜怒哀楽

2006-06-16 15:30:20 | はがき随筆
  新聞を取りに出ると、小学生の元気な挨拶。「児童より先にあいさつを」と心得ていたが超されてしまった。でも清々しい一時だった。
  家の前の町道を、制限速度を超えて50㌔位のスピードで走り去る車。新聞記事に「ひき逃げ男 男児放置認める」とあった。自分の命が大事か。
  大先輩の訃報の記事。昔時の彼の大活躍をしばらく偲ぶことだった。
  今春少なかった、目白に代わって、今朝、鶯の声と元気なホトトギスの声も聞けた。初夏はやっぱりいい。
 人生はこんな喜怒哀楽の繰り返しか。しっかり生きなきゃ。
   薩摩川内市樋脇町 下市良幸(76) 2006/6/16 掲載

毎日はがき随筆大賞・受賞作品の紹介

2006-06-16 10:59:57 | グランプリ大会
 6月11日に開催された「第5回はがき随筆大賞表彰式」では、大賞の外に4編の作品が選ばれました。作品と受賞者の喜びの声を紹介します。

優秀賞1 桜の季節
 それは、10年ほど前から入退院を繰り返していた妻にとって最後となった入院前日のことだった。「なぜか今日は気分がいいので桜を見たい」と言うので市内の公園に連れていった。枝いっぱいに咲き誇り、今にもこぼれそうな桜を見つめているうち「きれいだね。ありがとう」 とつぶやいた。「金婚式までは頑張ろうね」と2人でいつも励まし合っていたのに。今年はちょうどその年に当たる。桜の季節。あの時の「ありがとう」は今も深く心に刻まれ忘れられない。4年前、最後に妻と眺めた桜。今年も桜の下にたたずめば、きっと涙があふれるにちがいない。
   福岡県飯塚市 安部田正幸(75)
 5年前になくなった妻と最後に見た桜の美しさは今でも忘れられません。毎年、その桜を見上げると涙がこみ上げてみます。6年ほど前から投稿を始め、今回は妻への気持ちをそのまま文字にしました。受賞には本当に驚いています。

優秀賞2 ひより雪
 朝から雪が降っている。太陽が顔を出しても、まだ、雪が降っている。「ひより雪みたい」と孫がポツリ。「日和雨というのがあるから、それもありだよね」と2人で笑った。満1歳の誕生日の数日後、急性脳炎ですべてを失いかけた孫が17歳となり、言葉が豊富になった。今も、自分の足で立つことも歩くことも出来ず、思い通りには動けない。音楽が好きで、土日は終日音の中に埋もれていて、ときに面白いことを言って私を笑わせる。雪が舞うその向こうに広がる青空を眺めながら孫を抱きしめていると「奇跡」の二文字が浮かんでくる。
   山口県周南市 国兼由美子(63)
 孫娘は脳に障害がありますが、明るくて、ユニークな言葉を発して家族の心を豊かにしてくれます。受賞は孫のおかげ。美味しい物を買ってあげるつもりです。今後も感性のアンテナを広げ、厳張って随筆を書こうと思っています。

日本郵政公社九州支局長賞 望郷
 雑木林に65歳の翳(かげ)を伸ばし伸ばし歩いている。3日前の同じ道とは思えないくらい穏やかな日和だ。激しい北風に竹林がしなり、跳ね返していた光景はどこにもない。どれだけの歳月が流れただろうか。目を覚ましたせせらぎの水声がのどかだ。耳を澄ませば山から鶯の谷渡り。小学校からはピアノに合わせて子らの清き声。枯れ野には農夫が藁を敷き詰めている。稜線も明るい。まさに水温む春だ。でもどじょうっ子はどこえ消えた。幼馴染みはどこへ行った。雲はこんな遊子を故郷遠賀川へかり立てる。まだ旅は終わらない。
 ふるさとへ帰りますかと春の雪
   熊本県荒尾市 橋口朋英(66)

 福岡県水巻町で生まれ育ち、炭坑閉山で親友らとちりぢりになりました。自然が失われつつある故郷への思いを随筆に込めました。地元の毎日ペンクラブの仲間と切磋琢磨しています。私一人でなく、みんなへの賞だと思っています。

BKB毎日放送賞 馬鹿やねー
 11月に両目の白内障の手術をした。失敗したらとの不安もあったけど、無事に済みほっとした。今は小さな文字も読める若い目になってうれしい。友は「どう?」「うん、あなたの心の中まで見えてるよ」「ぎょっ、怖い」と、おどけて喜んでくれた。数日して、息子がズボンのポケットの穴を繕ってと言う。「いいけど、ちょっと針に糸通してよ」「何で、もう出来るじゃん」「そう言わんで手伝って」と頼みながらふっと気付いた。「通った。いっぺんで糸が……」「ハハー、10日も入院しちょってから、馬鹿やねーお母さんは」
   北九州市小倉南区 馬場美恵子(71)

 投稿し始めて約10年になりますが、賞は予想してなかったので本当にうれしい。昨年、目の手術を受けた後、息子の一言で、再び見えるようになった喜びに気づかされました。受賞は、繕い物を持って来た息子の優しさのおかげです。

 「家族」をテーマに募集した456編の作品の中から選ばれた、文学大賞5作品は次回のひとりごとで紹介します。

鳳尾の筆

2006-06-15 17:18:41 | はがき随筆
 デパートの中国展で変な筆が目についた。羽毛の固まりのようだ。面白そうだ。
 欲しくなり店主に尋ねると「珍しいので仕入れたが売れず、幾年も経て吊す紐も切れて飾りに置いてある」と笑って値引きしてくれた。
 常に古典と師の手本にすがるのみで、自分で何かを表現したいと思うが脱却できない。
 この筆で新しい分野を広げてみたい。師の甲骨文や現代書・前衛書も魅力だ。意欲がわく。
 鳳尾の名の筆は自分に夢と翼をくれそうだ。次の作品に試したい。
   薩摩川内市高江町 上野昭子(77)2006/6/15 掲載

豆腐屋さん

2006-06-14 10:47:13 | はがき随筆
 都城の安久温泉に月に数回入浴に行く。途中、鄙びた昔ながらの豆腐屋がある。薪で炊くので家中に煙が立ちこめているが、老夫婦はそんなことは気にしていない。固めにできた豆腐はなかなかの人気で、午後になる頃には毎日売り切れる。つるつる頭の好々爺は、二代目の自分で最後だと言っていた。ある日突然、豆腐屋の入り口に忌中の張り紙を見た。それ以来「豆腐あります」の札が消えた。あれからやく1年、忘れかけていた豆腐屋から煙が立ちのぼり「豆腐あります」の札がかかっていた。嬉しかった。後を継いだのは50過ぎの豆腐屋の娘さんだった。
   志布志市志布志内之倉 一木法明(70) 2006/6/14 掲載

ちょい不良親父

2006-06-13 21:21:47 | はがき随筆
 私は買い物に出掛けても、妻や娘の物を優先するタイプの人間である。「中年臭い親父とは一緒に歩かないよ」と娘から言われても、服装はお構いなしであった。ある日テレビで話題の「チョイ不良親父」の服装を見た。とても衝撃的で、格好の良い中年に見えた。5万円のジャケットと2万円のシャツ、1.5万円のTシャツなどを買った。私にすれば、清水の舞台から飛び降りた気分であった。だが、服装一つで気持ちが明るくなり、これからの人生が楽しくなってきた。ちまたでは熟年離婚が騒がれている。世の中年男性よ。濡れ落ち葉になるな。
   鹿児島市山田町 吉松幸夫(48) 2006/6/13 掲載

20歳の高校生

2006-06-12 20:40:40 | はがき随筆
 薫風に胸を披(ひら)きて復学す 輝子
 今から40年前の5月9日、念願の夢がかなって高校2年に復学した。肺結核で3年休学、入院していた。私はまるで小学1年生の児童のような大きな声で「行って来ます」と登校したのをはっきり覚えている。他の病院の診断で誤診だとわかった。県立加治木高校に復学。同級生より3歳上だけど、隼人からの汽車通学は楽しかったなあ。美術部で日本画も描いた。私にとって6年かかって高校を卒業したことが、人生の大きなバネになった。逆境が教師となり、息子5人の子育ても終了。元気に還暦を迎えた。
   山口県光市丸山町 中田テル子(60) 2006/6/12掲載

小腹を減らして

2006-06-12 17:14:11 | かごんま便り
 発祥の地は広島県呉市か、京都府舞鶴市か。鹿児島市の多賀山公園に建つ東郷平八郎元帥の銅像を眺めて、肉じゃがの発祥地論争を思い出した。
 最初に「肉じゃが」を作らせたのは、東郷さんだという。英国に留学中にビーフシチューの味を気に入り、帰国してからも忘れられない。艦上食として食べようと作らせたがデミグラソースなどは日本にはない。料理長は醤油、砂糖で味付けし、完成したのがビーフシチューとは全く異なる「肉じゃが」だったそうだ。
 これが結構、おいしく軍隊食となった。「海軍厨業管理教科書」(1938年)には、材料=生牛肉、蒟蒻、玉葱、胡麻油、砂糖、醤油。①油入れ送気②3分後生牛肉入れ③7分後砂糖入れ④10分後醤油入れ⑤14分後蒟蒻、馬鈴薯入れ⑥31分後玉葱入れ⑦34分後終了。醤油を早くいれると味を悪くすることがある。計35分と見積もれば充分――とある。
 東郷さんが初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府だから、発祥の地は舞鶴市だ。いや、それより10年前、呉鎮守府の参謀長だったから呉市の方で先に作られた、とするのが両市の主張だ。肉を焼いて、砂糖を絡ませて調理する発想は日本独特のものだろう。
 さて呉市と舞鶴市のどちらが先か。そんな論争には我関せずといった表情の東郷元帥像は、口元を引き締め、海を見下ろしている。インスタントがハバをきかせているいる時代。発祥地よりも、各家庭の味付けをした「おふくろの味」の肉じゃがが大切なのかもしれない。
 銅像を離れて祇園之洲町にはザビエル上陸記念碑がある。この時にクロープなどの香辛料を持ち込んだという。アントニオ・ゴメス神父にあてた手紙にも「それで神父を乗せて来る船には胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい」とあるそうだ。日本には胡椒がなく、たくさん持って来ると価値が下がるということだろう。
 肉食の西洋は、香辛料を求めて海外に競って乗り出し、その貿易により富を追求した面がある。だからザビエル上陸記念碑の横に「香辛料伝来の地」みたいな碑もあっていいんじゃない、と勝手に考えた。
 普通に伝わっている先人の業績よりも、今回は〝食〟の方を考えてしまったのは、小腹を減らして歩き回ったからに違いない。
   毎日新聞 鹿児島支局長 竹本啓自 2006/6/12 掲載

謎解き

2006-06-11 23:21:51 | はがき随筆
 病気見舞いの帰り、重富駅から電車に乗った。目の前にお嬢さんが掛けている。お嬢のGパンの膝の穴から丸い膝小僧がにじり出ている。Gパンの穴は自然摩耗ではない。人工的に大きい。学生か社会人か判断できないが可愛い顔だ。本と携帯を所持している。本は見ないで携帯だけで自分の世界を楽しみ、時々、顔が緩む。こちらは目の前の肉塊が気になる。お嬢、その膝どうした。ちょっと失礼じゃない。何よ、この老いぼれ、私の勝手でしょう、とくるかな。私は精神構造の謎解きに迫ってみたが、国分駅に下車するまで謎解きは未完に終わった。
   霧島市福島 楠元勇一(79) 2006/11/11 掲載

鮎解禁日

2006-06-10 12:01:25 | はがき随筆
 午前6時、朝のしじまを破って鮎解禁の号砲が鳴り響く。まだ世も明け切らぬ早朝から、近郷の太公望達は、この日の訪れを今や遅しと一日千秋の思いで待ちこがれていた事であろう。和気あいあいとして雑談に耽っていた釣り仲間もそそくさと、あたかも蜘蛛の子を散らしたかのごとく、各自川の中の釣り場へと急ぐ。成果は本人の熟練度と場所によって決まるようだ。天降川の稚鮎は、昔から県内の主な河川に大量に供給している。そのせいか、近年釣りの成果は余り望めないようである。さて、今年の成果は果たして期待出来るであろうか。
   霧島市隼人町松永 有尾茂美(77) 2006/6/10 掲載

茶の香り

2006-06-09 18:12:42 | はがき随筆
 知覧は私の祖父の実家、私の郷里、薩摩の小京都、武家屋敷の美しい所だ。茶所でもある。幼少時代、祖父の家に手甲脚絆の近所のおばさん達が集まり、竹篭に手摘みで新芽を上手にリズミカルに篭に投げ入れては次々に茶葉を摘んでいた。そのきらめくような色と新茶の小山が初夏の到来を知らせてもいた。私も今年で60歳。けじめの年。幼少時はお茶の効能もわからなかったが、今は香りまでも好きになり、お茶飲み友達までできた。それも手もみの日本茶に限るのだ。
   鹿児島市小原町 吉利万里子(59) 2006/6/9 掲載

合鍵

2006-06-08 11:48:57 | はがき随筆
 窓越しに差し込む柔らかい朝日の中に早参りの方々の線香の香りと、真新しい納骨堂の香りが折り混ざり、厳かに優しく包んでくる。古稀を迎えてかねてから念願であった納骨堂を買い求めることができ、娘夫婦と家族に披露して、来世の新居の合鍵をそれぞれに渡す約束の日。「いろいろと、お世話になります。よろしくお願いします」と、深々と頭を下げる。婿、娘、一同に複雑にして困惑な憂いの空気が流れるのを感じる。そうして、新たに家族の絆と世渡しの1㌻を現実として心から会得したような一日だった。
   鹿児島市宮之浦 春田和美(70) 2006/6/8 掲載

母の日の贈り物

2006-06-07 09:17:45 | はがき随筆
 結婚したてのころは、義母への贈り物にあれこれ悩みましたが、何を贈っても義母は喜んで使ってくれました。さすがに種も尽きて、十年ほど前から商品券に替えました。
4月末に満期になるよう、友の会で積み立てます。私としては「1年かけて準備しました」という気持ちを込めたつもりなのです。「あんた達は母がおらんようで、母の日も何も関係なくて良かね」と、息子達には皮肉たっぷりに言ってきました。それが今年は、大きな花籠が届きました。この春、結婚した長男の嫁が贈ってくれたのです。もう嬉しくて、嬉しくて。ようやく私も母になれました。
   出水市明神町 清水昌子(53) 2006/6/7 掲載

参ったカメムシ

2006-06-06 09:04:57 | はがき随筆
 夏野菜、特にナス科に群がるカメムシの駆除に成果をあげられた方に尋ねたい。例年になくカメムシの異常発生に閉口している。野菜に近づくと一斉に茎葉から落ちて姿をくらます。あるいは落ちて静止していても土色の保護色で見分けがつかない。また、この虫の悪臭は我慢できない。茎の根元に水を張ったボウルなどを置き、茎葉を揺すって水面に落として捕殺する。とにかくトマト、ピーマン、ナスなど生食する野菜故に農薬は全く使えないので捕殺しかない。駆除のよい方法はないだろうか。
   薩摩川内市樋脇町 下市良幸(76) 2006/6/6 掲載