はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

三が日

2009-01-19 13:52:57 | はがき随筆
 昼からビールを飲みだして、酔いで頭のしんがしびれ睡魔がやってくる。駅伝の中継は佳境に入るが、遠いかなたの出来事のように聞こえる。
 妻に促されてベッドに潜ると吸い込まれるように眠りに落ちてゆく。日は西に傾くが、ぬくもりから抜け出すのはつらい。
 ほえ続ける遼太郎の声に、仕方なく運動に出る。一風呂浴びて、今度は焼酎に切り替える。
 駅伝の中継がいけないんだと勝手な言いがかりをつけての3日間。いくら正月といえども古稀を迎える身としては自戒の念も顔を出す。一年の計は元旦にあり、でした。反省してます。
   志布志市 若宮庸成(69) 2009/1/18 毎日新聞鹿児島版掲載

2009年

2009-01-17 20:29:31 | はがき随筆
 60歳以上が参加資格の「ねんりんピック」が昨年10月、当地で開催され、各種目で若者に負けないガッツあふれる元気なプレーを見て大いに触発された。
 今年64歳になる私は、競技参加の思いがメラメラと炎のごとく燃え上がり、心身を鍛え抜き「出場するぞ」と強く心に誓った。くしくも今年は札幌が開催地。社会人となり就職した思い出深い土地で郷愁に駆られる。
 70歳のあのすごい走りや水泳選手の泳ぎに驚いた。私も、出場・挑戦へのプロセスに生きがいを感じ、健康作りを目指し、自分の心と身体に金字塔を打ち立てたい。
   鹿児島市 鵜家育男(63) 2009/1/17 毎日新聞鹿児島版掲載

夕陽が見える丘

2009-01-16 14:50:22 | はがき随筆
 種子島の夕日は美しい。夕方買い物に出たので、帰るころサンセットタイムにぶつかるかもとカメラを持って出た。思惑通りになったので大崎地区の“夕陽が見える丘”に行ってみた。
 沈むまで少し間があったので待機する。その間に犬の散歩がてらに立ち寄ったり、ウオーキング途中でベンチに腰を下ろす人などがいて、人気スポットのようだ。
 水平線に雲がかかってはいたが、冬の夕日をカメラに収めた。夕日を撮るのは難しい。見た目通りに撮れたためしがない。カミさんに指摘されるとカメラのせいにしているのだが……。
   西之表市 武田静瞭(72) 2009/1/16 毎日新聞鹿児島版掲載
   写真は武田静瞭さん提供

慌ただしいお正月でありました…

2009-01-15 16:01:24 | アカショウビンのつぶやき
 年末から連休過ぎまで、てんてこ舞いのアカショウビンでした。
 年末に息子から「僕、結婚します」と、ドラマのワンシーンのような電話があり、待ちに待ったひと言だったのですが…、親ばかでしょうか、喜びと不安で、お正月の準備が手がつかぬという慌てようでした。

 帰省した息子は、フィアンセの実家、S県までご挨拶に行き、あれよあれよという間に、話は決まってしまいました。なるべく早くフィアンセに会いにきてとの息子の頼みで連休に上京、K市に住む娘と共にお互い緊張の瞬間…でありました。息子の言葉通りしっかりした娘さんなので2人で支え合い、足らざるは補い合って温かい家庭を作ってくれることでしょう。
今後の準備はすべて2人でやるから心配しないでとの息子の言葉に安心するやらちょっと寂しいやらの母でありました。形式にとらわれない手作りのお式になるようですが、2人のブランに任せましょう。

「汝、病めるときも、健やかなるときも、これを愛し、敬い、慰め、助け、そして命の日の限り堅く節操を守ることを誓うや」との言葉を厳粛に受けとめ、どのような試練のときも2人で乗り越えてほしいと切に願う母であります。 

菜の花マラソン

2009-01-15 15:28:06 | アカショウビンのつぶやき
 800万本の菜の花が咲き誇る薩摩路を走る「第28回いぶすき菜の花マラソン」が、11日指宿市で開催された。全国から集まった参加者は、フルマラソン14.573人。10㌔コースが2.850人。

 高校生から80代までの市民マラソンランナーたちは、苦しくなると景色を楽しみ記念撮影したり、それぞれがマイペースで美しい新春の薩摩路を堪能したと言う。

 昨年、ラジオ番組で取材させて頂いたUさんは、「来年は家族全員で菜の花マラソンに参加します」とおっしゃっていたが、きっと家族4人、楽しい時を過ごされたことだろう。そしてまた来年も! と。
  2009/1/12 毎日新聞鹿児島版 掲載記事より

ダイダイを器に

2009-01-15 15:21:12 | はがき随筆
 子供のころ、私の故郷はダイダイの木の多い集落だった。お正月のお飾りと食酢にするためだ。そのせいか酢なますや酢の物が大好物になった。
 3児の親になったころ、自分で大根なますを作ってみた。ダイダイを横二つに切り、身を取り出して器にする。枝と葉を残すとふたになる。具は大根とニンジンと昆布に、ダイダイ酢をかけたスローフード。おせち料理に飽きてくるころ、さっぱり味で消化も良い。
 我が家の庭のダイダイも実がなるようになった。息子たちが帰省したら、久しぶりに自慢の大根なますで新年を祝おうか。
   鹿屋市 上村 泉(67) 2009/1/15 毎日新聞鹿児島版掲載

お屠蘇

2009-01-15 15:12:28 | はがき随筆
 まだ明けやらぬ中、鎮守の境内に横なぐりの小雪が舞っている。静かに両手を合わせ旧年の御利益に感謝していると体がふるえてくるのです。昨年は元日早々病魔に見舞われ、家族らとのお屠蘇の酌み交わしもなく即入院、2回の大手術。一時の油断も許さぬ病との闘いの連続でした。至福にして暮れ近く、担当医より全治診断の結果を感涙の中で受けられたのです。元日の朝、粛然と社の前に立っている自分が虚構に思えてなりませんでした。お屠蘇の酌み交わしが始まると孫が「じいちゃんの元気な顔が一番好き」と言って満悦の笑いを誘っていました。
   鹿児島市 春田和美(73) 2009/1/14 毎日新聞鹿児島版掲載

長島路

2009-01-15 15:02:34 | はがき随筆
 天空にそびえ立つ風力発電の塔。ゆったりと回転している。
 美しい海岸線、どこまでも続く青い海。
 バレイショの作付けを待つ赤土の畑。草一本も生えていたい。やがて春を迎えて一斉に花開く野菜(エンドウ、タマネギなど)。
 海の幸もいっぱい(ウニ、水イカ、海草など)。
 過去5年間住んだ地。魚好きの妻は大満足。人情豊かな島、お宝がいっぱいの島。
 新しい年を迎える息吹を感じた。
   薩摩川内市 新開 譲(83) 2009/1/13 毎日新聞鹿児島版掲載

初詣で

2009-01-15 14:56:26 | はがき随筆
 1月1日、家族の年始祝をすませ恒例の南州神社参りに。なぜ南州神社かというと、昭和40年代前半をこの地に住んで、周辺の広場や境内で存分に土や草にまろぶ機会をほとんど毎日得たから。広場は桜島、錦江湾を眺望する風光明媚なところで、ブランコ、鉄棒の遊び、人々との出会いなどがあったので懐かしいこと第一。帰り際、境内の一隅にある大きな石灯ろうに新しい立て札が立っているので、しっかり目を通す。江戸城無血開城で戦火をのがれた市民からの感謝の一灯と知った。ここにも天璋院と西郷の偉業となった苦心苦慮によるまことが…。
   鹿児島市 東郷久子(74) 2009/1/12 毎日新聞鹿児島版掲載

ラッキーな1日

2009-01-15 14:36:39 | はがき随筆
 夫が逝ってから父の墓参りがままならない。M子さんのお里は根占という。途中まで乗せてくださいと頼んでいたら、さっそく冬晴れの1日、声をかけてくださった。しかも父の墓所まで夫婦で付き合ってくださった。お陰で念願の墓参りが出来た。また墓守を頼んでいるいとこ宅にも寄って、お礼も言えた。
 父の里・小野原から荒平へ抜けてM子さんのお里へ。絶好のドライブ日和で車窓から薩摩半島や開聞岳がくっきりと見える。こちらの半島は長く伸び、佐多岬や島々も見える。せっかく来たのだからと錦江町田代の花瀬公園へも回ってくださった。
   霧島市 秋峯いくよ(68) 2009/1/11 毎日新聞鹿児島版掲載

でかしたぞ娘よ

2009-01-15 14:30:19 | はがき随筆
 平成20年3月、満68歳にて小学校教諭免許状を取得した。再試験、再々試験の時もあった。生半可なことでは出来ぬことを知った。
 娘の方も挑戦した。結果は上場である。どの教科も1回でレポート、試験合格である。しかも「優」である。娘の才知、努力を改めて知らされる。
 娘に負けたおやじはぶざまである。今までの歩みは何だったのだろうか。20代には勝てぬ古稀である。老いぼれの悲哀を感じる。娘は娘で親父に勝った自負がある。平成21年新春、おやじの挑戦が始まる。
   出水市 岩田昭治(69) 2009/1/10 毎日新聞鹿児島版掲載

2009年

2009-01-15 14:25:40 | かごんま便り
 「百年に一度の金融・経済危機」「先行きの全く読めない厳しい時代」。県内諸団体の年始会では「篤姫」ブームへの期待感にあふれていた昨年から一転、暗いあいさつが相次いだ。

 そんな中、全国高校サッカー選手権大会での鹿児島城西の快進撃は久々の明るい話題だった。多少粗削りながら怒濤(どとう)の勢いでゴールに迫る圧倒的な攻撃力。点を取られてもそれ以上に取り返すたくましさ。直球で押しまくる剛球派投手さながらの“力技”は、素人目にも実に壮快だった。

 大会得点王の新記録を作ったFW大迫勇也君を筆頭にチームとしても大会最多得点記録を更新。広島皆実の堅守の前に頂点にはあと一歩届かなかったが、記録と記憶、双方に存在感を示した城西イレブンの活躍は、県民にとっても大きなお年玉となった。

 前述の年始会で、今年の話題として取り上げられたものを紹介する。

 まずは島津斉彬公(1809~58)の生誕200年。「篤姫」の翌年というのが少々残念だが、ブームの余韻とあいまって引き続き観光面での恩恵にあずかれれば、むしろ好都合かもしれない。

 次に肥薩線の全線開通100年(当時は鹿児島線の一部)。SLブームのころマニア注目の的だった矢岳越えのD51重連が懐かしい。現在は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」号が人気だが、100年記念でSLが復活するのも楽しみだ。

 そして7月22日の皆既日食。最も長く皆既が見られる悪石島(十島村)では混乱も予想され、手放しでおめでたいとはいかないが、鹿児島に世界の目が注がれることは間違いない。

 09年はどんな年になるだろうか。当然、景気のいい話ばかりがそう転がってはいまい。「怠らず行かば千里のはても見ん、牛の歩みのよし遅くとも」という道歌もある。やはり地道に頑張るしかない、か。

鹿児島支局長 平山千里 2009/1/13 毎日新聞掲載

さらばイノキチ

2009-01-09 10:57:52 | はがき随筆
 山際に小さな畑を作っている。ある日、高い土手から1匹の子イノシシが転がり落ちてきた。驚いたのもつかの間、相手はさっと立ち上がり、辺りを掘り返しはじめた。お前か! このところの畑荒らしはこの子の仕業だったらしい。畑荒らしは次の日、次の日も1匹で現れ、熱心に泥遊びをしたり、寝ころんでこちらを見ていたりする。親とはぐれたのだろうかと少しふびんに思えてくる。ついつい可愛くなり、名前などつけてしまう。しかし、その日を境に姿を見せなくなった。「イノキチ」という名前が気にくわなかったのかもしれない。
   薩摩川内市 橋口恵美子(60) 2009/1/9 毎日新聞鹿児島版掲載
   イラストはコケイジさん

はがき随筆 新年特集

2009-01-08 08:27:10 | はがき随筆
新年特集-下

「今年も元気で」
 青竹は節があるので、あんなにも強く高く真っすぐに伸びていく。人の世も正月を節として一年一年強く生きたいものだ。私は正月に昔の写真を見る。昭和14年(1939)年の家族の写真である。年の初めに70年前をしのび心の糧とする。祖父母をはじめ2代目が9人、3代目の私たち子供が7人、合計18人と犬が1匹。日中戦争のまっただ中、集まれる者だけ集まった正月の写真だろう。皆、門の前に並び、晴れ着姿ですましている。2代目までの大人たちは早くに世を去ったが、3代目のいとこたちは70歳を越えても皆元気。DNAに感謝せねばなるまい。
   鹿児島市 高野幸祐(76)



「ぴかー」

 年の瀬にうれしい贈り物。それを開ける時しみじみ正月を感じる。もう今年までかしらんが口癖の82歳の母が、せっせとつけた真っ白い白菜漬。8月に種をまき、収穫して大だるに漬け込み、また小だるに移し、手間ひまかけてしんなりさせる。それが絶品なのだ。正月料理に腹いっぱいの胃袋。もう何も受け付けぬと思いきやアラ不思議。白い漬け物の登場に皆のはしが進み、ついにはお代わりとなる。私の料理は途端に色あせる。ムムッ、憎き白菜め!と思うも「最近、漬け物石が重くて……」と腰の曲がった母の姿が浮かび、ありがとうと心の中で手を合わせる。 
   出水市 伊尻清子(59) 



「七所祝」
私の住んでいる町がまだ村と呼ばれていたころ「七所祝(ななところいわい)」というのがあった。正月7日に七つになる子を地域で祝う行事だ。私が7歳の時、近所の遊び友達で一番の仲良しの女の子が母親と訪れた。もらった七草がゆの椀を私は戸棚に大事にしまっておいた。ところが家の誰かが、それを他家からもらったかゆとごっちゃにしてしまった。それですっかりご機嫌斜めになった私を、原因の分からぬ母や祖母らは懸命になだめすかした。幼児死亡率の高かった時代。7歳はある程度の抵抗力もついて、もう大丈夫ということを地域のみんなで温かく祝ったのだ。
   伊佐市 山室恒人(62)



「新年の夢」
私の作詞曲はいつ出来るだろうか。楽しみだ。
 年末の12月、ダム問題が残る川辺川を訪ねた。「『五木の子守唄』はあるが、川内川の歌はない」と村の方に聞いた。
 「川辺川情歌」と題した3番までの作詞に挑戦。つらい思いをされている方々の気持ちに少しでも添えたらと願い、行方不明の恋人を、美しい谷奥の川辺川原で待つ村娘の哀しみにかえた詞にした。
 作曲を五木中学校のI先生に依頼。幸運にも引き受けてくださった。出来たら、今年11月の五木村の合唱祭で披露したい。
 私のかなえたい新年の夢。
   出水市 小村 忍(65)
   2009/1/8 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆 新年特集

2009-01-07 08:12:17 | はがき随筆
新年特集-中

「新聞凧」
 正月の凧揚げ大会に、私は手作り凧で参加した。手作りと言えば聞こえはいいが、市販の凧を買ってもらえない苦肉の策だった。凧骨作りに父の指導を仰ぎ、新聞紙を張った凧が完成。
 会場は、参加者と見物客が200人を超すにぎわい。凧揚げ仲間に一笑された新聞凧が一番高く舞い上がり「おーっ」と観衆のどよめきが上がった。周囲には黒山の人だかりが出来て、私は得意満面の笑顔。アイデア賞の賞状を掲げて、鼻も高々だった。
 48年前の記憶をたどり、凧を作成してみた。平成の正月に揚がる新聞凧、いかに。
   出水市 道田道範(59)



「大観覧車」
 アミュプラザの大観覧車にぜひ乗ってみたい。満6歳の正月、七草祝いに新調してもらったもえぎ色の半コートと焦げ茶色のズボンを着た私を、祖父が叔母一家の住む宮崎に連れていってくれた。唯一記憶にあるのは、大きな観覧車(小さい私にはそう見えた)に乗ったこと。上から見下ろすと、祖父と叔母がニコニコ笑いながら我々を見上げていた。2歳上のいとこにどこの遊園地だったか尋ねると、橘屋百貨店の屋上だったという。そして中に千代紙の入った朱色のビニール製ハンドバッグを買ってもらったよ、と。天国のお祖父さん、ありがとう。
   鹿屋市 田中京子(58)



「羽子板を買いに」
 祖母の家から、その集落に1軒きりの店までは、歩いて20分以上もかかった。親類の姉ちゃんたちの後を10歳くらいの私は必死について歩いた。祖母からもらったばかりのお年玉を握りしめて。
 絵柄にあれこれ迷い、ようやく決めた羽子板とカラフルな羽子1個でお年玉は消えた。それでも初めての買い物に気分は高揚していた。
 おまけにもらったあめ玉をほおばり、ポケットの羽子を時々確かめながら、羽子板のお姫様をチラッと見ては遅れぬように歩いた。行きよりは少し大人になった気分の私がいた帰り道。
   出水市 清水昌子(56)



「平凡にいきます」
 新年といえば初夢であるが、初夢はともかく今年にかける私の夢はなんだろうか。還暦を迎えるにあたり、何はさておき心身の健康が第一である。「行運流水」なる金言を座右の銘にと気取ってみるのも一興かもしれない。だけどムリムリ。重箱の隅をつつくがごとき性格に、今でも手を焼いているんだから。いっそ「ガンバラない、ムリしない」が分かりやすくていいかもしれない。そして欲を言えば、若い娘と健全な友達になれたら申し分ないのだけれど。これもムリでしょう。世のご婦人たちの総攻撃に遭いかねない。ということで、今年も平凡にいきます。
   霧島市 久野茂樹(59)
2009/1/7 毎日新聞鹿児島版掲載